4-2(11/1追加)
「男女同権って、大事な考え方と思うの」
「ハイ」
「男だけが、女だけが、なんて考え方は、このご時世ナンセンスでしょ」
「仰る通りです」
「でもね、私思うの。殿方には『優しさ』が必要だって。ね?」
「…………」
猫なで声で求められた同意。しかしスプートニクは何も答えられない。
「お返事は?」
やがて沈黙に飽きたのか、促すようにそう問われ。
スプートニクは絞り出すように答えた。
「……まったく、その通りでぐぎっ」
「わかってんならこんな夜中に働かせんじゃねェよクソガキ」
と。
散々迷って吐いた言葉すら噛んだのは、彼の頭上にユキの踵が降ってきたからだった。
――まるで死刑台に上る囚人のような心持ちでスプートニクが連れてこられたのは、予告通り、商会の第二応接室。彼はそこで、床に膝をついて座らされていた。
座した場所がソファでないのは、決して自発的な行動ではない。応接室にたどり着いて後、ユキの向かいに腰掛けようとしたところ、にっこりと微笑んだ彼女に一言「頭が高いんじゃない?」と言われたからだ。
あらやだついお口が、などと慌てた様子で手を口元に当てるが、その右足はなおスプートニクの頭上にある。
「だからね、スプートニク。管理担当としてじゃなく、あなたの『姉』としてアドバイスしてあげる。幾ら男女同権と言え、守られて嫌な女の子はいないの。だから、たまには女の子を守って差し上げることも必要だからね、覚えておきなさい。うふふ」
「……ハイ」
「さて、それじゃ本題に入りましょうか」
ようやくか、と。
安堵し油断した瞬間、脳天に踵をねじ込まれて不覚にも悶絶する。がユキは心配するどころか「やだ、面白い動き」ところころ笑った。
「さ、スプートニク。モップの真似なんてしてないで話し合いするよ」
「誰のせいだ……」
「これ、調査書。こっちが警察局と商会の調査で、そっちが私のね」
頭を抱えて蹲るスプートニクの隣に、紙の束が落ちてきた。
二つの束の厚みは倍ほど違い、伴ってターンクリップの大きさも違う。中身の違いは何なのだろう、と手を伸ばしたとき、
「へェ。拾うんだ。手で」
「……這い蹲って口で捲るのをご所望か?」
「冗談の通じない男の人って嫌い」
どこまでも人を虚仮にする奴である。
が、他の誰かならいざ知らず、これでは相手が悪い。この女に何かすれば、無事でいられないのはこちらの方だ。
深く息を吐くことで全てを諦め、書類を取り上げると机を挟んで向かいのソファに腰を下ろす。今度はユキも、何も言わなかった。
束の一枚目に書かれた文字はいずれも『調査書』、しかし筆跡が違う。薄い束の筆跡は初見だが、厚みのある方はユキのそれだった。――『本性』の方の。
「それ、例の詐欺事件の調査書。薄いのが警察局ので、厚いのが私のね」
「随分と厚みが違うんだな」
「そりゃ、警察局は所詮『公的』権力だもの」
恐ろしいことをさらりと言ってのける。『私的』――表から裏から手を伸ばさせたら、この女は警察局にも勝るのだ。
「ま、警察局の本部様が出張ってきたらどうかはわからないけど。たかが支部の一つ二つが情報戦で私に勝てると思って?」
「…………」
公的権力を鼻で笑うユキを見ながら、一度ナツとこの女を引き合わせてみたいものだ、と思った――が一瞬後、下手に意気投合されるとまずいことに気づいてその案を頭から打ち消した。
警察局リアフィアット支部の『敏腕警部』と、宝石商会長の『懐刀』。万が一手を組まれれば、面倒なことになるのは免れない。
「それにしても、よくこれだけの情報を集めたな。クルーロルさんがお前に話を振ったのは、ここ数日じゃなかったのか。それとも、もっと前に手紙でも?」
「お養父様から話が来たのは、三日前」
ユキはクルーロルのことを、商会の職員としているときは『会長』と、そうでないときは『お養父様』と呼ぶ。
「だけど情報収集はもう少し前から始めてた。目障りだったからね」
「ヘェ」
「ちなみにお養父様から『スプートニクの助けになってやれ』って言われたのは昨日の夕方」
「…………。ヘェ」
明らかな当てつけの言葉に、スプートニクはただ曖昧に頷くことしかできない。
はっきりしない返事はまたユキの怒りを買うだろうかと思ったが、今回は幸運にもそうならなかった。彼女は脇に置いていたバインダーを取り上げると、数枚捲って話し出す。
「フィーネチカ市で最近起きている詐欺事件。犯人は『クルーロル宝石商会所属のフェイリー宝石店』と名乗って商売を持ち掛け、客に前金で支払わせて、納品日には姿を消している――っていうのが手口ね」
「そんな胡散臭い宝石商に、よく前金で払う気になれるな」
