23. 玲と夏野
玲のお父さんは別の場所に住んでいるという話を聞きながらスープを飲んでいたとき、入り口の扉から黎彩さんと朱鷺子さんが入ってきた。
今朝は気付かなかったけれど、なんだか親密な雰囲気だ。
「黎彩、朱鷺子! こっちに座るか?」
にこにこ笑って玲が言う。黎彩さんが片手を上げて、二人ともこちらに笑顔で近づいて来る。夏野が私に小さな声で、
「黎彩と朱鷺子は婚約していて、戦況が落ち着いたら結婚する話になってるんだ」
と教えてくれた。無骨な雰囲気の黎彩さんと、凜々しい朱鷺子さん、いい感じだ。
なんか……ここに落ちてきて、最初の数日は玲の不機嫌な顔しか見ていなかった私、今日は朝から全開な玲の笑顔を見ていて、安心と嬉しさで心が弾んでしまう。
きっと、日本での玲の物静かな雰囲気は、もちろん生来のものもあっただろうけど、緊張や不安もあってのことだったろうなあと、心の隅で思っていた。
ここは、ずっと玲が育って来たところだからか、玲自身がとても安心しているのを感じて、なぜか私までほっとしてしまってた。
「三人はもうほとんど食べ終わった感じだな」
玲の隣に座りながら、お盆を持ってきた黎彩さんが言う。
「ああ。ちょっとお茶取ってくる」
玲がすっと立ち上がり、つられて立ち上がりかけた私に、
「薫は座ってな。さすがに初日で疲れたろ? 夏野も座ってていいぜ。まとめてもらってくる」
と言って、すたすたと厨房の方に歩いて行ってしまう。
そんな玲を見ていて、夏野がおかしそうに笑って言った。
「……今日はほんとうれしそうだな」
「肩の荷が降りたんだろう」
と黎彩さん。
「あんなに機嫌良くなるなら、最初から知らないふりなんてしなきゃいいのにな」
微笑みながら、私を見て夏野がそう言ってきた。私はその夏野の見透かしたような切れ長の瞳に、わかってくれてる……! と感動してしまい、思わず涙目になっている。
「そう思う? ひどかったよね、最初の数日。私、夜、本気で泣いちゃったもん……」
私の台詞に、夏野、肩をすくめて。
「俺は、来ちまった以上腹を決めろと言ったんだがな。玲はめったに動揺したりしない方だと思ってるが、たまに混乱と言うか、錯乱と言うと大げさなんだが……なんか本人が、ぱにっくとかなんとか言ってたが、日本にそういう言葉があるのか?」
パニック。
そうか、想定外に私がここに来てしまったから、パニック状態だったのか。
私は納得しながら、夏野を見て頷いた。
「パニックって、外来語……外国の言葉なんだけど……、まさに混乱とか錯乱とか、そういう意味の言葉があるよ。そうか、そんな状態だったのか……」
「……持ってきたぜ。何の話だ?」
戻ってきた玲、お茶を置いてくれながら軽い調子で聞いてくる。
「いや、お前のパニック状態の話」と夏野。
「その話を今、ここでする必要ねえだろう!」
玲は急に赤くなって、私はまずいと思わず視線をそらした。
でも、玲と夏野がお互いに何を言ってもいいくらい心を許している感じがすごくわかって、そのことに私はとてもほっとしていた。さっき、玲が日本に来た時の状況を少し知って納得もしたけれど、玲はずっとどこか寂しそうな感じだったから、夏野がいてくれて良かったなあと心から思っていた。
私はそっと聞いてみた。
「……玲と夏野さんは、何歳くらいからの友達なの?」
私の質問に、椅子に座りながら玲が言う。
「六歳だな。俺が神官の修行のために、父さんから六歳のときに神殿に預けられて……俺が来たとき、夏野はもう、先に神殿で暮らしてたんだ」
「俺は戦災孤児で、五歳の時に村が焼かれて、当時八歳だった翡翠に拾われたんだ。で、玲より一年早く神殿で寝起きしてた」
戦災孤児! そして翡翠は彼らの三歳上か……と思いながら、私はもうひとつ聞いてみる。
「……じゃあ、夏野さんの足も、その時にケガした……?」
「俺のことは夏野でいい。この足は、二年前の戦闘の時に、矢を受けてな」
「玲をかばったのよね」
と、横から朱鷺子さんが言う。
そうなんだ。
玲を見ると、気まずそうに黙ってお茶を飲んでいる。夏野は特に気にしていない風に言った。
「二年前、西軍の奇襲でな。玲がやられそうになって、俺が盾になった。足を射られて戦場には出られなくなったが……まあ、悪くない。馬にも変わらず乗れるようになったし、今は医者見習い兼参謀だから本陣にいるのが正当だしな。……ま、こいつが無事でよかった」
夏野は優しい瞳で玲を見てそう言った。彼の切れ長の瞳の強い光を見て、玲と夏野の絆がちょっとやそっとでは崩れないほど深いことを私は知る。黙って聞いていた玲が静かに、
「……だから俺は夏野には、借りがあるんだ」
と呟いた。
いつもより柔らかい玲の表情。
私はこの人たちのこれまでを、もっと知りたいと思いながら聞いていた。




