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第三章 困惑の村~ 誘惑と迫りくる術士の驚異(3)

 その頃、ここは先ほどシルクたちが休息を取った住居内。

 わずかな安眠により、幾分か肉体的疲労から解放されていた彼女。ここの主である年配の女性と二人きりで、何やら真面目な会話をしていた。

 その内容とは、スーパーアニマルたちも調査に乗り出していた覇王三剣士の居所についてだった。

 しばらく悩んだ末、申し訳ない気持ちを示しながら、白髪交じりの髪の毛を横に振ってしまう年配の女性。

 そんな彼女の返答は、噂程度では知っているが、さすがにどこにいるかまでは把握していないという、有力な情報とは成り得ない残念なものであった。

「いいえ、気になさらないでください。他に住んでいる人たちにも尋ねてみますから」

 シルクは深々とお辞儀を返した。まるで母親のように、親身になって頭を下げてくれる年配の女性に恐縮し、彼女の方が申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

 お供の二匹が帰ってくるまでの間も、シルクとその女性は他愛のない世間話をしていた。

 人間界にいた頃の話や、この地に誘い込まれた経緯など、お互いがお互いの運命を慰めるような会話が途切れなく続いていた。

 年配の女性はここでもやはり、シルクの武勇伝を軽く聞き流していた様子だ。歳を重ねたなりの包容力なのか、シルクの一つ一つの言葉に相槌を打ち、穏やかににっこりと微笑むばかりだった。

「まあ、そんなに焦ることはないのよ。ここでゆっくり休んでいくといいわ」

「はい。でも、あたしたちにも、目指すべき先があるので」

 女性二人の気遣いが繰り返さる最中、突如、この住居を訪ねてくるノックの音がこだました。

 ワンコーとクックルーが帰ってきたのだろうか? そう思ったシルクだったが、その打ち鳴らすようなノック音を聞いた瞬間、ただならぬ不穏な雰囲気を感じ取った。

 年配の女性が入室を促した途端、慌ただしく住居内へ転がり込んできたのは、着衣した鎧がへこみだらけの、兵士らしきいでたちをした細身の男性だった。

 その兵士は息せき切って、シルクのことなど目も暮れないままに、年配の女性のもとへと駆け寄っていく。

「すまぬ! この前ここで世話になった、俺の相棒がここへ戻ってきたか教えてくれないか?」

 汗びっしょりで、焦りが混じった声を上げるその兵士。尋常ではない事態なのだろう、それが血相を変えた顔つきからも窺える。

 つい最近、ここへ兵士のような男性が二名休憩したと、年配の女性が何気に話していたが、どうやら、この兵士がそのうちの一人なのだろう。

「いいえ。あなたとご一緒に出掛けてから、一度もここへは戻ってきませんわ」

「そ、そうか。やはり、ここには戻っていなかったのか……」

 ガックリと肩を落としたその兵士は、顔色が青ざめるほど憔悴し切ってしまい、崩れ落ちるように床の上に両膝を付いた。

 ここまで全速力で走ってきたのだろうか、彼は膝を落としたまま苦しそうに息継ぎをしている。

 この様相からして、彼は相棒の兵士とはぐれてしまったようだ。しかし、それにしてはあまりにも性急過ぎている気がしてならない。何か、不安を抱える複雑な事情でもあるのだろうか?

「あの、失礼ですが?」

 思わず衝動的に、シルクはその兵士に声を掛けてしまった。

 彼はゆっくりと、血の気の引いた顔を彼女に向ける。余程動揺が大きいのか、彼の目線は虚空を彷徨うように焦点が合っていない。

「どうかされたんですか? とてもお困りの様子ですけど」

 額から溢れるほどの汗をかき、噛み締めた唇を震わせているその兵士。シルクの問いかけに、彼はすぐに応答することができずにいた。

 彼は乱れた息をゴクリと飲み込んで、震える口から零れ落ちるような言葉を落としていく。

「お、俺と一緒にここまで旅をしていた相棒が、丁度昨日か、ちょっと忘れ物があったと、一人でこっちの方角へ戻ってしまったんだ」

 ところがその相棒は、一人きりで離れてしまった後、いつまで経っても、彼のもとへ帰ってくる気配がなかったという。

 こんな小さな村の中で迷子になるとは考えられない。そう思い立った彼は、相棒の身を案じるあまり、お世話になったこの住居まで捜しに戻ってきたというわけだ。

 一日のほとんどを費やし、はぐれてしまった相棒の行方を追ったという彼、だが、ここに来ても手掛かりがないとなると、これはもう八方塞がりの状態といっても過言ではなかった。

