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宝石吐きの女の子  作者: なみあと
Ⅲ はじめてのおつかい
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7-3(7/5追加)




 ラザニアを平らげ、ついでにデザートとしてゼリーもひとつ食べ終えて。

 歯をしっかり磨き終えると、クリューはぬいぐるみと自身の勉強道具――以前にスプートニクから借りた書籍『はじめてのほうせき』――を抱いて、再びスプートニクの部屋を訪れた。

「お邪魔しまぁす」

 挨拶をして、鍵の掛かっていない戸を開ける。廊下の木箱と本はすべて綺麗に片付けられ、またクロゼットもきっちりと閉められている。スプートニクの姿もないが、彼はどこにいるのだろう? クロゼットの中に隠れて驚かすような真似をするようには思えないし。

 それではどこに。見回すと、一番奥の戸が少しばかり開いていることに気づいた。スプートニクの勉強部屋兼、寝室。

 中を伺うと、彼はベッドに横になって何かを読んでいた。本かと思ったがそうではない、折り目のついた紙数枚、そして枕元には便箋一枚。どうも手にしているそれは、手紙のようである。

 枕元の灯りを頼りに無表情でふみを読んでいた彼が、不意にこちらを向いた。クリューの姿を見ると「お、来たか」と起き上がりかける、が。

「うごくなー!」

 クリューはそれを許さなかった。一声叫ぶ。彼はその勢いに押されてか、それとも言葉に従ってかはわからないが、身を起こしかけた姿勢のまま制止した。

 その隙にクリューは急いで駆け寄ると、ぬいぐるみと本をベッドに置いて、追って自身がベッドの上に登る。そしてスプートニクの脇に寝転がると、彼の腕に頭を乗せ、また肩に頬を寄せながらもう一度言った。

「命が惜しければ、うごくなー」

 クリューが今一番気に入っている、あの小説の台詞である。主人公が敵に追い詰められたとき、敵が言ったそれ。スプートニクもそのことは知っていたはずだ――しかし。

「くぉら」

 彼はクリューの鼻を摘むと、軽く引きながら言った。

「雇い主に対してなんつう言葉を使うんだ。お仕置き」

「む、むう」

 素行不良のこの人に、珍しくも正論で叱られた。

 とはいえ本気で叱っているわけではないようで、ふがふがと呻くクリューを見て嫌味に笑っている。鼻声のまま「ごめんなさい」と謝罪すると、すぐに手を離してくれた。

 しかしそのあとすぐにスプートニクが、彼女を置いたまま起き上がろうとするので、クリューは慌てた。言葉遣いを窘められた手前同じ言葉を吐くわけには行かない――けれども言いたいことは他でもないそれだ。枕にしていた腕を掴んで、離すまいと抵抗する。

「う、うご、うご、うごっ」

「どこも行かねェよ。ここで寝る気なら布団掛けてろ」

 が、彼の目的は違ったらしい。半身を起こすと足元に畳まれた掛け布団を掴み、クリューに掛けてくれた。ついでとばかりにクリューのぬいぐるみと本を彼女の胸元に放り、それから彼女の鼻を摘まむためベッドに放り出した便箋を取り上げる。

 どこの女からの恋文かと一瞬だけ苛立ったが、便箋の最後に『クルーロル宝石商会業務部第一業務管理課ユキ(スプートニク宝石店管理担当)』という署名がちらと見えた。一息に言おうとしたら舌を噛んでしまいそうな肩書きそしてその名前。

 会ったことはないが、知っていた。商会におけるスプートニク宝石店の事務や仲介等を担当している職員だ。以前どんな人なのかをスプートニクに尋ねたところ、彼は曖昧に笑って「スゲェ女」とだけ言っていた。何がどう『凄い』のかは、彼がそれ以上話してくれなかったから、知らない。

「早くつけ払え、だとさ」

 クリューの視線に気付いたらしいスプートニクが、恐らくはその手紙を指して呟いた。

 砕けたように訳しすぎていやしないかと思うが、きっと大きく違ってはいないのだろう。事実、魔法少女来襲から向こう、彼はまだ一度も商会支部を訪問していなかった。

 ただ、そうであるというのにスプートニクの口調は軽い。そんな様子で大丈夫なのだろうか、管理担当の人は困ってはいないだろうか。つい眉を寄せるが、彼は相手方のことなどまったく心配していないようだ。ベッドの宮に手紙を放り仰向けになると、深いため息をついた。

「だけどあァ、まったく。本当なら今頃横に寝てるのは、もっとあちこち柔らかい、誘い上手な女だったろうになァ。なんでこんなちんちくりんに添い寝してんだ俺ァ」

「なんですかその言い草」

 クリューに枕にされているのと逆の腕を自身の目に当て、そう嘆く。呆れと嫉妬に、クリューの頬は自然と膨れた。

「私だって柔らかいです。胸は……まだその、まだ……ですけど、頬っぺたなんかむにむにです! ほらっ、ほらっ、どうですむにむにでしょう! 好きなだけむにむにすればいいじゃないですか!」

「あーハイハイそうですねやァらかいですねー僕が間違ってましたクリューさんも柔らかいですー」

 スプートニクの手を取り上げて頬に触れさせる。と、何か諦めたような言葉と共に、節の目立つ指がクリューの頬を軽く摘まんだ。わかれば良いのだ。

 ふん、と鼻息荒くするクリューへ、スプートニクはもう一度、長くため息を吐き。それから、気の抜けたように笑った。

「その分なら、調子は戻ったみたいだな」

「調子?」

「犬屋の娘を見て、自分の親のことを考えたんだろう?」

 はっ、とスプートニクの目を見返す。

 先ほどまで女を買いそびれ嘆いていた人のものとは思えない、真摯な瞳をしていた。それにクリューは、ずるい、と思う。人のことなど何もわかっていないふりをして、その実すべてお見通しなのだ。こっちは、自分の事ですらわからないことばかりだというのに。

