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宝石吐きの女の子  作者: なみあと
Ⅲ はじめてのおつかい
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8-1(7/12追加)



 目を閉じたクリューの呼吸が、深く遅くなったのを確認して。

「寝たか」

 スプートニクは彼女の頭を静かに持ち上げ、その下からそっと、自身の腕を抜いた。

 人の頭というのは結構重く、長らくの腕枕はなかなかにして疲れるものである。抜いた腕の代わりに予備の枕をひとつ差し込んで、そこに彼女の首を下ろす。頭を動かされた違和感のせいか、クリューはもごもごと呟いた。

「……そうです、私こそがかの有名なスパイ、クリューでひ……う」

「有名な密偵スパイって無能じゃねェか」

 指摘するが彼女は気にした様子もなく、また暢気な様子で寝息を立て始める。一体どんな夢を見ているのだろう――想像に難くないが。 

 時折ぴくぴく痙攣している指から本を取り上げ、代わりに兎のぬいぐるみを近づけてやる。と、彼女は口の端を嬉しそうに歪めてそれを抱きしめた。

 まったく、間抜けな顔で眠る子供である。自身がどれだけ貴重な存在であるか、そのせいで雇い主がどれだけ精神をすり減らしているか、わかっているのだろうか? 栗色の長い髪を指で梳きながら思い、つい自嘲的な笑みが湧く。わかっていないのは当然だ、わからせないようにしているのだから。

 子供には子供の世界があって、子供なりに悩まなければならない問題がある。大人の世界のことを垣間見る余裕も、悩む暇もないはずだ。

 だからこそ。――『これ』は、彼女が知るべき問題ではない。

 思い、スプートニクは天井を仰ぐ。

 ――天井に張り付いた黒い影が動いたのは、その瞬間だった。

 黒いローブを纏った人の影。それは暗い天井から、スプートニクへと手を向ける。黒から出でる白い指先から、ほろほろと零れる光の雫。その正体を、彼は知っていた。

 それを見て、スプートニクはクリューの上に被さった。衝撃で起こさないよう、触れないように留意しながら。やがて攻撃が来るだろうことを認識しながら、しかしスプートニクは目を閉じることなどしない。視線で敵が死ぬことはないが、怯ませることくらいはできるのだ。眉を寄せ睨みつけてやると、思ったとおりそれの差し伸べた手が小さく震える。その隙に彼は、枕の下に手を入れて、指に触れた硬いものを掴んで引き出した。

 現れたものはよく研いだ細身のきさげ。彼の使い慣れた道具であり、身を守るための武器である。相手はまさか寝具の下からそんなものが出てくるとは予想していなかったのか、動揺したらしく、舞っていた光の粒が弾けて消えた。

 影に向け、ニタリと深く、笑ってみせる。

「こればっかりは、旅商人の頃の癖が抜けなくてねェ」

 治安の悪い地方では、宿ぐるみでの犯罪も珍しくはなかった。旅人が寝入った頃部屋に押し入り、身包み剥いで放り出すといった手口。彼にはそれを撃退する術として、常に枕下に数本の武器を忍ばせておく癖があった。そうして制圧した強盗たちにスプートニクが一体何をやってのけたか――言うまでもない。

 生まれた隙を逃さない。スプートニクはクリューの掛け布団を少し引き、彼女の耳元まで覆ってやる――防御というより防音として。無駄な騒動を彼女に悟らせたいとは思わなかった――と、自身の枕を取り上げて天井の影目掛けて投げつける。命中こそし損なったが、影は空中で姿勢を崩し、ベッドの脇に落ちた。衝撃は魔法で緩和したのか音はしなかった。

 ベッドのバネを利用して跳び、投げた枕を空中で掴んでもう一度、影に向けて叩きつける。それは起き上がりかけた影の頭に見事に命中した。

 枕と言えど、油断したところにもろに受ければ衝撃はある。影の、ふぐ、だかむぐ、だかいう声を聞きながら膝を使って音もなく着地、身を低くした姿勢のままでそのまま蹴りを放つ。影は紙一重で後退してかわしたが、スプートニクがそれをおめおめ逃がすはずはない。放った足を床に突くと更に一歩踏み込んで距離を詰め、影を追い。影は再びスプートニクへ手のひらを向けるが、彼は左手の刮でその手の肉を易々と切って見せた。

