15. 桜吹雪の思い出と
「それに……薫、おまえ……翡翠の代わりに姫将軍になんて、なれないだろ?」
その玲の言葉に、反射的にかっときた。短気な自分が顔を出す。
「なれるかなれないかなんて、やってみなきゃわからないよね? 翡翠って、どんな人なのかも私、知らないし!
でも、玲がそんな大事なこと抱えてたなら、なんで教えてくれなかったの? 勝手にいなくなって、知らないふりして! そりゃあ家族は心配してるかもしれないよ! でも、私にだって大事なものが……!」
お父さん、お母さん。そして一個上の兄の郁。みんなの顔を思い出して、涙がぽろっと落ちる。なるべく考えないようにしていた家のことを突かれてムカつくし、もしかしたら両親にも兄にも、もう一生会えないのかもと思ったら、悲しくてたまらない。
でも、玲の熱っぽい目を見ていると、私にできることがあるなら何でもしたいって気持ちがわき上がってくるのも本当だった。
桜の花びらが舞っていた。
初めて会ったとき。飛鷹高校の裏門の手前。
玲は驚いたような目で私を見ていた。私は何だろう? と思いながら、飛鷹高校の入学式ですか? こっちですよ。と門を指さした。
彼は微笑んで……私たちは一緒に裏門をくぐった。桜吹雪の中を。
思えば私はあのとき、あの玲が微笑んだとき、すでに彼に恋していたんだ。
「玲がそんな大事な使命を持ってるなら……一緒に考えたいよ。私は玲のことが大事だから、私にできることは全部やりたい。どんな危ない世界でも、玲と一緒なら怖くないよ……」
私は必死でそう言っていた。
同じなんだ。
私のことが大切になってしまって、連れて帰れなかったと言う玲と。
玲のことが大事だから、私に何かできるなら手伝いたいと思う私は。
真逆だけどお互い相手のことを考えてる、そのことが玲にも伝わってほしいと思いながら、私は彼を見た。……玲の目が、初めて揺れる。いつも不思議な、神秘的とも言える少し遠い感じがする瞳なのに、今は私のことを、ちゃんと見てくれていた。
「薫……」
玲が私の名前を呟いて、少し笑って続けた。それは私をからかうような、私の大好きな笑顔だった。私は思わず一瞬、息が止まる。
「……おまえ、ほんとバカなんじゃねえの……」
「バカでもいいよ! 玲がそんな大事なこと抱えてるなら、私も知りたい! 翡翠って人の代わりが私にできるのか、わかんないけど……でも、玲の傍で、私にできることがあるなら、努力して力になりたいよ。私が今いちばんやりたいことは、そういうことだよ……」
ベッド脇に力なく放り出された玲の手をきゅっと握って、じっと見つめる。振り払われたらどうしようと思っていた。でも、そんなことはなかった。さっきから何回も泣いたりしてかっこ悪すぎるけど、関係ないとも思った。玲のぬくもりがちゃんとここにあった。
ここ二日の玲の態度で、もしかしてもう二度と触れたりできないんじゃないかって、私は本当はずっと怖がっていたから、この時やっと、心の底からほっとしていた。
玲はしばらく黙って、私の手を軽く握り返したまま、ベッドに横たわっていた。熱で火照った頬、でも、なんか少し笑ってる。
「……その薄いオレンジの着物、似合うな」
突然そう言われて、ぼん、と自分の顔が赤くなるのがわかった。
「あ、これ、あの、速水のお母さんの着物を借りて……」
「……草履、ケガしてないか……?」
そっとそんなことを問われて、涙が浮かぶのを止められない。八月の花火大会、浴衣を着て素足に草履を履いていた私は足を靴擦れのようにケガしてしまって、玲が絆創膏を買ってきて貼ってくれたことを思い出す。覚えてくれてるんだ、玲。全部、忘れてない。
「……足袋も借りたから。大丈夫……」
小さな声で私が言うと、玲はふふ、と微笑んだ。
「……打ち明けたらすっきりするってこともあるんだな……」
掠れた声で感心したように、そう独り言めいて呟いてる。
「……俺、少し休む。薫、悪いけどしばらく、ここにいて……」
玲の声、弱々しいけど、どこか優しい。そして、ここに来てほとんど初めて頼ってくれてると感じてうれしくて、私は頷いた。
「うん、眠るまで、ここにいるね。明日、また詳しいことを教えて。どんな話でも、私、聞くから」
目を閉じてうとうとしている玲を、私はそっと見つめた。
玲が眠ったら、速水の家に帰って、玲と話すことができたと速水に伝えよう。
訳がわからないことばかりだけれど、私は負けないでがんばりたい。
今はもう少しだけ傍にいようと思って、私は彼の熱い手をそっと握った。




