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宝石吐きの女の子  作者: なみあと
Ⅱ 魔女協会
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5-1(1/25追加)




 翌朝、クリューは非常に上機嫌だった。

 仕事ぶりはいつもと同じだが、その表情にはまるで蕩けだしそうな満面の笑みを浮かべていて、それは店員としての愛想と言うよりは、腹の内から湧いて出てくる嬉しさを隠しきれないといった様子である。

 時折不意に表情を消し、天井を見上げたかと思うと、やがて、にや、と怪しく笑う。理由を聞いてみると、どうも昨晩部屋に呼んでいろいろと話をしてやったのが余程嬉しかったそうで、その名残が消えないらしい。

 喜んだのなら何よりだ。それはいい。

 が。

「アンタ本当、あの子に何したのよ」

 カウンターに肘をついてぼんやりしていると、例によって例の如く『パトロール』にやって来たナツが、彼を睨みつけそう尋ねた。確かに、いつものように来てみたら友人が夢うつつのような笑顔でいるわけである、何があったのかと気になるのは必然だ。そしてその原因となりそうな存在は一名しかいないわけであって。

 しかし、まるで容疑者を見るような視線を向けるのはやめてほしい。顔を背けながら、スプートニクは低い声で答える。

「何もしてねェよ」

「本当に?」

「嘘ついてどうする」

 何も、と言うと語弊があるかもしれないが、少なくとも公序良俗に反するようなことはしていない。だからそう告げたのだが、勿論のことナツは信用しない。腕を組み、疑心の色の濃い目で彼を見る。スプートニクはその視線から逃れるよう俯いた。

 彼のその姿勢にナツは、それ以上彼が何かを語ることはないと悟ったのだろう。ため息をついて、そっぽを向いた。

「ならいいわよ、本人に聞くだけだから。――クリューちゃん?」

「あ、はいっ」

 呼ぶ声を受けて、また虚空を見上げて妙な笑みを浮かべていた彼女が我に返った。

 ナツはクリューの近くに歩み寄ると、目の高さをクリューに合わせて、にっこりとほほ笑み、問う。

「今日は何だか朝からご機嫌みたいだけど、何かあったの?」

 と、彼女はまた思い出したのか、蕩けるような笑みを浮かべた。赤らんだ頬を両手で押さえ、無駄に体を左右に振りながら、

「えへ。実は昨晩、スプートニクさんに――」

 しかしそこで言葉を切った。はっと目を見開き、笑みを消し。突き出した両腕を大きく振りながら慌てた様子でかぶりを振る。

「あ、だ、駄目です」

「何が駄目なの?」

「ごめんなさい、『ナツさんには内緒』ってスプートニクさんと約束したので、秘密ですっ」

 その答えにナツの頬が引き攣ったのを、スプートニクは、はっきりと見た。

 そしてまた緩んだ頬を作り、あまつさえ極めつきのように「二人だけの、秘密です」などと付け加えるのだから彼女の誤解はあっさりと天井に達する。夢見心地この上ないクリューに背を向けスプートニクにつかつかと歩み寄ると、思いきり彼の胸ぐらをつかみ上げた。

「あの子に何をしたのよクソ下衆がっ!」

「何もしてねェェェよ!」

 特に後ろめたいことはしていないのに、妙な誤解をされてはたまらない。そのため、昨晩泊めてやったことはナツには内緒にしておけと伝えたのだが、これでは逆に疑われるではないか。ナツの白い視線がこの上なく疎ましい。昨晩、苛立ちとベッドがないのとでろくに眠れなかったことも相まって、諸々ひどく面倒に思えてくる。もう、加工室に逃げてしまおうかとため息をついた。

 ドアベルが鳴ったのは、その矢先である。

「スプートニク宝石店へいらっしゃいませ! ……あれ?」

 追って聞こえるクリューの、通常の数割増しで弾んだ挨拶。しかしそれに、なぜか疑問符が続いた。

 昨日に引き続き、また珍客がやって来たのだろうか。カウンターに肘をついて顎を支えたまま、ともすれば落ちてしまいそうな瞼をようやっと上げて入口扉の方を見る。

 その人物が記憶の中の彼女と合致するまでに、数秒かかった。

「……あァ。アンタか」

 すぐに思い至らなかったのは、今日の彼女があの陰気なローブを着ていなかったからだ。

 白藍色のワンピースに、濃紺のジャケットを合わせている。首元に小さく光るネックレスはエメラルドか、彼女の瞳に少し似ていた――以前とは全く異なるごく一般的な格好。その背に美しいプラチナブロンドを携えた一人の女性が、深々と頭を下げていた。

