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「ばか。ばか。バァァァァカ」
「何がだよっ」
含み笑いを挟みながらの罵倒に耐え切れず、スプートニクはついに席を立って叫んだ。
何か思うところがあるのならさっさと言えばいいのに――意地の悪いこの女がようやく別の言葉を吐いたのは、散々彼を煽ったあとだった
そしてその言葉もまた、人を小馬鹿にするもので。
「馬鹿だから馬鹿って言ったまでよ。何か変なとこ、ない?」
変なとこ。
――今回の件を指してそうスプートニクに述べたのは、ユキが初めてではなかった。
「クーも、そんなこと言ってたな」
「ん?」
「『なんか変だ』って。クーが、言ってた」
夜の部屋で、訝しげに首を傾げる従業員の姿を思い出す。結局違和感の原因は判明しないまま、ただの彼女の気のせいなのだろうと流してしまったが、しっかり聞いておくべきだったか。――今更後悔したところで遅いのだけれども。
ユキはそれを聞くと、両手を頬に当て、驚いたように「ま」と言った。
「すごぉいクリューちゃん天才? 私ですら気づくの大変だったのにそんなにあっさり気づいちゃうなんてクリューちゃん天才? 天才なの? さすがクリューちゃん天才すぎる可愛い上に天才だなんてっ」
「お前でも苦労したのか」
「この私がこの程度のことに悩むわけないでしょ馬鹿? 無駄口叩いてる暇があったらさっさと気づいてよ私の時間は有限なんだからね脳細胞が死に絶えたアンタと違って」
「…………」
よくもこう、呼吸をするように嫌味が湧いて出るものだ。
しかしこれだけ言わせたのだから、そろそろ溜飲を下げてもらわなければこちらの胃がもたない。
「もういいだろ。いい加減、答えを教えてくれよ」
両手を挙げ、降参の姿勢を作る。
が、それでも彼女は首を縦には振らなかった。彼女が怒っている最大の理由にスプートニクが気づけていなかったからである。
「嫌」
「なんで」
「だってアンタ、私に隠し事したでしょう」
――返す言葉を、失った。
何のことか、気づけないほど愚かではなく、しかし空っとぼけたところでこの女には通用しないだろうこともわかっていた。魔法少女の――あの、変態魔法使いのことである。
そんなスプートニクへ、我が意を得たりと彼女は嘲笑う。
「忘れていた、とでも言えばいいと思っていたでしょう。アンタ程度の狡い思惑が、私に通用すると思って?」
「言う。言うよ。実は――」
「もう遅い」
あんな変態への義理立てのために、この女を敵に回したくはなかった。だから慌ててそう告げるが、彼女はやはり首を左右に振る。
彼女は彼の名を呼んだ。
「いいこと、スプートニク」
そして彼の手を取った。
彼女の、珍しくも穏やかな声が耳を打つ。
「私はね、あなたが私に隠し事をするのを責めるのではない。隠すのなら隠しなさい。その代わり、それによって生まれた責任から、代償から、あなたを守ってあげることは出来ない。そのことを、よく覚えておいで」
しかしそれと裏腹に、瞳は冷たく、握られた手は痛かった。爪はスプートニクの手の甲に食い込んで、血こそ流れていないものの赤く色が付いて腫れる。
これ以上何かを言うのは得策でない。スプートニクは手を引いた。あれほど固く握られていたというのに、不思議なほどあっさりと離れる。傷ついた手を、そのまま肩の高さに掲げて見せた。
「……わかった。降参だ。このことに関してもう、アンタには頼らない」
「ふふん?」
「ただ、別のことを教えてほしい」
言う、と彼女は興味深いものを見たといった様子で首を傾げた。
「何かな」
「魔法使いのことだ」
しかし続けた言葉のせいで、案の定、魔法使い嫌いのユキの表情は曇る。彼女の機嫌が完全に崩れる前にと、スプートニクは急いで告げた。
「さっき裏口で、三人の魔法使いとすれ違った」
「この辺り、魔法使いなんて珍しくないよ」
「俺のことを気にしているようだった」
「色男は辛いね」
「俺は冗談を言ってんじゃねェ」
抗議に返されるのは、ニタニタとした意地の悪い笑み。まるで鏡を見ているような気分になるが、そんなものは錯覚だ。この笑みを作れるようになるまで、自分は何年もの時を要した。
フゥ、と短く息を吐いて。それからユキは、手を顎に当てた。足を組み直し、虚空を見上げる。
「そういえば、アンタがあの男を取り押さえている現場にもいたね」
「何?」
「気付かなかった? 野次馬の中に、ローブ着た三人組がいたの」
右手の人さし指、中指、薬指を立てて、ユキは言った。直後、「そこにいたのとアンタが会ったのが、同じかどうかは知らないけど」そう付け加える。が。
背筋が冷えた。
取り押さえたあのとき、誰かに名を呼ばれたのをスプートニクは忘れていなかった。周りを見回しても知った顔はなかったから、探すのをやめてしまったが、それが、もし、あの三人組だったら――魔法使いであったのなら。
「どうかした?」
同じ過ちを繰り返したいとは思わなかった。
隠していたわけじゃない、これは本当に忘れていたのだと最初に告げて、それからスプートニクは、あのときに聞いた声のことを彼女に話した。
忘れていただけということを信じてくれるか不安だったが、彼女ほどの人間がそこを違えるわけはなかった。
「アンタの名前を知っている魔法使い、ねェ? ま、アンタ、顔がいいっていうのでそれなりに有名ではあるけどね。ミーハーっ気のある魔法使いもいるのかもしれないし」
「そんなのがいるのか。魔法使いにも」
「知らないけど、魔法使いだって十人十色でしょ、いたって不思議じゃないんじゃないの。……ただ、そうでないのだとしたら」
眉を寄せ、ううん、といかにも困ったように声を上げて唸る。なんでも見透かすユキにしては、珍しいことだ。
暫くそうして悩んだ後、とても自然に吐かれた彼女の呟き。しかしそれは、スプートニクのまったく予期していなかったものだった。
「コークディエの副支部長が、何かヘマでもしたのかな」
一瞬、その言葉の意味が理解できなかった。――否。
まさかこの話の流れで、彼女の口から、その人物が出てくるとは!
