8-3(4/15追加)
スプートニクはソアランが再び口を開くまで無言を貫くつもりでいたが、沈黙のときはそれほど長く続かなかった。空のグラスを認めたエルサがポットを持って「お水のお代わりはいかが」とやって来たからだ。
調子のいいこの男がそれに黙っているわけもなく、愛想を全力で振りまきながら水を注いでもらうと、やはり多量の語彙を操って礼を言った。ただ、エルサも店員としてその手の客には慣れているのだろう。笑顔でいとも簡単にソアランをあしらうと、厨房の方へ戻って行く。そのときにはもう、ソアランの調子は元通りになっていた。
「いやァ可愛い女の子はやはりいいね。眼福だ。……えっと、何の話をしていたんだっけ」
「魔法の話だろう。加護の、制約の」
言ってやると、手を打ち合わせ、そうだそうだと頷いた。彼の表情にもう、影はなかった。
「だけどイラージャは、どうしてああも魔法少女に執着するのかな。ま、確かに彼女は魔法少女の担当ではあるがね。俺は上司として再三言っているんだよ? 深追いは危ない、と」
タルトを一欠け口に放り込む。不思議そうな表情で咀嚼するソアランに、スプートニクはぽつりと言った。
「お前のためだろう」
「俺の?」
「お前ほどの実力者がリアフィアットのような田舎に置かれることが、腹に据え兼ねたんだそうだ。お前が魔法少女を捕獲したと報告すればそれも立ち消えになるとの算段で」
「……そうなのか」
恋心云々は割愛したが、それでもソアランを落ち込ませるには充分な効果を発揮したようだ。俺のせいか、とソアランは深い深いため息をついた。
「まァ、ね。新支部の支部長とか言ったって、リアフィアットじゃぱっと見左遷だよね左遷……あ、リアフィアット市が田舎って言ってるわけじゃないよ、念為」
「わかってる」
普通の魔法使いならほぼ魔力の自由にならない土地である。一体どんな魔法使いが好き好んでそんなところで仕事をしようというのか。辺境に据え置かれよう運命からなんとかして逃れたいと思うのは人として自然な――、とそこまで考えて、不意に気づいた。
「『ぱっと見』左遷?」
「あ」
耳に留めた違和感を繰り返す。と、ソアランは間の抜けた声を上げた。それから苦々しく眉を寄せ、失言だった、とでも言いたそうな表情をする。
「実際には何かの密命があったとでもいうのか」
「大丈夫。全部、片づけたし、リアフィアット支部の計画は立ち消えになった。君が気にすることじゃ、って言って納得する顔はしていないね。君は表情によく出る」
「隠そうとしていないからだ。隠せばそれなりに隠れる」
本当かなァ、と小馬鹿にしたように唇を歪める。八つ当たり気味にサンデー頂上のアイスクリームを食べるでもなくつついていると、彼はこんなことをスプートニクに尋ねた。
「鉱石症。って、知ってる?」
その瞬間、水分を口に含んでいなかったことを、幸運に思った。
しかし動揺には気づかれてしまったようだ。スプートニクの様子に、ソアランは上目遣いで笑みを作った。
「知らないわけない。よね、君」
「何のことだ」
「嘘が下手だなァ」
知らないわけが、なかった。
原因不明の病気の一つに、『結石症』というものがある。体内に結石が出来やすくなる病気のことで、最初は乾性咳嗽による喀や排泄等によって対処できるが、結石は進行とともに大きさと数を増し、やがて死に至る。病例が少なく今なお詳しい研究が進んでいないそれであるが――かつてスプートニクがとある医療従事者に聞いた話では、その病気に似た症状、もしくは現象として、魔法使いの間に興味深い逸話があるという。
「昔々、とある可愛い女の子がおりました。ある日女の子が泉まで水を組みに行くと、一人の老婆に会いました。老婆は言います『お水をちょうだい。喉が渇いてつらいのよ』。心優しい女の子は、お水を一杯注いであげました。老婆は実は魔法使いで、お礼にと女の子に魔法をかけてくれました――それはなんと、女の子がお話をするたびに、女の子の口から宝石が溢れる、なんとも素敵な魔法でした」
子供に語るような口調で、ソアランはその話を披露してくれた。言われるまでもなく、知っていたが。
「そんな話が魔法使いの世界にはあるんだ。幻の魔法『鉱石症』ね」
「御伽噺だろう」
