第八章 魔神の神殿~ 永遠の命と裏切りの末路(4)
シルク、そしてワンコーとクックルーはひたすら階段を上っていた。
残念なことに、そこには頼れるメンバーであるクレオートの姿はない。だが、彼女たちは迷いも躊躇いも断ち切って、王の間に向かって突き進んでいた。
始まりがあれば、必ず終わりがある。彼女たちはついに、階段の頂点へと辿り着くことができた。
「ついに、到着したのね」
思えば長い道のりであった。
さまざまな街や村を訪れて、あらゆる洞窟や地下道を彷徨い、疑似的に作り出された空間を突破してきたシルクたち。困難と試練の末、ようやく闇魔界の終着点に到達したのである。
魔神の神殿の最上階とも言えるこの場で、彼女は真っ直ぐに伸びた通路の先端を凝視する。
開けた視界に入ってくるものとは、薄明かりの中に浮かび上がる大広間、ブロック床に敷き詰められた赤いカーペット、そして豪華絢爛な装飾をあしらった王座。そう、まさしくそこが王の間であるかのごとく。
「よし、入りましょう」
シルクは静寂とした王の間に入室するなり、一歩、また一歩と赤いカーペットを踏み締める。
ワンコーとクックルーも神経を尖らせながら、ご主人様の後ろにピッタリと付いていった。
王座に近づくにつれて、王の間の全体像が明らかになっていくも、彼女はそこにある一つの異変に気付く。
「おかしいわね。魔神はどこにいるのかしら?」
この王の間にいるはずの、討伐すべき魔神の姿がどこにも見当たらないのだ。だが、魔族が醸し出す独特なオーラだけはしっかりとそこに漂っている。
クルクルと首を回しても魔族らしき影も形もない。それでも、息詰まるような怪しい気配が、高い天井からずっしりと圧し掛かっていた。
(!?)
それは突然のことだった。
王の間に差し込む明かりが突如消え失せて、シルクたちは真っ暗な闇の世界へと誘われた。
こんな暗黒などもう慣れっこではあるが、妖気を感じさせる重圧の空間では、さすがの彼女たちも緊張と不安から鼓動を高鳴らせる。
その刹那、彼女たちの鼓動をさらに激しくさせる、おぞましくも力強い男性の声が轟いた。
「三つの試練を乗り越えた勇者よ。よくぞ、我が魔神のもとへ辿り着いた」
真っ暗な空間の中に、豪華な装飾で光り輝く王座だけが明瞭に浮かび上がった。そして、道筋を導くかのように、数本の灯篭に真っ赤な火が灯る。
王座に足を組んで腰掛けている男性の姿。闇の中に溶け込むような真っ黒な甲冑で全身を覆い、その右手には黒光りしている長い剣が握られていた。
灯篭の灯りを頼りにしながら、禍々しい妖気を放つ男性のそばへ近寄るシルクたち。
甲冑のせいで顔立ちを窺い知ることはできないが、その威風堂々たる威圧感から、彼こそがこの神殿の王座に君臨する、闇魔界の支配者である魔神アシュラに違いない。
「我こそが魔神アシュラ。新たな闇の世界を創造し、この闇魔界と呼ばれる世界を支配する者」
絶大なるその存在感、計り知れない悪意の波動が、シルクたちを飲み込まんと埋め尽くしていく。
闇の支配者とは、これほどまでに偉大な存在だったのか。彼女は迫りくる脅威に身震いし、両足が竦んだ。
「どうやら、おまえたちは人間界からやってきたようだな。ここまでやってきたこと、褒めてやろう。せめてもの情けだ、名前を聞いておいてやろう」
こんなところで気後れしているわけにはいかない。シルクは高鳴る胸を落ち着かせてから、固く閉ざされていた口をゆっくり開いていく。
「あたしはシルク・アルファンス=パール。ある王国の王女、生まれた時から神通力を持ち合わせる伝説の支配者よ」
