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25. 滝(はやせ)のスパルタ訓練

 十月の午後、柔らかい日差しが湖面に反射する中、空手や柔道の胴着のような生成りの練習着に着替えた私は、汗だくで腕立て伏せをさせられていた。しかも、重りだと言われて刀を背負って!


 はあはあと、我ながら息も荒い。


「……はあ、……はあ……五十回って、……きつすぎる……!」

 腕が震えて、地面につぶれそうになりながら、私は横に立つ滝を見上げる。


 涼しい顔で、腕を組んで私を見下ろす(ハヤセ)は、がっしりした体格をしていてぱっと見た目は童顔だけど、焦茶色の瞳は鋭く光って野生動物みたいだ。ちょっとした動きも機敏で、大きな剣を平気な顔で腰に差していて、明らかに戦場慣れしている雰囲気だった。


「へたばるのが早すぎるぜ、薫。お前、体力なさすぎだろ! 今まで腕立てって何回やったことあんだよ?」

 乱暴な言葉でそう言ってくるけれど、どこか憎めない感じだ。


 初対面のとき、びしばし鍛えてやるから、覚悟しとけと言われたけれど、初っ端から腹筋五十回と腕立て五十回を言い渡されるとは思っていなくて、それだけでも私はへばり気味だった。


「中学の時は、二十回……」

「その中学ってのが何だかわからねえが、二十回ぽっちじゃ話にならねえな」


 あきれたように滝は言い捨てて、なんとか五十回の腹筋と腕立てを終えて地面にひっくり返った私を、ふむ、という顔で見下ろす。


「わかった。じゃあ、初日は加減してやる。お前、今夜は無理でも明日から、夜、寝る前に毎日、腹筋三十回と腕立て三十回から始めろ。無理だったら二十回でも仕方ねえ。継続は力なりって言うだろ? それで、明日と明後日、それやっといて、木曜の午後に俺と鍛錬すっときに、また今日と同じで五十回やってみな。多少は感覚が変わるだろ」


 ニヤニヤ笑ってそう言ってくる。

 でも、刀を背負って腕立てとか、厳しすぎると思う!


「家では、刀背負ってやらないからね!」

「おお、危ねえからな。寝間着で部屋ん中ですりゃあいい」

 反論したら、ふいに優しく笑うから、私は思わず黙る。そうなんだ。最初に会ったときも思ったけれど、口は悪いけど、どこか優しいんだよね。


 滝は、寝転がる私を眺めてニヤッと笑い、腰に差した刀を軽く叩いた。

「お前は翡翠の代わりなんだろ? それならこれくらいで文句言うなよな! 

 おら、立て! 次は素振り五十回だ! 最初は軽めの木刀にしといてやるよ」

 よろめきながらどうにか立ったら、ひょいと木刀を渡された。


 私は受け取って、見本を見せてくれる滝のやり方を真似して素振りをはじめる。

「う、腕が上がらないよ~……!」

「泣き言言うんじゃねえ! 来週からは素振りは百回だからな!」

「きつすぎるよ~」

「身体ゆがめんな! 変なところねじるぞ! まっすぐ立って、ほら、一、二!」


 自分の腰に差していた大きな剣を鞘ごとかまえて一緒に素振りをしてくれる滝は、やっぱり優しいのかもしれない。


「翡翠は、この倍以上の重さの刀を軽々と振ってたからな。再来週からは倍の重さの木刀でやるぜ!」

 滝がそう言ったとき、階段の方から夏野(カヤ)が、静かに笑いながら近づいてきた。


「滝、あまり急に厳しくやりすぎるなよ。徐々に慣らしていけばいい」


 夏野の声は落ち着いていて、いつも通り涼やかな雰囲気だ。でも、右足を少し引きずる姿を見ると胸が痛む。二年前に玲をかばって怪我をしたという話は、先週末に聞いていた。


「でもよ、夏野。いつ西軍が攻めてくるかわかんねえだろ? 早くある程度仕上げた方がいいぜ。それに甘やかして薫が調子に乗ってもいけねえしな。姫の代わりなんて、今の状態じゃあ全然無理だ。五歳児連れてきた方がまだしもだぜ」


 ひどい言われように私は思わずかっと来る。

「調子に乗るのはお前だろ、滝……! さっきから言いたい放題いいやがって、今に見てろよ……来週には軽くできるようになってやる!」

 素振りをしながら涙目で私がそう言うと、夏野は驚いたように目を丸くし、滝は面白そうに笑った。


「結構負けん気が強いな、薫」

 と夏野。

「おもしれえな。来週が楽しみだぜ」

 と滝。

「滝の真価が発揮できるのは来週からかもしれんな」

 と夏野が微笑む。


 玲と夏野ほどではないかもしれないけれど、夏野と滝もかなり気が合っている雰囲気だ。

 しばらく黙って素振りを続けて、なんとか五十回が終わり、からんと木刀を落として、私はへたへたと砂地に座り込んだ。



「じゃあ、十分休憩な」と滝が言う。

 私は息切れしつつ、ふとさっき着替えさせてもらった治療室の入り口の方に視線を流すと、玲が遠くから私たちを見ていた。今日は紺地に白い模様の和服姿で、それが風に揺れて、いつものどこか神秘的な雰囲気が漂っている。目が合うと、玲は少しだけ微笑み、すぐに視線をそらした。


 ……やっぱり、まだ何か隠し事があるような感じだ。玲のあの伏せ目がちな表情。これ以上、何があるって言うんだろう……? 


 私は心の奥でそう思いながら、休憩が終わり、次は直立状態からの膝の屈伸運動……いわゆるスクワットを三十回やって、うつ伏せになって背筋も三十回、そして腕や膝を回したりアキレス腱を伸ばした後、まずは体力からつける必要があるなと言われて、湖の周りを滝と一緒に走ることになったのだった……。



 二時間の訓練の後。

「じゃあ、また木曜の午後な。今日使った練習着は、洗って木曜にまた使ってくれ。毎晩の腹筋と腕立て伏せ、忘れんなよ!」

 それだけ言い捨てて、滝は軽い足取りで去って行く。


 私はふらふらと、着替えるために重い足を上げて階段を上り、朱鷺子さんがいる治療室に向かった……。



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