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宝石吐きの女の子  作者: なみあと
Ⅳ 宝石商会
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2-1(8/16追加)




 ことの始まりは十日ほど前。――と、クリューは思っているが、スプートニクが『それ』等を前に唸っていたのは更に前からだったから、実際に始まっていたのはもっと早くからだったのだろう。けれどもそれに関してスプートニクが彼女に話してくれたのはその日だったから、クリューにとっての始まりはやはり、その日で間違っていなかった。

 その日、クリューが昼休憩を終えて店に戻ってくると、丁度郵便屋の青年が、午後の便を持ってきたところだった。

「あっ、こんにちは」

「こんにちは。郵便です」

 いつものように受領証にサインをして受け取る。今回の郵便物は二通で、片方は白く、片方はクリーム色をしていた。クリーム色の方は浮き張りと箔押しの飾りのある鮮やかなもので、白い方は端に一つ、浮き張りがされているだけのシンプルなものだ。

 そしてそのうち白い方は、クリューにも見覚えがあった。

「二通でしたっ」

「あァ」

 次の配達先へ向かう青年を見送ってから、受け取ったそれがいずれも『スプートニク宝石店店主スプートニク様』宛であることを確認し、カウンターの中でぼんやり本を読んでいるスプートニクへ渡す。

 と、スプートニクの表情が曇った。それはクリューの対処に問題があったというわけではなく、届けられた郵便物のせいだろう。そして恐らく、彼の気に障ったのは二通のうち白い方――

 かと思ったが、彼がまず開封したのは、クリーム色の方だった。封蝋シーリングワックスにて閉じられた封筒の端にペーパーナイフを入れ、素早く切って中身を取り出すと、灰の瞳を忙しなく動かして文を読む。間もなく読み終えると、彼の眉間の皺は更に深くなった。

「あの。どうかされたんですか、その郵便」

「うん? いや、まァ」

 そろそろ聞いてもよかろうと、声を掛ける。と彼は曖昧にもごもご何かを言った後、悩むように腕を組んだ。どう話したものか迷っているようである。

 暫く黙ったあと、スプートニクはもう一つの、白い方の封筒を手に取りながら、こう言った。

「近いうち、商会に行こうと思ってな」

 その言葉に何も覚えなかったと言ったら、嘘になる。

 白い封筒の緘印は、スプートニク宝石店が所属している商会――クルーロル宝石商会の印章であることを、クリューは知っていた。そして、ここ最近頻繁に送られてくる商会からの郵便にスプートニクが毎度唸っていたことと、以前から延ばし延ばしになっていた商会訪問が未だ為されていないことも、また。

 だから彼の言葉に「そうですか」と答えながらも、やはりかと思うところは大きかった。しかし予測ができていたからといって、何も覚えないのとは違う。また数日間、一人で留守番をしなければならないのかと気が重くなった――が。

 クリューのその思いは、続いた彼の言葉によって、すぐに打ち消されることになった。

「ただ、今回はお前も連れて行きたくて」

「……えっ?」

 予期しなかったそれに、つい素っ頓狂な声を上げてしまった。

 一体どういう風の吹き回しだろう。思わず、聞き返す。

「私も、ですか?」

「あァ。店を数日、休みにして。……一応、お前のことは従業員として登録してはあるんだけど、正式に商会へ連れて行ったことはなかったろう? 顔見せも兼ねて、案内をしようかと」

「い、行きます。行きたいですっ」

「思ったん、だが」

 勢い込んで返事をしたが、スプートニクは逆説を強調して続ける。クリーム色の封筒を振りながら、彼はクリューにこう言った。

「コレ、宿屋からの返事。予定している日の空室状況を聞いたんだが、シングルは一部屋しか空きがないそうだ。ツインなら用意出来るってんだけど、まァ……良くはないからなァ」

「え、あ、あの、あのっ」

 それに続く言葉がクリューにとって面白くないものであることは容易に想像出来た。だからこそ遮って、もう一度希望を伝える。

「い、行きたいです。連れてってください」

「人の話聞いてンのか。部屋が準備できないんだって」

「二人部屋でもいいですっ。わ、わた、私、頑張っておはようとおやすみのちゅうしますからっ」

「要らん」

「えっと、あと、腕枕もしてあげますからっ」

「ますます要らん」

 精一杯の誠意を伝えたつもりだったそれは、しかしたったの一言で切り捨てられてしまった。希望の通らない現状につい、頬が膨れ――そのときふと、一つのことを思い出す。

「ていうか、昔は私、スプートニクさんと同じお部屋で寝泊まりしてたじゃないですかっ」

 彼に『雇われ』たばかりの頃、まだクリューが身の回りの何一つすら自分でできなかった頃の話ではあるが、あの頃は確かに彼と同じ部屋で寝泊まりをしていた。夜闇と自身の記憶に怯えるクリューの隣に、一晩中いてくれたのだ。

「勿論プライバシーとかそういうのあると思いますから二部屋取れるならそれに越したことはないかもしれませんけど、他に手がないのならやむなしだと思いますっ」

「うゥん」

 唸ったところを見ると、彼の中にもその考え方はあったらしい。あまり情操教育に宜しいことではない、などとぶつぶつ呟きながら暫く諸々と考えていたが、他に良案は思いつかなかったようだ。独り言をやめると、深く長いため息を吐いた。

「……朝、早いぞ」

 低い声で、呟くように言った。

 突然のそれに一瞬惚けてしまったが、誰に向けられたものかは明確である。クリューはすぐ我に返ると、首を何度も縦に振った。

「前の晩は早寝します。目覚ましもたくさんかけます」

「馬車は尻が痛くなるぞ」

「一番ふかふかのクッション持っていきますっ」

 と、スプートニクは、観念したように首を垂れ。軽く後ろ頭を掻きながら「仕方ないか」と呟くと、顔を上げた。そしてようやく、商会からの手紙を開ける。

 ざっと目を通してからクリューに向けて文面を翳し、そして言った。

「管理担当とは、十日後の午後に約束を取り付けた。出発は十日後の早朝になる。――着替えと小遣いその他諸々、忘れ物ないように準備しておけよ」

 その瞬間、まるで世界がぱあっと明るくなったように思えた。

 久しぶりの遠出である。おやつはどのくらい準備しようか、お弁当は一つで足りるだろうか、いやそれよりも格好はどうしよう。商会に行くのだから、彼の従業員として恥ずかしくない服装で伺わなければならないが、あまり背伸びをしても浮いてしまうだろうか。近いうちに服屋と靴屋と帽子屋に行って、それから図書館でマナーの本も。あとはその街の特色と観光名所も調べて。たくさんのするべきことが、高揚感とともにクリューの心に泉のように湧いて止むことがない。ああ、まずは何から始めよう!

「クー。返事は?」

 目の前のスプートニクをはっと見る。彼女の浮かれぶりに呆れているのか、彼は苦笑いを浮かべていた。仕様のない奴だ、とでも思っているのかもしれなかった。

 けれどそれでも、浮き立つ気持ちは押さえきれない。

 クリューは綻んだ頬のまま雇い主を真っ直ぐに見ると、元気良く返事をした。

「はいっ!」

 きっと楽しい旅路になると、信じて疑わなかった。

 ――このときは。






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