「突然の訪問を、お許しください。店主様とお話をさせて頂きたく、参りました」




 椅子に座ったままカウンターに肘をつき、顎を支えながらスプートニクはぼんやりと、客ではないその訪問者を眺める。昨日朝に見た、白金色の魔法使い。格好から受ける雰囲気は異なれど、にこりとも笑わぬ愛想の薄い表情は変わらず健在であった。

 名前を思い出すにそれほど時間はかからなかった。イラージャだ。

「……あの」

 無言のスプートニクに痺れを切らしたか、イラージャが一歩踏み出す。が直後、スプートニクの視界からその姿が遮られた。突然誰かが間に割り込んできたらしい。

 目の前に広がる背中。支えていた手から顎を上げ、割り込んできたそれに焦点を合わせる。

 そこにいたのは誰あろう、クリューだった。両腕を大きく広げ、通せんぼの体勢でイラージャをきっ、と睨みつけている。

「私が伺います」

「あなたは」

「従業員のクリューです。店主に用件があるなら私を通してください」

 唇を尖らせ頬を膨らませ、放つは不機嫌そうな声。先ほどまでののほほん最高潮な様子は綺麗さっぱり消え去っている。先の魔法少女の襲撃のせいか、どうもクリューは魔法使い全般を憎むべき対象としてしまったらしい。

 眉を寄せたイラージャが、困った様子でスプートニクを見る。が、彼は肩を竦めて「だ、そうだ」と答えた。クリューに何かができるとは到底思えなかったが、もしかしたらということもある。スプートニクに助ける気がないとわかると、彼女は次にナツを見た。けれど当然ながらそちらも、苦笑しながら「悪いけど、私はここの店員じゃないから」と言うばかりである。

「……それでは」

 暫く戸惑っていたが、結局はクリューの指示に従うことにしたらしい。腰を折り、いたく真面目にクリューに話しかけるイラージャの様子は笑いを誘ったが、本人たちは至極真面目なのだろう。イラージャの言葉を、スプートニクはクリューの背の後ろで聞いた。

「先日の非礼の詫びと、今回の魔法少女の件に関し、店主様とお話をしたく参りました。お忙しいところ恐縮ですが、どうぞお時間を頂戴できればと思います」

「ふむ。わかりました、店主に伝えてみましょう」

「お手数をお掛けします。よろしくお願いいたします」

 クリューは深く礼をするイラージャに大きく頷いてみせると、くるりと回れ右をした。そうしてスプートニクに向き直り、気をつけの姿勢で彼女が彼へ伝えることは。

「入る店を間違えたとのことです」

「よし。丁重にお帰り頂け」

「私そのようなことは申し上げておりませんが!」

 入口扉を指さしながら告げた指示へ、噛みつくように答えたのはイラージャだった。一歩踏み出し抗議する彼女に、面倒だという感情を隠さずスプートニクは問いかける。

「冗談だよ。何の用だ」

 と彼女は、自身を落ち着かせるためか、ふうっと大きく深呼吸をした。その緑の瞳で真っ直ぐにスプートニクを見、低い声で答える。その立ち居振る舞いにはもう、戸惑いは残っていなかった。

「先日は、こちらの事情だけ一方的に申し上げてしまい、ご不快な思いをさせたかと思います。そのお詫びと……それから、本日は、魔女協会の人間としてでなく、私個人としてのお願いがあり、店主様とお話がしたく、参りました」

「個人的な頼み?」

 不思議そうに繰り返したのは、ナツだった。

「はい、あの」

 しかしそこで言葉を切った。続きを待つが何も言うことなく、ただ困ったような表情で、俯きがちに視線だけを辺りに巡らせる。――何を迷っているのかは、一目瞭然である。

 どうすべきか、思案したのは一瞬だった。

 頷き、告げる。

「わかった。話は加工室で聞こう」

「えっ」

 しかしそれに驚きの声を上げたのは、クリューだった。

 まさか応じるわけはないと思っていたのか、クリューとナツが同時にこちらを向くのがわかる。が、それらと視線を合わせないようにしてスプートニクは椅子から立ち上がると、そのまま加工室へ足を進めた。