 焦燥感に暮れる兵士を見つめて、シルクも同情心から心を痛めてしまう。

「そうですか。それはご心配でしょうね」

「ああ……。アイツはいったい、どこに行ってしまったんだ!」

 その兵士は悔しさのあまり、ごわつく敷布の上に震える拳を叩きつける。

 もう少し待っていたら、きっとどこかで出会えるのでは? 年配の女性はそんな言葉しか思いつかず、それ以上慰めてあげることができない。それは、困惑を表情に浮かべるシルクも同じ心境であった。

 それから数秒ほど、居たたまれなく重苦しい沈黙の時間が虚しく流れる。

 そして、その沈黙を破ったのは、何かを思い出したような彼の揺らめく小声だった。

「……ま、まさかアイツ。あの館にいた怪しい男の言葉を信じて」

「え?」

 その不可解にも意味ありげな一言。それにシルクが反応しないはずはない。

「怪しい男って、それどういうことですか?」

 見ず知らずの少女が相手だけに、にわかに戸惑いを抱いてしまう兵士だったが、息苦しい手詰まり感のせいもあってか、喉の詰まりを吐き出すかのごとく、その時の様子をつぶさに吐露してしまうのだった。

「いや、実はな。この家を出てから、村の奥の森を抜けていった先で、気味の悪い館を見つけたんだ」

 兵士たちが見たという奇妙な館。その名も”運試しの館”――。

 独特な色使いで覆われた、どこかおぞましい雰囲気を醸していたその館、入口のそばに立てかけてあった看板には、次のようなことが書かれていたそうだ。

 ”ここで運を試し、幸運を得た者だけが、希望と未来を手に入れるだろう”、と。

 その文言に心を揺れ動かされてしまった彼ら二人は、ちょっと覗いてみるだけという好奇心で、奇妙な館の門を潜ったとのことだ。

「その館には、ガゼルと名乗る魔法使いみたいな怪しい男がいてな。俺たちに、運試しの詳細を話してくれたんだよ」

 ガゼルという名の男が言うところ、館より数十メートル西にある”獄門の熱地”という洞窟の奥深くに、美しく輝く壺があるらしく、その壺の中身を覗くことができれば、望むべき希望と未来が叶うというのだ。

 そんな眉唾な絵空事など、到底信じることができない彼らだったが、そのガゼルという男は、怪しげな術を駆使して、それが本当の事であると示してみせたという。

「そのガゼルがな、水晶玉を使って、俺たちがこの闇魔界へやってきたきっかけや、ここまでの道のりを、すべて言い当ててしまったんだ」

 まるで予言師のごとく、この世界の隅々を知り尽くしているかのように装ったガゼル。その手から繰り出された奇跡と言うべき奇術に、兵士たち二人は愕然としてしまったという。

 ”獄門の熱地”は聞くところ、禍々しい魔物が巣食う灼熱の洞窟らしい。それでも、危険を冒してまでも挑戦する価値はあるだろうと、そのガゼルは彼らに挑戦を促してきたそうだ。

 その時は躊躇いが先行し、挑戦することもなく怪しき館を後にした彼らだが、後悔や未練のような感覚が、心の片隅にどこか引っ掛かったままだった。

「そうだ。アイツはきっと、人間界に帰りたいばかりに、運試しに挑戦しようとしたに違いない!」

「人間界へ帰る……ですか?」

「ああ。ガゼルってヤツは、望む願いなら何でも叶うだろうと言い出したんだ。例えそれが、人間の世界へ帰りたいという、現実味のない希望であってもな」

 人間界へ帰還する望みが叶う――。それを平然と口にするガゼルという名の奇術師。妖気な存在ながらも、シルクは不思議と惹かれるものがあった。

 そればかりではなく、魔物が巣食っている獄門への入口、その地の奥に眠る美しく輝く壺の正体にも、彼女の心が騒がしいほどに躍らされていた。

「あの、あつかましいのですが、その運試しの館の場所まで、あたしを案内してくれませんか?」

「な、何? 案内するのは構わんが、まさか、獄門の熱地に行く気じゃあるまいな?」

「その館にいるガゼルという人のお話し次第では、獄門とやらにも行ってみるつもりです」

 その兵士は慄くように大きく頭を振って、幼気な少女の無謀な行動を制止しようとする。

「バ、バカなことを言うんじゃない! 子供が興味本位で行ける柔なところじゃないんだぞ。獄門の熱地はマグマが覆い囲んでいる灼熱地獄なんだ。し、しかも、凶悪非道な魔物もいるって話だし」

