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「ついに経営が立ち行かなくなったの?」
朝靄煙る街の中、一番に聞いた言葉は、ひどく縁起の良くないもので。
そしてついでに、心から会いたくない人のそれだった。
前もって手配しておいた馬車は、朝早いというのに有り難くも時間きっかりに来てくれた。
車内に二人の荷物を放り込み、それからクリューが乗り込んでいく。クリューの身長に対しては比較的高めのところに設置された足場にやっとこ足をかけ、なんとか車内に乗り込もうとする彼女の姿を眺めていたそのとき、スプートニクにとってはまったく面白味のないその言葉が投げかけられたわけである。
視界の端に女の影が映り、一瞬にして表情が嫌悪に歪むのを自覚する。相手にしたくないという思いが心の底から湧いてくるが、売られた喧嘩を買わないのは彼の信条に反していた。引きつった頬に無理やり笑みを浮かべて、彼女――警察局リアフィアット支部所属警察官ナツに向けてみせる。
「おォババァ。年寄りは朝早いって本当なんだな、こんな時間から徘徊か?」
と、彼女のこめかみもまた同じように筋張った。眉根が寄り、瞼がひくひくと揺れる。
「徘徊とはご挨拶ね。我々警官は治安維持のため、朝も夜も働いているの。誰かさんみたいな不埒な輩が朝晩問わず街をふらついているせいでね」
「ほーォ成程。善良な一商人を捕まえちゃァ喧嘩吹っかける誰かみたいなのが蔓延ってる街の治安維持は、さァァぞかし大変なことでしょうねェ」
「大変そうだって配慮するだけの心があるなら、せめて活動時間を九時五時にするとか努力したらどうなの? 捗るわよ、主に私たちの仕事が」
「残念だがそれじゃ俺の仕事は捗らねェんでな。まァ安心しろ、当店は数日間休業だ、テメェの仕事も少なくなるだろ。業務縮小と人材削減で、俺が帰ってくるときまでにお前が解雇させられてればいいんだがな」
と、彼女はひどく意外そうにスプートニクの言葉を繰り返した。
「休業?」
訝しげに眉を顰める。そして、
「夜逃げじゃなくて?」
何故この女は息をするように人の気に障ることを言うのだろう。怒りに熱を帯びる頭の中、何か言い返してやりたくて口を開く、と。
「あっ、ナツさんだ」
そのとき、場の緊張感に欠片も合わぬ、弾んだ声がした。
そちらを向くと、ようやく馬車に乗り込めたクリューが窓から顔を出していた。佇む友人の姿を見つけて、花のような笑顔を浮かべている――つい先ほどまで目を擦り擦り、眠ったような顔をしていたというのに。
「おはようございます。こんな朝からお仕事ですか、大変ですね」
「おはよ。クリューちゃんも今日は早いのね?」
「はい、お出かけなんですっ」
彼女は大きく首を縦に振ってナツの問いかけに答え、そしてナツもまた――スプートニクに向けるのとは似ても似つかぬ――友好的な表情を作る。
「そうなの。気を付けて行ってらっしゃいね」
「はいっ。ナツさんにもお土産買ってきますから、楽しみにしててくださいね!」
「クー。遊びに行くんじゃねェぞ、あんまり浮かれるなよ」
釘を刺すように言うと、クリューはえへ、と首を竦めた。拍子に、数日前に購入したという帽子の造花がふわりと揺れる。この分では仕事であるという認識はさほどなさそうだが、致し方あるまい。何しろ彼女にとっては、久しぶりの市外だ。
クリューへの説教はやめ、スプートニクは改めてナツを見た。
「というわけで、俺たちは数日間出かけるが。帰ってきて空き巣にでも入られてたら『リアフィアット市の警察は無能だ』って言いふらしてやるから覚悟しておけよ」
「安心なさい、アンタみたいなのの家でも分け隔てなく守ってやるのが警察なの。そっちこそ、出掛けた先でクリューちゃんに何かあったら承知しないわよ」
「わァってる」
朝も早いというのに、相変わらず口煩い女である。
付き合っているのも面倒になって、スプートニクもまた馬車に乗り込んだ。扉を閉めてクリューの向かいに座り、空けた窓に腕を置く。
そして、何か言いたそうにこちらを見ているナツを見た。と、彼女は唇を尖らせ居心地悪そうに、ぼそぼそと、まるで言い訳でもするかのようにこんなことを告げる。
「本当は、アンタにこんなこと言ってやるのも嫌なんだけど、一応。……気をつけて、行ってらっしゃい」
まったく、可愛くない正義漢である。
彼女の素直でない見送りの言葉に、吹き出しそうになるのを堪え、精一杯不機嫌そうな表情を作って答えようとする――が、失敗した。返事の端に、つい堪えきれぬ笑みが滲む。しかしその表情にスプートニクの余裕でも見たか、ナツもまた、困ったように笑った。
「どォも。精々本業果たしてくらァ」
ナツが馬車から半歩、離れる。スプートニクは懐から時計を取り出して、針を見た。
そろそろ良い頃合いか。落ち着きなく馬車の中を見回しているクリューへ尋ねる。
「忘れ物はないか」
「はいっ」
愛用の鞄を胸に抱き、彼女は元気よく首を縦に振った。
ならば良い、出立だ。出してくれ、とスプートニクが御者に向け声をかけようとした――しかしそれを遮って。
「そうだ。結局あなたたち、どこへ行くの?」
なんとも今更な質問が、窓の外からかけられた。が、思い返せばそうだ、ナツには行き先を伝えていなかった。
別に彼女に行き先を残す必要はないのだが、まあ、言っておいて特別損はないだろう。万が一、店に何かあったときの保険にもなる。大口を空けてあくびをする従業員を横目に見ながら、スプートニクはナツの問いに答えた。
「商会まで」
リアフィアット市は大陸東部に位置する、ルカー街道の宿場町として栄えた中程度の街である。
年間を通して温暖な気候から、多種多様な果物・花卉の産地としても知られているその街は、魔女協会の支部こそなけれど警察局の治安維持活動は非常に優秀で、未解決の事件はゼロに等しく、とても暮らしやすい土地だ。
そんな街の片隅に、店員二名の小さな宝石店があった。――『スプートニク宝石店』。
お久しぶりです。お気に入り登録、評価等、ありがとうございます。
また少しずつ続きを初めて行こうと思います。
以前少し話した「スプートニクの正装話」から転じて「宝石商会の話」をしようと思います。
週一更新を目標に、もしかしたら不定期になるやもしれませんが、よかったらどうぞお付き合いください。




