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宝石吐きの女の子  作者: なみあと
Ⅱ 魔女協会
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4-2




 スプートニクはまず、本棚から幾冊かの本を取り出した。

 書かれた題名は、『石言葉』『貴石の齎す世俗的効果』『癒効果と鉱石・貴金属』。少し迷ってから、そこにもう一冊を重ねた。大きめの字で『はじめてのほうせき』と書いてある。製作の参考にするにはあまりにも幼稚すぎて、もう久しく開くことのなかったそれ。計四冊の本を取り出すと、ベッドの上、クリューの脇に放った。書斎机の椅子へ再び腰かけながら、説明を始める。

「宝石には力がある、とは昔から言うな。それはあながち、迷信でもない。はっきり医学的な証明がされているかというとそれは否定できるが、それでも確かに精神的・心理的効果はあるだろう。一種の偽薬効果プラセボに近いものだが」

 クリューが、渡した本のうちの一冊を開いた。しかし開いた先に躍っていた細かく専門的な文字の羅列に眩暈を覚えたようだ。固く目を閉じ、ぷるぷる頭を振る。これは自分には無理だと踏んだらしく、すぐ別の一冊に手を伸ばした。そちらはどうやら彼女の耐え得る範疇であったようで、のんびりと文字を追い始める。――『はじめてのほうせき』

 絵本に近いそれを楽しそうに眺める彼女を見ながら、スプートニクはこう続けた。

「ただ、それとは全く違う次元の話で、宝石には力がある。力を込めることができる、と言うべきか」

「力?」

「魔法使いは宝石に、魔力を詰めることができる」

 不思議そうに顔を上げた彼女へ、スプートニクは頷いて見せた。

「宝石は魔力の水筒のようなものだと思え。宝石とは、魔法使いの持つ魔力を中に詰め、保存しておくことができるものだ。魔法使いは自身の中にある魔力と呼ばれる力を媒介に、異質な現象――例えば何もない空間に明かりを灯したりだとか衝撃波を起こしたりだとか――を現実のものとするが、勿論のこと、魔力が尽きれば魔法使いは魔法が使えなくなる。魔法使いが魔法を使えないとなれば死活問題だ。だからそうやって前もって宝石に魔力を詰めておき、争いや何かで自身の魔力が尽きたとき、宝石に詰めておいた魔力を取り出して再び魔法を行使する。……そうやって宝石を大量に消費する魔法使いという存在は、宝石商にとっての上客だ」

 一番上の引き出しを開け、宝石を取り出し机上に置く。さほど大きくないエメラルド。宝飾品のデザインを考える上での参考として、加工室から拝借していたものだ。

 不意にクリューが、パン、と手を打ち合わせた。

「あ、わかりました」

「うん?」

「だからこの街、私たちが来るまで宝石屋さんがなかったんですね。魔法があまり使えない場所だから――宝石をたくさん買ってくれる、魔法使いさんがなかなかやって来ない場所だから」

「そういうことだ」

 装飾品としての宝石の販売だけで生計を立てられるか否かはある種の賭けだが、スプートニクには旅商人をしていた頃に培った得意先とコネクションがあったからそれほどの懸念材料とはならなかった。そもそも魔法使いとの関わりを厭うていたスプートニクにとって、魔法使いが訪れず、また商売敵もいないリアフィアット市は、店を構えるのに非常に好都合だったわけである。

「けど、どうしてスプートニクさんは魔法使いさんに宝石を売らないんですか」

「魔法使いってェのは異質な力を使う集団だ。それはつまり、俺たち普通の人間が持ち得ない武器を常に所持しているということに等しい。金が稼げることは確かだからほとんどの宝石商は魔法使いとも取引を行うし、魔法使いとのみ取引を行う宝石商も少なくない。が、商交渉の方法を少しでも間違えば、気を害した魔法使いから未知の力で脅迫されるおそれもある。だから俺は魔法使い相手の商売はしない。無駄に頭を下げるのは嫌いだ」

「……ああー。なるほど」

「どこに納得したんだ」

 合点がいったという様子、しかしその仕草の意味が言葉の最後のみに係っているように思えてクリューを睨みつける。と、彼女はサッと目を逸らした。

「と、ともかく。それじゃ、あの魔法少女さんは、それを使っているんでしょうか。魔力を詰めた宝石を大量に持ち歩いているから、東の端のリアフィアット市でも魔法が使える、と。……あれ、でもどうして東だと魔法の力が弱まるんですか。ナツさんとのお話のときは、魔女協会の本部みたいなのが西にあるっていうのと関係あるみたいな言い方してましたけど、よくわかりません」

