6-1(2/22追加)
そして夜の帳が落つまでに、さほどの時間はかからない。
首を左に傾け、ゴキン、と関節を鳴らす。右手で首の筋を揉みながら、スプートニクはたった一人の自室にて、誰も聞くことのない呟きを溜息に混ぜて吐いた。
「まったく今日は、忙しかった」
――あの後。
階下に降りてきた魔法使いは、幾分頬の血色が良くなってはいたが、余程反省したのか、項垂れたままなかなか頭を上げようとはしなかった。
暫くの間か細い声で何度も謝罪を繰り返していたが、スプートニクが「その借りは明日返してくれ」と告げると、彼女はようやく元気を取り戻したようで、まるで花のように笑った。よくそうも口が回るなと感心してしまうほどにいくつもの語彙を使って感謝の意を伝え、同じようににこにこ笑うクリューの手を取り満足いくまで大きく振っていた。
しかし。おかげでスプートニクの予定通りにことは進まず、結局、今日中に熟したかった作業が一つ残ってしまった。残業だ。
明日は忙しくなりそうだから、せめて今晩くらいは早く休みたかったが、仕方あるまい。スプートニクは机の上から鍵の束と数冊の書籍と取り上げると、部屋を出た。先ほど風呂を浴びたばかりで、髪はまだ生乾きのままだが、その程度で風邪をひくような気候ではなかろう。
廊下を歩いて、共有部分に繋がる戸を開ける。だが、そこで思わず動きを止めたのは、目の前に予期せぬものがあったからだ。
「あ、……えっと」
もの。――というより、人。そこにはウサギのぬいぐるみを抱えた寝間着のクリューが立っていた。突然戸が開いたことに驚いたのか、ただでさえ大きな瞳を更に大きく見開いている。
まったく、この淑女らしからぬ自称淑女は。訪問理由を察するのは簡単だった。閉まろうとする戸を足で支え、腕組みをして彼女を見下ろす。
「また泊まりに来たのか」
しかし彼女は、大きくかぶりを振った。
「ち、違います」
「じゃ、なんだ。夜這いか?」
「もっと違いますっ」
頬を赤らめながらキィッと叫ぶ。力んだせいで腕の中で兎の首が絞まっているが、いいのだろうか。彼女はウサギを抱えていない方の腕で、やはり例のアリクイのポーズを取り、答えた。
「スプートニクさんを、守りに来たんです」
同じことではないか。
昨晩もろくに寝ていないのだ、こちらとしても休息を取りたいのは山々である、しかし。
「残念ながら俺はまだやることがある。俺の部屋に泊まるのは構わねェけど鍵かけて寝ろよ」
ほら入れ、と室内を指す。しかし彼女はそこから動こうとしなかった。首を傾げて、「やること?」と不思議そうに呟く。
「何をするんですか? ……まさか」何やら思い当たることがあるのか、不快そうに眉をひそめた。唸るような声で続ける。「女の人ですか」
「不正解」
左手を広げ、手の中の鍵束を見せる。そして言った。「残業だ」
「残業?」
「そう。今日中に作っておきたいものがあったんだけどな、業務時間中に間に合わなかった」
「作る……」
クリューはまったく予想外だったというように呆けた表情で、彼の言葉を繰り返した。
しかしその様子はそれほど長く続かない。スプートニクは基本的に、作品制作を行うときは加工室に人を入れないということを知っているからだろう、やがて彼女の頬は歪み、寂しそうな顔になった。
「私がいたら、邪魔ですか」
その問いかけに、やはり『守りに来た』というのは口実だったのだな、と再確認したような思いになる。一人でいるのが寂しいとか怖いとか、そういう理由なら最初から正直に言えばいいのに、まったくいつからうちの娘は保護者に対し嘘を吐くような悪い子になったのだろう。そんな冗談を思いつき、またそんな嘘吐きへの仕返しとして、少し苛めてやりたくなった。だから、
「まァ、邪魔だな」
つい、そんな言葉を吐いてしまう。すると彼女は思った通り、今にも泣きそうに眉を寄せた。
何か物言いたげに俯くが、けれどクリューが『職人としてのスプートニク』に我が儘を言うことはまずない。ゆえに彼女が次に言うことを予想するのは難くなかった――やがてクリューの唇が開く。
けれど彼は心から、彼女を拒絶したかったわけではないのだ。
