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宝石吐きの女の子  作者: なみあと
Ⅲ はじめてのおつかい
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6-2(6/18追加)



 顧客の住まう、コンドミニアムの階段を上る。

「いち、に、さん、しぃ、のぉ、ご。ろく、しち、はち、きゅう、のぉ、じゅう」

 リボンに飾られた猫じゃらしを振り、一段一段数えながら上るクリューの後を数段空けてついていく。階段を進むたびに揺れる彼女の跳ねた髪の先をなんの気なく眺めていると、踊り場にたどり着いた彼女が不意にスプートニクを振り返った。

「おかしいですスプートニクさん」

「何が」

 どうせまた下らないことだろうが、と予測しながら尋ねる彼に、深刻そうな表情でクリューが告げる。

「階段の数が違うんです。前数えたときには十二段あったのに、今は十段しかありません」

 それはところどころに挟まれた『の』のせいではないだろうか。

 思いながらも説明するのは面倒である、言葉にはしない。スプートニクが無言でいるのをどう取ったか、クリューは猫じゃらしを握ったこぶしを顎に当て、やや俯いて推測をした。

「これはもしかしたら、あの有名な妖怪『階段隠し』のしわざやも」

「そうか。そりゃァ大変だ」

 この上なくどうでもいい気分で答える。

 有名と言うが、少なくともスプートニクは聞いたことがなかった。恐らくは何かの本か、子供の間で流行っている『コワイハナシ』が情報源なのだろうが。

「ちなみに、その妖怪に階段を隠されるとどうなるんだ」

「欠陥住宅になります」

「……そりゃァ大変だ」

 思いのほか現実味のある現象だった。

 エリィさんが大変! と顧客の名を呼び物騒なことを叫ぶクリューに追いついて踊り場に立ち、そのまま歩いて彼女を追い越す。続く階段に足を踏み出しながら、「とは言ってもな」と呟いた。

「来た階段は全部繋がってるぞ。何段かなくなったようには思えない」

「……言われてみれば、そうですね」

「出没しても欠陥住宅にならないよう品種改良された、新種の階段隠しが出たんじゃないのか」

「なるほど」

 スプートニクのひどく適当な推測に、クリューは至極真面目そうな面持ちで頷いて、確かにひんしゅはかいりょうされますね。と本当にわかっているのかよくわからない口ぶりで答える。一度だけ上り来た階段を見やるとそれで謎の怪物への興味はなくなったようで、早足で彼のあとを追ってきた。

 ――そんなことより。

「さっさと用件片付けて済ませて帰るぞ。今晩は用事があるからな」

 何があるとは言わなかったが、経験則からその言葉の裏に何が隠れているのか思考したようだ。まるで嫡妻むかいめのような口調で、吐き捨てるように言う。

「また女の人ですか」

「お子様には関係ないコト」

 明言は避ける。肩越しに彼女を見、意味有り気に答えてやると、予想通り、クリューはいつものようにむくれた。

「不健全です」

「大人には健全なの」

 背後からの声に、しかし今度は振り返らない。さっさと階段を上り終えホールにたどり着くと、扉の並んだ廊下を歩いていく。

 クリューからの文句はやんだが、背後にいるのが気配でわかるので、特別見ることはしない。彼女の歩幅でもついてくるに苦のない速度で歩く――がどうもその無言の気配の中に、重たくどす黒いものが混じって感じられるのはスプートニクの腹が生む錯覚か。ちくちくと針の先で何度も刺されているような気分になりながらも先を行き、やがて目的の家の前に辿り着く。

 住所を書いたメモと家番号を照合、合致。念の為、訪問経験のあるクリューに確認を取る。

「ここでいいんだよな」

「知りません。ぷん」

 しかし彼女は相変わらず、頬を膨らませて明後日の方を向くばかり。彼の問いに答える気はないようだ。

 ならばこちらにも考えがある。目的の家からそのまま数歩、脇に移動。

「じゃァその隣にしよう。こんにち――」

「そ、そっちじゃないですっ!」

 隣家の呼び鈴に手をかけたスプートニクに、クリューは慌てて飛びついた。

 彼女の体当たりに手元が狂ってうっかり呼び鈴を押しかけ、寸でのところで留める。一瞬肝を冷やしたが、そんな様子を彼女に見せるのは癪だった――ニヤリと笑う。

「流石クリューさんやっさしいー。何だかんだ言っても最後にはちゃんと教えてくれるんですねェ」

「……スプートニクさんの馬鹿っ!」

 まんまと術中に嵌ったことに気づいた彼女が声を荒らげ掴みかかってくるが、そんなもの痛くも痒くもない。客先で品のない言葉遣いをしてはいけないと、スプートニクがあざ笑ってやろうとしたとき、

「あら、やっぱり」

 視界の外から、声がした。

 向くと、隣の家――正しい訪問先の扉が開いて、その隙間から一人の女性が顔を出していた。二人の姿を認めて、悪戯っぽく笑っている。

 掴んだ手を離し、クリューが彼女の名前を呼んだ。

「エリィさん」

「声が聞こえた気がしたから見に来てみたんだけど、やっぱり。どうぞいらっしゃいました、クリューちゃん、スプートニクさん。わざわざご訪問頂きましてありがとうございます」

