6-1
「太陽が……目に……痛い」
警察官と商会職員と、野次馬の波を掻き分けてふらふらと質屋の外に出る。いつものことながら、陽光は寝不足の頭には堪えるものだ。そして人の賑やかな声もまた。
しかし商会への帰り道として陽の当たらぬ細い路地を選んだのは、それだけが理由ではなかった。
寄り道なんかするんじゃないよ、というユキの言葉が思い出される。これは寄り道に当たるのだろうか、基準としては曖昧なところだったが、懸念事項を引き摺って帰るのは自分の方針に反している。そして、店を出た瞬間に浴びせられた鋭い気配に気付けないほど、頭は死んでいなかった。
――この辺りでいいだろう。
立ち止まって振り返り、言う。
「出てこい」
彼の言葉に誘われ現れたのは、黒ローブの魔法使い。昨晩、商会の裏口で会ったうちの一人に思えた。顔はわからないから、確定は出来ないけれど。
敵は長い杖を握っていた。材質は木に似て見えるが、実際のところは、さて、どうだろう。
対してこちらのポケットの中には、いつぞやの残りの宝石が一つ。魔力を吸い込む加工がされたものだが、はたして一つで足りるだろうか。勝算などないまま、地を蹴った。
足元を狙って飛んでくる光は、中ればどんな効果があるのかわからないが、いずれにせよ面白いものではないだろう。駆けながら都度、跳ねて避け、距離を詰め。
幾つか目の光を避けると同時、ポケットから一本鑢を取り出し、握って、低く身を落とす。追って魔法使いの視線が下がるが、残念ながらフェイントだ。その瞬間、スプートニクは高く跳んだ。
魔法使いが、驚きの気配と共に顔を上げるが、対応は遅い。
獲った。
と、思った直後。
「――ッ!?」
背に重い痛みが走った。
宙で体勢を崩して、建て直せないまま左肩から地面に落ちる。物を言おうにも、打たれた場所が悪かったようで、音もなく息が抜けるだけ。目の端で、白い光が散って消えるのがわかった。恐らくは、魔法で作った何かを背にぶつけられたのだろう。
痛む体を無理やり持ち上げようとしたが、行動は許さぬとばかりに、杖の先を目の前に突きつけられて断念する。
死角から影が現れて、スプートニクと対峙していた魔法使いの下に駆け寄った。そちらも黒一色の、同じような服装をしている。スプートニクの背を打ったのは恐らくそいつだ。二人で一言二言交わした後、地に沈んだままの彼を向く。
「何が、目的だ」
ようやく出た声は、掠れていた。
魔法使いの、フードの奥で光る目は冷たい。
「スプートニク宝石店店主、スプートニク。そうだな」
否定も肯定もせず、ただ見上げる。
抑揚のない声。それ故、感情も捉えにくい。彼女は杖の先を微動だにさせることなく、淡々と続けた。
「殺せとは言われていない」
「……なら、何だ。警告か」
「違う」
隙を探して視線を走らせる。が、たとえその杖を退けたところで隣のもう一人が逃げることを許さないだろう。
杖の先が、彼の眼前から離れる。しかし、逃がしてくれるというわけではないことはすぐに分かった。杖が大きく魔法使いの頭上へと掲げられる。
魔法使いが何かを呟いて、杖がキラリと光った――
――そのとき。
「そこまでです」
まるで空気すら裂くように、凛とした声が路地に響いた。
直後、スプートニクの目の前に、踵が一つ、飛び出した。
視線を上げていく。踵、踝、ローブの裾。小柄な魔法使いが一人、スプートニクに背を向けて立っていた。
「誰だ」
「『魔力なし』の人間に危害を加える魔法使いへ、名乗る必要があるとお思いで?」
言って、闖入者は深く被ったフードを取った。現れたのは、少女の頭。クリューより少し年上くらいか、多少幼さの残る外見をしているが、それを補うように瞳を鋭く細めていた。
「私の上司はあなた方の軽率な行動に、深い憂慮を覚えています。大人しく――」
しかし相手が、彼女の警告を最後まで聞くことはなかった。
杖を持った魔法使いの、ローブから覗いた手が、宝石を二つ放った。そこから生まれた細い光が蛇のように、スプートニクらの方へと向かい来る。
しかしスプートニクの前に佇んだままの彼女は、身動き一つしなかった。ただ視線をそれに向けただけ。けれどそれだけで、蛇は音もなく弾けて消えた。
「同位の魔法使いが一対一で攻撃と防御を同時に展開した場合、防御魔法の展開される方が早い。基礎ですよ、魔法学校で習わなかったとは言わせません」
言うと同時に、半透明の壁が、魔法使い達と彼女の間に出現する。
「そして、思い違いをなさらぬよう。私のほうがあなた方より、遥かに上位におります」
「……!」
「止せ」
彼女の挑発に激昂しかけた片方を、杖を持った方が制す。
「その身で私の力を知りたくないのであれば、答えなさい。何故、彼を狙いました? 誰の差し金です」
「――引くぞ」
彼女の問いかけに、魔法使いは答えず杖を高く振り上げる。何か攻撃が来るのかと身構えるが、そうではなかった。杖の先から生まれた光球は飛び上がり、屋根より高い位置まで到達すると破裂して、赤い光を散らした。
何かの合図だろうか。だとしたら、誰への?