 まるでその地獄へ足を踏み入れたかのように、兵士は汗だくになって全身をガクガクと震わせている。

 ところが、そんな脅し文句に何一つ臆することもなく、ケロリとした顔で一言、その心配には及びませんと返答したシルク。

 もう、そんなことは慣れっこですから。彼女のあっけらかんとしたその台詞で、彼は開いた口が塞がらないといった表情だ。

 そんな二人のやり取りを横で見ていた年配の女性も、どう声を掛けたらよいのかわからず、オロオロと視点の定まらない目を泳がせることしかできない。

「今、戻ってきたワーン」

「帰ってきたコケー」

 緊迫とした静寂なる雰囲気の中、それを壊さんばかりに声を張り上げたスーパーアニマルたち。

 ここでどんな話し合いがあったのか知る由もない彼らは、シルクを見つけるなり、慌てた様子で駆け寄っていく。

「姫、ちょっとした情報を手に入れたワン」

「聞いてくれ、シルク。この村には魔物がいるって、無愛想なインディアンが言ってたコケ」

 ちょっと静かにしなさいと、シルクは騒がしい二匹の口とクチバシに手を押し当てた。

 彼らを無理やり黙らせた彼女は、愛らしくウインク一つして、明るくて張りのある声を上げた。

「ワンコー、クックルー。これから、あたしたちの目指すところが決まったわよ!」

「……?」

 口とクチバシを開放してもらっても、ワンコーとクックルーは言葉が思いつかず、ただポカンとした顔を向き合わせるのだった。

 シルクはたった一人、緊張感に表情を引き締めた。

 運試しの館にいるというガゼルなる人物。そして、獄門の熱地という名の洞窟。そのただならぬ気配をほのかに感じた彼女、好奇心とはまた違った胸騒ぎを覚えていたようだ。

 果たして、彼女たちを待ち受ける運試しの館には、いったいどんな謎が隠されているのだろうか?


