17. 身代わり姫、依頼される。
そして午後。
学び舎から帰ってきた速水と一緒に、翡翠宮に向かった。
相変わらず私の心臓はどきどきとうるさい。でも、この世界のこと、玲のこと、すべて知りたい気持ちが先にあった。だから、なるべくまっすぐに見て進みたいと思っていた。
速水に連れられて翡翠宮の綺麗に磨かれた廊下を進み、青の間の豪華な木彫りの扉の前に立つ。私は自分を落ち着けようと、ふうとひとつ息を吐いて、その扉をそっとノックした。
「どうぞ」
玲の落ち着いた声が聞こえて、私は静かに扉を開けた。
部屋の中央に重厚な焦茶色のテーブルが置かれていて、藍色の着物を着た玲と、今朝と同じ茶色に紺の柄の着物姿の夏野、そして薄いグレー地に紫の柄の着物を着た、四十代くらいの……長い髪を後ろで緩く結った、私より小柄で細面の美麗な人が、夏野の隣に座っていた。
長いまつ毛に白い肌……この人が桔梗という人、なんだろうか。女の人なんだろうかと二度見する。でも、喉仏があるから男性みたいだ。
「薫、速水、二人とも座ってくれ」
玲が静かに言う。笑顔はないけど声のトーンがやわらかく、初日や二日目みたいな冷たい感じじゃないことに、少しだけ安心する。私は、速水と一緒にテーブルの前の椅子に座った。
翡翠宮の青の間は、その名前の通り、天井や壁が群青色の土壁になっていた。ラピスラズリか何かだろうか……窓から差し込む日光に当たっているところが、かすかに金色にきらめいている。
夏野が穏やかに口を開いた。
「薫、昨日、玲がある程度話したと聞いたが……、改めて説明させてほしい」
夏野の声は爽やかで落ち着いていて、なんだか私と速水を安心させるみたいに響いた。その無駄の無い口調から、知性派という雰囲気が伝わってくる。
「この国は、我々の姫将軍、翡翠が率いる東軍と、西羅という男が率いる西軍が幾度も戦いを繰り返している。
今年の二月末、翡翠の行方が突然わからなくなった。もう八ヶ月くらい経つが、いまだに見つかっていない。翡翠は東軍の象徴のような存在だった。幼い頃から姫将軍になるために教育されていて、凜としていて気高く、人を惹きつける魅力ある姫だったんだ」
私が、玲の部屋のクロゼットに飛び込んだのは十月十四日だった……二月から八ヶ月経つということは、今はここも十月ということだな、と私は頭の中で整理する。翡翠宮の裏庭の花々を見たときに秋だなと思っていたけど、やはり季節感は同じらしい。
そして夏野の言葉に、私は思わず机に身を乗り出した。翡翠が行方不明になったから、玲が私の世界に来たと、昨日、玲も言っていたことを思い出す。
夏野に続けて、長髪の美麗な人が口を開く。
「はじめまして、薫。私の名は桔梗。
執政といって、この国の政務を担当している者です」
私はぺこりと会釈する。声が低い……やっぱり男の人だ。桔梗は笑顔を見せず、真面目な顔で続けた。
「我々の神官の家系には、日本とこの国をつなぐ道……薫も通ってきたと思うのですが、『通り道』と呼ばれるあの渦を発現させることができる、特別な力があります。それを使って日本に行くことができるのは、神官の血を引く限られた者だけ。
玲は神官として、翡翠の代わりとなる『助け手』を探す使命を持って、薫の世界に行っていました」
私はそっと玲を見る。玲は目を伏せて、静かに夏野と桔梗の話を聞いている。
まだ玲には、心の内に隠していることがあるのかな。はやくなんでも話し合えるようになりたいな……というのは、その時の私の心の声だった。そんな中、夏野が続けた。
「玲は神官の直系で、参謀の一人だ。
俺は数年前の戦闘で足を負傷して、今は参謀として、そして医師見習いとして東軍に属している。だが、翡翠がいなくなって、我が軍は屋台骨がぐらついている状態だ。敵の将である西羅は、単発だが、隙をついて攻撃を仕掛けてくる。だから……」
夏野の真剣な切れ長の瞳に気圧されるように私は息を呑む。
すると、夏野の言葉を受けたように、意外なほどさらりと桔梗が告げた。
「薫、あなたに翡翠の代役を頼みたい。翡翠の代わりに姫将軍となって、東軍を率いてもらいたいのです」
「……え……」
私は唖然として、思わず声が出てしまった。