だからこそそれを遮って、スプートニクはこう続けた。
「でも、ま、いるならいるでいいだろう。どうする、お前も少し遊びに来るか」
するとクリューは、はっと頭を上げた。そこに憂いの色はない。
言葉なくとも雄弁に答えを語る愛らしい瞳に対し、スプートニクは「夜遊びは不良のすることだけどな」と答え、ニヤリと意地悪く笑って見せた。
左手に明かり、右手に鍵を握って加工室を開ける上司の背をぼんやり眺めながら、珍しいこともあるものだ、とクリューは思った。
普段のスプートニクは作品製作を行う際、人を寄せ付けたがらない。それは昔からそうで、他人が視界に入ったりすることで集中が切れるのを嫌がるのだ。突然の来客等、緊急の用件があるときには対応もしてくれるが、それもあまりいい顔をしない。客に当たるようなことは決してしないけれども、クリューには彼の雰囲気からなんとなくわかる。
だというのに今晩に限って、遊びに来るか、とは。どういう風の吹き回しだろう――首を傾げ考えて、はっと、一つのことに思い当たった。
もしや、このスプートニクは。
「……スプートニクさんの、にせもの?」
「何がだ」
その可能性に気付き、思わず後ずさりをする。
ドアノブを握りながら振り返った彼の浮かべている、「また何かつまらないことを思いついたな」とでも言わんばかりの疎ましいものを見るような目は、確かに、もう何年もともにいる上司のそれと同じように見えたが。
しかしそれでも、油断はできない。
「い、イラージャさんが言ってました。魔法使いは変化の魔法を使えるって。誰かそっくりに顔かたちを変えたりすることもできるんだって。だから、も、もしかして、もしかしてスプートニクさん」
そう、もしかしたらたった今加工室を開けたのだって、加工室にある宝石を盗み出そうと画策しているせいではないのか。
腰が引けながらも、クリューはスプートニクに人さし指の先を向けた。
「に、にせものじゃないならその証拠を見せなさいっ。クーは、クーは騙されないのです」
「証拠ねェ……」
そうだな、と立ち尽くし、虚空を見上げて顎に手を当てる。
そうして考えている時間はそれほど長くなかった。目を細め、口の端を歪めて、性格の悪さを露骨に現したいつもの笑みを形作る。そして彼は、彼女の要求に的確に答えた。
「昔、リズリス市の商店街でお前が迷子になったときの話でもすればよろしい?」
「……そ、それはっ」
そしてそれは要求への答えとして、あまりにも的確過ぎた。頬に熱を帯びるのを自覚する。
リズリス市の商店街――それで想起されるのは、数年前、まだ二人が旅をしていた頃にとある街であった出来事。忘れたくなるほど恥ずかしい、クリューの思い出。
先ほど指さしたのと同じ手を、今度は広げて大きく振った。
「も、もういいですわかりました、スプートニクさんは本物のスプートニクさんですっ」
「遠慮するなよ。いやァ、あれは傑作だったなァ。あのときは朝市で混雑してて、あれだけ俺が『逸れるなよ』って言ってたのに、露店に並ぶ品の物珍しさに感けていつの間にか」
「スプートニクさんの意地悪!」
この底意地の悪さが、偽物に出せるとは思えない。頬を膨らませて抗議の意を表すと、彼は彼で呆れたように壁に凭れた。
「お前が変なこと言うからだろうが」
「スプートニクさんだって、私が本物か偽物かわからなくなったら、確かめたくなるに決まってます。私そっくりに化けた魔法使いが私の隣にいたら、どっちが私かわからないでしょう」
というか彼の場合、どっちでもいいからさっさと店番に戻れと言いそうである。むしろ、労働力が増えたから都合がいいとか言い出しそうな。
しかし彼はそう言わなかった。まったく呆れた、とばかりに溜息をつくとこちらに背を向け、ドアノブを握りながらぽつりと、
「わかるに決まってるだろう」
「えっ」
「従業員の顔も見分けられない店主がいてたまるか」
思わず、胸が震える。それだけ自分のことを気に掛けてくれているということだろうか――が、残念ながらその期待は外れた。
「リズリス市の人混みで迷子になったお前もちゃんと見つけてやったろう」
「それはもういいですっ」
彼がそんな甘ったるいことを、クリューに言ってくれるわけがないのだ。
