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宝石吐きの女の子  作者: なみあと
Ⅴ 彼女の想い
92/277

2-6


 自身が揺れる柱に寄りかかっていることは、夢うつつの中で気づいていた。

 大きな柱に抱きついて、コアラのような格好で眠っている。毛布は被っていないけれど、柱自体が温かいからか、それほど寒さは感じない。ときどき頬を風が撫でていくが、おおむね快適だ。謎の揺れは揺り籠のようで、それも眠気を誘う。

 しかし妙な点があった。抱きしめたそれは柱とするには、いささか柔らかい。木よりも柔らかく、クリューの愛用している枕よりは硬い。寄り添うにはちょうど良くて、もし抱き枕として売っているのならちょっとくらい高くても購入するだろう、そんな何か。

 一体なんだろう? 不思議には思ったけれど、微睡を手放すのは惜しかった。うむ、うむと唸りながら頬を摺り寄せる。

 と、その柱が、ぽつりと『言った』。

「起きたか」

「……む?」

 喋るはずのないものが喋って、それがようやくただの柱でなく、人であると知る。腕を回しているのは人の首で、喋ったものは人の声。今、自分は、スプートニクの背に負われているのだった。

 これがスプートニクの背中であると気付いたら、ますます離れたくなくなった。だが、クリューが確かに目を覚ましたとわかったら、きっと「降りて歩け」と言われてしまう。きゅっと目を閉じ、腕にやや力を込めて、間違っても降ろされないように抵抗する――

 ――そのとき、喉に違和感を覚えた。

 いつものやつだ。右手を口に当て咳をすると、やがて口から一つ、異物がころりと転げ出た。

 しかし。

「あっ」

 揺れのせいもあって、受け止めたはずの宝石は、指の間をすり抜け落ちていってしまった。慌ててスプートニクの背を叩く。

「あの、あの、おろしてください。宝石、落としちゃった」

「ん? あァ」

 彼はすぐに膝を折って、クリューを地面に降ろしてくれた。暗い中であったが、緑色のそれは街灯の明かりをしっかり反射していて、すぐに見つかった。少し離れたところに落ちていた宝石を拾い上げて、ほっとため息をつく。

 ハンカチに包み、ポケットの中に押し込めて振り返り、スプートニクのもとへ戻る。背中に回り、腕組みをして斜に立つ彼の肩に手を伸ばすが、当然ながら届かない。

「しゃがんで、しゃがんでください」

 彼の背中のなるべく高いところを掴んで引くと、彼の頭がクリューの身長より低くなった。背中に被さるようにして、スプートニクの首に両腕を回し、足を彼の腰に掛ける。

「立っていいです」

 視線がぐうっと高くなるけれど、恐いとは思わなかった。

 クリューを支えるのは温かく大きな背中と二本の腕。目の前の黒髪からは少し酒の匂いが漂ってくるけれど、大きな安心感の前にはそんなもの些事に過ぎない。

 万全だ。――となれば、することは決まっている。

 クリューは頬を摺り寄せると、先ほどまでと同じように目を閉じた。そして、

「くー」

「ばればれな狸寝入りしてんじゃねェぞオラ」

「くぅあぅあぅあぅ」

 大きく揺さぶられて、声が震える。

 それでも離れてやるものかとしっかり肩を掴んでいたが、そもそも本気で彼女を振り落とす気はなかったらしい。大きな揺れはすぐにやんで、景色が流れ出す。

「まァいい、今日は特別だ。家までおぶってやる」

 返されたのは、なんとも嬉しい言葉。つい喜びに歓声を上げてしまうと、彼は低い声で「うるせェ」と言った。そういえば、彼の耳はこんなに近くにあったのだ。慌てて口を噤むが、スプートニクはそれほど気にしていないようだ。前を向いたままの彼の表情はよくわからないが、頬はやや上向きに歪んでいる。

