表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
宝石吐きの女の子  作者: なみあと
Ⅳ 宝石商会
83/277

6-5

 彼女は受け取った宝石を暫く眺めていたが、やがてハンカチを取り出すと、そっとそれに包んだ。

 大事にして貰えるのは有り難いが、そうも丁重に扱われると、『創った』クリューとしてはなんだか気恥ずかしくなる。スプートニクも、自身の作品を誰かに貰われていくときは、こんな気持ちになるのだろうか。

 彼女は宝石をハンカチごと懐にしまうと、改めてクリューを見た。

「さて。……せっかく出会えたのに惜しいけれど、そろそろお別れしないとね。あなたのご主人様が心配するから」

「あ、あの、あの」

 フードをもとのように被り、そう言う彼女。しかしクリューはどうしても、ここで彼女を帰したいと思わなかった。このまま別れてしまったら、もう二度と会えないような気がしたからだ。

「よかったら、スプートニクさんに……店主に紹介したいんですが。私、お姉さんに、もっと、ちゃんとお礼したいです。お姉さんは恩人です」

「ありがとう。……でも駄目なの、ごめんね」

「それじゃ、せめてお名前だけでも!」

 つい声を荒らげる。シャルが驚いたのか、ローブの腰のあたりがごそりと動いたが、構わない。自分の必死さがシャルにも伝わればいいのだと思いながら、自己紹介と、質問をする。

「私はクリューです。リアフィアット市にあるスプートニク宝石店ってお店で従業員をしてます。お姉さんは?」

「私は……」

 沈黙。後、彼女は少しだけフードを上げた。疑るような瞳にクリューを映し、首を傾げる。

「私の名前。誰にも言わないって、約束出来る?」

「はい」

「なら……。忘れてくれていいよ、覚えておかないで」

 どんな長い名前だって、忘れるものか。

 聴覚に全神経を集中させるクリューの前で、彼女は自身の名を口にした。

「フランソワーズ。……皆は、ファンションって呼ぶけど」

「ファンションさん。素敵なお名前です」

「ありがとう」

 あえて愛称の方を呼ぶ。すると彼女、ファンションは、嬉しそうな、それでいて泣き出しそうな、不思議な顔をした。そして、

「私のこと、誰にも言わないでね」

 心細げな懇願に、クリューは深々と首肯した。どんな理由があるのかは知らないが、約束は守らなければならない。そしてそれが恩人とのものであるなら、尚更だ。

「安心して下さい。私は口が固いので有名なのです」

 本当はそんなこと一度も言われたことがないし、隠し事はいつもすぐ主にばれてしまうけれど。

 けれどそのくらいの心持ちではあった。だから胸を張り、どんと叩いて「任せて下さい」と告げる。ファンションはそれに、くしゃりと顔を歪めて笑った。

「それは、頼もしい」

 世辞ではないように、クリューには聞こえた。

 言い終えると、ファンションは深く一礼をした。それから背筋を真っ直ぐに伸ばすと、腕を下から上へ大きく振る。その指先から光が出でて、まっすぐ空へと飛んで行き、ある程度の高さで静かに爆ぜた。魔法の光が、一瞬だけ、青い空を白く染める。

 それを確認すると、ファンションはクリューを見た。

「すぐお迎えが来るから、ここで待っていて。……私は行くね。今、あれに会うわけにはいかないの、ごめん」

「お迎え? 誰ですか。『あれ』って、なんですか」

 誰かが来てくれるにしても、その『誰か』が誰なのかわからないと仕方ない。そして彼女が悪い人に追われているのなら、今度は自分が助ける番だ。

 そう思って二つのことを尋ねたが、いずれに対しての答えも同じだったのだろう。彼女は両方の質問に、たった一言で答えてくれた。

「私の、婚約者フィアンセ

「婚約者?」

「それじゃね、クリューちゃん。……また、いずれ」

 先ほどと同じような白い光が手のひらから湧いて、やがて彼女の黒い全身を包んでいく。ローブの首元からピンク色の足が覗いて、別れの挨拶をするように左右に揺れた。

「ファンションさん。シャル」

 希薄になっていく彼女らの姿へ向けて、名を呼ぶ。それが聞こえているのかどうかわからないままに、クリューは続けた。

「忘れませんから。また、いつか」

 光とともに消える直前、ファンションは笑っていたように見えた。

 ――彼女が去ると同時、明るかった道は静まり返った薄暗い路地に戻り、クリューは一人取り残される。

 けれど不思議と寂しさはなかった。温かい微笑みと、与えてもらった優しさと、手の中に握った小さな布。これは宝物にしよう、そう思って、クリューは布を丁寧に畳むとポシェットの中にしまい込んだ。いつか再び会えたとき、あのときはありがとうと言うために。

 さて、ファンションの言った『迎え』とは、どんな人だろう。彼女の婚約者だと言っていた。となると、男の人か。あんなに立派な人の婚約者なのだから、きっと素敵な人なのだろう。すらりと背が高くて、格好良くて、穏やかで、優しくて……いやしかし、彼女が「会えない」と言うのだから、もしかしたら、凄い意地悪で、性格の悪い人なのかも。

 そわそわと落ち着かない気持ちになるが、そうして待たされた時間はそう長くなかった。

 ――『迎え』の声は、空からあった。

「クー!」

 不意に呼ばれた愛称に、クリューははっとそちらを仰ぐ。そこに、自分を迎えにきた人がいると信じて――だが。

「……え?」

 自分の見たそれが俄かには信じられなくて、クリューは呼びかけに応じることも忘れ、息を飲んだ。

 屋根より少し高いところに、『迎え』の人の姿はあった。空を背負って虚空に佇む彼の姿は、逆光で些か見にくくはあったが、それが誰か、まさかクリューに判らぬわけがない。ここにやって来るまでよほど急いだのか、肩で息をしているが、見上げた彼女と目が合うと、珍しくも優しげに、彼の表情は緩んだ。