クリューの答えに彼はケタケタ笑いながら、加工室の中に足を踏み入れる。暗い部屋の中、スプートニクが手元の明かりを頼りに、そこここにある洋灯を探し出して点灯させると、昼間ほどではないにしても、作業をするに苦労がない程度には明るくなった。
クリューはそれを待ってから、「お邪魔します」と呟いて中に入る。彼は明かりを手にしたまま、今度は道具を収めた棚の鍵を開けて、中を探り始めた。
「ぬいぐるみはそこらに置いておけ。……あァ、大事なら机の上はやめておけよ。汚れてるから」
それではどこがいいだろう。本棚の隙間? 部屋の外? 諸々考えた挙句、椅子を一つ拝借することにした。作業用机の下から丸椅子を一つ引き出し、足と手の位置を動かし重心を調整して、椅子の上に置く。とぼけた隻眼のぬいぐるみは、文句一つ言うことなくそこに腰かけた。
やがてスプートニクが棚から取り出したものは、幾つかの用具と、四角い塊。彼はそれを盆の上に載せて運んでくると、作業机の上に置いた。用具は鉛筆や鑢、デザインカッター等々、よくスプートニクが持ち歩いているもので、クリューにも見覚えのあるものが多かった。が、四角い塊の方は何だろう。作品制作ということは、恐らくは宝石加工の道具の一種なのだろうが、それだけは知らない代物だった。
これをどうして遊ぶというのか。隣に佇む彼を見上げると、面白そうにほほ笑んでいた。困った様子のクリューを見るのが、楽しくて仕方ないと言った様子。
「何ですか、これ」
「何だと思う?」
塊を指さして尋ねると、スプートニクは小首を傾げた。すぐに答えを教える気はないようだ。
仕方がない、クリューなりにその正体を考えてみる。透明な袋に包まれた白灰色のそれは、クリューの手のひらに乗る程度の大きさで、持ちあげるとそれなりの重みがあったが、人さし指で押してみると柔らかく沈んだ。これは、
「煉瓦……粘土?」
「惜しい。銀粘土だ」
答えると同時に彼は、クリューへ一冊の本を差し出した。それほど厚みのない大判の本で、『銀粘土で遊ぼう・手作りのアクセサリー』と題名が書いてある。
彼女の言った名詞の頭に、一つ言葉がついた。銀の、粘土。
「これ、銀なんですか? でも、これ、柔らかいですよ」
「だから粘土だって言っているだろう。これを焼成すると銀になるんだ。このあたりの資材屋だと取り扱いが少ないからな、この間、商会から取り寄せた。それほど高価なものじゃないが、これだけの大きさになるとやっぱり少し値が張ったな」
という割には、袋を開ける手つきは粗略だ。鋏で開封すると、適当な大きさに切り分ける。机に二つ欠片を置いて、残りを密閉容器にしまい込んだ。
「まァ、深く考えず、ちょっと高価な粘土遊びだと思え。好きな形を作って焼くだけだ」
スプートニクは向かいに腰かけると、粘土の欠片を一つ手元に寄せ、もう一つをクリューの方に押しやった。どうやら一つはクリューのためのものらしい。それから彼は喋らなくなり、ただ手元に広げた設計図らしき書類へ視線を落とすだけになる。もう、話しかけない方がよさそうだ。
クリューもまた同じように、もう一つの欠片を引き寄せ、丸椅子に座った。
そして『銀粘土で遊ぼう』を開き、思いを巡らせる。
『宝石吐きの女の子』が、なろうコン(エリュシオンライトノベルコンテスト)の一次選考通過候補作に選ばれたそうで、どうもありがとうございます。
一次選考選考者様方に「選考に残すに値する」と評価を頂けたこと、とても光栄に思います。この先どのような結果になるかわかりませんが、拙作を少しでも多くの方に好いて頂けたら幸甚ですし、また、そうあれるよう精進していきたいと思っております。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
なお、私が『宝石吐きの女の子』を書くきっかけとなった千石柳一様、伊川なつ様のお二方には選出のご報告をさせて頂きました。温かいお言葉、嬉しかったです。重ねてお礼申し上げます。
(エリュシオンライトノベルコンテスト http://www.wtrpg9.com/novel/)




