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「だからさっさと責任者出せっつってんだよオラァ!」
予想通り。
スプートニクとクルーロルがエントランスにやって来ると、受付嬢に対し怒声を浴びせる一人の男がいた。
受付嬢は「ただいま担当の者をお呼びしますので」と口ぶりこそ冷静で手引書通りに振舞ってはいるが、頬は青褪めていて痛々しい。
とはいえ先ほど足早に奥へ行く職員とすれ違ったから、きっと間も無く警備がやってくる。自分たちが何かをする必要はないだろう、そう楽観的に思いながらスプートニクは、隣で同じく動向を見ている商会最高責任者に話しかけた。
「クルーロルさん。お呼びですよ」
「私が行ったところで火に油を注ぐだけだ」
本気で言っているのか、とでも言いたそうな視線をスプートニクに向ける。まさか、とスプートニクは肩を竦めて見せた。
「というかクルーロルさん、そもそも今日はどうして支部に」
「支部検査だ。昨日と、今日。特に問題は見受けられなかったから、今回はもう引き上げる予定だった」
「……左様ですか」
偶然にもタイミングの悪いときに来てしまったものだ――と思ったが、考えてみれば今日を指定したのはあの女だった。とはいえ呼びつけたのは『不正』の目隠しの為というよりは、成る丈 養父に会いたくなかった、関わりたくなかったからというだけの理由だろう。スプートニクの目からして、彼らの親子仲は特別不仲であるというわけではない。が、恐らくこの人はあの女の本質を見抜いている。商会でああして過ごしている彼女としては相当やりにくかろう。
そんなことを考えていると、不意に男の顔がこちらを向いた。
「何見てンだオラァ!」
そして当然と言うべきか、見つけた第三者に声を張り上げる。
救いを求めるように受付嬢の視線が動き――そしてその先に、よく見知った人を見つける。受付嬢は、縋るようにその人を呼んだ。
「商会長!」
――馬鹿!
受付嬢の失態を、スプートニクは、心の中だけで罵る。
口にしてしまってから、気が付いたようだ。はっと口を押さえるが時遅く、男の目は狙うべき獲物を知ったとばかりにクルーロルに焦点が合う。大股でずかずかと、こちらに向けて歩いてきた。
取引先の上役が正体不明の男に詰め寄られるのを横でぼうっと佇んで見ているというのは、楽ではあるが社会人としては宜しい態度とは言えなかろう。スプートニクはため息をつきながら、クルーロルの前に出た。
「持っていてやろうか。鞄」
「結構です」
背中から掛けられた低い声は、気遣いでなく、きっと中身が『まっとうなものでない』と予測をつけた上での言葉だ。だからこそ眉ひとつ動かさずそう返し、こちらに歩み寄ってくる謎の男を真っ直ぐに見る。
男もまた、立ちはだかったスプートニクを不快そうに見た。
「ンだテメェ。退けよ」
「お……それ入ります。受付の方がお困りのようでしたので、宜しければ落ち着いたところでお話を」
おいコラ誰の許可貰って他人の職場で調子扱いてンだテメェ――言いかけた言葉を直前で、場に合わせて切り替え、愛想笑いなど浮かべつつ挨拶を口にする。
しかし男はその躊躇いを、怯えからくるものでも思ったのか。スプートニクに顔を寄せ、
「るっせェよそこ退けっつってんだ、テメェに用はねェんだよ!」
そして。
男の右手がスプートニクの胸ぐらをねじり上げたその瞬間が、合図となった。
「正当防衛ですからね」
念を押すように一言呟いてから――男にではない。背後に向けてだ――スプートニクは、眉を寄せて男を強く睨みつけた。
それに男が怯んだかどうかは定かでない。スプートニクの変化に男が反応するより早く、男の右肘の内側を掴んで左手で外へ強く押しやった。姿勢が揺らいだところに今度からこちらから胸元を掴んで引き寄せ、鞄の角で頭を打ちつけると、男は短く悲鳴を上げる。
容赦はしない。そのまま手早く男の両腕を掴んで背中に回させるとそのまま床へうつ伏せに押しつけ、馬乗りになる。ギャアギャア騒ぎながら両足をばたつかせる男の、足の腱でも切ってやれば少しは静かになるだろうか、と思うがそれをしたら流石に過剰防衛と言われるだろう。時と場合によってはそうもしたが、こうも人目のある商会エントランスでは、分が悪い。
だから、代わりに。――踵を振り上げ、男の頭に落としてやる。男の背に尻を乗せているせいで体重を乗せることは叶わず、腿の筋力だけで放たれたそれであったが、それなりに効いたようで、煩かった男の足は即座に静かになった。
目には目を、足には足を。そんな諺があったかどうかは忘れたが、物理的説得を聞き入れてくれたようで何よりだ。
そのとき、ふと。
「ん?」
誰かに名を呼ばれたような気がして、スプートニクは顔を上げた。周りは既に何人もの野次馬がいた。もしかしたらその中に、スプートニクのことを知る誰かがいるのかもしれないが、地べたに――正確には男の上だが――座った姿勢からではよくわからない。
