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宝石吐きの女の子  作者: なみあと
Ⅲ はじめてのおつかい
40/277

3-3(5/25更新)

 こちらは5/25(日)追加分になります。

 5/24(いつもの土曜日追加分)は3-2です。よろしくお願いします。


「あ、ありがとう、ございました」

「どういたしまして」

 そうして無事、資材屋の前までたどり着き。クリューは子猫の飼い主へ猫用おもちゃの詰まった袋を渡しながら、道案内の礼を言った。

 彼女はケージを下げていない方の手で袋を受け取り、嬉しそうに目を細める。

「こちらこそ、おもちゃ運んでもらってありがとう、助かったわ。私の家、そこのアパートの二階のお部屋だから、よかったら今度遊びに来てね。この子と一緒に待ってるから」

「はい。ありがとうございます」

「ニャア」

 再度感謝を告げる。と、彼女の下げたケースの中から声がした。彼女は笑って、

「この子も『待ってる』って」

「あは。ありがとう」

 クリューはもう一度深く頭を下げた。今度は、ケースの子猫に向かって。

 そして彼女は「それじゃ、またね」と言うと、踵を返して彼女らの住む家に帰っていった。

 ――二人の姿がアパートの塀を曲がって見えなくなるまで見送りながら、クリューはいくつかのことを考える。

 出かけるときこそ怖かったけれど、この街にはそれほど恐ろしい人はいないようだ。

 かつてのクリューにとっては、昔彼女を『飼っていた』あれらが世界のすべてであって、人とはああいうものなのだとずっと考えていた。だから、ああいった人種は世間の中でも特殊なのだと、スプートニクに何度言われても、なかなか信じられずにいたが――彼の従業員として、彼に連れられ旅をして、やがてリアフィアット市に居を置き、そうする中でたくさんの人に出会って。

 確かに意地悪な人も中にはいた。けれど多くの人たちは、クリューに優しくしてくれた。

 だが心のどこかでそれは、自分の後ろにスプートニクがいるからなのでは、と思っていた。害すればすぐに報復に来る彼が、自分の横で周りに睨みを利かせているから。

 けれど、今日は一人きりで。――それでも皆、自分に良くしてくれている。

 そのことを思うと、自然と頬が緩んだ。

 無事にインクを手に入れて、家に帰れたら、買い物の道程であったこと全部をスプートニクに伝えようと心に決める。そしてお世話になった人たちに、お礼に伺うのだ。おかげさまで、一人でも無事に買い物できましたありがとう、と。それからまた子猫と遊ばせてもらって、スプートニクに猫の可愛さを説き、そしてゆくゆくはスプートニク宝石店にも、もふもふでふかふかの可愛いペットを――壮大な計画に胸を躍らせ始めた、そのとき。

 喉に、違和感を覚えた。

 ポケットからハンカチを取り出して、ひとつふたつ咳をする。と、口を押さえたハンカチに、緑色の石がひとつ現れた。石を包むようにハンカチを畳んで、誰にも見られないようポケットにしまう。

 宝石。自分の中からなぜ出てくるのか、自分自身にもわからない、奇妙なもの。

 ふと、クリューの心に陰りが生まれる。

 ――あれほどに良くしてくれる人たちでも、自分のこの奇妙な体質を知ったら。

「変な子、って思うのかな……」

 もしくはいつかのあれらと同じように、自分を蹴ったり、殴ったりするのだろうか。

 そんなことを思いながら、クリューは資材屋の扉を押した。




「いらっしゃいませ」

 そっと入り口をくぐったクリューを、店員の挨拶が迎えた。

 資材屋の天井は、他の多くの店とは違ってとても高い。クリューの身長よりはるかに長い材木など、背の高いものを多く商品として取り扱っているせいだろう。

 とはいっても扱っているものは決して大きなものだけではなく、スプートニクが業務に使うような小さく細い鏨もあるし、他には鎌や鋸、果ては何に使うのかよくわからない奇妙な形の石材まで、いろいろなものが資材屋には揃っている。だからそれなりに、広さもある。