 心の奥まで見抜いてしてしまいそうな灰から目を背けると、クリューは強くぬいぐるみを抱いた。けれどそれだけでは足りなくて、スプートニクの脇に強く頬を寄せる。枕にしている腕の手が、まるで慰めるように彼女の後ろ頭を撫でた。

「クーは……クーの、お父さんとお母さんは」

「うん」

「どこに、いるんでしょう」

「さァ、なァ」

 曖昧な答え。当然だ、そんなこと彼が知るわけもない。

 撫でる手は優しく、だからどうしても弱音を吐きたくなった。

「クーが変な子だから、クーはいらない子だったんでしょうか」

「そうだとしたら、俺はお前の親に感謝しないとなんねェな」

「感謝?」

 幼いクリューを捨てた親に、彼はいったい何を感謝できるというのだろう。

 クリューの頭ではそこの理屈がどうにも繋がらず、繰り返す。と、スプートニクは仰向けのまま首だけを少し動かして彼女を見。

 そして、ごく当然のことのようにそれを告げた。

「お前の親がお前を捨てなきゃ、俺はお前を雇えなかった」

 ――それは。

 その言葉はストン、と彼女の腹に落ちてきて、まるで正しいパズルのピースのように、まったくの過不足なく嵌った。

「それも、そうですねぇ」

「だろう?」

 驚き、裏返った声で同意するクリューに彼は、したり顔で笑った。

 両親のことを思い、どうして彼らは自身を捨てたのだろうかと悩んでいたが、そんなことは考えもしなかった。しかし、言われてみればそうなのだ。彼らが何らかの理由でクリューを手放したからこそ今がある。リアフィアット市で、たくさんのことを学び、知ることの出来る現在。スプートニクの隣に佇み、笑うことの出来る現在が。

「ま、もしかしたら親元の方が、もっと稼ぎのいいトコ就職してたかも知んねェけどな。ひょっとすると、働かないで済むようなお立場だったかもわからんし」

「いいえ」

 働かなくていい立場、となるとどこかの姫君か、令嬢か。それも憧れないではないが、しかしクリューは首を振った。

「私、ここが好きです。だからここがいいです」

「そうか。まァ、俺以上に優れた雇い主はこの大陸どこを探してもいねェだろうけどな」

「それはどうかわからないですけど」

 優しくて従業員のことを思いやってくれて、素行の良い雇い主など、世の中たくさんいるだろう。けれどそこは取りも直さずスプートニクのいない職場であって、となればそこは少なくとも、今のクリューが望む就職先ではない。だから今の自分には、ここが一番、合っている。……いや、欲を言うなら――彼のお嫁さん、という就職先も。

 そしてその空想に触発されて、少し成長した自身の姿が描かれる。今より背が伸び、胸元は膨れ、面持ちは大人びていて、それから、腕には。……妄想の中の自分が腕に抱いたものに気づいた直後、自分自身へひどい恥ずかしさを覚えた。穏やかに眠る黒髪灰眼の赤子なんて、それは、そんなことは! ――あったら嬉しいけれど!

「す、スプートニクさんのお父さんとお母さんは、どんな人なんですかっ?」

 妄想の自分を掻き消したくて、別のことを尋ねる。彼はそんな質問が飛んでくるなど予期していなかったとばかりの表情をした。

「俺?」

 ふむ、と唸って天井を見上げ。

 暫く沈黙してから、ぽつりぽつりと話し出した。

「俺は北大陸のとある王家の落胤でな」

「らくいん?」

「簡単に言うと、王が愛人に産ませた子供のこと。ただ俺の年齢が十二を越えたとき、俺の存在を正妻とその息子の王位継承者に知られてな、いずれ王家を脅かす者になるのではと危惧した彼らに命を狙われることになった。で、身一つでこっちに逃げてきたんだ。過酷な船旅を越えて何とかたどり着いたはいいが縁者もなく、途方に暮れていたところを、宝石商会長のクルーロルさんに拾われた」

 初めて聞く雇い主の過去に、クリューは思わず目を剥いた。

 俄かには信じられなかったが、この人のこの傲慢な性格は王の血 所以ゆえんのものであり、当然の立ち居振る舞いなのだと言われたら、納得出来るような気もする。現にスプートニクは外見も王子とするに申し分なく、また頭の回転も早い。すぐに女性をたらし込める性格も、人を惹きつける魅力と言えばそうだろう。統治者としての素質は充分にあった。

 以前本の挿絵で見た王子の衣装を纏う彼を、想像してみる。頭上にきらきら輝く王冠、カボチャのように膨らんだパンツに、白いタイツと、白い馬。――格好いい、かもしれない。

 はっと目を見開いて、クリューは言った。

「スプートニクさん、王子さま!」

「そうだ。本来ならお前に添い寝するような血筋の者じゃないんだぞ」

「は、はぅ」

「まァ嘘だけどな」

 突然目の前のこの人が途轍もなくん事無い人に思えて寂しくなった、が直後にさらりとそう暴かれて心が追いつかなくなる。

 混乱するクリューに、彼はまた笑っていた。

「北大陸なんぞ行ったこともない」

「いじわる」

 結局はまた遊ばれたということだろう。ニヤニヤと歪む頬に苛立ちを覚えて、つい唇を尖らせる。――けれどクリューは、彼のそんな底意地の悪そうな表情の中にも、どこか威厳のようなものを見た気がした。

 それはもしかしたら、先ほど聞いた『嘘』のせいかもしれないけれど。







 区切れの悪いところですみません。続きます。

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