* ◇ *


 闇魔界という人間界とはかけ離れた異質の空間。

 それでも、人工的に作り出された陽はいつかは沈み、漆黒の闇夜がやってくる。またその夜もやがては明けて、あたかも自然現象のごとく、明るい太陽が昇ってくるのだ。

 シルクたちはお世話になった住居で一晩を明かし、夜明けとともに、一人の兵士に案内される格好で、目的地となる”運試しの館”までやってきていた。

「……本当に行く気なのか?」

「はい。ここまでのご案内、ありがとうございます」

 道案内をしてくれた兵士に向けて、シルクは礼儀正しくお辞儀をした。

 繰り返し、何度も考え直すよう要求してくる彼に、彼女は最後までそれを了承せず、ただ愛らしい笑顔を浮かべるだけだ。

 どうなっても知らないぞ――! そんな捨て台詞にも似た言葉を一つ残し、彼は館に背中を向けて歩き去っていった。

 彼女たちの眼前にひっそりと佇んでいた運試しの館。その物静かさが、より奇妙で不気味な様相を強めている。

 灰色や群青色といった暗い色調で塗りたてられた外壁、その建物をバリケードのごとく囲んだ先の尖った鉄製の柵。

 そして、決して目にすることができないであろう、ピリピリと張り詰める怪しい気配。

「ここに、ガゼルという名の奇術師がいるのね」

 動物特有の勘を持つワンコーとクックルーも、館から放たれる威圧感のようなものを感じ取っていた。

「この運試しの館は怪しいワン。魔物が絡んでいる可能性があるワン」

「あのインディアンが言ってた魔物の話、この館へ行けばハッキリするかも知れないコケ」

「そういうことだね。それじゃあ、行きましょうか」

 シルクたちは気合いとともに気持ちを引き締める。

 一歩足を踏み出して、柵の隙間を通り抜けて、館の入口をこじ開けようとした。

 すると驚いたことに、電気仕掛けでもないその扉が、まるで自動ドアのごとく勝手に開いたのだ。さも彼女たちの来訪を待ち望んでいたかのように。

 ゴクッと緊張の息を呑み込んで、警戒しながら建物内に足を踏み入れるシルク。

 恐る恐る足を震わせて、彼女の後ろに付いていくワンコーとクックルー。


 独特な色使いに包まれる館内には、邪神のような銅像が無数に散らばっており、内側の壁にも、薄気味悪い顔を持つ悪魔の彫刻が埋め込まれていた。

 建物内にも関わらず、肌を突くほどの冷たい空気が漂う中、シルクたちは導かれるように、館内奥の大きな扉の前まで辿り着いた。

「よし、開けるね」

 ワンコーとクックルーの顔色を窺いつつ、シルクはその大きな扉をゆっくりと開放した。

 重々しく冷たい感触の扉のはずが、これもまた、彼女たちを迎え入れるように、とても軽やかに開かれていった。

 扉の向こうには、邪神を崇めるようなおどろおどろしい祭壇があり、その祭壇の前に、ぼんやりと浮かんでいる人間の形をした黒い影。

「これはこれは、ようこそ。よくおいでくださいましたね」

 薄暗い部屋の中に溶け込む、灰色の衣装を頭の上から身にまとった男性。

 隠れた顔からわずかに見える、だらしなく緩んだ口元が際立つその人物こそ、あの兵士が話していた奇術師ガゼルであろう。

 肩を揺らせて含み笑いを浮かべるガゼル。その全身から漂う魔性に満ちたオーラから、シルクたちを震え上がらせるほどの妖気を匂わせていた。

「わたしがこの館の主、ガゼル。あなた方も、運試しに挑戦するためにここへ?」

 あなた方も――? その尋ね方に、訝るように眉をひそめるシルク。

 やはり、行方不明の兵士はここへ戻ってきてしまったのだろうか? そう声が出そうになるも、彼女は毅然に振る舞い言葉を紡いでいく。

「ある兵士の方から伺いました。運試しで幸運を手に入れたら、どんな願い事でも叶えてくれるそうですね?」

「ええ、その通りですよ。さて、どのようなお願いですかな?」

 シルクは正直のままに告げる。この世界から、この地獄と言うべき闇魔界から人間たちを救いたい、と。

 それを聞いたガゼルはククッとせせら笑う。夢見がちな少女がいったい何を言うのかと思えば……と、そんな二の句が聞こえてきそうな、締まりのない口元だ。

 その失礼極まりない嘲笑に憤り、彼女のお供たちが顔を赤らめて怒号を発する。

「おい、姫に対して無礼だワン!」

「おまえ、初対面のくせに、その笑い方はないコケ!」

 ガゼルは紳士的に非礼を詫びるも、それでも笑みは零したままだ。

「いいでしょう。その壮大なほどの大きな望み。ここより西の方角に行った先、獄門の熱地の奥にある、美しく輝く壺の中を覗き見ることができれば、きっとお望み通りに叶うでしょう」

 いとも軽々しく、大それたことを平然と高言するガゼルという男。その淀みのない余裕に満ちた口振りは、常人ではないと疑わせるほどに奇々怪々としていた。

 ここでシルクは、彼の実力を試すという口実で、ある作戦に打って出ようとする。

 それは、このまま彼に誘われるまま了承する前に、まだ存在すら知らない覇王三剣士の所在を探り当ててもらうことだった。

 ガゼルの奇術がそれだけの能力ならば、この村で噂ほどの遠い存在である彼らのことを、少なからず知っているはずだろう、と。

「あなたの奇術が本物なら、その証拠を見せてください。この村にいるという覇王三剣士がどこにいるのか、きっとあなたなら、それを導き出せるはずですよね?」

 その時、ガゼルのただ一箇所だけあらわになる口元がピクッと動いた。表情こそ窺えないものの、彼の心情に何か変化があったことは間違いないようだ。

 それでも彼は、容易いことだとばかりに口角を吊り上げて、またしても不気味な含み笑いを浮かべる。

「ククク、もちろんですとも。居場所ぐらいなら、お手の物ですよ」

 奇怪な祭壇の前に置かれたテーブル、その上で透明色に瞬く水晶玉にそっと手を触れると、ガゼルは何やら呪文のようなものを唱え始めた。

 まるで占い師のように、彼は水晶玉の上で両手をグルグルと回しながら、そこに映し出された光景を言葉に置き換える。

「あなたが探している覇王三剣士、この館よりはるか奥、村の最奥で身を潜めている、と出ています。ただし、そこへ行くためには、やはり運試しをしていただかないといけませんね」