 空に立つ彼。その人はまさに、『すらりと背が高く、格好良くて、優しくて、意地悪で、性格の悪い』人だった。そうであることを、他ならぬクリューが、よく知っていた。

 背後に知らぬ少女を従えてはいたが、その姿は紛れもない。

「なんで……」

 こんなときでなかったら、またファンションの言葉が無かったら、クリューは迎えに来てくれた彼の姿に喜び、笑い、大きく手を振っただろう。

 ――しかし。

 その『迎え』をして彼女は、『婚約者』とも、呼んだのだ。

 受け入れ難いその姿。呆然とするうちにも彼は虚空から飛び降り、こちらに駆けてくる。こんなときでなかったら、クリューは空を舞う彼の姿に見惚れ、胸を高鳴らせ、頬を赤くしていただろう。魔法使いに襲われた恐怖などすっかり忘れ、嬉しさに飛び跳ね、ともすれば「かっこいい」などと叫んだりもしたかもしれない。しかし。

 ……しかし。

 息を切らせ駆け寄ってきたスプートニクはなぜか靴を履いておらず、また服はあちこち汚れている。クリューの肩を掴み、何かを叫んでいるようだが、何を言っているのかはよくわからない。

 自分の主。かけがえのない人。たった一人の家族。――であるはずの、彼。

 けれどそれは、見知らぬ女性に『婚約者』と呼ばれた人。

 目の前にある愛しい人の顔がやけに遠く感じられて、クリューはただ呆然と立ち尽くす。



   *



「クー!」

 謎の光のもとには、やはりクリューが立っていた。

 何者かと一緒かと思っていたがそうではなく、薄暗い路地に、一人でぽつんと佇んでいる。

 彼女の愛称を大声で呼ぶと、彼女ははっとこちらを向いた。遠目から見るに、特別危害を加えられた様子はないようだが、早く彼女のもとに行ってやらねば――思って、気付く。

「おい変態! これどうやって降りるんだ!」

「誰が変態だい!」

 箒で後を追ってきたソアランに向けて叫ぶと、質問への答えでなく抗議の声が返ってきた。靴の飛び方、走り方はなんとなくわかっていたが、降り方は教えてもらっていない。

「いいからさっさと……あァめんどくせェ!」

 説明を待つ時間も惜しく、手っ取り早く済ませてしまおうと靴の踵に指をかける。片足を脱ぐと、一気に支えが弱くなるのがわかった。

 それを見て驚いたのはソアランだ。箒に跨ったまま、目を剥いて叫ぶ。

「はァ!? 君何してんの、落ち――」

「着地、頼んだぞ!」

 両足を脱ぐと、重力が確かに体に戻ってくる。なおもその場に居続けようとする靴を、スプートニクは躊躇いもなく手放した。足の下に支えのない違和感と、胃を下から無理矢理持ち上げられるような不快感。その中で、ソアランの声を聞いた。

「ちょ、君っ、――あァもう!」

 直後、落下する自分を、粒状の白い光が幾つも追い越していった。

 光はスプートニクより早く地面に到達すると、彼と地面の間で大きく広がった。柔らかいクッションのような感触に受け止められ、一度大きく跳ねてから、スプートニクは地面に着地する。空を振り返ると、ソアランがこちらに腕を伸ばした姿勢のままで、「間に合った」と安堵のため息をついていた。だから、

「たまには使えることするんだな変態!」

「それ何なの!? 褒めてんの馬鹿にしてんの!?」

 絶叫が空から降ってくるが無視。正しくは『素直に礼を言うのが嫌でわかりやすく馬鹿にした』のだが、そんなことをいちいち伝えるのは面倒だった。目の前にもっと重要なことがあったからだ。

 靴下で踏む地面は痛い。しかしそれにも構っていられず、ただ駆ける。空から降ってきた店主に驚いたのか、目を丸くしているクリューの頬からは、なぜか血の気が引いていた。

「大丈夫か。何された。怪我は?」

 目線の高さを合わせ、肩を掴んで揺らすが、彼女の瞳は焦点が合っていない。外から見えるところに、特別な怪我はないようだったが。

「落ちてたよ。これで呼び出されたみたいだね」

 振り向くと、ソアランは既に箒をしまい、代わりに紙切れを持って佇んでいた。

 彼の人さし指と中指の間でひらひらと揺れているそれを受け取って改めると、それは一枚の地図だった。商会からこの路地までに至るまでの道筋が書いてある――そのことに気付いた瞬間、自身の頭がかっと熱を帯びるのがわかった。よくも人のいない間に、うちの従業員を!

 上手くクリューをおびき出したのに、何もせず逃げた理由はわからない。スプートニクを捕らえることに失敗したのが原因かもしれないが、その辺りは魔法使い当人に聞くしか知る方法はないだろう。そして今は、それより遥かに大事なことがある。ここにいない犯人へ怒りを向けるより先に、すべきことが。

 薄暗い路地に一人残されていたクリュー。大丈夫かと、もう一度問おうとして、しかしやめた。青褪め、ぶるぶる震えながら静かに泣く彼女の様子は、どう見ても平静ではなかったからだ。

 抱き寄せ、背を撫でる。クリューはスプートニクの首に腕を回すと、やはり震えている腕で、固く抱きしめ返してきた。

 その様子にスプートニクは、余程怖い思いをしたのだろう、と思った。だから、

「もう大丈夫だ。俺がいる」

 極力優しい声を作って、耳元で、囁く。

 けれど彼女の震えは収まらず、涙まじりのか細い声が、クーは、クーは、と繰り返した。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