「魔法使いたちは、『始祖』――これは俺もよく知らんが、つまるところ最も偉い魔法使いってところだろう。それの加護によって魔法を使う。奴らが始祖を祭っている場所は、協会本拠地、大陸の西にあるんだが、始祖の加護を受けられる距離には限界がある。魔法使い自身の体内に魔力が有り余っていても、始祖から遠ざかれば遠ざかるほど行使できる魔法は弱くなり、リアフィアットあたりまで離れてしまうとほとんど使えないに等しいんだそうだ。だから奴らは、東になんてほとんど来ない」

 だからこそ、このリアフィアット市であれほどの魔法を使って見せた自称魔法少女は不可解なのだ。瞬間移動だの物質を止めるだの――魔女協会の使者を名乗るあの男ですら、指先に光球を出しただけだったというのに。

「詳しいんですね」

「俺は宝石商だからな。宝石と魔法使いは切っても切れない仲にある。顧客にいないとしても、耳には入ってくるもんだ」

「私は知りませんでした」

「教えなかったからな」

 実際、装飾品としての宝石を売るなら一切必要のない知識である。だから旅をしていたときも、店を構えるときも魔法使いの話などしなかった。そもそもリアフィアットにいるなら魔法使いなど会うこともない。だから世に魔法使いという人種がいるということすら教えなかったのだけれど、それでも、不満に思うところがあるのだろう。毛布の裾を握って、拗ねるように唇を曲げた。

「でも、なんとなくわかりました。ソアランさんがこの街に魔女協会の支部を作るって言ったとき、スプートニクさんが嫌がった理由。ここに魔女協会ができたら、宝石商のスプートニクさんは魔法使いさんに関わらないわけにはいかなくなりますもんね」

「…………」

 それだけでも、ないのだが。

 けれど逐一個人的な感情まで説明する必要はないだろう。それに、そんなことよりも。机に肘をつき、思っていたことをぽつりと吐いた。

「あの男は嫌いだなァ」

「どうしてです?」

 首を傾げ、不思議そうな顔をする。暢気のんきな奴め。

 話すべきかどうか迷ったが、このくらいはまァいいか、と口を開いた。

「『魔女協会』という名前に、お前は違和感を覚えないか」

「いわかん」

 覚えないようである。

「なら、いい。おやすみ」

「お、覚えます。覚えます。すっごく変に思います」

 話を打ち切り再び本棚に手を掛けるスプートニクを見て、クリューはベッドから身を乗り出し、慌てたように言い直した。だからお話してください、と言わんばかりの姿勢。

 スプートニクは深く息を吐いてから、ぼそりと呟くように、答えを返した。

「……魔『女』協会。だのに魔女協会からの使いのあれは」

「あっ」

 そこまで言って、ようやく彼女も気づいたようだ。

「イラージャさんは女の方でしたけど、ソアランさんは男の方でした。男性もいるのに、魔女協会なんですね」

「魔女協会とは――魔法使いとは、その組織名からもわかるとおり、女尊男卑の傾向にある。近年でこそ男女同権が謳われるようになったが、それでもやはり女社会の傾向は根強い」

「女社会で男性が生き残るのって、そんなに大変なものなんですか」

 頷こうとして、しかし、そこで自分が肯定するのは間違いだと思い直す。彼らと違い宝石商会はまごうことなき男女同権の組織で、スプートニク自身は実際に性差別を体験したことはない。説得力に欠ける。

 丁度、それを語るに的確な人間の名を思い出した。

「あとでナツに聞いてみろ」

「ナツさん?」

「警察組織も同じようなものだ。あれも今こそ男女同権の組織とされているが、もともとは男社会で、表立って言うことはなくともその風潮は今もある。あれがあそこまで出世するには、それなりの苦労があったはずだ」

 あれと自分の反りが合うことは恐らく一生ないだろうが、それでもあれの努力までもを認めないわけではない。

「そしてあれはそういう魔女協会せかいの中でそれなりの地位に就いている。少なくとも、じきに出来る魔女協会支部の支部長に任命される程度には」

 説明を受け、クリューはふんふんと頷いた。ソアランさんは凄い人なんですね、と呑気に言うが、感心で終わらせていい話ではない。――腹に何を抱えているのか知れない、底の見えない笑顔。敵ばかりの組織の中で伸し上がった、やり手の魔法使い。そういう人間がこのまま去ってくれるとは到底思えなかった。

