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18. 翡翠の代役

 私が姫将軍の代わり……?


 玲も昨日、そんなことを言っていた。速水も目を見張って私と桔梗を交互に見ている。


「ちょっと待ってくれ、桔梗」

 玲が口を挟む。声がちょっと険しい。

「翡翠の役目は危険で、薫には負担すぎる。戦場で斬り合いになることもあるし、刺客に狙われることだってあるだろ? ……薫は、今までそんな状況になったこともないし……そもそも性格的に、戦で全軍を統率するようなことには、まったく向いてないんだ」


 その言葉に反射的にかちんときた。

 まったくって何だよ。短気な自分がふいに顔を出す。


「玲、なんで勝手に決めつけるの! 昨日、私にできることがあるなら力になりたいって言ったよね? ……できないかどうかなんて、やってみなければわからないと思う……!」


 私はまっすぐに玲を見つめた。

 玲は私の真剣な表情を見て、ふとため息をつく。


「……短気なのは知ってるけど、もうちょっと考えてから言えよ……。

 おまえ、今まで刀なんて持ったこともないだろ? 付け焼き刃でできるほど簡単なことじゃない。そして、翡翠は、もっと、こう……凜として、皆をまとめる存在なんだ。冷静に皆を率いて軍隊を指揮したりってことが、おまえにできるのか?」



 玲が言うことは厳しいけれど正論だった。私は言葉につまりそうになりながら、でも一生懸命に続ける。



「昨日、翡翠と私は顔がうりふたつだって、玲、言ってたよね? だったら、私にも何かできることがあるはず。……私、やりたい。私にできることも、……今できないことがあったとしても、がんばってできるようにしていきたいよ」


 私は勢いでそう言っていたところもたしかにあった。

 すると、隣で速水が、「そうか……!」と呟いている。


「どうした? 速水」

 速水の様子を見逃さず、夏野が促すように訊いた。

 速水はおずおずと話し出す。


「いえ、……薫が来たときから、誰かに似てる気がしていたんですが、それは翡翠さまだったのかと思って、僕の中で納得感があって。


 僕がお茶を片付けにこの部屋に来る頃には翡翠さまはいつも退室されていて、遠目にしか見たことがなかったので、確証がなくてわからなかったんですが……言われてみれば、本当に似てます。目鼻立ちもですが……いつのまにか好きになってしまう雰囲気が、特に」


 速水の言葉を聞いて夏野がなるほどと頷き、玲も意外そうに速水と私を見比べている。


 いつの間にか好きになってしまう雰囲気。

 速水が、一昨日の夜だったか、友達みたいに好きになっちゃったと言っていたことだと思った。


 すると、すべてを見守っていた雰囲気の桔梗が、静かに口を開いた。その中性的な顔立ちに、笑顔はない。至極真面目な雰囲気だ。


「薫、あなたは、翡翠と顔かたちが非常によく似ています。速水が言った、知らずに相手を惹きつけるようなところも、どこか彼女を思わせるところがある......。

 ですが、玲が言った通り、これは危険な役目でもあります。戦は遊びではない。東軍のために命を賭けるような場面も出てくるでしょう。我々は、あなたにその覚悟があるのか、よく考えてもらいたいのです」


 遊びではない。

 そして、覚悟。

 厳しい言葉だった。



 私は考える。

 確かに、この世界、わけがわからないし、戦いとか刺客とか、ものすごく怖い。

 でも。

 私は心の奥で、自分の戦闘的な側面がむくむくと湧き上がってくるのを感じていた。


 今はまだ、戦えるレベルには絶対にない。実際、どうやって戦うかもわかっていない。だけどそこまで考えたとき、心の中に、弓道で皆中……四本の矢すべてが的に中たるように、弓道クラブで日々努力していた中学時代が心に浮かんだ。


 そういった最大限の努力をしてみたいと、その時の私は、心の底から思っていた。それが、この世界に一人飛び込んできた私の存在意義なのでは? そして弓道で育まれた集中力も、役に立つかもしれないと、そんな風に思い始めていたんだ。