シルクの自己紹介を耳にした途端、甲冑の下のアシュラの顔が強張ったかに見えた。
しかし、彼は魔族の王として取り乱すことはなかった。どっかりと腰を据えて、同じ運命を背負った来客のことを心から歓迎した。
「ほう、そういうわけか。……まぁ、よい。では、ここへ来た用件を聞こう」
表情も気持ちも引き締めて、きちんと姿勢を正したシルク。魔神に尋ねられるがままに、彼女は余すことなく一言一句正直に答える。
「あたしたちは、闇魔界から脱出するために、ありとあらゆる空間を旅してきた。その答えがきっとここにあると信じて、はるばるここまでやってきたわ」
この地で苦しめられている人間を救うため、魔神という名の闇の支配者を撃破する。シルクは持ち合わせる勇気を振り絞ってそう主張した。
人間の小娘ごときが小賢しい。凛と振る舞う彼女のことを鼻で笑うアシュラ。闇の王であり、支配者でもある彼にしてみたら、小生意気な戯言だと感じるのは当然のことだ。
子ども扱いされることを何よりも嫌う彼女だが、それよりも、人間という存在を嘲笑されたことの方が許せなかった。そんな彼女の表情には、やり場のない悔しさが浮かんでいた。
「魔神アシュラ、一つだけ答えて」
シルクがどうしてもアシュラに問いただしたかったこと、それはただ一つ。
人間として生まれていながら、なぜ人間を裏切り、なぜ人間を虐げる魔族に寝返ったのか?
真実のみ知る者エルドーヌから、その辺りの経緯について告げられていた彼女だが、真意そのものを、直接本人に問うてみたかったのだ。
「人間の血が流れていたのなら、人間の心や肌の温もりを知っているはず。それをすべて蔑にしてまで、どうして魔族に魂を売り渡してしまったの。答えて!」
シルクの怒りに満ちた甲高い声が室内に響き渡る。
――それから数秒間、息苦しい沈黙の時が訪れた。
愚かしいことだと、ぶしつけな捨て台詞を吐き捨てるアシュラ。甲冑の仮面の下からわずかに見える口が、ニタリと不気味に吊り上った。
「いくら人間たちの上に立ち、指導者と呼ばれる立場であっても、いつかは老いて死に至る。だが、魔族として生まれ変わることができれば、もう死を恐れることはない。つまり、我に恐れるものは何もないということだ」
支配者の宿命を持つ者なら、いつか必ず知ることになるだろう。命を失う恐怖と、老いていく悲痛を……。まだ幼い少女のシルクに対し、魔神アシュラはきっぱりとそう言い切った。
彼が冷淡に語った理由の一つ一つは、彼女を震撼させるものだった。それも頷けるだろう、魔神と成り果てた者には、もう人間としての暖かい血潮など宿ってはいなかったのだから。
「あなたの方こそ愚かしいわ!」
シルクの怒鳴り声には悲嘆と憤慨が入り混じっていた。それは同じ人間として、また支配者として、やり切れなさを映した彼女の心情でもあった。
人間だからこそ、生きることの尊さを知り、生きることに未来と希望を見出せる。人としての価値を捨てて手に入れた永遠の命など、何も意味を持たず荒唐無稽もいいところだ。彼女は眉を吊り上げて烈火のごとく罵倒した。
次の瞬間、アシュラの表情が悪の権化と化した。甲冑の仮面から覗く顔つきは、まさに悪魔と呼ぶにふさわしい禍々しさに満ち溢れていた。
「綺麗ごとを抜かすな! この世に命を惜しまない生物など存在するものか。どうせキサマも、闇の支配者の証しとなる魔剣を手に入れるために、ここまでやってきたのだろう?」
闇の支配者の証しとなる魔剣――?