「と、思っているよ。多くの魔法使いはね」
頷くが、その動作は決して肯定を表すものではない。ソアランの声に、瞳に、熱が入る。
「けれど本当にあったとしたらどうだ、宝石を生み出せる人間なんて! そんなものが本当にあるとするなら、それは魔法使いにとって何にも勝る『道具』だ。そう思った幹部たちは幾度も実験を繰り返してきたよ。幾人もの子を買い、攫い、幾種もの魔法を試し。しかし成果は得られなかった――得られていない」
現在形に言い直したことに意味は、あったのだろう、恐らく。
ソアランの声が低くなる。つられてスプートニクも机に身を乗り出す。彼らの会話を聞いている魔法使いはいないだろうが、それでも囁くように、ソアランは続けた。
「少し前、誘拐事件があったろう」
探るような、ソアランの言葉。
どの誘拐事件かを聞く必要は、なかった。スプートニクにとって最も印象に残っているそれなど決まりきっていたし、恐らくはソアランもそれを知っていただろうからだ。
彼が言うのは恐らく、半年前のあの事件。クリューが攫われ、スプートニクが犯人らを完膚なきまでに叩きのめした。口封じは行われた。そのはずだ。
しかし。スプートニクはそれに関して先日、一つのことを知らされていた。あのお節介な警察官、ナツが持ってきた情報――リアフィアット市滞在記録。その内から抽出した魔法使いの訪問情報を見て、ナツもまた、スプートニクと同じ印象を持った。『ここ半年で急激に増えたみたいね』
それは単に、リアフィアット支部設立のための下調べに来ているのだ。そう思った。
ただ同時に、『タイミングが合いすぎている』。そうも思った。
考えすぎでは、なかったらしい。
「たまたまその事件の話が、恐らくは本当に偶然に、魔女協会の人間の耳に入った。被疑者は現在も混乱状態にあり、真っ当な証言が出来ずにいる。しかしその中で一度だけ言った『娘から宝石が』という言葉が気にかかったらしい」
思わず、歯噛みした。余計な証言をしやがって、という犯人への焦燥と、余計な記録を残しやがって、という警察局への苛立ちと、詰めを誤った自分自身への怒りとが相まって。
スプートニクがリアフィアット市に店を構えた理由を、クリューは『魔法使い相手に商売をしたくないから』と判断したが、それは半分合っていて、半分は間違いである。スプートニクは彼女を雇ったとき、いつか旅をやめてどこかに店を構えるのなら、魔法使いの手の届かない場所に居を構えると決めた。
クリューの『体質』が彼らに知られればどうなるか、わかっていたから。
「彼らはもちろん思ったね。『従業員の娘が鉱石症患者である可能性がある』」
つまるところ彼らの設立の本当の目的は、支部長となるはずだったソアランの『密命』とは、スプートニク宝石店の、クリューの監視、だったのだ。
その可能性も考えていた。彼がイラージャを連れ立ってスプートニク宝石店に訪れたあのときから、ずっと。
彼と対面し、魔法少女のことを話したとき、彼は一度だけクリューのことを『クリューさん』と呼んだ。スプートニクのことは終始『店主様』と呼んでいたのにも関わらずだ。二人の名を知っていたならただ一言そう言えばよかったはずなのに、なぜか彼はその一度以外はあれを『お嬢さん』と呼んだ。――まるで、元々彼女のことを知っていたということを隠すように。
杞憂であれと思っていた。けれど。
気付かれたのなら、この街での定住も終わりか。ソアランの言葉を聞きながら、波ひとつ立たぬコーヒーの水面を眺める。混乱しそうになる頭を無理やり押し込め、思考を回転させた。この街を離れる手続きを一刻も早く。でなければ――逸る脳を必死に落ち着けようと努力しながら、椅子を立ちかける。
けれどそれを、押し留める手があった。
「スプートニク」
はっと、意識が現実に戻る。ペリドットに似た色が、揺らぐことなくスプートニクを映していた。彼は席を立ちかけるスプートニクの腕を、固く握り引き止めていた。
ソアランが彼のことを、彼として初めて、名で呼んだ。
「座り給え。座って、落ち着いて俺の話を聞いてくれ。――いいかい、万が一にも何かあったら、口裏を合わせておくれよ」
机上でカラン、と音がした。アイスティの氷が溶けて動いた音だ。