 だからこそ、一度引いて見せたあの男により一層腹が立つのである。ギリ、と音がして、自分が奥歯をきつく噛みしめていることに気付いた。

 一度息を吐いて、平静を取り戻し。それからベッドを振り返ると、クリューは肩まで毛布を掛けて横になっていた。

 組織の有り様に関する話は、馴染みのない彼女には眠気を誘ったのかもしれない。片手にぬいぐるみ、片手には閉じた『はじめてのほうせき』を握っている。残りの本は端に積んで、布団の中からスプートニクを見ていた。瞼も少々重そうに見える。

「もういいだろう。そろそろ寝ろ」

 と、彼女のとろんとした目が瞬時に見開かれた。

 大きくかぶりを振る。

「寝ません」

「寝ませんってお前、明らかに寝る体勢じゃないか」

「ちょっと横になりたい気分だっただけです。まだ眠く……ないです」

 眠く、の後に妙な間があって、彼女の瞳が潤んだ。どうやらあくびを噛み殺したようだ。小言を重ねてやろうと口を開きかけるが、それより早く彼女が問うた。

「スプートニクさんはまだ寝ないんですか」

「俺はまだやることがある」

「やることってなんですか」

「家計簿とかだな」

「嘘ばっかり」

 即座に嘘と決めつけるのもいかがなものか。嘘だが。

 布団の中から顔だけを覗かせて彼を見、強請ねだる。

「もっとお話、してください」

 しかし、そう言われても。

 これ以上魔法使いに関して話したところで何らかの成果が得られるとも思えない。けれども、かといって童話や物語を話して喜ぶほどクリューが子供であるとも思えず――とはいえこれ相手に愛を語る気になど、到底なれるわけもなく。

 彼女が理解できないような学術論文の話でもすればさっさと寝てくれるだろうか。いや、それこそ自分にもわかるよう噛み砕いて説明しろと注文を付けてきそうである。

「スプートニクさんの昔のお話とか、聞きたいです。何でもいいです。何でも」

 何でも、ね。腕を組み、背もたれに重心を預ける。

 天井を見上げ、記憶を探り。そうして一つだけ、彼女に話しておくべきことを思い出した。それは幼い頃の思い出などより遥かに重要なこと。

 薄暗く見え難い視線の先で、うっすらと揺れるものは綿埃か。天井の隅を見つめたまま、彼は早口でこう言った。

「俺がどうにかなってもお前の生活は保証されている」

「え……」

 それに返ってきたものは、吐息のような声だった。

 振り返ると、彼女は布団の中で目を見張っていた。先ほどまでの、好奇心と甘えと眠気の綯い交ぜになった表情は消え、今は驚きにも恐怖にも見える、なんとも良くないものを浮かべている。何かを話せと言ったのはそちらだというのに、浮かべたその滑稽な表情は、見ようによっては嫌悪にも見えた。

「どういう、意味ですか」

「どうもこうも、そのままの意味だ」

 何かの暗喩でも、特別深い意味を込めているわけでもない。いつかは話してやろうと思っていたことだ、丁度良い機会である。従業員を雇い入れる際に商会と交わした契約書の控もどこかの棚にしまってあるはずだが、書かれた文面は小難しい言葉の羅列で、読ませたところで恐らく彼女には理解できないだろう。できるだけ噛み砕いた表現を選び、簡潔に整理して、その内容を口頭で伝えてやる。

「これは今に始まったことじゃないけどな、お前の雇い主であり後見人である俺に万が一のことがあった場合、お前の後見は、商会に一任されることになっている。『万が一のこと』――破産、事故死、意識不明、失踪、蒸発。その他諸々、いずれの場合でもお前の安全は最優先に保護される。俺はお前を雇うとき、商会とそういう契約を交わした。だからそんなに」

「違います」

 お前が心配する必要は、と続けようとして、遮られた。

 クリューが大きくかぶりを振る。潤んだように光る瞳でスプートニクを真っ直ぐに見て、

「なんで今、そんなこと話すんですか」

「お前が何か話せって言うからじゃないか。……だから俺に何かあったときは、俺の名義で商会に連絡を取れ。商会が、商会の威信にかけてお前を守ってくれる。お前の扱いは、何をどう間違ったところで昔みたいなことにはならない。心配するな」

 クリューの来歴と経験則からして、彼女が恐れるのはきっと、後見を失くし世に放り出されたときのことだろう。だからそれを語ることが、現状に対する不安の払拭に繋がるだろうと考えて、伝えたのだが。

