10. そして彼女は。
コノオンナダレ? と、言った。
私は固まってしまって、再び何も考えられなくなる。
ちょっとしたリップで武装なんて考えていた私はばかだ。
言葉の鋭さで胸を刺されたような感じだった。
玲のその言葉に、速水も不意を突かれたのか、
「え、えっと、薫は……」
って狼狽えているけど、私はなんだか怒りで体が震えてきて、声が勝手に出た。
私はゆっくりと、彼の名前を呼んだ。
「あきら。……本当に私を覚えてないの?」
我ながら声が震えていて、ださすぎるなと思った。いつも私ははっきり物を言う方なのに、今はなんだか胸が締め付けられて、またも涙が滲みそうだ。
玲は一瞬、私の声に動きを止めた。たった五秒くらいの、でも永遠にも感じられるような静かな沈黙が流れる。その後で彼は、伏せ目がちに、ぽつりと低い声で言った。
「……知らないな」
その瞬間、私は気付いた。玲は目を伏せてる。その癖を私は知っていた。
玲は、何かはぐらかしたいとき、ごまかしたいときに、必ず目を伏せる。
……知らないというのは嘘だ。玲は私のことを覚えている。
心臓は変わらず跳ねているけど、その視線の逸らし方を見て心がすっと落ち着いた。
これは、何か、今はわからないけれど、隠された事情があると確信した。なぜって私が知っている玲は、誰に対してもこんな風に冷たくするような人じゃなかったから。
「薫……?」
部屋を支配した緊迫した空気に、速水が心配そうに私の袖を引っ張る。なんだか申し訳なさそうな瞳の色で。
「……玲さま、お忙しいみたいだから……またにしようか……?」
「……うん、速水。そうしよっか」
私はなんとか微笑んで、速水と一緒に青の間を後にした。
足取りは重いけど、頭の中ははっきりしていた。
玲は嘘をついている。
あの、目を伏せる癖。絶対に、何かを隠してるんだ。
心の底から腹が立つけど、こうなったら私はそれを、必ず突き止めてやる。
玲のバカ!
腹立ちまぎれに心の中で罵ってしまったけれど、気合いが入ったとも言えた。
速水の家に戻って、囲炉裏の前に座ろうとしていると、速水が、
「薫、大丈夫? お茶淹れるね!」
って慌てて動いてた。
でも私は、なんだかその素朴さに救われていた。
玲の冷たい視線が胸に刺さったままだったけれど、速水を見ていると、明日また頑張ろうと思えたから。
「速水、明日も……玲に会いに行っていいかな。私、絶対にもう一度話したい」
私は速水が淹れてくれたお茶を一口飲んで、少し心を落ち着けてから、そう言った。
速水も、
「うん、今日は僕も何も言えなくなっちゃってごめんね。また連れて行くね!」
って頷いてくれる。
私は決めた。玲がどんな秘密を抱えていても、向き合おう、と。
夕食の片付けをしながら、一心不乱に考えた。
玲のあの伏せた視線……絶対に、何かをごまかそうとしてる。
あまりの仕打ちに怒りが湧くけど、風雅の国というこの国に来てしまった私は、日本への帰り方がわからない。それなら、時間がかかっても理由を突き止めると心を決めた。
それで、きちんと策を練ろうと思ったんだ。
「……ねえ、速水。玲の会議、いつも何時くらいに終わるのかな。速水は、玲が一人になる場所って知ってる?」
囲炉裏の前に座った私は、速水の方に身を乗り出して、そう聞いた。速水は瞳をきらきらさせて、私の質問に乗ってくる。
「薫、何か考えてるね? 僕の知ってることは教えてあげる」
ちょっといたずらっぽく笑って、速水、そう言う。私がにっこり笑って。
「お願いします」
と言うと、速水はうんうん頷いて話し出した。
「玲さまは、だいたい夕方には夏野さまとの話が終わるよ。で、いつも青の間の前の廊下を曲がってまっすぐ行って、突き当たりの部屋に帰るんだ。ちょうど、いつも僕たちが廊下に草履を脱いで上がってから、青の間に行くときは右手に曲がるけど、逆方向の左に行った突き当たり。そこが、玲さまの私室って聞いたことがある。そして、手前の一室は空き部屋になってるよ」
速水がわくわくした感じの笑顔で答える。
私の頭の中で、明日の作戦がぱちんと組み上がった。
「速水、ありがと。明日、玲ともう一度会って、一体どういうことなのか聞こうと思ってる」
私は笑ってそう言った。
速水は頷いて。
「うん、頑張ってね。僕は玲さまのことを尊敬しているし大好きだけど、もし薫のことを本当は知ってるのに、知らないと仰ってるなら……それはどういうことなのか、僕も知りたいなと思ったんだ」
本当に応援してくれるんだなと感じて、私は胸が熱くなった。