「君の署名を偽造させてもらった。彼女の後見人である店主スプートニクの許可のもと彼女に鉱石症の検査を受けさせたということにしてある。検査の結果、陰性であると結論付けられた偽の診療録を作り、協会に提出した。また、先日の誘拐事件の犯人にも秘密裏に接触し、少し記憶を弄らせて貰った。すべてのことはもう完璧に覚えていない」
早口で捲し立てるソアランの言葉を頭の中で整理しながら、同時にその傍らに、手元にあるだけの情報を並べ計算する。むかむかと苛立つ腹を抱えながらの作業はひどく重労働で、匙を投げだしたくなるのを何とか抑えた。
「そして同時に、リアフィアットの支部を作る理由は、なくなった。今日俺が君に会いに来たのは、リアフィアット支部設立計画が完全に白紙になったことを伝えるためだ。ついでに言うと『僕』が君のところを襲撃した本当の理由は、彼女の身柄を欲したからじゃない。『裏付け』だった」
「裏付け?」
「俺の報告を、彼らが信じたかどうかの」
なるほど。
例えば魔法少女が彼らの欲す『道具』を盗みに来るとなったら、彼らは恐らく何としてもそれを防ごうとするだろう。スプートニク宝石店に何人の使いを寄越したかわからない。店主が不要だと断ったところで無理やりにでも来ただろうし、実力行使に出た可能性も否定できない。最悪の場合、捕り物のごたごたの間にクリューを拉致――というのはいくらなんでも、考えすぎかもしれないが。
しかし実際は、使いに来たのは二人だけで、更に、スプートニクに断られるとあっさり帰還を命じた。それはすなわち、魔女協会はもうクリューないしはスプートニク宝石店をそれほど重要視していないということになる。
けれども。スプートニクは考えていた。
判断すべきは、魔女協会の真意、そこだけではない。
「俺を信用していいのか決めあぐねているね?」
腹の底を見透かされ、つい眉間に皺が寄る。そんな彼を茶化すように、また強張った雰囲気を和ませようとするようにソアランは、「顔が怖いよ。はいあーん」と苺を刺したフォークの先を差し出した。しかし当然ながらスプートニクには、野郎にものを食わせてもらう趣味はない。即座に拒絶するが、それもまた面白かったようで、彼はからからと笑った。
拒否された苺を自分の口に運び、ソアランは続ける。
「まァ、いいんだ。今日のこれはただの報告であって、君の決断を聞きに来たわけではない。君が俺を信用に値すると判断しようがしなかろうが、君が彼女の『体質』の存在を認めようが認めまいが、どちらでも。彼女の『秘密』が協会にばれなければ、ね」
「どうして」
疑問が口をついて出た。
スプートニク宝石店と関係のないはずのソアランがどうして、クリューの身の安全を気にするのか。それがどうしても、わからなかったからだ。
もしや彼の存在は、彼女の『体質』と何か関係があるのだろうか。スプートニクは自分と出会う前の彼女のことをほとんど知らない。クリュー自身が覚えていないからだ。もしかしたらソアランは、当時以前の彼女と何らかの関係が――しかしスプートニクの予想は外れたようだ。
彼の問いかけに、ソアランは愚問だとばかりに肩を竦めた。
「『どうして』? 決まっているじゃないか、魔法少女は彼らに仇為す存在だ。彼らの目的の邪魔をしたい、ただそれだけの行動原理に一体何の不思議があろう。それに」
彼はそこで一度言葉を切ると、フォークを手に取り、タルトを彩る一番大きな苺を持ち上げた。突き刺すではなくそっと、櫛の上に載せて。
薄いゼリーの膜がかかったつやつやと光る熟れた大きな苺を、一口でぱくりと食ってしまうと、厨房に向けて「美味しいよ、エルサ」とまるで子供のように手を振った。ポニーテールが揺れて振り向き、ありがとう、と答えが返る。
スプートニクに向き直ると彼は、にひひ、と歯を見せて笑い、そして続きを言った。それはひどく軽薄な本性を持つ彼の行動理念のようで、けれどもっと何か、彼以外の者には推して知ることすら憚られる、深い意味があるようにも思えた。
「俺は可愛いものが好きなんだ。可愛いものは守ってやりたい。出来るだけ」
ただその真意を問いかけることも憚られ、スプートニクは無言でコーヒーを啜る。苦味酸味が強まっていたが、まだかすかに温もりが残っていた。
(続く)