「そんなこと!」

 残念ながら、スプートニクの思惑は外れた。

 クリューは兎と本を放り出し、掛け布団を跳ね除けて起き上がる。と同時に、彼女の目から涙が零れ出た。あくびのせいで涙が溜まっていのたかと思ったが、そうではないらしい。すぐに大粒の涙が幾つもぽろぽろ追って流れ、みるみるうちに彼女の頬を濡らしていった。

 突然のことに、流石のスプートニクもぎょっとする。

「お、おい。泣くことはないだろう」

「だって、だって、そういうのじゃないのに。クーが聞きたいの、そんなことじゃないのに」

 ヒィ、と音を立てて息を吸う。

 寝室で予期せず女に泣かれるというのは、いくら相手がこのちんくしゃとはいえ、なんとも、こう――流石の彼も居た堪れなくなって、席を立った。ベッドの端に腰掛けて、「泣くな」と彼女の頭に手を置く。クリューはしゃくり上げながら、布団の裾で頬を拭った。

「やだ、す、スプートニクさん、いなくなっちゃうなんて、やだ」

「万が一、億が一の保険の話だ。そもそも俺がどうこうなるなんてことがあるわけないだろう。この俺が」

「そ、そんな、す、スプートニクさんだ、だって、死んじゃう、です。あの、清めた銀の杭、とか、心臓に、刺されたら、たぶ、多分、死んじゃう、で、す」

「いやそこまでされたら死ぬけどな流石に」

「死んじゃ嫌ですっ」

 まるで何かの化け物のように言うから思わず指摘したのだが、それもまた彼女の悲しみに拍車をかけたらしい。布団の裾を握りながら大きく首を振る。

「あァ、わかったわかった、死なない死なない。酒に王水仕込まれても心臓に杭刺されても死なないからいい加減泣き止め」

「ほ、本当ですねっ」

「本当本当」

 はたして杭というものは気力で何とかなるものなのだろうか、と思いながら背をさする。すると彼女はスプートニクの胸に頬を寄せて、うう、ううと細く唸った。

 やがてしゃくり上げる声が落ち着いた頃、二度ほど背中を軽く叩いてやる。と、胸元でクリューがゆっくり顔を上げた。目はやや赤く腫れているが、充分に泣かせてやったおかげで切羽詰まったような雰囲気は消えていた。

「落ち着いたか」

「はい……」

 それならもういいだろうと、背に回した腕を離す。が、胸元に縋りついたクリューの方が離れてくれない。引き離そうとやんわり肩に触れると、彼女がぼそりとこんなことを囁いた。

「……やっぱりまだ落ち着かないのでもうちょっとぎゅってしててください」

「甘えるな」

「痛い」

 頬を軽くつねってやると、ようやく離れてくれた。

 代わりとばかりに、放ったままにしていたぬいぐるみを取り上げて、また腕に抱く。スプートニクはベッドの端に座ったまま、腕と足を組んでぽつりと言った。

「まったく、お前は淑女なんだろう。血も繋がらん男にべたべた甘えるんじゃない。本物の淑女が聞いたら呆れるぞ」

「普段は子供扱いするのに、こういうときばっかり。スプートニクさんは勝手です」

 そんなのはお互い様である。

「ほら、寝ろ。もう眠いんだろう、変なことで愚図りやがって」

「まだ眠くありません。私だってもう、子供じゃないです。夜更かし、できます」

 とは言うが、呂律が若干回っていない。極め付けとばかりに言葉の最後は大きな欠伸に消え、思わず笑ってしまう。いいからもう寝ろ、とクリューの肩を軽く押してやると、自分の瞼が限界であることはクリュー自身わかっていたようで、今度こそ文句を言わず横になった。

 栗色の髪が枕の上に広がるのを見ながら、手を伸ばして髪を撫で、額を撫で、頬を撫でる。すると彼女はまるで飼い主に甘える猫のように目を細めた。

「懐かしいな。昔はこうやって寝かしつけたっけかな。……あの頃に比べると太ったなァ」

「失礼なこと言わないでください」

「褒めたんだよ。健康的になったなって」

「ならちゃんとそう言ってください」

 まったく、我儘な淑女である。訂正するのも億劫で、軽く肩を竦めて見せると、彼女は大げさに唇を尖らせた。けれど本当に拗ねているのではないことは、明らかである。

「スプートニクさんなんて、だいっきらい」

「嘘ばっかり」

 だからスプートニクも冗談めかしてそう答える。

 と、クリューは、うふふ、と小さな声で笑った。そのままゆっくりと目を閉じる。やがて寝息が聞こえてきて、彼女はようやく眠ったようだった。





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