「知ってんじゃねェか!」
「そりゃ知ってるに決まってるでしょ」
立ち上がり叫ぶスプートニクへ、しかし彼女はさも当然のこととばかりに。
『コークディエの副支部長』それが指す人のことは知っていた。が、スプートニクが驚き、つい声を荒らげたのはその人の存在ではない。『彼女がその人のことを知っていた』という事実にである。
そしてあの男のことを知っているのなら、またこの話の流れでその名前を出したのなら、恐らくユキは、スプートニクが彼女に隠したこと――魔法少女の正体はどうかわからないが、少なくとも『スプートニクがソアランと通じている』ということ――も知っているのだろう。
手の甲に、爪跡の熱い痛みを覚えながら、叫ぶ。
「だったら俺が責められる謂れは一切なかったんじゃねェか!」
「スプートニクの分際で、私に隠し事しようなんてことがムカつくの。リャン……えェと、ソァーリャン?」
けれど彼女はスプートニクの怒りなどさらりと受け流し、話を続ける。
さすがの彼女も西南大陸の名は言いにくいのか、彼自身が告げた正式な名とは発音が少し異なっていた。が、誰のことを指したいのかはわかる。ソアランと名乗ったあの変態。
「あれと知り合いなのか」
「私の方は知ってるけど、向こうは商会の一職員なんて知らないんじゃない」
クルーロル宝石商会の事務員は可愛らしい――いつかあの男にあったとき、軟派な笑顔でそんな戯言を履いていたことを思い出す。受付その他であるならまだしも、管理は基本的に裏方だ。が、彼女のことを『スプートニク宝石店の』管理担当として知っている可能性はある。とりわけ、『あの石』の製作者であると知った現状、あれの興味を引いたとしても不思議はない。それらのユキの推量が、事実なのか、それとも彼女の慢心からくるものか、スプートニクにはわからなかった。
「あれのことをどのくらいまで知ってる?」
「ん、ちょっと待って。リャン君、リャン君……あった。えっと、個人的なイメージも含まれるけど」
書類を机の上に置き、懐から黒い手帳を取り出す。付箋の一枚を引いてページを開くと、そこに書かれているらしい文言を読み上げた。
「魔女協会コークディエ支部副支部長。西南大陸出身。両親とは幼少期に生き別れ、協会幹部らの手によってに教育を受けさせられる。潜在魔力・技能ともに高く、男性魔法使いにもかかわらずそれなりの役職持ち。ただその分、敵も多い。不祥事を手ぐすね引いて待ってる輩も多そうだねぇ……婚約者とは事故で死別し、以来浮いた話は一つもない。でもああいう堅物で真面目そうなのほど、実は変態っぽい趣味持ってそうだよね」
「…………」
最後の言葉に物言いかけたが、なんとか留まる。そのせいで生まれた無言を怪しまれたくなくて、ひとつ気になったことを問いかけた。
「それ、本当に事故なのか」
「ん?」
「婚約者っての。本当に、事故で死んだのか」
するとユキの目が、探るように彼を見た。
が、この問いかけには何の裏もない。そのことに気づいたか、ユキはすぐにその目をやめてくれた。手帳を再度、何枚かめくる。
「婚約者の死因か。調査しなかったけど、気になるの? お友達の過去」
「友達じゃねェわ、あんな奴」
向こうが是非にと言ったところで、首を縦に振ることはないだろう。
「……ちなみに、魔法少女の正体とかは」
「さァて」
にんまりと歪む笑いは、すべてを見通した故のものか、それともただのハッタリか。
はたしてあの男とこの女、どちらが情報戦で上を行くのだろう。そんなことも思うが、今のスプートニクがそれを量るには、些か分銅が足りていなかった。
若干中途半端ですが続きます。すみません。