その意味不明でかつ不穏なキーワードに、シルクの表情が瞬時に険しくなった。
アシュラが杖のように床に突く黒光りした長剣。まるで魔物でも棲み付いているようなその不気味さが、支配者を証明する魔剣であることを物語っていた。
当然ながら、魔剣のことを知る由もない彼女は、意味も分からず呆然とするしかない。しかし、一方のアシュラの方は、闇の支配者の地位を譲るまいと声を荒げていきり立っている。
「我は苦労の末、この魔剣とともに支配者となった。わたしはもう死ぬこともなく、永遠にこの地で生き長らえるのだ。フハハハ、どうだ、素晴らしいだろう? 誰にも邪魔はさせんぞ!」
邪魔をするも何も、支配者になることなど毛頭ない。シルクは必死になって訴えるが、アシュラは全身から邪悪なオーラを漂わせて、すぐにでも襲い掛からんばかりの形相だ。
闇の支配者を望むなら、我を倒し魔剣を奪ってみせよ! 彼は血気盛んに声を張り上げるなり、魔性を放つ魔剣の剣先を突き出した。
話し合いに応じる敵ではない。戦って勝利する以外、この地に住まう人間たちを救い、未来と希望の光である救世主になることはできない。彼女は口惜しくも、名剣スウォード・パールを引き抜いた。
「あたしたちは戦うしかないのね。ワンコー、クックルー、気合いを込めて。これが、あたしたちにとって最後の戦いよ!」
勇ましく相槌を打ち、ワンコーとクックルーは戦闘態勢を整える。死闘になるのは間違いないだろう、彼らの表情にも緊張感が滲み出ている。
全身黒ずくめの魔神アシュラも黒ずんだマントを翻し、悠然と王座から立ち上がる。醸し出す壮絶なる威厳は、あらゆる魔族を束ねる闇の支配者の風貌そのものであった。
クレオートがいないこのパーティーでは、スピードの面ならまだしも、パワーの面で不利な戦闘になるのは否めない。シルクは持ち前の知恵を絞り、魔神との戦いのシュミレーションをイメージする。
(あの物腰なら、きっとパワーでねじ伏せようとするはず。クレオートが到着するまでに、あたしの剣術とクックルーの魔法で、どれだけ魔神の体力を奪えるのか、そこが重要だわ)
それを例えるのなら体力温存型の戦法。シルクは仲間たちにその作戦を耳打ちし、万全なる戦闘態勢を敷いた。
勇敢に立ち向かう勇者たちを一瞥し、アシュラは自信に満ちた笑みを浮かべる。何を企んでも、無駄な足掻きだと言わんばかりに。
「フッフッフ、我が実力をとくと見せてやろう。闇の支配者ダークネスルーラーの真の実力を、その軟弱な体を持って知るがよい!」
アシュラが魔剣を頭上へ掲げると、充満していた暗闇がみるみる刀身へと吸い込まれていく。
嵐となって吹き荒れる暗黒の渦。それは火の灯った灯篭を次々となぎ倒し、さらに、シルクたちまでも吹き飛ばしてしまうほどの勢いだ。
彼女たちは姿勢を低くして一箇所に集まり、どうにか暗黒の嵐をやり過ごした。
いつの間にか闇は消え去り、真っ暗だった室内は昼間のように明るくなっていた。その代わり、ただでさえ黒光りする剣がより真っ黒に輝いていた。
「これこそが我が究極魔法。魔族にしか操ることができない暗黒魔法だ。行くぞ、地獄激!」
数ある魔法の中でも最強最悪と言われる暗黒魔法、その名も地獄激が、アシュラの振り下ろした魔剣から解き放たれた。
地獄激は暗黒魔法の一つだけあって、真っ黒な弾丸に形を変えて、シルクたちに向かって突き進んできた。
巨大ながらも高速で飛行してくるその弾丸、とても剣や魔法で弾き返すことができないと悟ったシルクは、仲間たちに逃げるよう指示し、自らも横っ飛びでそれを回避しようとした。
ところが、弾丸に変化した地獄激は空中で大爆発を起こし、どす黒い爆風により、彼女たちを大広間の壁沿いへと吹き飛ばしてしまった。
「キャアッ!」
「ワオーン!」
「コケケッ!」
