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宝石吐きの女の子  作者: なみあと
Ⅳ 宝石商会
75/277

5-2

「さて」

 メロンパンの二つ目に手を伸ばしながら、スプートニクは口を開いた。

「まずはお説教から始めましょうか、クリューさん?」

「むぐ」

 突然の言葉に、クリューは食べていたポテトを喉に詰まらせた。

 慌てて、温かいお茶――商会職員に頼んだら出してくれた――で流し込み、息をつく。スプートニクの、メロンパンを割る手に向ける視線に力がないのは、寝不足のせいだけではないようだ。

 宿の厨房にて、見るからに美味しそうだったメロンパン。スプートニクならきっと気に入るだろうと思って、それに限っては二つ入れてもらったクリューの采配は成功を収めたようだった。が、今はその英断を喜んでいる場合ではない。

 スプートニクの冷めた視線がメロンパンから移動して、クリューを映した。

「外に出るなって言ったろうが」

「で、でも」

 それに対する回答なら用意していた。そのために、重いバスケットをここまで運んできたのだ。

「スプートニクさんに、美味しい朝ご飯食べてもらいたくて」

「成る程。クリューさんは僕の命令と朝食を天秤にかけて、朝食を取ったんですか。いやァなんとも有能な従業員でいらっしゃる」

 慇懃無礼な言い回しに、ぷく、と頬が膨れる。けれど怒ったところで意味はない、どころか現状ではまったくの逆効果だ。クリューは生まれた不快感をなんとか心の奥に押し込めると、ベーコンを刺したフォークを皿に戻し、胸元で両手を組んだ。

「でも。この街、そんなに危ない街っていう感じはしませんでしたよ」

 青い空、白い雲、賑やかな街並み。商店もたくさん立ち並んでおり、広場の露店では可愛らしいアクセサリーや人形も売っている。バスケットを抱えて歩きつつ、色とりどりのそれらを眺めていたら、露天商に「お嬢ちゃん、彼氏へのプレゼントに一つどうだい」などと声を掛けられて、その言葉に思い浮かんだ人がスプートニクであったことについ赤面し――それはともかく。

 地図こそ違えど、その他はリアフィアット市とそう変わらないように思えた。

 しかしそれを、スプートニクは認めない。

「それは結果論だろう。お前がここまで、何事もなく来れたから」

「そんなことないです。宿の人だって、朝からお弁当お願いしたら、嫌な顔一つしないで作ってくれましたし。宝石商会に行きたいって言ったら、細かい地図も書いてくれました。いい人たくさんです」

「いい人ってなァ……」

「それに、街の人だけじゃなくて、私だってここまで来るの、頑張りました」

「へェ。何を?」

 言い訳は聞きたくない、と切り捨てたりはしなかった。いつになく自身満々なクリューに興味を引かれたか、空いた左手でクリューの髪の裾を弄びながら尋ねてくる。

 命令を破った信頼を挽回するなら今しかない。そう思ったクリューは精一杯胸を張った。

「地図の見方間違えて道に迷ったときのために、帰り道がわからなくならないように、バターロールちょっとずつ千切って道しるべにしてきました。抜かりないです」

「抜かりだらけじゃねェか。パン、明らか食われてるだろ」

 はっと息を飲む。確かに、その可能性は考えていなかった!

 万全と思っていた作戦の、予期せぬ穴。悔しさに、クリューはきゅっと拳を握った。

「鳥さんめ、『こうかつ』な真似を……!」

「お前そういう言葉どこで覚えるの?」

 言いながらスプートニクは、左手の指を忙しなく動かしている。見やるとクリューの髪の一か所に、細い三つ編みが出来ていた。どうも手遊びに使われたらしい。

 裾まで編み終えると、スプートニクは彼女の髪から手を放した。そして再び食事に戻る。

「とにかく。俺は忙しいんだ、余計な面倒掛けさせるなよ」

「そんな、そんなこと言って」

 握り締めた両手が、ぷるぷると震える。それは鳥への怒りではない。対象は、そう。

「私のことばっかり責められないはずです。スプートニクさんだってまた、女の人と夜遊びしてたんでしょっ」

「あァ?」

 指摘するとスプートニクは、怪訝そうに眉を寄せる。けれどクリューの目には、その様子すら白々しい演技にしか見えなかった。

 指輪を作りに出て行ったはずなのに、品はこの部屋のどこにも見当たらない。それに、

「私は騙されません。その手の甲が証拠です!」

 爪跡の残る彼の左手を、びし、と鋭く指摘する。

 クリューの声に、動作に導かれるようにして、スプートニクは自身の手を見た。

「……あァ。これな」

 点々と残る新しい傷跡に、合点がいったような表情をつくる。

 そして、ぽつりと言った。

「違ェよ」

「は?」

「これは……」一瞬言い淀み、それから答える。「……『情報料』、かな」

 予想外の返答に、クリューはぱちくり、と瞬きをした。情報料?