 けれどそんな広い店内でも、インクの場所は、店員に聞くまでもなく見つかった。

 店を入ってすぐ、左手側。行儀よく万年筆の並んだ棚に、見覚えのあるインクが置かれている。近寄って手に取りラベルを見て、いつもスプートニクが使っているのと同じものを探す。

 目当てのインクはすぐにわかった。ひとつ握って、店員に声をかける。

「これ、下さい」

「はぁい」

 恰幅のいい女性店員。クリューは知らない顔だったが、向こうはクリューの顔を覚えていたようだ。「あらぁ」と声を上げ、知ったように笑った。

「今日は一人? スプートニクさんは?」

「あ、あの、一人です。インク、買って来るように、言われて」

「ま、お使いなんて感心ね、偉いわねぇ。うちの子もクリューちゃんと同じくらいなんだけど、全然家の手伝いなんてしなくてね……何とか言ってやってほしいわぁ、どうしたらそんな立派になるのかしら。今度スプートニクさんに子育ての秘訣教えてもらおうかしらぁ、なんて。ところでスプートニクさんっていい人いらっしゃるのかしら? 私の親戚にまだ独り身の子がいてね、なかなか気立てのいい子なんだけど」

 以降、息つく暇も与えないほどの雑談が繰り広げられる。そういえば、以前資材屋に来た際、「資材屋では店員を選べ」とスプートニクは言っていた。やたらと話好きの店員がいて、用が済んだあともなかなか帰してくれないのだ。どうもクリューは運悪くだか運良くだか、その店員に当たってしまったらしい。

 果てしなく続く雑談の波。このままでは閉店まで付き合わされてしまいそうだと思ったクリューは、勇気を振り絞って、小声で、言った。

「あの、インク……」

「あ、そうねぇごめんなさい、インクだったわね」

「はいっ」

 ようやく思い出してくれた嬉しさに、思わず声が弾む。クリューはポシェットから預かった硬貨を出して、現金皿カルトンの上に置いた。――しかし。

 店員は現金皿を見て、素っ頓狂な声を上げた。

「あら? 足りないわよ、クリューちゃん」

「えっ」

「うちではこれ、銅貨六枚頂いているんだけど」

 言いながら頬に手を当て、困ったように首を傾げる。が、本当に困ってしまったのはクリューの方である。

 現金皿に載せたのは、店員の言うとおり五枚の銅貨。しかしスプートニクから預かったのは、それで全部のはずだ。どこかで一枚、落としてきたろうか。ペットショップでは――否、店を出てから一度だってポシェットは開けなかったはずだが。となるとスプートニクが渡し間違えたのだろうか? ポシェットをひっくり返すが、中に金は入っていない。あるのはお使いメモだけで、それに書かれているのもインクの種類だけだった。紙幣としての価値はない。

 どうしよう。湿った不快なものが心の中に生まれて膨らみ、きゅうっとクリューの胸を詰まらせる。

 ――と、そのとき。

 背後から、カウンターに伸びた腕があった。

「すみません、これをお願いしたいんですけど」

「はい? あら、ナツさん。こんにちは」

 声に引かれ振り返るとそこには、唇に引いた赤が印象的な女性が一人、立っていた。

 ナツと呼ばれたその彼女は、クリューもまた知る人だった。よくうちの店を訪れる警察官である。スプートニクとはそりが合わないようでよく文句の応酬をしているが、決して悪い人ではない。

 店員に向け、ナツから突然差し出された一枚の紙。彼女は「ちょっとごめんね」とクリューに一言断ると、会計の手を止め、不思議そうに瞬きしながらそれを受け取った。文面はクリューからは読めないが、何が記されているのだろう?