暗黒魔法の直撃は免れたものの、シルクにワンコー、そしてクックルーは空中を数秒ほど舞った後、赤いカーペットの上に叩き付けられた。
全身に痛みが駆け巡り、苦痛の顔色を浮かべる彼女たち。それでも、長い戦闘で培った身のこなしと受け身のおかげで、大怪我という惨事には至らずに済んだ。
「ワンコーにクックルー、だ、大丈夫?」
「ワ、ワン」
「コ、コケ~」
シルクの呼びかけに、ワンコーとクックルーは弱々しい声で応答した。
まさか空中で爆発するとは……。地獄激という魔法の予想だにしない挙動と威力に、内心ショックを隠し切れない様子の彼女だった。
ゆっくりと体を動かし俯せの格好となったワンコー。魔法評論家を自称する彼は、こんな危機的状況においても、暗黒魔法を解説するこの絶好の機会だけは逃さなかった。
「暗黒魔法は、まさに最高峰とも言える究極の魔法だワン。その中でも、邪悪なパワーをたくさん必要とする地獄激を使ってくるなんて、さすがは魔神と言えるんだワン」
術士ガゼルや、破壊神ゲルドラなど、これまでに出会った魔族でも暗黒魔法を司る者はいたが、ここまで闇の力を自在に操れる者は過去に存在しなかっただろう。ワンコーのそんな話に、シルクは怖気づきながら頷くしかなかった。
恐れるのも無理はない。神をも超越した能力を誇る闇の支配者が、究極の暗黒魔法を武器とし、今まさに、彼女たちの前に敢然と立ちはだかっているのだから。
「おいおい、のんきに魔法談義してる場合じゃないコケ!」
羽根をばたばたさせて警告したクックルー。彼の目線の先では、魔神アシュラが次なる魔法攻撃の準備を整えつつあった。
シルクとワンコーも慌ててそちらへ顔を向ける。すると、アシュラはまたしても真っ黒な魔剣を掲げて、地獄激第二弾を繰り出そうとしていた。
「さぁ、行くぞ。かわせるものならかわしてみよ!」
魔剣から黒色弾丸が解き放たれる。無論、直撃だけは避けようと、シルクたちも大急ぎで左右へ飛び退ける。
しかし……。地獄激の”地獄”はこれからが本番。またしても暗黒の弾丸は空中で爆発し、彼女たちの体に容赦なく爆風を浴びせるのだった。
飛ばされる勢いのままに、カーペットの上へ転げ落ちる彼女たち。これでは攻撃に移ることができないばかりか、いずれは弾丸の餌食となってしまうだろう。
「ハッハッハ! どうだ、これでわかったであろう? 人間という下等生物の非力さを」
これこそが、魔剣を手にした者の恐るべき魔力。シルクたちを見下しながら、声高らかに嘲笑するアシュラ。
悔しさに唇を噛み締めるシルク。もちろん、その理由は自らの非力さを認めたからではなく、人間という立場を捨てて、人間を裏切った魔神に対する腹立たしい嫌悪感であった。
このままでは敵の思うがままだ。彼女は心の中で突破口を見つけようとするが、地獄激が織り成す黒き爆風に自由を奪われてしまうだけに、なかなかいいアイデアが思いつかない。
悩んでいるそんな彼女に気付いてか、ワンコーが控え目ながらも、パーティーである特性を生かした攻略法を発案する。
「姫、一箇所に集まっていたら、それだけ狙われやすくなってしまうから、三箇所に分散したらどうかワン?」
「そうか。そうすれば、魔神の魔法も的を射にくくなるわね。よし、三箇所に散らばりましょう!」
ワンコーのアイデアも一理あると判断し、シルクとスーパーアニマルたちは間隔を空けて、それぞれが三箇所に散らばった。
どんな作戦を練ろうが無駄なこと、アシュラは不敵に微笑を浮かべて、真っ暗な魔剣を構えながら足を一歩前へ進める。
「それならば、我が魔剣の力を味わうがよい」
黒い甲冑の重みなど物ともしないアシュラは、素早く駆け出すと、中央で身構えるシルクに魔剣を振り下ろした。
天性なる瞬発力で、それを名剣で受け止める彼女。二振り、三振りと襲い掛かる魔神の剣が、彼女の名剣を激しいまでに打ち付けていく。
(す、すごい力だわ――!)