 スプートニクはその手で自身の頭を撫で、ため息をつく。

「昨晩は散々な目に遭った。踵落としなんて久しぶりに食らったぞ」

「えっと……それって」

「それで、何だ。指輪?」

 スプートニクは椅子を立つと、机の上に適当に畳み置かれた自身の上着を取り上げる。左手で襟首をつかんで、右手を内ポケットへ。しばらく探って、やがて一つの小箱を取り出した。

「ほら」

 黒い、小さな箱。スプートニク宝石店(うち)でもよく見る、典型的なジュエリーケースだ。フォークを置いて受け取り、スプートニクを見上げると、彼は顎を軽く動かした。開けていい、というサインだろう。

 蝶番に極力負担を与えないよう、そうっと蓋を開ける。箱の中、深藍のクッションに座したものを見て、クリューは思わず目を見張った。

 そこに座していたものは、指輪だった。

 半ば程までクッションに埋もれた円を彩るのは、小ぶりながらも眩く光る、いくつかの透明な石。白金の象る細かくも人の目を引くデザインは、部屋の中、あちこちに放られた紙の中から抜け出してきたかのようだ。

 なんて素敵! 心の中で叫んだ。こんな素敵な指輪を手に求婚されたら、お断りなんて出来るはずがない。言葉にならない感動を胸に、スプートニクを仰ぎ見る。クリューの表情を見た彼の、隈の残る目が嬉しそうに歪んだ。

「一回でも集中切れたらアウトだったな。限界を試されてるようで楽しくはあったけど」

 言ってスプートニクは、残りのメロンパンを口に放り込んだ。一口にはやや大きすぎたそれを無理やり茶で咀嚼すると、まるでそれが最高級の栄養剤であったとばかりに「快復」と呟いて、ニヤリと笑う。『運命の王子様』と呼ぶには些か意地の悪すぎる表情だったが、クリューの胸をときめかせるには充分だった。早鐘のような心臓を持て余す――が。

 不意にあることに気付いて、クリューははっと息を飲んだ。指輪がきちんと完成しているということは、彼は宣言通り、遊びになど行かず、夜じゅう作業をしていたということだ。

 それほど頑張っていた彼に対して、自分は一体何をしたのか?

「わ、私」

「うん?」

 呑気そうなスプートニクの返事。対照的に、熱を持っていたクリューの頰からは、さあっと血の気が引いていく。

「私。知らなくて。ほっぺた叩いて」

「あァ、いい、いい。ンなもんあいつの『教育』に比べりゃ可愛いもんだ」

「で、でも、でも」

 気にするなと振る手すら、「お前には何も期待していない」と言われているように思える。

 しかしそう扱われたところで当然なのだ。自分がただベッドでぬいぐるみと戯れていた間、彼は――

「スプートニクさんは、こんなに体を売って頑張っていたのに!」

「体を『張って』な?」

「それです」

 流石にその言い間違いはヤーだなァーと文句っぽく言われるが、今クリューにとって重要なのは自身の知識不足ではなかった。そんなことよりも! 声が震える。

「クーは、クーは悪い子です。スプートニクさんが夜じゅう頑張っていたのに、クーはその間、お部屋で寝てただけなのに、え、偉そうなことを」

「そりゃいいって。第一、部屋で待機してろって言ったのは、俺だろう」

「でも……」

「だから、そのことに関しては怒ってない」

 許してくれるのか。思いながらおずおず見上げると、目が合った。しかし呆れたような彼の目は、クリューと視線が交わったと気付くや否や瞬時に鋭くなり、

「朝、宿からここまで一人で来たことに関しては、別だけどな」

 低い声で言われて、クリューの涙はさっと引いた。

 後ろ暗さに、顔を背ける。と、スプートニクがため息をつくのがわかった。

「まったく。お前に何かあったら、俺がただじゃいられないんだからな」

 それは、雇い主として手間がかかるということか、それとも心配で平静でいられない、ということか。後者であったら嬉しいな、と思って自然と口角が上がる。しかしそれを見咎められて、「何を笑っているんだ」と頬をつねられた。けれど、そうして触れ合えるのもまた嬉しい。