スプートニク達の意識がそちらに逸れた瞬間、二人は踵を返して駆け出した。
そうして路地に残ったのは、スプートニクと、フードを背に下ろした彼女の二人。彼女は去っていく魔法使いたちの背を、じっと見ていた。
「……追わねェのか」
スプートニクの問いかけに、ようやく彼女は振り向いた。
しかし質問には答えず、彼の背中側に回る。身を捩ってそちらを向こうとしたが痛みで叶わず――彼女はそんなスプートニクを見て、「動かないで」と言った。
「起き上がらないで。楽にして下さい。治療します」
言葉と同時、背中に熱を感じた。
その温かさを、スプートニクは知っていた。別の魔法使いの手によって、同じ治療を受けたことがあったからだ。そのときの怪我の原因は、そう。
「私はある方の私設秘書をしております、セシルと申します。あなた方を守るようにとの彼の命を受け、こちらに馳せ参じました」
「いや、秘書っていうか……」
首を捻り、治癒をかける彼女に対して、思っていたことを告げる。
「魔法少女本人じゃねェのか、お前」
一時の沈黙、後。
セシルと名乗った彼女の眉根が、ぐにゅう、と寄った。
魔法少女、もしくは、魔女協会コークディエ支部副支部長、ソアラン。ユキに「変態ぽい趣味とか持ってそう」と言わしめた彼。
変化の魔法は得意なんだけどなぁ、とぼやいたあたり、どうやら当たりらしい。
呆れたようにため息をついて、『彼』は言った。
「一応今の俺は、魔女協会コークディエ支部副支部長ソアランの私設秘書『セシル』だよ。そういうことにしておいてくれ」
「普通に来りゃ良いのに、何でまたそんな変態説の嵩増しするようなことを」
「誰が変態だい誰が」
自覚がないのがまた。
「理由の一つ目としては、一応俺も『役職持ち』だからね。スプートニク宝石店の関係者が、副支部長直々にお守りあそばされるほどの重要人物であると思われるのは避けたかった」
「何度も言うようだが、うちは何の変哲もない宝石店だぞ」
「はは、その意気やよし。……二つ目はね、俺、どうしても外せない会議があって、昨晩から朝方までずっとコークディエ支部の会議室に詰めてたんだよ。この辺りも『始祖様の加護』がそれほど強い地域ではない。普通の魔法使いが魔法で飛んでこようとすれば、準備や移動にそこそこ時間がかかるからね」
「にしてはあの魔法使い、魔法を使っていたじゃないか」
「ありゃそんなに威力ないよ。でも、例え弱いものとは言え、魔法使いが魔力なしを魔法で制圧しようなんてことは、倫理上していいことではない」
その言い方では、「お前は弱い」と言われているようで腹立たしい。けれど確かに事実として、スプートニクは今、たった二人の魔法使いに勝てなかったのだから、それに関して何を言う資格もないだろう。黙って、続きを聞く。
「話を戻そう。会議室で会議をしていたんだけど、会議中、どうも周りの様子がおかしい。誰の差し金かは知らないけど、俺を会議室から出させることを妙に渋る。部下と会うことはもとより、トイレ一つ行くのも監視付きとは、由々しき事態だよ。えっち」
「しなを作るな気持ち悪い」
両手で作った拳を顎に当てて、嫌がるように体を振る成人男性のなんと気色悪いことか。外身が少女のかたちをしているとは言っても、正体を知っているスプートニクは怖気しか感じられない。
しかしその指摘を、彼は無視した。「それでね」と勝手に話を続ける。
「会議終了早々に俺の抱えている案件をチェックしてみたんだけど、何か手を下された様子はなかった。だからもしかしたらと思って、様子見にリアフィアット市まで飛んでみたんだけど、君の店が閉まっていたから驚いたよ。ノックしても、裏口に回ってもひと気はないし……うろうろしてたら、パトロール中の警察に声かけられちゃって、大変な目に遭った」
「警察?」
「君らと仲良しの警察官のお嬢さん」
ナツのことか。
こいつのことだ、きっとそのときも、いつも通り可愛らしい女性に化けて行ったのだろうが、流石『敏腕警部』と言うべきか、それでもナツは容赦なく捕らまえてくれたらしい。
その推測を裏付けるように、ソアランがため息をついた。
「君のところの客ってことでなんとか通したけど、なかなか信じてもらえなくて散々だったよ。まァ、彼女が君らの行き先を知っていたおかげで助かったけどさ」
どうしてナツが自分達の行き先を知っていたのだろう――首を傾げるが、すぐに思い出す。そうだ、出がけに会ったのだ。どこに行くのかと尋ねた彼女へ、確かに行き先を答えてやった。
人の神経を逆撫ですることしか言えないナツに出発を邪魔されたことには苛立ちしかなかったが、結果的には功を奏したらしい。……感謝を覚えるかどうかは、また別の話としても。
「戻ったらお礼を言っておくがいいよ。珍しく留守だから、空き巣なんかを注意して、重点的にパトロールをするようにしているんだそうだ」
「余計なお世話だ」
その助言に素直に従う気になどなれるわけもなく、スプートニクは視線を逸らして言い捨てることで、あれの話を終わらせた。
あれはきっと、スプートニクの留守中にスプートニク宝石店を気にかけていたことなど、自分からは絶対に言わないし、またそのことを恩に着せるようなこともしないだろう。
そういうところも、面白くない女なのだ。