 ガゼルが言うには、館から最奥の地へ行くには、灼熱の地下道というエリアを越えなければいけないとのことだ。しかも、その入口の封印を解き放つ必要まであるのだという。

 その封印を解除することができるのは、ガゼル本人であり、それを解除させるためには、獄門の熱地にある壺の中身を覗いてくるしかない、というものだった。

「もう、おわかりでしょう? 人間の世界へ帰るも、ここから先へ進むも、すべては幸運がなければいけないのです。あなた方がどれほど運が良いか、挑戦することを期待していますよ。どうされます? ククク……」

 ガゼルは不敵に笑いながら、館の西側の方へ手を差し伸べる。さあ、行ってらっしゃいと言わんばかりに。

 シルクに迷うことも躊躇うこともない。最終決断を迫る彼に対し、彼女は溢れんばかりの自信を覗かせて、物怖じしない態度で堂々と回答を告げる。

「もちろん、行きますよ。だから、待っていてください。あたしたち、壺の中身を確かめてきますから」

 勇敢なる少女の告白を耳にした途端、してやったりと、灰色の衣装で隠された目がギロリと鈍く光った。

 無論、その時のシルクは、ガゼルの策謀的な企みにまだ気付くことはできなかった。

 いかにも嬉しそうに、あたかも満足そうに笑いながら、彼はゆらゆらと肩を揺らすのだった。

「それはよかった。ククク、それでは期待して待っていますよ」

 シルクとガゼル、お互いが思い思いのままに微笑を浮かべている。

 その思惑こそ大きく違えど、この二人の隙間に、静かながらも嵐のような疾風が吹き荒れていた。

 ただ笑い続ける運試しの館の主に、気持ち程度の一礼だけを済ませた彼女は、ワンコーとクックルーを引きつれて、不穏な空気だけが流れている建物から離れていった。

「……さて、壺があるあそこまで辿り着けるかな。クックック」

 灰色の身ぐるみを頭から外し、人間とは思えない醜態な顔つきをあらわにしたガゼル。

 運試しの館の祭壇のそばで、おぞましい奇怪な笑い声がいつまでも響くのだった。


* ◇ *


 運試しの館から西方へ少しばかり歩いた先にある、灼熱の地獄と言われる”獄門の熱地”――。

 シルクたちが見据える視界に、濃緑の中で一際存在感を示す大きな岩山が姿を現した。

 その岩山の風穴の形をした入口には、無用の立ち入りを監視しているのだろうか、ガゼルと同じような衣装をまとった人影が立っていた。

 どんな手段かは定かではないが、どうやら、ガゼルから何かしら通知を得ていたらしく、その人影は彼女たちが近づくなり、身を退きながら入口からするりと横に離れた。

 お待ちしておりました、どうぞこちらからお入りください。魔法使いのような格好をした人物は、揺らめくほどの小さい声で囁きかけてきた。

「ありがとうございます」

 シルクは胸騒ぎを抑えつつも、姿勢を正して凛々しく一礼した。

 その時の彼女の態度には、軟弱な女子供に見られたくないという勇ましさが見え隠れしていた。

 獲物を飲み込まんとパックリと口を開けた風穴、そんな暗闇が迫る獄門の熱地の入口へ、緊張の面持ちで足を踏み入れていく彼女たち。

「みんな、行くわよ。どんな敵が待っているかわからないわ。絶対に油断しちゃダメよ」

「わかってるワン」

「任せておけコケ」

 シルクは小さな松明を持ち、岩石で造られたいびつな階段を下りていく。