「スプートニクさん、なんだかご機嫌さんですね」

「嫌いな奴の頭をケーキにぶち込むのは意外と楽しかった」

 嫌いな人。――思い返してみれば確かに、先ほどの彼の対応は普段の商人としての客へのそれとは違うようでもあった。

 しかし、ならば何故、仲良さそうに酒を酌み交わしていたのだろう。理解し難くて首を傾げるが、きっとそれはスプートニクには見えていない。

「そうだ、乗っかってていいからこれ持っててくれ」

 直後、言葉とともに、クリューの右足が支えをなくした。

 スプートニクが手を離したのだ。ずり落ちそうになるのをこらえていると、スプートニクの右手が彼女の前に現れた――紙袋を持っていた。

「エルサから預かった」

「エルサさんから?」

「お前にくれるってよ。あとで礼言っておけ」

 なんだろう。

 片手で彼の肩を掴み、彼の背と自身の胸の間に紙袋を挟んで中を覗き込む。袋の中、愛くるしい瞳で彼女のことを見上げているそれに、クリューは見覚えがあった。ちょこんと立った丸い耳、洒落た赤い蝶ネクタイと、袋越しにも伝わるふかふかでふわふわの感触。それは――

「くまさん!」

 喫茶店フィーネで、エルサがクリューの席に置いてくれたぬいぐるみだった。

 手を突っ込んで、袋の中から救出を試みる。が、そうするには些か場所が悪かった。ぬいぐるみをつかんで引けば、支えを失った紙袋が落ちそうになるのだ。何度かの挑戦の後、取り出すのは諦めて、クリューはそれを袋ごとぎゅうと抱きしめた。

「そうだ、スプートニクさん。お名前つけてください」

「名前?」

「はい。この子に」

 クリューの可愛がっているもう一つのぬいぐるみ『うーちゃん』の名前はスプートニクがつけてくれたものだ。名付け親本人はそのことをすっかり忘れているようだが、クリューはきちんと覚えていた。だからこの子の名前も彼につけてもらいたくて、そう、頼んだのだが。

「なんでもいいだろ。あァ、兎がうーなんだから、熊はくーでいいんじゃないのか」

 ……あまりの言葉に、クリューの頬はつい膨れた。

 確かに前例を鑑みればその名づけは妥当かも知れない、けれど。物言いをつけたいのはそこではない!

「良くないですっ」

 『クー』はクリューの愛称だ。それも、スプートニクだけが呼んでくれる呼び方だ。

 確かにこのぬいぐるみは可愛いけれど、ふかふかで素敵だけれど、スプートニクだけが呼んでくれる自分だけの名前を誰かにくれるのは、たとえぬいぐるみであっても嫌だった。

「クーはクーだけの名前です」

「なら自分で考えろ。俺は知らねェ」

 だが返されるのは、けんもほろろな言葉。乙女の繊細な心を、感情の機微を、理解しようともしていない。

 まったく思いやりのないひとである。そんな彼にいつまでも強請ったところで時間の無駄だと思ったクリューは、心を切り替えることにした。彼にその気がないのなら、自分がこの子に素敵な名前を考えてあげるまでだ。

 全身にまとうふかふかに、立派な蝶ネクタイに恥じない、素敵で個性あふれる名前を。「なんでもいい」と言い捨てたスプートニクが、腰を抜かし「参りました」と頭を下げるような華麗なネーミングセンスを披露してやるのだ――

「で、お前は何をしてたんだ」

 ――そんな妄想を遮ったのは、やはりスプートニクの声だった。

 心を折った彼に優しく手を差し伸べるおとなな自分、の妄想からはっと我に返る。喫茶店フィーネで自分が何をしていたかだって?

 口の中に、温かくとろけるベシャメルソースの味を思い出す。

「グラタン食べてました。エルサさんがオーダーミスしちゃって、余っていたから良かったらって頂いたんですけど、あつあつでとっても美味しかったです。でも、エルサさんが失敗するなんて珍しいですね?」

「そのことじゃねェ」

「サラダのニンジンも残さず食べましたよ!」

「聞いてねェ」

 ちょっと大きくなったように思える胸をできる限り反らせながら言うが、彼の答えは思った以上に素っ気ない。

 スプートニクの首が動いた。振り返ろうとして、やめたようだった。

 彼は言った。

「どうして、店の外からずっと見てたんだって聞いているんだ」

 それはどこか、ため息にも似ていた。

 けれどその真意をはかるだけの余裕はクリューになかった。ずっと隠していたはずのことを知られていたと気づいて、息が詰まる。未来への希望に、自信に満ち溢れていたはずの胸が、急速にしぼんでいく。