 ぷにぷにと摘まんでくる指にじゃれていると、視界の端で小さなものがきらりと光った。先ほどの指輪である。ケースの蓋を開けっ放しのままにしていたのだ。

 埃を被ってはいけないと、クリューは手を伸ばして机の上を引き寄せる。が、

 蓋を閉じる直前に、ふと。

 ――箱の中、キラキラと軽薄に輝く石たちに、例えようのない違和感を覚えた。

「どうした?」

 不意に静かになったクリューを訝しく思ったか、スプートニクが尋ねてくる。その彼を仰ぎ見て、クリューは手元の指輪に関してこんな質問をした。

「……これって、ダイヤモンドですか?」

 何故そんなことを聞きたくなったのか、自分でもよくわからない。

 クリュー自身すら上手いこと言葉に出来ずにいたその違和感の正体に、スプートニクは気付いたようだ。訳知り顔で、「お前も目が肥えてきたかな」と呟いた。

「そうだ。ダイヤだよ、これは」

「本当に?」

「おォ。本当だともさ」

 肩を竦め、腕を開いて大仰に言う。――その仕草はまさしく、胡散臭い。

 しかし彼の言葉が本当なら、確かにその石はダイヤであるという。ならば違和感を発すのは、

「台座は、プラチナですか」

「そのベーコン、旨かったぞ。ほら」

 スプートニクはフォークでくるくるとベーコンを巻き取ると、無理矢理差し出してクリューの口を塞いだ。すでに冷めているのに油はさっぱりしていて、ほんのりした塩気が肉の甘みと一緒に舌に広がる。

 むぐむぐと咀嚼、飲み込んで、感想を述べる。

「美味しいです」

「だろう」

 いや、そうではなくて。

 折角尋ねたことをはぐらかされたように思えて、再度質問を重ねようとする、が。

「そうだ、折角来たんだ。仕事を一つ頼まれてくれ」

 仕事。

 ――その一言にクリューの目は瞬時に大きく見開かれ、他のことはすべて頭から飛び去った。例えばクリューが犬であったら、そのとき耳はぴんと立ち、尻尾は忙しなく動いていただろう。

 これでようやく、彼の役に立てる! その喜びが、他のどんな謎にも勝ったのである。

「なんですか、なんですか」

「これ持っててくれるか」

 期待に距離を詰めるクリューへ彼が差し出したのは、紙の箱。

 許可を取って開けてみると、中身は、デフォルメされた猫の置物だった。

 大きさは手のひらより少し大きい程度、ちょんと尖った三角形の耳とでっぷりしたお腹。後ろ脚を投げ出すようにして、その場に尻をついている。目鼻はないから表情もないが、短い前足を頬に当てて小首を傾げた格好からは愛嬌を感じさせる。

 さらさらした手触りと固さのある材質は、指輪ケースのそれに似ていた。よくよく見れば腹回りに、横に一本筋が入っている。更に、筋を追って背中を見ると、上下を繋ぐように蝶番が。きっとここで上下に分かれて開くのだろう。

「俺、これから依頼人に会うんだけど、どこかに置き忘れるとまずいから。持っててくれ」

「はい」

 店の新たな商品だろうか。クリューは頷くと、元のように小箱に戻して、ポシェットの中にしまい込む。

 と、同時に。

 ――コン、コン。

 ノックの音がした。客だろうか、と立ち上がろうとするクリューをスプートニクが手で制し、自らが出向く。戸に近づいて、開けぬままに返事をした。

「はい」

「スプートニク宝石店のスプートニク様、お客様がお見えです。指輪の件で、とのことですが」

かしこまりました、伺います。応接は」

「第二が空室ですので、そちらにご案内しておきます。お早いご準備を」

「ありがとう」

 戸の向こうから、遠ざかる足音。

 気配が充分に消えてから、スプートニクは戸から離れた。

 指輪の件、とは恐らくその結婚指輪のことだろう。きっと例の、詐欺の被害者であるという男性が、指輪の引き取りにやって来たのだ。そんなクリューの予想通り、スプートニクは忙しなくあちこち動き回って、テーブルの上の指輪ケースと、書類を幾枚かかき集める。

 そして鞄に必要なすべてを詰めると、あるじとして、従業員クリューに命令を下した。

「俺が戻るまで、原則、この部屋で待機。必要以上にうろつくなよ」

「はい」

「あと、その猫のやつ。くれぐれも壊したり、紛失したりしないように」

「はい」

「それから……、そうだな」

 そして何かもごもごと、しばらく迷ってから。

 彼は上着を羽織りながら、聞き取りにくい声で、こう告げた。

「メシは、旨かった」

 そのときの彼の顔を見られなかったのが、ひどく残念でならない。

 はっと顔を上げる。けれどそのときにはもう、彼はクリューに背を向けていた。

「あの」

「行ってくる」

 クリューが呼び止めるのにも気づかず――いや、無視したのか。こちらを向かぬままの彼の言葉が少々早口になっていたのは、もしかしたら、照れ隠しだったのかもしれない。

 スプートニクは大股でずかずかと歩いていくと、やや乱暴な手つきで戸を開けた。

「あの、お気をつけて!」

 大声で、見送りを。部屋を出て行きながら、スプートニクは応じるように手を上げた。やがて、かちゃ、と音を立てて戸が閉まる。

 出ていく彼に、言葉はなかったけれど、それでも。

「……えへ」

 彼の役に立てた。思うと同時に、眠気が一気に湧いてくる。

 頼まれたそれを絶対に盗まれたりしないよう、ポシェットを膝の上に抱いた。満ち足りた安堵感と充実感、幸福感に包まれて、クリューは静かに目を閉じる。








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