 店員を待っていると、ナツがクリューを見下ろしてにっこりと微笑んだ。

「こんにちは、クリューちゃん」

「あ、あの、こ、こん、こんにちは」

「偶然ね、お買い物?」

「そ、そうです。あの、ええと、ええと、ナツさんは」

「うふふ、パトロールよ。私のお仕事、知ってるでしょう?」

 警察官の仕事。以前スプートニクに教えてもらったから、覚えている。意味はよくわからないが、確か。

「……『ぞうわい』と『ゆちゃく』?」

「あの馬鹿、何教えてんのよ」

 と、瞬時にナツの唇が引きつった。

 間違えて覚えてしまっていたろうか、怒らせてしまったろうかと不安になるが、彼女はクリューに向けて怒ったりはしなかった。すぐに笑顔を取り戻し、

「私のお仕事は、リアフィアット市の人が何か困ってることがないか調べることと、何か困っていたら助けてあげることよ。それで、クリューちゃん。今のあなたも困っていたみたいに見えたけど、何かあったの?」

「あの、それが」

 彼女に伝えたところで何の解決にもならないことはわかっていたが、しかし一人で抱え込むにはその悩みは大きすぎた。相談してみようと、話を聞くくらいはしてくれるだろうと、項垂れながら口を開きかける――しかし。

「ああ、ごめんなさい。違うのよナツさん」

 それを遮り、答えたのは店員だった。インクを紙袋に収め、テープを張って封をしながら、

「ごめんなさいねクリューちゃん、インク、値札が間違っていたみたい。大丈夫よ、ぴったりだったわ」

 苦笑しながら、カウンターの向こうから紙袋を差し出している。値札間違いですか、と念を押すように尋ねると、彼女はひとつ頷いて、もう一度「そう。ごめんなさいね、すぐに直しておくわ」と言った。

 そっと手を伸ばして、紙袋を受け取る。すると店員はクリューへ、満面の笑顔を向けてくれた。

「どうもありがとう」

 手の中にある、会計済みの紙袋。その中には目当てのインクが入っている。

 それを抱きしめると、心のもやもやはすっきり消えた。自分の頬に、自然と笑顔が湧いてくるのがわかる。

「ありがとうございます」

「気をつけて帰ってね。スプートニクさんによろしく」

「はい!」

 元気よく返事をし、頷く。一人できちんと、買い物が出来た。

 クリューは踵を返し、スキップしたくなるのを何とか堪えて入口扉へ歩き出した。戦利品インクを決して落とさないように、利き手で固く、袋を握って。

 扉を開けるため、ノブに手を掛ける。宝石店のものより大きく重めの扉を、クリューは全体重をかけて引き開けた。

 ――その後ろで。

 ナツと店員が視線を交わして笑ったことに、クリューはまったく気づいていない。




     *




 しかし。

 クリューが真に困ったのは、店を出たあとだった。

「どっちから、来たんだっけ……」

 そう。

 資材屋から家までの、道のりを覚えていないのである。

 自宅の見えない街並みに、クリューは一人、呆然とする。案内をしてくれた彼女はもう、自分の家に帰ってしまった。資材屋は、スプートニクに連れられて何度か来ているはずなのに、右も左も、覚えのない道にしか思えない。

 息を吸い、深く吐き。落ち着け、思い出せと自分に言い聞かせる。大丈夫、ここまで一人でこれて、目的の物だって一人できちんと買えたのだ。ここまで出来て、一人で帰れないわけがない。

 目を閉じて、思考する。いつもスプートニクは、資材屋から帰るとき、どちらに向かって歩いていたろうか? すべての道のりを思い出せなかったとしても、せめて、最初の一歩だけでも――唸り、考える。店の中にはナツがいるのだから、戻って聞けばよかったのだけれど、ここまで来るのにたくさんの思考を要し疲弊してしまった頭では、そこまで思い至らなかった。