「私……覚悟、できてると、思います。玲がそんな大事な役目についているなら、私もできる限りのことをしたい……翡翠のことも、この世界のことも、詳しく教えてほしいです。私、ちゃんと知りたいです……!」


 私は最初に桔梗を、そして次に玲と夏野の顔をまっすぐ見て、そう伝えた。

 声が少し震えるけど、気持ちは固まっていた。玲の目がやわらかく私のことを見て……そこには心配と優しさが入り交じったような光が揺れていた。



 夏野が頷いて、続けた。

「翡翠は部下思いで、どんなときも兵を勇気づけた。戦場で剣を振るったことも数多くある。だが、彼女はただ戦う強さだけではなく、皆の心をまとめる力を持っていた。薫、今日君と話したことで、君の情熱はよくわかった。だが、東軍を率いる将としての知識や技術も、これから学んでほしい」


 私は黙って頷く。

「……私、翡翠の代わりになれるか、わかんないけど、がんばってみる。私にできることがあるなら、力を尽くしたい」

 私はテーブルに置いた拳をぎゅっと握って、そう言った。

「よろしく頼む」

 夏野が穏やかに微笑んで言う。そして、場をまとめるように桔梗が真顔で続けた。


「今後、この国のことも東軍の状況も、詳しく説明しましょう。ですが、ここ数ヶ月、戦況は少し安定しています。今日は一旦速水の家に戻ってください。そして玲は、この後もう少し休むように」


 私はちらっと玲を見る。確かに、頬がまだちょっと赤い。心配だけど、玲が私のことをちゃんと見てくれたことは、なんだか嬉しい。


「わかりました。私は、明日、またここに来たらいいですか?」

 私が尋ねると、桔梗と夏野、二人ともそうだと頷いた。


「では、明日から本格的に姫教育をはじめましょう」

 桔梗がきっぱりとした口調でそう言った。


 姫教育。


 目を丸くして三人を見ると、皆うんうんと頷いている。想像以上に大変なのかもしれないけれど、がんばるしかない。

 ここで、玲の傍で暮らしていくとするならば。


 もし怖くなって帰りたいと思っても、私は帰る方法がわからない。

 今の私には、翡翠の代わりを務めるその道だけが、目の前に一本光ってまっすぐ伸びている感じがしていた。




「これは、翡翠宮に入るための許可証みたいなものだ。もし、入り口や庭なんかで警備をしてる軍の人間に止められたら、これを見せたらいい」

 夏野がそう言って、私に掌に収まるくらいの、円形の木に、透かし彫りで鳥と葉が彫られたものを渡した。


「これは翡翠の紋章みたいなものだ。誰が見ても東軍……翡翠軍の関係者だとわかる」

「ありがとう。……きれい……」

「翡翠は、カワセミとも読むからな。鳥と、木の枝を組み合わせてあるんだ」

 玲が優しく教えてくれた。


 なんだか仲間のひとりに加えてもらえた気がして、単純かもしれないけど私は少し安心していた。小さなものだけど、ここにいていい理由のひとつをもらえた気持ちになったんだ。



 青の間を出て、速水と夕方の光が差し込む翡翠宮の廊下を歩く。玲の体調への心配はあるけれど、ほんの少しだけ心が軽くなっていた。

 玲の秘密、翡翠のこと、東軍のこと……まだ全然わからないけど、でも、玲の傍にいられるなら、私は頑張れる。速水の存在にも、とても助けられていた。


「最初に速水と知り合えて、私、本当によかったよ。ひとりだったらきっと、色んな事に耐えられなかったと思う」

 私は廊下から裏庭に降りて草履を履きながら、しみじみそう言って笑った。


「それはうれしいな。話がまとまってよかったね! これから洗濯物取り込んで、晩ごはんの用意しようよ」

 速水は無邪気にそう言って笑う。



 明日から、翡翠のことも東軍のことも、もっと知ろう。

 どんな危険があるとしても、玲と速水がいてくれるなら、私は負けないでいられる気がした。

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