 階段を一段、また一段と下りていくと、寒気すら感じていた空気が、いつしか、汗ばむような熱気へと入れ替わっていくことを感じた。

 纏わりつく熱さに不快を感じて、押し黙ったまま歩いている彼女。そして、いつもおしゃべりなスーパーアニマルたちも、この時ばかりは口が頑丈に閉ざされてしまっていた。

 いったい、この階段はどこまで続くのだろうか? そんな不安を抱かせる長くて狭苦しい階段。

「見て、光が見えてきたわ」

 暗闇の階段を下りきった先にあったもの、そこはまさに灼熱地獄。

 シルクは全身が火照ると同時に、真っ赤に帯びる洞窟の全貌に戦慄を覚えた。

 あまりの熱気の強さで、彼女は頬に滴り落ちる汗を拭う。

 ワンコーとクックルーも放熱しようと、舌を出したり、羽根を広げて煽いだりしていた。

 赤く染まった大地から漂う灼熱の陽炎。それが彼女たちの動きを鈍らせて、不快感をますます強めていく。

「こんな熱いところに長居は無用だわ。とにかく急ぎましょう」

 どんな願い事でも叶う、美しく輝く壺を求めて、シルクたちは気合いとともに駆け出した。

 しかし、この獄門の熱地の洞窟探検は、一筋縄ではいかず混迷を極めた。

 先を急げば急ぐほど、体内エネルギーをみるみる消費し、足を休めたら休めたらで、熱気という見えない天井に押し潰されそうになる。

 体中から汗が吹き出し、視界もかすんでくるほどの熱さ。ゆらゆら揺らぐ灼熱という障壁に、彼女たちの足はいつしかピタリと止まってしまうのだった。

「はぁ、はぁ。う~、熱くてもう限界だワン」

「ちくしょ~、どこかに水はないのかコケ」

 スーパーアニマルとて、人間界で暮らす生き物であることに変わりはなく、常温を超過した熱の気体に完全に参ってしまっている。

 一方のシルクは彼らを励ますも、激しく渇いた喉のせいか、その声援すらも掠れるほど弱々しいものだった。

 このままではのたれ死んでしまう――。彼女は歯を食いしばって前進しようとするが、一歩歩くたびに地面に吸い込まれていく錯覚に陥り、どんどん地獄の沙汰へ引きずり込まれていくようだ。

(あたしたちが成し遂げなくちゃいけない使命、こんなところで挫折するわけにはいかないわ!)

 シルクはふんわりヘアを大きく振って、萎えそうな気持ちを奮い立たそうとする。

 ワンコーもクックルーも、彼女の勇気と負けん気を肌で感じながら、プライドだけで前へ進んでいこうとした。

 だが、こういう危機的状況の時に限って、忌々しい邪悪な存在と遭遇してしまうもの。これも、彼女たちの運命なのかも知れない。

「もう、こっちは急いでいるというのに!」

 灼熱の獄門に棲みつく、牙を剥き出した犬の姿をした番犬のような魔物。

 侵入者の行く手を阻まんとする獄門の番犬は、この熱さを物ともせず、ふらつくシルク目掛けて襲いかかってきた。

『ガアァッ!』

 シルクは疲労のせいで素早い動きができず、獄門の番犬の大きな牙の餌食となってしまった。

「キャアァ!」

 ピンク色の武闘着を切り裂かれたまま、シルクは焼けたような熱い地べたに倒れてしまった。

 そこは容赦のない魔物たち。番犬のそばからもう一匹、先の尖った尻尾を持つ大型のサソリが、ナイフのごとく鋭利な毒針でとどめをさそうと、蹲る彼女の方へと這い寄ってくる。