「んと」

 必死に言葉を探して、か細い声でやっと答えられたのは、『嘘』だった。

「お店の中見て、混んでるなら、やめようかなって」

「そうか」

 スプートニクが呆気なく頷いたことに、安堵よりも、胸の痛みが先に来た。

 距離を取りたい。けれど彼の背中の上ではそれもできず、肩を掴んだ手がつい震える。

「店に入ってくるとき、コソコソ俺から隠れるようにしていたのはなんでだ」

「ええと……た、楽しそうにお酒飲んでいたみたいだったから。邪魔しないようにって」

「そうか」

 彼の背の上。先ほどまでは永遠にでもいたかったこの場所が、たちまち居心地の悪い場所へと変化してしまった。早鐘のような心臓の音が、彼の背を伝って耳に届いてしまってはいないだろうか?

 それ以上何も聞かないで、と願うが、彼はそんなものを聞き入れてはくれなかった。

 彼が最後に尋ねたのは、クリューがごく秘密裏に進めてきたはずの行動で、また、彼に最も聞かれたくないものだった。

「ここ最近、毎晩俺の後をつけていたのはなんでだ?」

「……………」

 気付かれていたのか。ついがっくりと、頭が垂れる。

 けれど本当のことはに及んで言い難く、クリューは一生懸命頭を巡らせた。人が誰かの後を追いかけるのに、正当な理由――やがてなんとか思いついたものは、

「……スプートニクさんがおうちを恋しがって泣いたりしないか心配だったからうあうあうあう」

「俺はガキか」

 揺さぶられてまた、声が震える。舌を噛んで、「ぺうっ」と奇妙な声が出た。

 やがてスプートニクは再びのそのそ歩き出すと、聞き取りにくい声でこう言った。

「お前が何を考えてそんなことしてるのか知らんがな、俺はお前と違って大人なの。大人には、人に知られたくないこともあるの。だから、放っときなさい」

「クーは」

 好きな人のことなら、なんでも知っておきたいものね。

 路地で、エルサがくれた言葉を思い出す。けれどそんなこと、言えるわけもないし、言ったところでどうなるものか。

 婚約者。

 またその単語を思い出して、もやもやと、晴れぬ気持ちが心に広がる。なんでも知りたいのに、そうさせてくれない彼への苛立ちと焦りが募る。

 そういう彼女を背に負ったまま、彼はやはり低い声で、「でも、まァ、何だ」と言った。

「……困ったこととか、何かあったとか、俺に言いたいことがあるなら聞いてやるから」

 しかしそれを『不器用な彼の精いっぱいの優しさ』と受け止められるほどには、クリューはまだ、大人でなかった。自分ばかり隠し事をする彼の、勝手な物言いとしか思えなかった。

「返事は?」

 淡々と答えを促す彼の背中へ、何事かを言いたい、伝えたい、けれど小刻みに震える唇がそれを許さない。

 ――いや。

 許さないのは体ではない。

 この腹に満ちるもやもやが、伝えることを許さない。

 クリューは彼の黒髪に顔を近づけた。酒の飲めない彼女には不快にしか思えない、酒の匂いが鼻に届く。けれど彼女は、そんな不快な匂いにもめげず、鋭く早く、一気に空気を吸い込んで――

 酒のせいかやや赤くなったスプートニクの耳に向け、一気に放ってみせた。

「スプートニクさんの、バカっ!」

「うおっ!?」

 突然の大声に、足を支えた彼の腕が緩む。

 その隙に地面に飛び降りると、クリューは紙袋を抱えたまま、いえまでの道のりを一目散に駆け出した。




 ――落ち着かない頭の中、店の扉を施錠して出てきたことなどすっかり忘れていて。

 ポケットにしまった鍵を探しているうちに、怒りの彼はすぐ追いついた。



■お知らせ

 4/10(金)、特設サイトに『ソアラン』のキャラクターデザインが追加されました。どうぞよろしくお願いします。

 http://www.wtrpg9.com/novel/ponicanbooks/


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