よってその知り合いを探すのは諦め、改めて男を見る。気絶でもしたかと思ったが、目は肩越しに、きちんとスプートニクを見ていた。瞳孔も開いておらず、意識はあるようだ。幾分怯えの色が含まれているようにも思えるが、それは自業自得として。
「人の一張羅に皺つけやがって何様のつもりだ。洗濯代請求すんぞ、オラ」
「ヒッ……」
腕を締め上げ、睨みつけると男は一瞬、身を竦める。しかしすぐさま調子を戻すと、開き直ったようにこう叫んだ。
「お、お、俺は、俺は被害者だぞ! お前らに騙された被害者だ!」
「はァ?」
なんとも頓珍漢なことを言う奴である。頭を打ちつけすぎたろうか。
「何言ってんだ。先に俺に手ェ出してきたのはそっちだろ」
自身の被害者ぶりを踏ん反り返って主張する奴に碌なのはいない――いや反り返ってはいないが、例えとして。商人としての経験から、そのことは明らかだった。
こうなったら、昏倒させ黙らせてしまった方が、無駄口を聞かなくて済む上、連行の手間も省けるのではなかろうか。そう思い、スプートニクはもう一度足を振り上げる、が。
「やめろ、スプートニク」
低い声が彼を制止した。誰のものか考えるまでもなく、反射的に体が動きを止める。
これではまるで、リードに繋がれた犬のようだ。骨の髄まで染み込んだ自身の首輪に反吐が出るような思いを覚えながら、振り返り、声の主を見上げた。
「何故です。面倒は少ない方がいい」
「いや。もしかしたら――」
そのときになって、ようやく。
バタバタバタ、と慌ただしい足音がして、ようやく警備が来たことを知る。「警備の手際は再考の余地があるな」とクルーロルが呟いた。
警備の制服を着込んだ男性が、三人。拘束が解けぬよう留意しながら、スプートニクはそれを彼らに引き渡す。彼らは「協力を感謝します」と言うと、男の両腕を持って立ち上がらせた。
すると、また往生際悪く男が暴れ始める。「俺は被害者だぞ!」と叫びながら。
無論のこと警備等はそれに答えようとはしないが――
そうこうしているうちに男性が更に二人、廊下の奥から現れた。格好からしてこちらは事務員だ。異状の報告を受けてやって来たのか、クルーロルの姿を認めると、慌てたように駆け寄る。
「商会長! お怪我は」
「ない。――おい、そいつを連れていくのは少し待て」
クルーロルの身を案じたのは、恐らくは彼の部下だろう。スプートニクより遥かに近しい存在であろうに、答えはひどく素っ気なかった。命じられた警備は男の両脇を抱えたまま、クルーロルを向く。
クルーロルはその鋭い三白眼で、抱えられた男を見た。
「宝石商の詐欺に遭ったか」
「……そうだ」
答えは、呻くような、こちらの出方を伺うようなそれだった。
スプートニクも警備も、例の男すら動けずにクルーロルの続く言葉を待つ。
彼の『決定』が下されるまでに、さほどの時間はかからなかった。クルーロルの、瞳だけがのっそりと動いてスプートニクを見る。
何か、とやはり視線だけで問いかけると、クルーロルはこう言った。
「スプートニク。あれの話を聞いてやれ」
「ハァ?」
つい、素っ頓狂な声を上げた。
「何とかしてやれ。私の『懐刀』を貸してやる」
「嫌ですよ。なんで俺が」
突飛な案に、つい一人称が素に戻る。
フトコロガタナ。何を指すのか、想像するのは容易だった。確かにあれが使えるのなら便利は便利だろう――しかし。
スプートニクの眉が寄る。いずれにせよ自分は、クルーロルの部下ではないのである。諸々の後ろ暗さに付け込まれて謎の男の確保などという真似をやってのけてしまったが、本来これは、一介の宝石商がすべき仕事ではない。ましてや、詐欺? 同業の犯した罪の尻拭いなど、商会はともかく何故自分がする必要があるのか、と。
不満に耐え切れず抗議しようとする、が。
「私の『頼み』が、聞けないか」
クルーロルはそれすらも見抜いていた。見抜いていて、それへの対策もまた、既に立てていたのである。彼の視線が、スプートニクを導くようにゆっくりと移動する。それを追って見やり――
ため息が出た。
他でもない、自身の馬鹿さ加減にだ。
そこにいたのはクルーロルの部下の一人だった。睨みつけると驚いて目を丸くし、後、怯えるように首を竦める。しかし苛立ちを覚えたのは、正確には彼にではない。彼の、その手にあるものへ対してである。或いは、自身の散漫な注意力に。
そうだ。確かに、手放していた。抵抗する男の確保の最中、いたく邪魔で。
「さて。どうする?」
どうするも、こうするも。
本当にこの父娘は、人に選択権を与えない。彼の部下に握られた、『例の書類の入った鞄』を恨みがましく睨みつけながら、スプートニクは言い捨てた。
「……応接を一部屋。お借りしますよ」
クルーロルは「渡してやれ」と顎を軽く動かした。部下の方は中身に気付いてはいないのだろう、怪訝な様子で、鞄を差し出す。スプートニクはそれを、奪うようにして受け取った。
「検査項目の見直しが必要だ。事務も、警備も」
そう言ったクルーロルの口の端には、珍しくも笑みが滲んでいた。




