13. 複雑王子の本音
玲の腕の中で、我慢できずに涙がこぼれた。
私はこの三日間のつらさを思い出して、つい泣いてしまったけれど、玲の藍色の着物からかすかに漂う香の匂いや、背中にまわされた腕のぬくもりが、同時に安心もくれていた。
玲の「なんで来たんだよ、おまえ」って声、頭の中で繰り替えされる。
覚えてくれてた。私のこと、やっぱり忘れてなんかいなかったんだ。
ふいに、玲の体が動いた。私を抱きしめたまま、壁を伝って、ずるずるとゆっくり床に座り込む。
私も一緒に、自然に玲の腕の中で座り込むような姿勢になった。冷たい畳の感触。玲の心臓の音が近くて、鼓動が胸に押しつけた耳に響いてくる。
私はなんだか、玲のぬくもりに言葉を失っていた。
……でも、ぬくもりと言うか……玲の体、いつもより熱い……?
「玲……?」
私はそっと顔を上げて、玲の顔を覗き込む。
星みたいに綺麗な瞳、いつも思わず見入ってしまうくらいなのに、今はなんか……曇ってる? 頬に手を当ててみると、想像以上に熱かった。
「玲、熱があるんじゃない……? 大丈夫?」
私の声、つい心配でちょっと囁くようになってしまう。我ながら勝手かもしれなかった。短気な自分はどこかに消えて、ただただ玲が心配になって。玲は目を伏せたまま、ちょっとだけ苦笑いした。
「……心配すんなよ。ちょっと疲れてるだけだ……」
低い声、でも、なんだか弱っている感じがすごくしていた。
何かを隠してる気配。
私はかすかに思い出す。出会ってしばらく経ったゴールデンウィーク、玲は発熱して寝込んだことがあった。あの時も、疲れると熱が出たりすると言っていた……。
「玲、熱あるのに無理しちゃだめだよ。私、ちゃんと話したいけど、その前に……少し休まなきゃ」
玲の腕の中で、必死に言う私の声は、ちょっと震えている。
こんな待ち伏せまでしていたのに、私は何言ってるんだろう。涙でぐしゃぐしゃの顔も恥ずかしかったけれど、玲の熱っぽい顔を見たら、そんなのどうでもよくなっていた。
半年、笑い合った時間、嘘じゃなかったよね?
どんな秘密があっても、私は知りたい。
そして、何かできることがあるなら手伝いたいというのが、私の本音だった。
玲はまだ黙ったまま、畳に座り込んで、私をつよく抱きしめてる。すごく心配だけど、離れたくない。ふたつの気持ちの板挟みになって、私はただ、彼を見つめた。
「薫」
玲がぽつりと呟いて、ようやく私の目を見る。その瞳には、複雑な光が揺れていた。
「おまえ、なんでここまで来たんだよ。……こっちの世界は危ないんだ。だから、俺は黙って帰ったのに」
低い声、そのつらそうな響きに、胸が痛んだ。
危ない? 黙って帰った? どういうこと?
速水が言っていた、姫将軍とか東軍って状況に関係があるんだろうか。
「危ないって何……? 玲、私、来たらいけなかったかもしれないけど、でも、来たんだよ。
急にいなくなって、危ないから黙って帰ったなんて、意味がわからない……そんなの、おかしいよ……!」
私はつい、男っぽい口調で言ってしまう。涙、拭ってもまた溢れてきて、本当に我ながらかっこ悪いと思う。
でも、玲の腕のあたたかさを直に感じていて、なんだか今は離れることができなかった。
玲はまた少し黙って、小さく息をつく。その吐息の熱さも、彼の体温があがっている感じがして、私の心を震わせる。でも。
とてもとても大切なことを言うように、彼は私の目を見て、言った。
「……悪かった。無視したのは、俺が動揺して気持ちが固まってなかったからだ。
……おまえを巻き込めないと思った……」
振り絞るようにそう言って、また目を伏せる。
それでわかった。嘘じゃないんだ。玲は心の中に、何か大きな秘密を抱えてるんだ。
「巻き込むって何?
玲、私、どんなことでも聞くよ?
でも、今は休むのが先だよ。部屋に連れて行くから……お願い。少し横になって」
私が玲の着物の袖を掴んで必死に言うと、玲は私の手をふいにきゅっと握った。
熱い手。熱が上がってる……?
でも、玲はかすかに笑う。
「……そんなに気にすんなよ。ちょっと忙しかっただけだ。
薫、おまえ、速水と一緒に行動してるってことは、速水の家に泊まってるんだよな?
……今日はとりあえず、速水のところに戻れ。明日、ちゃんと話すから……」
それだけ言って、少し苦しげにふうと息をつく。
そんな風に言われて、黙って引き下がれるはずもなかった。私に向けたうるんだ瞳の光、かすかに笑ったその笑顔が、あまりにも弱かったから。
「だめだよ。玲の部屋って、この先なんでしょう? 肩貸すから……ちょっと横になろう?」
私は半ば必死でそう言っていた。玲の声もその笑顔もなんだかとても弱くて、たまらなかった。今はまず休ませたほうがいい。
彼はふと息をつき、あきらめたようにゆっくり立ち上がりかけて、ふらついた。私はとっさに彼を支える。
「私、部活は中学校で弓道クラブに入ってた程度だけど、体育祭で陸上部にかり出されたくらいだから。力もあるから寄りかかって大丈夫」
力があることと陸上部はあまり関係ないかもしれなかったけれど。どうにか玲を楽な体勢にしたくて、私は一生懸命に言っていた。
すると私の言葉に、玲がふふ、と笑った。
「……そうだったな」
「うん。大丈夫だから……お願い。少しは頼って」
「助かる」
玲はしんどそうに私に半分身体を預けて立ち上がり、そのままゆっくり、空き部屋のふすまを開けて、廊下に出る。そして私たちは、ひとつ先の玲の部屋へと移動した。
そこで玲をベッドに寝かせて……私は信じられない話を聞くことになる。




