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スプートニク宝石店の、少し昔の話。
昼近き宝石店のドアベルを鳴らしたのは、すでにスプートニクと『打ち合わせ』済みの客だった。
「あの、あの」
客の注文を賜った従業員クリューが、カウンターのスプートニクの元へぱたぱたと駆け寄ってくる。それほど遠い距離ではないのに頬を上気させているのは、きっと緊張のせいだろう。
スプートニクは彼女の話を聞くまでもなく、準備しておいた細長い小箱を一つ差し出した。
「エルサから預かった品は、これ」
「えっと、えっと、はい」
「品物は、お客様にお渡しする前に、どうするんだったっけか?」
「中身が間違ってないか、確認しますっ」
元気なお返事、非常に結構。
受け取ったクリューは、昨日予習した通り、蓋を開けて中を確認。そこにブルーサファイアのネックレスが正しく収められていることを見て取ると、箱を握りしめて客の元に戻って行く。
「あの、あの、エルサさん、これ、です」
そして、待っていた客――近所の顔馴染み――に向け、箱を勢いよく差し出した。
――二人がリアフィアット市の定住権を得、リアフィアットに店を構えて、もうしばらくが経つ。スプートニク自身、市内には顔見知りもそれなりに出来、拠点を構えての仕事に慣れてきた頃だ。定住をすることで収入がどう変化するかはスプートニクも懸念していたところだが、実際蓋を開けてみると、帳簿の数字はそれほど悪くないどころか、かなりの黒字状態が続いている。昔からの得意先らが物珍しさにわざわざ店を訪れてくれたり、祝儀代わりにと高価な装飾品の依頼を幾つか貰ったおかげもあるのだろうが。
そして。この好景気が続いて余裕のあるうちに、従業員であるクリューにも成長してもらおうと、スプートニクは彼女に一人での接客を覚えさせることにした。
その練習台が、現在クリューと話している客、エルサである。近所にある喫茶店のウェイトレス。先日、破損したネックレスの修理を依頼に来た際に、割引料金で修理を請け負うから彼女の接客の練習を頼まれてくれないか、と協力を請うたところ、快く了承してくれた。
「ありがとう」
受け取ったエルサは蓋を開け、ネックレスを取り出すと、トップを裏返して修理を依頼した箇所を眺める。持ち込んだ際は曲がっていた金属部分が、今は正しい位置に収まっていることを確認すると「うん、直ってる」と満足そうに頷いた。
そしてスプートニクに目配せをする。けれど彼は何も言わず、クリューのことを手で指した。こちらは一切手出ししない、というジェスチャー。
エルサは苦笑ののち、クリューに向き直る。彼女はぽかんとエルサの様子を眺めていたが、目が合うと我に返ったように息を吸った。そして、
「あの、あの、えっと、中身のご確認をっ」
一拍、遅い。
しかしエルサは出来の良くない店員に対し、怒りも呆れもしなかった。必死な様子のクリューに向けて、花のような笑顔を見せる。
「大丈夫。確かに私が修理をお願いしたネックレスよ。おかげさまで、綺麗に直ってる。ありがとうね」
「あ、え、えと、どういたしま――」
と、感謝への返事を言いかけて。
しかし、何故だろう。クリューはそのまま、静止した。それから悲しそうにきゅっと唇を結ぶと、花が萎れるように俯いてしまう。
クリューの仕草の意味を図り兼ねたらしいエルサが「どうしたの?」と言いたそうにスプートニクを見た。しかし彼もエルサと同じく、首を傾げることしか出来ない。どうも何かに迷っているようでもあるが、何か困惑するようなことがあったろうか?
エルサが心配そうに、クリューを待っている。やがて、俯いたクリューが自身のエプロンを固く握って、ぽつぽつと答えることは。
「な、直したのは、私じゃなくて、その、だから」
――成る程。
それを聞いて、ようやくスプートニクにも合点が行った。恐らく、エルサもまた。クリューはどうやら、感謝を受けるべきは自分ではなく、修理をした店主だと思っているらしい。
まったく、とスプートニクは溜息をついた。これは、変なところで真面目なのだ。融通が利かないとも言える。だからその都度、それは間違っていると説明してやらなければならない――ただ。職業人、社会人としてはそれなりに経験も積んでいるスプートニクだが、教育者としては半人前、というかそもそも、自分の性格上、向いていない。その思考をどう正したものか、腕を組んで眉を寄せ、つい唸ってしまう。はたして何と語ってみせたら、彼女でも理解できるだろう。
と。そのとき、ふふっ、という声が聞こえた。顔を上げて見やると、エルサが楽しそうにほほ笑んでいる。エルサは横目でちらりとスプートニクを見ると、その場に座り込み、俯くクリューを下から見上げた。
「クリューちゃん、『内助の功』って言葉、知らないかな」
恐らくは、知らないだろう。予想通りクリューは、ぱちくり、と瞬きをした。
「ないじょ?」
「そう。『表立たない、内側での頑張り』っていう意味なんだけどね。クリューちゃんが元気でしっかりお店手伝ってくれるから、スプートニクさんは安心してお仕事できるのよ。だからこれが綺麗に直ったのは、スプートニクさんだけの功績じゃないの。だからね、クリューちゃんにも、ありがとう」
そしてクリューの頭を撫でるエルサを眺めながら、上手いな、とスプートニクは素直に感心した。自分であればそうわかりやすくは話してやれなかったろう。証拠に、クリューの曇っていた表情はみるみる明るくなってゆく。
やがて顔を上げたクリューは、嬉しそうな顔でスプートニクを見た。何かを言いたそうに、しかし語彙の不足か上手く表現できずただぱくぱくと口を動かす彼女へ一言「そういうことだ」と告げてやる。するとクリューは、きゃあ、と歓声を上げた。
そして改めて、エルサに向き直る。そして元気良く、返事をした。
満面の笑顔で、心から嬉しそうに。
「どういたしまして!」
――顧客の希望する支払方法は現金での一括払い。クリューが現金皿を差し出すと、彼女はその上に代金を置いた。受け取ったクリューは、それをそのままスプートニクの元に持ってくる。
請求金額に釣り銭なく合致していることを確認すると、スプートニクは現金をレジカウンターに収め、代わりに一枚の用紙を乗せて返した――『領収証』。
クリューは満面の笑みで受け取ると、エルサの元に戻っていく。その表情に、仕草に、緊張の色はもうない。
そしてエルサに領収証を差し出しながら、彼女は弾んだ声ではっきりと、告げた。
「また壊れちゃったら、引き渡しから十日以内だったら、ええと、無料で、修理します。このたびは、スプートニク宝石店をご利用頂き、ありがとうございました!」
昨晩一生懸命暗記した文章は、表現こそスプートニクが教えたものとは若干異なっていたものの、内容としては一切の不足ないものとして顧客に伝わった。
エルサが満足そうに微笑み、そしてこちらにウィンクをする。スプートニクはカウンターに肘を付いたまま、頷き、笑い返した。――及第点は、優にやれる。
(続く)