 勿論、刮は刮である、軽く振るった程度で指を切り落とすほどの効力はないが、怯ませるには充分だった。

「ぐァっ――」

「静かにしろッ」

 彼女が目を覚ましたらどうする。

 悲鳴を上げる影に、低い声で告げる。どちらが侵入者だかわからない呟きだという自覚はあった。が、侵入者に配慮してやる義理もなければ、優しく忠告してやる義務もないのである。ローブのフードを剥ぎ取り、髪を握ると床に押し当てた。『彼』はあらわになった顔をいかにも痛そうに顰めるが容赦はしない。うつ伏せになった彼の背に膝を起き、更に握ったままの髪を引いて喉を反らせる。

 刮。確かに振るった程度では、少々指を切る程度の殺傷力しかない。

 しかし。

「動くな」

 尖った先で柔いところでも突けば、それなりに深く行けるのだ。

 その先を喉の奥、右顎の下にひたりと当てて、スプートニクは呟いた。

「命が惜しければ、動くな」

 人体で一番制圧しやすいのは喉、昔誰かがそう言っていたことを思い出す。はて、誰の台詞だったろうか――考えてみるが発言者を思い出すことは出来なかった。ただあまりいい印象ではない気がしたから、どうせろくでもない奴の言ったことなのだろう、多分。

「手を組んで、首の後ろへ。無駄な動きはするなよ」

「……そこまでさせるゥ? あ、痛てて」

 黙ったままでいた彼が、ようやく口を開いた。

 文句を言いながらも命令通り首の後ろで手を組む侵入者――魔女協会コークディエ支部副支部長。名を、ソアランといった。いつかの変態じみた格好ではないことはまだ救いだが。

「ていうか君、あの状態で敵にメンチ切る奴がいるかい。普通ぎゅっと目を閉じて身を丸めるとかさァ……それで怯んだらいきなり刃物取り出して枕投げつけるとか、スプートニク、君、好戦的にも程があるんじゃないの」

 天井の彼を睨みつけたことを言っているのだろうが、なんとも甘いことを言う奴である。むしろ、この程度で済ませてやったのだから、感謝こそすれ苦情を言われる筋合いはない。

「扉から入ってこない訪問者が歓迎されるわけないだろう。前にも言ったはずだぞ」

「君と俺の仲じゃないか」

 碌な仲になった覚えはないのだが。

「ったく、面倒な登場しやがって。さっさとモノ置いて帰れ」

「こんな拘束されてちゃ出せるものも出せないよ……ぐェ」

 その背に思いきり膝をねじ込んでから、退く。背骨を押された痛みに、彼は蛙の潰れたような声を挙げた。

 首後ろに組んだ手を解き、その手で背を擦りながら「まったく人としてまっとうな扱いもしてくれないのか」と呟き緩々と立ち上がる。壁を背に、胡坐を掻いて座り込むと、握られ荒れた髪を手櫛で直した。

 腕組みをして見下ろす彼に、ソアランは人好きのする顔で、いつかのようににっこりと笑った。

「改めましてこんばんは。君に頼まれた仕事をこなして来たよ、ほい」

 ローブの下から何かを取り出し、ばさ、とスプートニクの足元に放り投げた。現れたものは、冊子が幾つか。一番上に重なったそれの表紙には、『医学』と書かれている。

 ――本日スプートニクが仕事の後に会う予定だったのは、一人の女医だった。スプートニクは、別の街から仕事上の理由でこの市を訪れたというその女と、話をする約束を取り付けていたわけである。勿論医学の知識を請うのが目的であったけれども、彼女が望むのであれば、酒始め諸々の『サービス』は、先方の満足が行くまで振舞うつもりであった。それで知識が得られるのであれば、安いものだ。

 けれど。スプートニクの予定、というか気分が変わったのは本日夕刻のことだった。客先に伺い後、明らかにクリューが挙動不審な様子を見せたせいである。その理由はなんとなく知れたし、またつまらぬことではあったが、それでも、いや、理由が理由だからこそ、彼女を家に一人で置いておくのは気が引けた。

 客先での仕事ののち、適当なことを嘯いて、クリューと別れ。予定のキャンセルをしようと、相手との待ち合わせに向う――その途中、彼の前に現れたのがこの魔法使いだった。

 何か話があるとかでスプートニクを尋ねて来たそうだが、スプートニクにとって彼の『話』はどうか知らねど、『存在』は渡りに舟であった。話なら後で聞いてやるから、自分に化けて今から言う相手に会いに行け、そして適当に話を聴いて、後で話して聞かせろと命じたのである。