「ニャア」

 次いでもうひとつ、別の声がした。

 人のものではないそれは、彼女の足の間から顔を現した、黒と灰の虎猫タビーのもの。スプートニクはそれに見覚えがあった。初めて見た頃こそ子猫そのものだった『彼女』は、今はすっかり成猫の顔つきをしている。

 クリューはその場に座り込むと、それの名前を嬉しそうに呼んだ。

「リリィ! 久しぶり!」

「ニャア」

 リリィと呼ばれた雌猫は、まるでクリューの言葉がわかったかのように口を大きく開けて鳴いた。

 リリィはエリィの飼い猫である。ペットショップに売られていた頃からクリューのお気に入りで、またその主人のエリィには縁あっていろいろ世話になったこともあり、エリィの独身時代、クリューはよく彼女の家に遊びに行っていたようだ。しかし、

「クリューちゃんも、今日はよくいらしてくれたわ。今の家に引っ越してから、クリューちゃん全然来てくれなくなっちゃって、私もリリィも寂しがってたのよ」

「あ、えっと、その」

 彼女が結婚してからは、訪問をやめていた。街で会い誘われても、「そのうちに」と遠回しに断っていたようだ。しかしそれがクリューの本意でないことを、スプートニクは知っていた。何故なら――

 クリューは困ったようにエリィから目を逸らして足元を向き、それから視線だけで彼を見上げる。しかしスプートニクが何を告げるより早くまた俯いてしまうと、ぼそぼそと聞き取りにくい声で、エリィの疑問に答えた。

「新婚さんのお家にあんまり頻繁に行ったら失礼だ、って……」

「あら、ま。誰がそんなこと言ったの? ……って、そんなことクリューちゃんに仰りそうな方は決まっているわね」

 わざとらしく目を吊り上げて、エリィはスプートニクを見た。

「ひどい人ね、スプートニクさん。おかげでクリューちゃん、遊びには来てくれなくなっちゃうし、指輪の注文のときもよそよそしかったし、今日だって予定聞きに来てくれたとき、良かったらお茶でもって勧めたのに、『お仕事がありますから』って急いで帰っちゃうし。私、何か悪いことしちゃったかしらって、ずっと心配していたんだから」

「それはそれは……良かれと思って言った言葉でしたが、出過ぎた真似を致してしまったようで」

「まったくよ。あの人に愚痴ったら『もしかして僕がいるからかなぁクリューちゃん僕のこと嫌いなのかなぁ』って沈んじゃうし。私もつい苛々して『そうかもしれないわね』って言っちゃったわ」

 あの人とは恐らく、彼女の夫のことだろう。確かに『あれ』なら言いそうだ、とスプートニクはつい苦笑する。

 ――エリィのその怒りが本物のそれではなく、ただのポーズであることにスプートニクは気づいていた。そして、だからこそその『怒り』の落とし所もまた、わかっていたのである。

 スプートニクは答えた。これは顧客と商人の関係というよりも、クリューの保護者として。

「それは大変、失礼を致しました。エリィさんさえよろしければ、またこれと遊んでやって下さい」

 するとエリィは、その言葉を待ちわびていたとばかりににっこり笑った。

「勿論よ。というわけでクリューちゃん、過保護な彼氏の前言撤回も得られたことだし、どうぞまた前みたいに気軽に遊びに来てちょうだい。ね?」

「はいっ! ……って、か、かれ、かれしって、そ、そん、そんなんじゃっ」

「うふふ。――どうぞ上がって。歓迎するわ」

 それはスプートニクとクリュー、二人に向けてかけられた言葉。クリューは尾を振りながら部屋の中に戻るリリィを追うようにして、スプートニクはエリィへ「失礼します」と深く頭を下げて扉をくぐる。

 棚の上には瑞々しい観葉植物が置かれており、また飾られた小物やランプシェードにに埃はない。日々抜かりなく手入れされているのがよくわかる、小奇麗で落ち着いた雰囲気の玄関だ。

 そして、そこから真っ直ぐ続く廊下の奥に、人がいた。どうやらちょうど部屋から出て来たところのようだ。彼はスプートニクと目が合うと、小さく頭を下げてみせた。

「あ、いらっしゃい。今日はわざわざ御足労をありがとう。妻と娘のことを気遣って訪問営業にして下さったそうだね、嬉しいよ」

 相変わらずの腰の低さとへたれ臭。スプートニクなどは、こういうを見るとつい毒の一つも吐いてやりたくなってしまうのだが――こうして人生の伴侶を見つけられたからには、こんな男でも、異性エリィからは魅力の一つもあるように見えるのだろう。

「こちらこそ、本日は仕事の依頼をありがとう。この俺を呼びつけるたァお前も偉くなったもんだな、えェ?」

「君が来てくれるって言ったんじゃないか……本日はどうぞ、よろしくお願いします」

 そしてエリィの夫である彼は――街の住人からは『犬屋』の愛称で親しまれている彼は。

 初めて会ったときと何一つ変わらぬ、気弱そうな笑顔を浮かべた。



(続く)


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