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とりかえっこ漫遊記  作者: ふとん
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師団長の長い三日間(上)

 珍しく、愛用の椅子に深くもたれかかって溜息をついた主に、ガリアは静かに紅茶を差し出した。

 ガリアの主であるコローラル・ド・メフィステニスはまたも珍しいことに紅茶は受け取らず、すでに通信の途絶えたオレキオをじっと見つめた。

 執務室に備え付けられているオレキオを、これほど穴があくほど見つめている主など、ついぞ見たことがない。

 ガリアは呆れた心持ちで苦笑した。


「そのように落ち込まれるのでしたら、言わなければよろしかったでしょうに」


 たった今、通信を終えた相手がまだすぐそばに居るような視線でいた無愛想な主は、再び大きく溜息をつく。


「いずれ分かることだ」


 そうガリアに迷いなく言いながら、視線をオレキオから外そうとはしない。目の前では、到底言えなかったのだろう。オレキオを使っての間接的な手段を用いても、この落ち込みようだ。

 あの黒い瞳に情けない顔をした自分を映しながら告白など、目も当てられない。

 ガリアですらそうなのだから、誇りと矜持を食べて生きているこのメフィステニス伯爵が出来るはずもなかったのだ。

 それでも、今、言わずとも良かったのではないかと思う。


 メフィステニスの養子として認めた、あの迷い人の娘に真実を。


 ヨウコ・キミジマという風変わりな彼女は、その性質も生い立ちも風変わりだ。洒落っ気もない少し高めの身長の、平凡な顔つきの娘だ。華奢な体は二十四には到底見えない。彼女は元々東国に落とされた迷い人だが、複雑な旅路を経てこの西国の王に拾われ、伯爵の屋敷に至った。迷い人としてたった一人、いつ死んでもおかしくない状況を潜り抜けてこの国に来たというのに、不思議と暗い影を持っていない。明るい彼女は、歴戦の兵士でもある伯爵の部下たちに気に入られた。

 彼女は怖いもの知らずだ。だから我が物顔で屋敷を歩きまわって、強面の部下たちとどういうわけか仲良くなった。世間知らずで物を知らない彼女は、危なっかしくて見ていられないというのも要因の一つだし、伯爵が直々に連れてきた客人でもあり、養子候補の一人でもあったからでもあった。理由はたくさんあげられたが、そのどれもが何故か彼女を嫌う要素には一つもなりえなかったのだ。

 ガリアは、彼女の笑った顔が好きだった。

 特別整っているわけでもない顔が嬉しそうに綻ぶと、ガリアは幸せになる。

 長い間、血に塗れた生活をしてきたガリアの心にも、光のような勇気になった。

 この方を守れるのなら、きっと自分は命をかけられる。

 そんな、直感にも似た確信だった。


 だが、一つだけ、彼女には言えないことがあった。


 彼女が暮らした東国との戦場で、彼女の家族だった戦女神たちをガリア達が葬ったことだ。

 炎の女神に堕ちた女は、転化した時にはすでに死んでいる。生きたままその身を焼かれて、炎の化身へと無理矢理、転化させられる邪術だ。

 大則ではこの邪術を禁止する項目はないが、この術は準備と扱いが難しいことから嫌厭されてほとんど忘れ去られたはずだったが、一人の天才がこの術を古い書物から復活させた。


 しかし、理由はどうあれ、彼女が家族と慕った女たちを殺したことには変わりない。


 憎まれるだろうか。恨まれるだろうか。

 そのどれもにガリアは慣れ親しんでいたが、あの笑顔が曇ることだけが恐ろしい。


「ガリア」


 ようやくオレキオから目を放した主は、ガリアを眺めて淡々と告げた。


「バクスランドへ書簡を送れ。話し合いをしようとな」


「消せとはおっしゃらないのですね」


 無遠慮なガリアの言葉に、主は咎めるように目を細めた。


「我が可愛い娘が言っただろう。話し合いをしろと」


 先ほどオレキオで彼女と話した通り、あくまで話し合いをするつもりのようだ。だが、


「話し合いに応じない場合は」


「応じさせるまでだ」


 そう断じて、主はもたれていた椅子から体を起こした。


「アイスレアにはそのまま中央へ向かえと連絡しろ。タンザイトとマッジョリはバクスランドの西と東の砦をそれぞれ抑えさせろ。ラーゴスタには、セイラを向かわせろ」


「かしこまりました」


「ガリアとサルミナは私とバクスランドへ向かえ」


 そう命じられ、ガリアは思わず意外な思いで主を見た。


「……あくまで話し合いをするおつもりなのですか?」


「そうだと言ったはずだ」


 だとしたら、それはとんでもない脅迫だとガリアは内心呆れた。


「バクスランドには悪いが、先々代から途絶えていたラーゴスタとの交流を取り戻す良い機会だ。―――私の娘は本当によく出来た娘だね」


 まだ正式な養子ではないというのに、まるで我が子を自慢するように主は笑った。

 