 言われた直後のソアランは意味がわからなかったようで目を瞬かせていたが、約束の相手に実際に会って話をしてきた今、どうやらすべての事情は飲み込めたようだった。

「諸々誘われたけど上手いこと断ってきたよ。睡眠導入剤ミンザイ使ってね」

 諸々。約束を取り付ける際に一度あの女に会っていたことから、何を請われたか想像は硬くなかった。舌なめずりをするような、上目遣いのあの視線。

 薬は『上手いお断り』の方法に入るのだろうか、魔法使いならそれらしく魔法でも使ってくれば良かろうに――などいろいろな指摘を思いついたが、面倒なのでスルーする。

「勿体無いことしちゃったかな」

「あァ、お前は不犯主義なんだったか」

 この男は婚約者を亡くして以降、ずっと喪に服しているのだということを思い出す。

 となれば婚約者以外の女には手を出すことはないのかと考えたが、しかしソアランは、にっこり笑って首を傾げた。

「ん、俺そんなこと言ったっけ? 単純に好みじゃなかっただけだよ」

 俺可愛い系のが好みなんだァ、などと言ってへらへら笑う。こいつの元婚約者とはどんな人間だったのかが、少し気になった。

 それはともかく。

「いい情報が引き出せるなら、もう少し『懇ろに』接待して差し上げても良かったけど、あの程度の医学者じゃ、まァその程度が関の山かな」

「成る程」

「しかし女医ってのは皆ああして色事に興味を持つものかい。色仕掛けに色仕掛けを重ねられて、内心びっくりしたよ」

「まさか。女だっていろいろいる、一概にどうとは言えないさ」

 足元を見て大金を要求してくるのもいれば、身持ちが硬すぎて話すら聞けない奴もいる。口の緩そうなのもたまにいるが、そういうのには最初から依頼をしない。この男の、人を見る目がどうか詳しくは知らないが、魔女協会という集団の中で今の地位に至るまで伸し上がった経歴の持ち主である、まったくの無能ではないだろう。

 いろいろと骨を折ったようだが、ご苦労、とは言ってやらなかった。「力になろう」と言ったのは彼の方だ。

 冊子を開く。薄暗いせいで碌に読むことは出来なかったが、見慣れた単語のいくつかはわかった。傷、疾患、体質、命――結石。

 それに気を取られていたせいで、油断をしていた。

 壁を背に座ったままのソアランが、ぽつり、と彼に問いかける。

「彼女の体質に悪化はないかい」

 今のところは、とつい正直に答えかけて、けれどなんとか直前で持ちこたえる。

 冊子から顔を上げ、胡坐を掻いた魔法使いを睨みつけた。

「何のことだ。うちの従業員は健康そのものだ、縁起の悪いことを言うんじゃねェ」

 と、ソアランは呆れたような表情をした。唸るように、「あくまでもしらを切るつもりかい」と言う。

「言質を取られまいとする姿勢は確かに見上げたものだと思うよ。でもね君、俺は君の力になろうと言っているじゃないか。悩みは人に吐くと楽になると言うし、少しくらいは情報開示したところで、君の不利益には――」

うるせェ」

 ソアランの説得を、黙って聞く間も惜しかった。

 手っ取り早く口を噤ませるため、スプートニクは机の一番上の引き出しを開けると、中から目盛りの突いた金属棒を取り出した。先が細く、後ろはやや太く作られているそれは、リングサイズ棒――指輪のサイズを測るための道具である。アルミニウム製のそれは強度はそれほどあるとは言えず、人を殴るには向かないが、『脅し』には使えた。

 握った棒の先を、彼の腹あたりに向ける。怒りに頬を引きつらせ、口煩いその男を見下ろしながら、スプートニクは苛立ちを隠さぬ声音でこう言った。

「テメェのケツの穴、どこまで拡張してほしい」

「ごめんなさいもう言いません」

 明かりに乏しい部屋の中であったが、慌てて両手を背に回した彼の顔が怯え、青褪めているのがはっきりとわかった。

 ――この男を信じていないわけではないのだ、けれどそれでも。

 クリューのことが魔女協会やつらに漏れる確率は、少しでも減らしておきたかったのである。




(続く)





 昨今頻繁に区切れが良くないところで切ってしまい、すみません。続きます。



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