「相場なら金貨八十から百かかるような品を、五十で請け負うとか言うらしいの。それも正規の店で見積もりを取った直後の人を狙って近づき、『申し上げにくいのですが、その金額は『ふっかけられて』いらっしゃいますね』、と。で、私のフェイリー宝石店であれば同じ品を幾らいくらで請け負いますがって言うの」
唇を尖らせ、下手な物真似で彼女は言う。
「しかも日を置かずに犯行を繰り返されたおかげで、クルーロル宝石商会が消費者に警告を出す暇もなかった」
「だから被害が拡大した、と」
「そういうことね。あァ、忌々しい」
ガリガリ、ガリガリとユキは右手の親指の爪を齧った。
親指の爪を噛むのはユキの昔からの癖だ。歳を重ねて再会したときには頻度は少なくなっており、矯正したつもりでいるようだが、苛立ったときはこうして再発する。
ユキの作ったという方の書類をめくる。そこには、犯人とされる男の本名、経歴、潜伏先の候補までもが記録されていた。
「犯人の目星はついているんだな。確保は?」
「明朝の予定。こういう輩は足が速い、夜に紛れて逃げられたら厄介だからね。あと……そうそう、確保は警察局がやってくれるはず。善意の市民の通報か、匿名の垂れ込みか、私の報告書を向こうがどう処理したのかはわからないけどね」
「じゃ、お前の仕事はもう終わりか」
「こればっかりは警察の仕事だから。あとは警察がへまをしないよう、裏から手を回すくらいかな。……でも本当、裏方って疲れるばっかりで。どっかで憂さ晴らさないとやってらんない」
ハァァ、と大きなため息をついた。『憂さ』が自分に飛んでくる確率を少しでも減らしたくて、スプートニクはつい首を竦める。
けれどユキは、今のところこちらへ何かをする気も、また何かをしてやる気もないようだった。
「と、いうわけで。生憎だけど私、忙しくて。アンタの方の案件には手出ししてる暇ないの」
「うえっ」
つい、苦い声が出た。
弟の情けない呻きに、姉の眉が寄る。
「大体、ひとつ聞きたいんだけど。現状アンタの方にどんな問題があるっていうの」
そんな風にこの女から言われてしまうと、問題など何一つないように思える――が。
窓を見る。カーテンが引かれているせいで外を見ることは叶わないけれども、夜がまだ明けていないことだけは明らかだ。
「婚約指輪を……明日の昼までに」
「え?」
低く答えると、聞き取れなかったかユキが少し身を乗り出した。
それを好機と、スプートニクは捲し立てる。件の詐欺師の代わりに指輪の制作をするよう頼まれたこと、期日が明日の昼だということ。すべて話して――証拠として、鞄の中からデザインの書類を何枚か出して見せる。
全て聞き終えたユキの様子は、先刻のクリューの表情によく似ていた。
目を見開き、口を開いて、いかにも驚いたというような素っ頓狂な声で言う。
「バカなの?」
「わかってる、そんなの俺だって無理だと思ったけど。何言ってもあっちが引かねェんだよ。で、結局」
「そうじゃなくて」
言い訳するような心持ちで応えるスプートニクを、しかしユキは遮った。そうではない、とは?
続く言葉を待つが、彼女は珍しく言葉を澱ませる。
「そうじゃなくて……なんて言ったらいいのかな……」
ああではない、こうでもないと、皺の寄った眉間に指を当て唸ってから。
「……そう。アンタってそんな馬鹿だったっけ?」
言い回しを変えただけだ。――いや。
主語が確定した。依頼主ではなく、『スプートニクは』馬鹿なのかと。
「断るわけにはいかなかったんだ。クルーロルさんの頼みだぞ」
彼女にとっての絶対的権力者の決定であると言えば、彼の名を出してしまえば、さすがの彼女も反論できまい。そう思っての発言だったが、思惑は外れた。
レンズの向こうの目を細め、にわかには信じがたいと言った様子で、
「お養父様が言ったの? 『彼の指輪を作ってやれ』って。確かに?」
頷きかけるが、その言い回しには少しの祖語があることに気付いてかぶりを振った。
自身の聞いた言葉を、一言一句正しく、伝えてやる。
「いや。――『あれの話を聞いてやれ。何とかしてやれ』って」
すると彼女は、一瞬の沈黙の後。
何も言わず、にっこりと笑った。
珍しくもひどく純粋で、慈しみさえ覚えるような表情で。
「……え?」
驚くスプートニクへ、彼女はただ、はっきりと告げる。
ひどく端的で、どんな子供にも解りやすいその一言を。
「スプートニクの、ばぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁか」
それはひどくわかりやすい、悪意と敵意の塊で。