「クー、お前は店番してろ。ナツはさっさと仕事に戻れ。……アンタはこっちだ」

 イラージャへもまた、一瞥もくれずそう言って、加工室の戸を開ける。軽く室内を見回すが、人目を避けたいものは特別なかった。ドアノブを支えたまま彼女を待つ。

 イラージャが追いつくまでに時間はかからなかった。やがて加工室の入口までやって来ると、律儀にも戸口で足を止め「失礼します」と深く一礼をする。スプートニクは軽く手を振ることでそれへの返事とした。

「作業用の椅子しかなくてな。古くて悪いが、そこらのに適当に――」

 座ってくれ、と言いかけた言葉を切ったのは、他でもない。

 ……イラージャの後を何食わぬ表情でついてきた人影があったからである。

 そのまま一緒に加工室に入って来た人影――クリューの首根を掴んで歩みを止めさせる。暫くの間、なんとか力押しで歩いていこうとしていたが、そうしていても襟が伸びるだけだと悟ったようで、やがてその場に立ち止った。

 拗ねたような、恨みがましい表情で、彼を見上げる。何が言いたいのかは聞かずとも分かった。

 けれどこの場はスプートニクも、彼女の上司として、引くことはできない。空いた左手で部屋の外を指さし、告げる。

「クー。店番」

「でも」

 と、彼女の眉が寄った。見上げるその表情は酷く心細げである。何をそうも案ずることがあるのか――思いながらも、口の端だけで小さく笑ってみせた。

「大丈夫だから」

 何が大丈夫なのか、根拠など自身にもなかったが。

 クリューは暫くの間、唇を横一文字に結んだままじっと彼の目を見つめていたが、やがて彼に折れる様子のないことを受け入れると、

「……なんか変だと思ったら、すぐに来ますからっ」

 叩きつけるようにそう告げ、背を向けて戸の方へ歩き出した。

 部屋を出る直前、一度足を止め、イラージャを強く睨む。それにイラージャは若干怯んだようだったが、クリューは一切動じない。そのまま部屋を出ると、強烈な音を立ててドアを閉めた。棚の瓶がカタカタ震えて抗議するほどの衝撃音に、流石のスプートニクも「おォ」と声が出る。

 音に驚いて固く目を閉じたイラージャが、恐る恐る瞼を上げる。竦めた肩をゆっくりと元に戻して既に閉じた戸を見、珍妙な表情をした。それから次に、上目遣いでスプートニクを伺う。

「よろしいのですか」

 念を押すようなその言葉に、スプートニクは些か驚いた。

「なんだ、人払いをしたかったんじゃないのか」

「いえ。それは確かに、そうなのですが……」

 困ったように彼と、彼女の出ていった戸を交互に眺め、やがて何かを諦めたかのように「何でもありません」と言った。

 なんとも妙な奴である。いや、あの男の方よりは人間味があるだろうか。一連の彼女の様子を見て、この彼女に笑顔がないのは愛想がないわけではなく、ただ生真面目すぎるだけなのかもしれないなとスプートニクは思った。――が、いずれにせよ。

 作業机を挟んで反対側にやって来ると、机の下から背もたれのない椅子を一脚引き出して座った。机の下を指さして、同じようにするようイラージャへ指示を出す。

「本来人を迎える部屋じゃないんでね、手狭なのは勘弁してくれ。さて」

 窓辺から差し込む温かい陽光と、同様窓辺でチイチイと鳴く小鳥がやけに眠気を誘う。鎮痛剤の副作用も相まってか、少々気を抜けばたちまち舟を漕いでしまいそうな睡魔に気付かれぬよう留意しながら、小首を傾げて意味ありげに笑ってみせた。

「茶も出さねェで恐縮だが、折角うちの従業員が上機嫌で扱いやすかったところをふいにしてまで迎え入れてやったんだ。相当に面白い話を聞かせて頂けるんだろう?」




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