 迷い、考え、そして結局、出した結論は。

「こ、こっち」

 クリューは左手側の道を指さし、そして、歩き出した。

 右ではなく左にした根拠は、買い物から買えるとき、いつも左に向かって歩いていたような『気がする』というものだ。つまるところ、当てずっぽうである。

「えっと……こっち。かも」

 それから道を二本渡ったところで、右に曲がる。

 しかし当然にと言うべきか、どこまで行っても、見覚えのあるもの、店、道は出てこない。進むたびに道は細くなり、暗くなり、そしてひと気は少なくなる。

 やがて。

 ――クリューが完全に迷って足を止めたそこは、真っ暗な裏通りだった。

 一度資材屋に戻ってやり直しを、と振り返ってみるが、そこもまた暗く、見覚えのない道で、自分がどこをどう来たかも思い出せない。

「あれ……」

 路地に響いた自身の声は細く、そしてひどく情けないものだった。

「スプートニク、さぁん……」

 しかし勿論、返事はない。

 溢れてきそうな涙を何とか飲み込み、せめて広い道に出ようと、回れ右してもとの道を行く。前を見るのが恐ろしくて、つま先だけを見て小走りで進んでいる、と。

 瞬間、何かにぶつかった。

「ひゃっ」

「あ?」

 衝撃に、数歩後退。尻餅をつくのはなんとか避けられた。

 ぶつかったのは壁か、荷物か。痛む頭を押さえて顔を上げる。が、

ってェな」

 しかしそれは、彼女の予想したどちらでもなかった。

 ――そこにいたのは、二人組の、男。

 どうもクリューが頭をぶつけたのは、そのうちの片方のようだった。スプートニクよりは若そうに見えたが、いずれにせよ彼女よりははるかに丈がある。上空から遠慮なく落ちてくる、まるで知らない男の視線は、クリューにとってはそれだけで恐ろしいものに思えた。

「ごめ、ごめんな、さ」

 もごもごと小声で、震えながら謝罪を返し――不意に、クリューは。

 家を出るとき、スプートニクに言われたことを思い出した。

『ここは治安のいい街だ、大通りなら子供一人だって歩ける』

 だから安心して買い物に行ってこい。と、彼はクリューに言った。そのときはその言葉は、彼女を安心させるためのものとして彼女に届いた。

 しかし。今この状況で彼のそれは、まったく別の意味合いを持ってクリューに届く。この街は大通りなら安全だ。しかし、それなら。――それ以外の道は、どうなのだろう?

 大通りではなく、昼でも薄暗くひと気のない、たとえばこの路地のような場所は?

「あ……」

 それに気づいた瞬間、ぞくり、と冷たいものがクリューの背筋を撫でた。

 二人組はクリューの思考など知らぬままで、呆れたように彼女を見ている。

「んだよ、ガキか」

「ガキがこんなトコうろうろしてんじゃねェよ、迷子か」

「あ、あ……あ」

 片方の男の手の甲には何か、模様が描かれている。刺青か。

 じろじろと届く視線が生ぬるく感じられて気持ち悪い。

「どうするよ?」

「よくわかんねっけど、迷子なら警察サツじゃねェの。おい、お前、親は」

 もう片方の、煙草らしきものを咥えた男と何かをぶつぶつ会話しているが、混乱したクリューにはもう、その男が何を喋っているのかわからなかった。二対四つの視線に射すくめられ、逃げないと、と思うが足が竦んで、動けない。

「仕方ねェな、連れてってやるか」

 何も言えず、ただ涙を溜める彼女に男たちが何を思ったのか、クリューにはわからない。ただ、どこかへ「連れていく」と言ったのはわかった。柄の悪い男たち。薄暗い路地。「連れて行く」という言葉。彼女の思考回路の中で、それらから導き出せたものは一つだけだった――『攫われる』。

 刺青の男がこちらに歩いてくる。クリューの全身が震える。息が荒くなり、歯が噛み合わずガチガチと音を立てる。

 誰か。助けを求めて、背後に手を伸ばす。

「あ……」

 しかしその手は、空を切った。振り返れど、そこに助けてくれる人(スプートニク)はいない。

 自身の肩が刺青の手に掴まれた瞬間、クリューは耐え切れず悲鳴を上げた。




(続く)





 次回からスプートニクパートになります。

 5/28水曜日までには追加する予定です。どうぞお付き合いください。


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