魔神アシュラの能力は魔法ばかりではない。剣捌きも剛健であり、かつ驚くほど巧妙である。
力でねじ伏せてくる魔神の魔剣、それに必死に応戦するシルクの名剣。高らかな金属音を響かせる一進一退の鍔迫り合いが続いた。しかし、彼の勢いは衰えることを知らず、彼女は窮地に追い込まれていく。
「待ってろ、シルク! 今、助けてやるコケ」
シルクのピンチを救うべく、右サイドに陣取っていたクックルーが自慢の火殺魔法を放った。
火殺魔法である火柱が、アシュラの足元から烈火のごとく火を噴いた。ところが、彼はいとも容易く、その火柱をたなびくマントで消し去ってしまった。
「コケ!? あのやろう、オレの火柱を~」
「フッフッフ、キサマの幼稚な魔法で、我に傷を負わすことができると思っているのか?」
悔しそうに地団駄を踏んでいるクックルー。それも束の間、アシュラがお返しとばかりに、黒い炎を纏った魔剣を彼に向かって振り放った。
負けてなるものかと、目を血走らせるほど怒気を上げたクックルーも、広げた羽根から十数発の火の玉を解き放った。
黒い火の玉と赤い火の玉が空中で交錯し、その名の通り、この王の間で熱い火花を散らした。
ぶつかり合って打ち消し合うかに見えた双方の火の玉。ところが実際はそうではなく、黒い炎が赤い炎のパワーを吸収しながら、次第に大きくなっていたのだ。
「クックルー、危ない! 早く逃げてっ」
シルクの叫び声も虚しく、クックルーは逃げ場を失い、魔神の作り出した邪悪な炎のうねりに飲み込まれてしまった。
真っ黒な炎が揺らめきながら消えていくと、そこには、白い肌から煙が燻っているニワトリの姿だけが残っていた。
このままではクックルーの命が危ない! 彼女は魔神の剣攻撃のわずかな隙を突き、瀕死の重傷を負った仲間のもとへ駆け出していった。
「しっかりして、クックルー!」
シルクが到着した時、クックルーは全身に火傷を負い意識不明だった。だが幸いにも、心臓の音は止まってはいなかった。
手遅れになる前に治療をしなければいけない。彼女はすぐさま声を張り上げて、左サイドで陣取っていたワンコーを呼び寄せた。
ところが、魔神アシュラはそれを妨害しようとする。彼は魔剣を振り上げたまま、シルクとワンコーの間に割って入ってきた。
「フフフ、戦いというのは無情なもの。そう易々と治療などさせん」
ワンコーを足止めしようと、アシュラは魔剣を大きく振り回した。魔族の王とは思えない姑息な一面が垣間見えるが、これもすべて、勝利を掴むための支配者なりの処世術なのだろう。
振り乱される魔剣の脅威から、必死になって逃げ惑うワンコー。しかし、逃げれば逃げるほど、命こそ守れても、体力だけはどんどん削られてしまう。
魔剣を巧みに操るアシュラだったが、その直後、背後に何やら気配を感じ取った。
「てやぁっ!」
シルクの名剣が織り成す聖なる一閃。アシュラは瞬間的に飛び退けて、それを紙一重でかわした。
「ワンコーに手は出させないわよ!」
シルクは名剣を振るい連続攻撃を仕掛ける。先ほどの攻防で両手の痺れが残っていても、彼女は歯を食いしばりながらひたすら剣を打ち込んだ。
一方の魔神も、その一つ一つを魔剣でさらりと受け流す。彼にしてみたら、彼女の剣捌きなど子供の稽古に付き合うも同然と言えなくもなかった。
この交戦の真っ只中、シルクはワンコーに合図を送る。この隙に乗じて、クックルーの治療に専念してほしい、と。
(わかった、任せるワン!)
