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宝石吐きの女の子  作者: なみあと
Ⅳ 宝石商会
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7-2(Ⅳおわり)



 ガタン。跳ねる。ガタン。跳ねる。

 馬車の揺れに合わせて――自分の意思ではないが――跳ねながら、クリューはぼんやりと、窓の外に視線をやった。

 やはり管理の頻度の差か、市を出ると、道の舗装は市内よりもやや荒れる。そのせいで車内の揺れも大きくなるが、たくさん置いたクッションのおかげで痛みはない。宝石商会の管理の人がくれたという飴玉を口の中で転がすと、ひんやりとした甘い爽快感が喉の奥に伝っていって、クリューの腹を落ち着けてくれた。この分なら、往きの地獄をまた味わうこともなさそうだ。

 向かいの席のスプートニクは、窓辺に肘をついて、じっと外を眺めていた。彼の三半規管は荒々しい扱いに慣れているらしく、酔い止めなどなくとも、顔色一つ変えないのが羨ましい。昔は自分も、そうだったはずなのだけれど。

 いくら馬車に揺さぶられても動じない、灰色の遠い瞳は今、一体何を考えているのだろう。店のことだろうか。商会のことだろうか。――それとも?

「どうした」

 思った瞬間、不意にその灰色が、クリューを映した。

 その瞬間、彼女の肩が揺れたのは、決して馬車のせいではない。

「もう酔ったか?」

「い、いえ」

「そうか」

 答えるとスプートニクは、曖昧に頷いて「酷くなる前に言えよ」と言った。しかしその声音もぼんやりしていて遠くあり、クリューのことを心から思った故の発言とは、どうにも思えない。

 そして再び、彼の瞳は外を見る。遠いその目は、何を、誰を思っているのだろう。

 我知らず手に力が入り、絞められた紙袋が、くしゃり、と悲鳴を上げる。無性に彼の心を、こちらに向けたくなった。

「あの。……一つ、いかがですか」

 皺の寄った飴玉の袋をかざす。スプートニクは、興味なさそうにクリューと紙袋を見て、ゆるゆると怠そうに手を振った。

「要らねェよ。俺ァ酔わねェもん」

「でも、さっぱりします。美味しいですよ。はい」

「危ねェな、立つなよ」

「私の運動神経なら造作もないことです。だから、ほら」

 自分自身心にもないことを言って、窓枠に手をつきながら、一歩、寄る。袋から一つ飴玉を取り出してスプートニクの顔に寄せると、彼は面倒そうにしながらも口を開けてくれた。飴玉から手を離すとき、親指が少しだけ唇に触れて、どきりとする。

 その油断が、良くなかった。

 瞬間、床が大きく傾いた。バランスを崩して叫びながら、クリューの頭が向かう先は窓――しかしぶつかる直前、肩に衝撃を覚えた。間一髪、スプートニクの手が彼女を掴んだのだ。

 手はそのままクリューの体を引き寄せて、スプートニクの胸元に彼女の体を固定させた。

 見上げた先ではスプートニクの目が吊り上がり、何かを言っている。きっと「だから言っただろう」とか、「気をつけろ」とかいうお叱りの言葉なのだろうが、耳元でどきどきと震える心臓がそれを阻んだ。鼓動がうるさいのは、窓にぶつかりそうになった驚きか、それともそれを救った彼の腕か、はたまた目の前にある灰色が、彼女だけを見ているせいか。

 取り敢えず「ごめんなさい」と謝ると、彼は一つため息をついて、腕を緩めてくれた。抜け出して、もとのように、スプートニクの向かい……ではなく今度は、隣に腰掛ける。

 彼の眉間が寄った。

「お前、なんでこっち来たの」

「お構いなく」

「そっち座れよ。進行方向と逆向いてると、酔いやすくなるぞ。第一、狭ェし」

「大丈夫です、酔いません。狭いのは、気合で」

「気合」

「はい。気合で」

 胸の前でぎゅっと、こぶしを二つ作ってみせる。

 と、彼の眉間の皺が緩んだ。和んだというわけではなく、単純に呆れたようだった。

「……ったく」

 それでも彼は、クリューを拒むことはしなかった。近くなった肩が、狭い椅子がとても嬉しい。

 たった二人の、馬車の中。

 窓にぺったりと頬をつけて、クリューは来た方向を見た。フィーネチカ市の入口はもう、小さくなっている。商会訪問もしたことだし、クリューは勿論のことスプートニクも、暫くあの街に行くことはないだろう。その場から動けず、また馬車を追うことも出来ず、みるみる遠ざかる都市の姿に、クリューは大きな安堵を覚えた。

 ――クリューがこの街から、早く帰りたがった理由。皆と約束した土産も買わず、たくさん下調べをした観光もせず、この街を一刻も早く出たがった理由。

 それは、魔法使いが怖かったから、ではない。「会いたくない」と言った『彼女』の意思を手伝ったわけでもない。

 ただ一つ。『間違っても会わせたくなかった』からだ。

 不意に喉が苦しくなって、空咳をした。二回、三回。ハンカチで口を押さえて何度か繰り返し、出てきたものは宝石一つ。その形は、色は、昨晩吐いたものに、昨日『彼女』にあげたものに、ひどく似ていた。

 喉に詰まったものは吐き出した。なのに、なお胸は苦しくて堪らない。

 ハンカチの中に現れた、明るい色の宝石。しかしだんだんと視界がぼけて、その形がよくわからなくなる。窓に薄く映る自分の顔が、大層、不細工に歪んでいる。向かいの席に置いたままの帽子の造花はいつの間にか曲がっていて、自分の性根を象徴しているかのようだった。

 だけど、それでも。

「……お隣は、私のです」

 宝石入りのハンカチを握り締めながら呟いた言葉は、想い人(スプートニク)には届かずに、車輪の音に紛れて消えた。

 たとえそれが、恩人でも。

 その一点だけは、譲れない。




 懊悩と誤解を乗せて、馬車は二人を帰るべき場所へ運んでいく。








 つづく。






 四章終了です。お付き合い頂きありがとうございました。

 宝石商会と、スプートニクの姉と、ソアランの婚約者のお話でした。主にスプートニク受難の回というか、二人のストレス回ではありましたが、それも含めて内容的に、書いておきたいことは書けたと思います。


 それではまた、二週間くらいお休みを頂いて、次章の構成を作ってきます。

 次はまた、リアフィアット市に戻ってのお話です。今回がちょっとぎすぎすしていたので、できれば次はほのぼのしたものが書きたいです。

 もしよろしければ、どうぞお付き合いください。


 ありがとうございました。



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