 主ではないが、ガリアもそう思う。ヨウコは意図せずだが行動を起こす時期がとても良い。彼女自身は散々な目に遭っているようだが、それでも五体満足に生きていることには彼女の星の巡りの良さを目の当たりにする。

 彼女に、このメフィステニス家を任せる、ひいてはこの第七十七師団を任せるという選択は、我が主ながら慧眼だ。 


 この二つを受け継ぐということは、星の巡りさえ味方につける者でなくてはならないからだ。


 メフィステニスという家は、伯爵という位でありながらその歴史は古く、西国建国以前にまで遡る。かつては西国王家とも領土を巡って争ったというから、数百もあった国の中でも強国として知られていたようだ。だから、王家が建国の際に、一番最後に膝を折ったのが辺境領主としての始まりだ。かつての自領を離れ、砂漠に近い岩ばかりの領地にあっても、メフィステニスは王家の脅威となり続け、やがてはただ一つの権力を手に入れた。王に進言するという力だ。王が迷盲し、国を傾けた時に、遠方からただ一人で王を諌めることのできる者。故にメフィステニスは過剰に命を狙われ続け、その結果、七十七師団という本来ならば存在しない軍を持つこととなった。

 そんな家柄ゆえに、伯爵家の当主となる教育は想像を絶する厳しさだ。

 今回の、ヨウコが砂漠に一人残されたことも、伯爵が用意した教育の一環だ。

 たった一人で味方もいない土地で生き残ることができなければ、強大な力を持つ王を留めることなどできない。

 

「私の時には、東の果ての寒冷地に、父に放り出されたのだったね」


 バクスランドへ向かう道すがら、ガリアと向かいに二頭立ての馬車の座席に腰かけた主はふっと思いだしたように言った。


「ナイフ一本で極寒の地から自領に戻るなど、今から思えば無茶苦茶なことをされたものだね」


 だが、目の前の主はそれを為し得たから、ここに居る。 


 全ての手筈を一日も待たずに整えて、サルミナに馬車を操らせて領地を出たところだ。

 バクスランドは砂漠を東にそれた山麓の、砂漠ほどではないが厳しい土地だ。

 ほとんど耕地もない貧しい土地だというのに、兄弟で継承権争いをして更に荒れ果てたところを三男坊が領主に治まった。彼はその好戦的な性格を活かして、中央の高官を黙らせ、領地を立て直し始めたところだったはずだ。

 ラーゴスタとの確執はすでに耳に入っていた。

 だが、中央の膿を追い出す作業に追われて、各地を飛び回っていたガリア達の手が及ばなかったのだ。これには多少の後ろめたさもある。

 だからこそ、主はこれほど早く手を打ったのだろう。


「あなたのお父様は、航海中に海に落とされたのですよ」


「我が家の教育は少しばかりおかしいのだよ」


 ガリアが微笑みながら言うと、主は呆れたように返す。


「そういえばガリア。君はヨウコにまだ教えていないようだね」


 主に指摘されて、ガリアは曖昧に笑った。


「君、私と父の二代に渡って仕えていると教えてやったのかい」


 そう。ガリアは祖母の血を色濃く受け継いだ亜種だ。

 だから、今年で五十になるというのに未だ姿は若いまま。

 ガリアはこの主が赤ん坊の頃から知っている。


「いずれ。ですが、女の年は、そう軽々しく口にして良いものではありませんのよ」


「なに、泣く子も黙る、七十七師団の長の泣き所にそんな告げ口はしないよ」


 ふてぶてしく育ってしまったものだ。

 だが、こうでなくては伯爵は務まらない。

 だから、彼の亡くなった奥方には正直なところガリアは困った。


 主は妻を十年前に亡くしている。病死だったが、原因は心労だ。

 彼女は同じ伯爵家のご令嬢で、社交界での駆け引きには慣れていたが、ガリア達のような者ばかりが揃う政治や戦の世界の駆け引きには不慣れだった。メフィステニスに嫁いだ者は、すべからく夫と同じような才覚を求められる。それは、もしも夫の命運が尽きた時に女主人として采配をふるわなければならないからだ。妻となったその時から姑による教育が施される。

 家同士の契約のような婚姻だったが、主は三才年下の妻を大事にした。しかし、結婚して二年で彼女は病死した。

 何も知らせれずに嫁いできた彼女は、嘆くだけ嘆いて、師団を預かるガリアを罵るだけ罵った。彼女には耐えられなかったのだ。伯爵家の厳しい掟も、教育も、命令一つで命を奪う未来にも。彼女も夫である主を愛しはしたが、病床から離れられなくなってからは夫にも恨み事を繰り返した。最期には、ただ謝罪を繰り返して。

 ごめんなさい、とか細くガリアに言った声が今も記憶に新しい。



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