アイコンタクトで意思疎通を行い、ワンコーは四つん這いでクックルーのもとへ急行した。
ホッと安堵の息を漏らしたシルク、魔神への攻撃を休まず続けていた彼女だが、惜しくも、致命的な大ダメージを与えるまでには至らない。
魔剣を盾にしてその攻撃を防いでいるアシュラも、余裕を見せていたものの、どういうわけか、力で勝るはずの彼の両足がにわかに後ずさりを始めていた。
「なるほど。さすがは支配者だけに、人並み以上の才能だけは身に着けているようだな」
これはおもしろくなってきた。アシュラがニヤリと零した含み笑いは、シルクの隠された真の実力を喜んでいるようにも見えた。
彼は素早い動作で魔剣を翻すと、彼女を名剣ごと弾き飛ばしてしまった。
お互いに後方へ数歩退き、一定の間合いを取った二人。そして、それぞれの剣をそれぞれの顔へと突き立てた。これからが、支配者同士の本当の戦闘だと示さんばかりに。
一方その頃、重篤であるクックルーを助けるべく、ワンコーの懸命なる治療が続いていた。
これまで、ワンコー自慢の治癒魔法がどれだけ役立ってきたであろうか。ここにいるクックルーもまた、幾度となく命を救われてきた者の一匹だ。
かなりの深手なのか、クックルーの意識はまだ戻らなかった。痛みと熱さに苛まれる彼は、生死の淵を彷徨っているのだろうか?
「クックルー、がんばるんだワン。こんなところで死んだらダメなんだワン!」
聖なる光を両前足に集めて、ワンコーは涙目になって魔法を唱え続ける。
魔法パワーが底を突こうが関係ない。今の彼には、同じスーパーアニマルであり、大切な仲間であるクックルーを蘇らせることしか頭になかったのだ。
その数秒後、ワンコーの強い念が実った瞬間がやってきた。
クックルーの目が薄っすらながらも開き、クチバシから小さな声が漏れてきた。しかし、意識が朦朧としているようで、開いた目は虚ろなままだった。
「クックルー、気が付いたかワン? オイラはワンコーだ、わかるかワン?」
「……あ、熱い。目の前に黒い炎が。……あ、熱いコケ~」
全身をガタガタと震わせるクックルー。どうやら彼の視界には、魔神の放った黒い業火が鮮明に焼き付いていたらしい。暗黒魔法の脅威は、消えてもなお残るといったところか。
ワンコーがひっきりなしに呼びかけても、クックルーはじたばたと暴れるだけで、その声は耳に届かず、顔すらも視界には入っていないようだ。
クックルーが炎の恐怖と戦っている中、シルクの方も、魔神アシュラとの激戦を繰り広げていた。
魔剣と名剣が凄まじくぶつかり合う、まさに死闘。やはり力の差は歴然か、彼女の疲労具合は半端なものではなかった。
切り裂かれた武闘着には、薄っすらと鮮血が滲んでいる。致命傷こそ避けてはいても、気力と体力の消耗までは防ぎようがない。
「フフフ、どうだ、小娘よ。魔剣を手にする者の真の力を思い知っただろう?」
「だ、黙りなさい。あたしはまだ負けてはいないわよ!」
アシュラの人間を嘲る挑発に乗ってしまい、シルクは無我夢中になって名剣を振り回す。
気迫だけは負けまいと気張っても、敵は魔族の王だけに、そう易々と戦いを有利に進めさせてはくれない。時を追うごとに、彼女の全身に焦燥と疲労が蓄積されていく。
そろそろ遊びも終わりにしよう。魔神のにやける口からそんな言葉が囁かれると、振り上げる魔剣に禍々しい黒色の霧が集まってきた。
彼は掛け声一つ発し、黒い霧に包まれた魔剣を振るい落とした。無論、それを名剣の刀身で受け止める彼女。
「何、これ!?」
突然、黒い霧が腕から胸、やがて全身に纏わりついてきて、シルクはびっくりして驚愕の声を上げた。
それは邪悪な意思を持っているのか、黒い霧に縛り付けられた彼女は、金縛りにあったように身動きが取れなくなってしまった。
(か、体が、言うことを聞かない――)
鋼鉄の鎖で雁字搦めにされたような錯覚を覚えるシルク。攻防の糧となる手足が動かせないこの現状こそ、完全なる無防備状態であることを物語っていた。
「フッフッフ、これで勝負は決した。我から魔剣を奪おうなど、キサマには甘い考えだったのだ」
