1. いなくなった玲。薫は玲を探す。
「薫、自分が信じることがあったら、思うようにしていいからな」
あれはいつのことだった?
私の身体は真っ暗な渦の中に吸い込まれていく。
意識が遠のく中、父に言われたその言葉だけが頭の中をぐるぐるとまわった……。
◇
私の名前は日髙薫。高校一年の十六歳だ。
つい昨日まで、自分はごく普通の一高校生だと思っていた。
……そのはずだった。
季節は秋。考えられないくらい暑かった夏が終わり、朝晩が急に涼しくなってきていた。
十月になり高校に入って初めての文化祭が楽しく終わり、連休明けの今日の朝。
私は学校に着き、神崎玲の姿を探した。
……来てない。
先週末、文化祭が終わった金曜日の、学校帰り。
いつも私と玲は待ち合わせて、学校の行き帰りを一緒にしていたのだけれど、珍しく玲が、「今回の連休、俺はばあちゃんの家に泊まるから、連休明けは別々に学校に行こう」と言った。
いま思えば、あの日の別れ際、玲はなんだか変だったのだ。
「じゃあまた来週ね」
あの時。私が自転車に乗ろうとしたら、玲が後ろから、急に私の手をつかんだ。
驚いて振り返ると、彼は、なんだか妙に真剣な目で私を見ていた……気がした。どうしてか心臓がどくんと跳ねた。
「薫」
玲の声が低く響いた。いつも、なめらかで良い声だなあと思っていたあの声。
「うん? どうしたの?」
私が無邪気に聞くと、玲は不意に、そっと私を抱き寄せた。壊れものを扱うみたいな、やさしい手。
私はなんだかほっとして、玲は私を好きでいてくれるんだな、と、呑気に思っていた。
私より十センチくらい背が高い玲の、静かな声が耳元で響く。
「じゃあな、薫」
身体が離れて、玲を見上げた私は、ちょっと不思議な気持ちで首をかしげた。
別にいつもと変わらない別れ際、でも、こんな風にされたことは初めてだったから。
玲はやさしく笑って、そんな私をまっすぐに見て。
「ごめん、引き止めて」
と、微笑んで言った。
「ううん、大丈夫……」
って私は答えて、なぜだか切ない気持ちで家に帰った。
どうしてあの夜の玲の笑顔は、胸が痛むような感じで私の記憶に残っただろうか?
連休の三日間、LINEをしても、いつもならすぐ既読になるのに、未読スルーが続いた。
おばあちゃんの家に行くと言っていたから忙しいのかも、と思ったけれど、少し不安なまま休み明けを迎え、返事がないなあと思いながら学校に来た。
思えば私ものんびり構えていたと、今では思う。
玲はその日、学校に来なかった。
いや、来なかっただけじゃない。
ホームルームで担任から、クラス全体に告げられたのだ。
『神崎玲は急に海外の親元に転校することになって、すでに昨日出発した』と。
聞いた途端に、頭の中が真っ白になった。
なにそれ?
衝撃を受けるってこういうことだ。
だって何も聞いてない。
どうにか午前中は授業を呆然としたまま受けていたけれど、昼休みになり、私はクラスメイトの毬花が心配して声をかけてきたのにも返事ができずに、鞄を持って自転車に乗り、玲の部屋へと直行していた。
半年前、高校に入学してすぐに、同じクラスの玲と付き合いはじめた。
玲は背が高くて、ちょっと不思議な雰囲気の男の子だった。
神秘的と言うと大げさなのかな。
笑った顔が驚くほど魅力的で、夜空に浮かぶ月や星の光みたいだと思って、いつも玲の横顔を見上げるたび、他愛ないおしゃべりをする度に、私の胸はどきどきしていた。
放課後、よく玲が住んでいるマンションの部屋に寄って、映画を見たり、ただおしゃべりをしたり、勉強したり、時には玲が作ったという簡単料理をごちそうになったり。
それは、とてもとても幸せな時間だった。
親は転勤で外国にいて、一人暮らしと聞いていた。
日々の夕食は近所に住む祖父母の家で食べていると言っていて、ゴールデンウィークに玲が熱を出したとき、偶然、私は玲のおばあちゃんとお会いしたこともあった。
いったい何が起こっているんだろう?
全速力で自転車を飛ばす。
慣れ親しんだ海沿いの道を風を切って進みながら、理由のわからない胸騒ぎが私の心を支配していた。




