3. 異世界転移……風雅の国とは?
目が覚めたのは水音で、だった。
ぴちょん、ぴちょん、と、どこかで水が落ちる音がする。それが私の意識をじわじわと引き戻した。
……水の音?
私はどこにいるんだろう?
どれだけ時間が経ったのかわからない。
頭がぼんやりして、時間の感覚もなくなっていた。
ゆっくり目を開けると、私は和室にいた。やわらかい布団の上……夕方、だろうか。横には縁側があり、オレンジ色の光が障子からやわらかく差し込んでいる。
畳の部屋。
そこはヒノキみたいな香りがほのかに漂う、なんだか懐かしい日本家屋風の空間だった。
木の柱……欄間に美しい椿の彫刻が施してある。そして障子……縁側から差し込む夕方の光が、障子を通して、畳にやわらかな影を落としていた。
……ちょっと待って。
さっき、私はブラックホールみたいな渦に吸い込まれたはずだ。玲のマンションの部屋は洋室だった。
なのに、なんで私、和室にいるんだろう……?
「……あたま、いたい……」
頭がずきんと痛んで、額をおさえながら体を起こそうとした瞬間。
目を開いたときは縁側の方に目を向けていた私、その反対側にちょこんと座って私を覗き込んでいた少年と目が合い、思わず「ええっ」と叫んでいた。
同時に、額にのせられていたぬれタオル風な手ぬぐいが脇に落ちる。
どうやら、枕元にいたその少年が、濡らしたそれを絞って私の額にのせてくれたらしい。木桶で手拭いを絞る水音が、私を目覚めさせたみたいだった。
「大丈夫?」
ちょっと高い少年の声。顔をあわせてまじまじと見ると、一二~三歳くらい?
声変わり前の男の子がそこにいた。
私も目が大きいと言われる方だけど、真っ黒な髪と瞳の私と違ってその子は色素が薄く、まるでガラス玉みたいに夕方の光を反射してキラキラ光る瞳をしていた。
さらさらの茶色の髪、子犬みたいに素直でかわいい感じ……。なんだか癒し系の雰囲気だ。
「……誰? と言うか……ここ、どこ?」
私は身を起こして、少年に真剣に質問していた。私は少し気が短いところがあって、つい端的な言い方になることがある。
玲から時々、「薫、言葉遣い」って笑われてたな。うっすら思い出しながらそう尋ねると、少年は驚いた顔で、でも物怖じしない感じで、私の目を見て答えた。
「僕は速水。ここは風雅の国の僕の家だよ」
「フウガの国……?」
聞いたことの無い名前だった。首をかしげる私に、速水と名乗った少年は続ける。
「君、さっき、突然うちの縁側に倒れてて……びっくりしたんだ。怪我はない?」
心配そうな顔で私の顔をじっと覗き込む。光る透明な大きな瞳。
悪い子じゃなさそう。むしろ純粋な感じに見えた。
「縁側に倒れてた……? 私の名前は、薫っていうんだけど……」
どういうことなんだろう。さっきまで玲のマンションにいて、クロゼットから音がした気がして扉を開けたら、その中はブラックホールみたいな渦になっていた。
怖すぎると思いながら勇気を振り絞って飛び込んで、気がついたらここにいた……。
気付けば掌をぎゅっと握りしめていて、爪の跡がついていた。
ゆっくり手を開くと、そこにはクロゼット手前の床に落ちていた玲の勾玉……。
透明な緑のそれが、掌の上で淡く光っている。
やっぱり夢じゃない。確信して、私はその勾玉を大事に制服のポケットに仕舞った。
それにしても、混乱するってこういうことを言うんだろうな。めまいがするような感じで、頭の中がはてなマークでいっぱいだった。
玲の笑顔が脳裏に浮かぶ。彼はこの世界のどこかにいるんだろうか……?
不安な気持ちで目の前の少年をゆっくりと見る。
彼は、紺地に黄色のラインが入った和服姿だった。洋服では、ない。
現代の日本で日常着に和服というのはなかなか無い。
対する私は、学校の制服姿のままだった。
「ねえ、速水。ここって、日本……? もしかしてパラレルワールドとか、異世界とかそういうやつ?」
不思議に思って、以前見た漫画や小説の知識を総動員して、聞いていた。
まさかの異世界転移というモノなんだろうか?
速水は驚いたような様子でぱちぱちとまばたきしている。
「ぱられる……ってなに?
うーん、なんのことだか僕はわかんないけど、君が縁側に倒れてたことだけ考えても、何かよくわからないことが起こってる感じだね……君の格好も変わってるし……なんか、すごく綺麗な雰囲気だし」
急に笑顔でそんなことを言うからびっくりした。
なんてストレートな褒め言葉……。でも、こんな風に純粋に褒められたことは初めてで、私はなんだかとても照れてしまった。
「それはともかく!」
私は照れ隠しもあり、なんだか焦って、本題に入ることにした。
「玲って名前のひとを知らない?
年は十六才くらいで、背が高くて物静かな雰囲気で、声が良くて……笑った顔が綺麗と言うか……すごくカッコいい人なんだけど」
そう。綺麗と言えば、私より玲の方だった。
私はどちらかと言うと動きが大きくて、少し男の子みたいに雑なところがある。
玲の目にふわりとかかる前髪や長い睫毛、綺麗な指は、とても繊細で上品な印象を見る人に与えた。
必死に説明する私に、速水は首をかしげて戸惑っているように一瞬沈黙した。でも、次の瞬間、急にぱっと笑顔になる。
「ねえ、薫。とりあえずお茶でも飲まない? 僕、淹れてきてあげる。
それで、僕、ゆっくり話聞くよ。なんか、よくわからないけど……不思議な、考えられないようなことが起こってるのかも!」
速水の素直なやさしさと好奇心にあふれた声と瞳に、なぜか私も頷いていた。
このフウガの国というよくわからない世界とこの少年、そしてあのクロゼットの渦……。
全部、玲に繋がってる……と、思いたい。