アシュラは一歩後退し、シルクに向かって魔剣の剣先を突き立てる。
永遠の命と引き換えに、魔族に魂を売り渡した彼は、人間という生物の愚かさと儚さを毒づく。それがまるで、ゴミ屑と同等だと言わんばかりに。
それは、彼女にとっても納得せざるを得ない事実だ。人間であるが故に歳を重ねて、いつかは死期を迎える。彼のように死を恐れて、現実から逃げようとする心の弱い人間も少なからずいるはずだ、と。
しかし、王国王女として立派に育ち、英才教育を受けてきた彼女は違う。生きることの大切さと、人を思いやることの素晴らしさ。どんな苦境に立っていても、それを絶対に忘れたりはしない。
「ふ、ふざけないで……」
その怒気が混じった声は、これまでのシルクの声とは明らかに違っていた。
人間としての誇りを傷つけられた憎しみが燻り出し、それが彼女の全身からオーラとなって上昇し始める。
「……あたしは、永遠の命なんかいらない。……支配者になんか興味もない。喜怒哀楽のままに、未来と希望を目指して精一杯生き続ける人間でいたい。……あたしは、あなたみたいに、人間を裏切ったりなんかしない!」
その憎悪は聖なる力に形を変えて、支配者にだけ存在する神通力の原動力となる。
シルクは聖なる神通力を発揮し、全身を縛り付けていた禍々しき霧の鎖を弾き飛ばした。
予想をはるかに超える彼女のオーラに、アシュラの表情が一瞬だけ緊迫した。だが、彼は支配者のプライドを誇示するがために、その焦りを表立って晒すことはなかった。
「クッ、小娘の分際で抜かしてくれる」
内心戸惑いを隠し切れなかったのか、事を急ごうとするアシュラ。魔剣を振り上げて、シルクに襲い掛かろうとするが――。
彼はなぜか、魔剣ごと打ち返されてしまった。驚きの目線でその真相を見据えてみると、そこには、眩しいほどに光り輝く、黄金色の稲光を纏った名剣の姿があった。
「こ、この光は?」
シルバーのイヤリングに眠る女神の声を聴き、今まさに、名剣スウォード・パールに”神聖なる天神”の力が宿っていた。
シルクの毅然とした表情が、名剣から放たれる雷光に映し出される。人を虐げる支配者ではなく、人を支える救世主として立ち向かう、凛々しくも逞しい少女の顔だった。
これでも食らいなさい! 彼女は躊躇うことなく、天神の裁きとも言える雷撃を落とした。
「な、何だとぉぉ!?」
空気を裂く破裂音とともに、王の間の天井から雷が光のごとく落下した。
魔神アシュラは天神の裁きの直撃により、体中に電流が駆け巡り、さらに全身が痺れて悶え苦しんだ。
本来であれば感電死しているところだが、邪気に包まれた黒い甲冑のおかげか、彼は絶命という最悪の事態だけは何とか免れていた。
それでも激痛から逃れることはできず、彼は呻き声を漏らしながら片膝を赤いカーペットの上に置いた。
「こ、これしきのことで……。苦労の末に手に入れた、ま、魔剣を……。これは、誰にも渡さんぞ!」
アシュラの執念はあまりにも壮絶で、天を突き破るほどの咆哮とともに、体中を蝕んでいる電流を勢いのままに消し去ってしまった。
その狂ったかのような執着心。彼は命と同等に扱う魔剣をがむしゃらに振り乱し、シルクの動きを封じ込めようとした。
彼女は黄色く輝く名剣でそれに応戦するも、魔剣が繰り出す重量感に圧されて、ついには、突き飛ばされる格好でカーペットの上に尻餅を付いてしまった。
「ハァ、ハァ……」
魔神は肩で息をしながら、狡猾な悪魔の目つきでシルクを睨んだ。
彼にも相当なダメージがあったのだろう、甲冑から白い湯気が立ち上り、わずかながらも、部分的にひび割れていることがわかる。
「殺してやる! 支配者としての我を脅かす存在は、すべてこの手で葬り去ってやるぞ」
アシュラの猟奇的な気迫を目の当りにして、シルクは蛇に睨まれた蛙のように、尻餅を付いたままその場から動くことができなかった。
(こんな時、クレオートさえいてくれたら。クレオート、お願い、早く来て――)
シルクの切なる願望は、果たして、傷を癒しているであろうクレオートの耳に届いてくれるのだろうか?