「そうはさせないワン!」

 ワンコーは息を吐きながら駆け出すと、大型のサソリの背中に足蹴りを食らわせた。

 ところが、彼の一撃はシルクの身を守ることはできたものの、硬い甲羅で覆われたサソリにダメージまで与えることはできなかった。

 緩んだ口元を噛んで悔しがる彼、その油断を突くように、獄門の番犬が牙を光らせて突進してくる。

 このままでは避けきれない! ワンコーが目を閉じて身構えた瞬間、番犬の足元に威嚇発射の火の玉が飛び散った。

 それこそが、真っ赤な羽根から解き放たれた火殺魔法の火の玉。足止めを食らってしまった魔物は、慌てて数歩後退していく。

「クックルー、助かったワン!」

「ワンコー、おまえは、シルクを回復しろコケ!」

 敵が怯んでいるこの好機を逃すまいと、クックルーは立て続けに火殺魔法を唱えた。

 火を包んだ弾丸がうねりを上げて、獄門の番犬に向かって突き進んでいく。しかし、番犬は俊敏な動作を駆使して、その火の玉をジャンプでかわしてしまった。

「バカめ、それを狙っていたんだコケ! 火の玉軌道修正だコケ~」

 クックルーはそう叫び声を上げると、自らの羽根を引き寄せながら振りかぶり、飛行する火の玉の軌道を百八十度旋回させた。

 ぐるりと反転して引き返してくる誘導弾。さすがに宙を舞っている地獄の番犬に、それを避ける術などあるはずもなかった。

『ガアァ!』

 真っ赤な炎に包まれた魔物は、煤ける煙を上げながら落下し、地べたの上で苦しそうに悶えていた。そして、そのまま灼熱の地で絶命という運命を辿った。


 クックルーが大活躍していたその頃、深手を負ってしまったシルクは、ワンコーから回復魔法を掛けてもらったばかりだった。

 武闘着に肉体、さらに蓄積していた疲労感をも癒えた彼女、いよいよ出番とばかりに、名剣スウォード・パールをしなやかに引き抜いた。

「クックルー、お見事よ。あとはこのサソリだけね」

 大型のサソリと間合いを詰めながら対峙するシルク。体力こそ回復しても、この充満する熱気の暑苦しさに、精神統一を狂わされてしまいそうになる。

 カサカサと這い寄りながら、サソリは毒針の尻尾を剣のように振り抜いてきた。

 シルクはそれを剣で受け流したり、素早い身のこなしで回避していくが、それでも敵の攻撃は思いのほか強く、彼女はわずかながらも押され気味であった。

 それもそのはずで、頑丈な甲羅を自慢するサソリは、武器となるその尻尾さえも頑丈で、名剣でもそう簡単に切断することができなかったのだ。

「姫、ここはオイラに任せるワン」

「え?」

 善戦しているシルクの後方支援役として名乗りを上げたワンコー。

 彼は独り言を念じながら、突き出した両前足をぐるぐると回し始める。やがて、白い光に包まれるその両前足の周りに、何やら波動のような空間の歪みが発生した。

「これでもくらえ、軟体波だワン!」

 ワンコーが解き放った魔法は、この熱くて淀んだ空気を波打つように歪めながら飛んでいき、地を這う大型のサソリの全身に降りかかっていった。

「姫、今がチャンスだワン! オイラの魔法で、サソリの甲羅の強度を弱めたワン」

「ありがとう、ワンコー!」

 魔法がかかったことなど露知らず、大型のサソリは毒針の尻尾で奇襲を掛けてきた。

 それを薙ぎ払うように、シルクはスウォード・パールを振り抜いた。

 するとどうだろう、あの硬かったサソリの尻尾が、いとも容易く切断されてしまったではないか。

 虫のような眼球を曇らせて痛がっている様子の魔物。弱体化しているこの時こそ、とどめを刺す決定的なチャンスであった。

 シルクは渾身の力を込めて高々と舞い上がる。その格好はまさに、彼女の必殺技のポーズそのものだ。

「尻尾を失ったあなたなんて、もう何も怖くはないわ」

 光り輝く研ぎ澄まされた一閃、大型のサソリは全身を覆う甲羅ごと、シルクが織り成した必殺技により一刀両断にされた。

 業火に包まれたようなうだる熱さの中、彼女たちはどうにか魔物たちを粉砕することができた。

 ところが……。この戦いの功労者であるワンコーに、ちょっとした異変が起きていた。

「ワンコー、どうしたの!?」

 それに気付いたシルクは、地べたに突っ伏しているワンコーのそばへと駆け寄る。

 クックルーもそれに気付き、羽ばたくような仕草で慌てて駆け出した。

 ぜー、ぜーと、肩で息をしているワンコー。どうやら彼は、この灼熱地獄と魔法パワーの消耗により、著しく体力を奪われてしまったようだ。

 彼女からの繰り返す呼びかけに、彼は息継ぎしながらか細い声で応える。ちょっと疲れているだけだ、と。

「クックルー、先へ急ぎましょう。ワンコーはあたしが背負っていくわ」

「わかったコケ」

 ご主人様に、おんぶしてもらうなんてとんでもない! ワンコーは力の入らない両前足でそれを拒むも、ほとんど無理やり、シルクの温かい両手で抱きかかえられてしまった。

 シルクとクックルー、そして背負われたワンコーは、まだまだ熱気が充満する、獄門のさらなる奥へと突き進んでいくのだった。

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