-13-『緊迫の攻防』
「お仕置きだ。法に背く犯罪者など豚箱にぶち込んでやる」
じゃきんと腰に下げたガンブレードを取り出してクーナに向ける先輩は雄々しいが。
リボルバータイプで刀身が一メートルセンチを越えている。
完璧に銃刀法違反なのだが。この国の法を背いているのはオッケイなのだろうか。
「お生憎さま。そうはならないよ。悪いけど、JGGから支給されたこの記憶消去装置『ラブ・アンド・キエール』君で記憶を消させてもらうから」
クーナもちょこちょこと移動し、ドアの傍に置いてあった木槌――重量感のあるメタリックゴールドのハンマーを抱える。打ち下ろす断面部はトゲトゲしく、完全に皮膚を突き破るためのものだ。
あれで殴られたら記憶どころか命まで吹き飛んでしまいそうではある。
「落ちついてくれ、二人とも。お願いだから俺を巡って争うなんてやめてくれ」
「緋村、お前から先に殺してもいいんだぞ」
「お兄ちゃん。愛はときとして痛みを伴うものなんだよ?」
いいながらも両者とも相手の出方を窺いながら間合いを縮め始めている。
むんむんの殺気がみなぎりまくっている。
なぜ、楽しいはずのデートでこんな修羅場イベントが発生するのだろうか。
しかもたかがイカ一匹のことで。
「うっ」
うめいたクーナは呆気を取られている。
気づかないうちに胴体に白い何かが巻きついていた。
細長く、先端が平べったいひし形の板のようなもの。
接触部はタコの吸盤とは違ってギザギザの歯が生えていてトゲトゲしい。
場違いなおもちゃのようでもあり、誰もが変な気分で見つめた。
大きな触腕だと誰もが理解したとき、クーナは空高く舞いあがった。
持ち上げられたのだ。
「うきゃああああああああああああ!」
「おっ、おお!?」
ざばっとそいつは水中から姿を現した。
深紅の体の一部、耳を欠損させて青い血を流しながらも現れたロンサム。
横長の瞳に黄土色の目がぎらりと光る。
三角の頭に十本の足をわらわらとさせながら瞳を収縮させ、俺たちを敵として捉えた。
イカには表情などない。
それでもはっきりとわかる怒りの波動が空気に乗って伝わってきた。
しゃべらずとも、語らずとも、動かずともわかる激怒の印は体色の変化で現れた。
血管に巡る血がそうさせるのか全身が赤から青へと移り変わり、激しく明滅していた。
圧倒的な巨躯は揺らめく度に異様な迫力を喚起させる。
虎やライオンを越えた怪物の不気味な気配。
肉食であり、俺たちを捕食対象として見ているからだと肌身で理解できた。
丸い口がぱっくり開き、尖った黄ばんだ牙がダラダラと唾液を流している。
「クーナっ!」
捕えられた触手がおぞましい口蓋へと運ばれようとしている。
俺は血相を変えて地面を蹴った。水面の上に浮かんだ照明器具を足場にしてジャンプし、ロンサムの胴体を疾走した。
ロンサムは俺を排除しようと触腕を集結させたが、当たる寸前で身体をひねりながらかわした。
ぶおんっと風切り音が耳元で騒いだが、気にしている余裕はない。
必死に弾力のある白肌の上を走りながらも黒ジャケットを脱ぎ捨て、ロンサムの目元へ投げつける。
せめてものの目くらまし。一秒でも時間が稼げればいい。
残り、目測でクーナまで三メートル。
「うおっ!」
唐突に膝が折れかける。野郎、垂直になりやがった。
勢いはなくなり、失速し、手をばたつかせたが自由落下へと誘われる。
落下しながらも上体をひねった。背中の投げ縄を取り出し、うごめくイカの触腕に狙いをつけて放つ。
輪をくぐらせるのは難しくても、縄をぐるぐると触手に巻きつけることには成功。
びんっと縄が張った。
空中で反動を利用して再び、ロンサムに急接近する。
そのまま拳を引き、思い切り振り抜く。
力の出し惜しみなどしない。
「オラァーーーーーーーーッッッ!」
肉の塊を打った鈍い感触。
ドォンッと音がして吸盤の一部が欠けて弾け飛び、筋肉の繊維がちぎれ飛んだ。触腕の半分が肉片となってぼたぼたと水面に落ちていく。
タコのときと違って今度は死ぬほど固めた拳で殴った。生涯で一度も放ったことがない強烈な一撃はそれなりに功を奏した。
ロンサムはひるんだのか、クーナの拘束が緩まる。
身体が、落ちてくる。
「お、お兄ちゃん」
口許に少しだけ安堵の笑み。嬉しげな表情に見えている。
心配かけるなよ――両手を広げて受け止めようとした――真横からもう一本の触腕が現れ、寸前でクーナはかすめ取られた。
あっという間の出来事だった。
一瞬の油断が明暗を分けた。
俺は横から来た触腕にも気付かず、巨大な手で平手打ちを食らったかのように弾き飛ばされた。
視界が劇的に変わっていく。
プールサイドへと擦れながらごろごろと転がり、這いつくばっている間にロンサムは水中へともぐっていった。
触手はうねり、クーナを巨大な口蓋へと運んだ。
黄ばんだ牙に囲われた空洞。
丸い暗黒の中へと。
クーナは食われる寸前まで手足をばたつかせたが、悲観した顔で食われた。
姿はどこにもなくなった。
ああ――あの、怪物の胃袋の中に入ったのだ。
「かはっ……うっ、おおおっ!」
胸を真っ黒な絶望感が埋めつくそうとしていた。
歯茎から血が出るほど歯をがっちり噛みしめて自分を奮い立たせた。
逆上のあまり髪の毛が逆立つ。目の前が熱くなり、激情に燃える。
まだ終わっちゃいねえ。武器がいる。水中で軟体の皮膚を素手で破壊することは難しい。やつの腹わたを引き裂く刃物が必要不可欠だ。
一刻でも早くぶっ殺して引きずり出さないと――クーナが二度と俺の元の戻ってこなくなる。
そんなことは絶対に許さねえ。
そうだ。あれだ。あのガンブレードがあれば。
「貸せっ!」
「あっ……」
承諾を得る間もなくガンブレードをわしづかみして水槽へと飛び込んだ。
ブルーの世界で目を見開き、足が壊れるくらいバタ足に励む。息が止めながらの突進した。
怒りで頭が熱くなってろくに考えることができなかったが、やるべきことだけは理解している。
やつを殺す。妹を救出する。
遂行のためならばどんなものを引き換えにしてもいい。
破壊されて割れた水槽の外へと消えようとしているロンサムの姿を発見し、怒りが増幅した。
絶対に逃がさねえ。ガンブレードの刃を頭の上に掲げた。
接近を察して触腕が伸びてくる。
眼前のものはかわして刃をあてる。この武器は驚くほど切れ味はいい――他の触腕が俺の胴体を縛りあげようと絡みついた。
負けじと片手でわしづかみし、引っ張り合いの力比べをすることになった。
ロンサムの縦眼がきゅっとしぼられ、ホースのような口がつぼめられ、突き出された。
何かの予備動作。不意に現れた真っ黒な何かが水中で煙幕となった。このために俺を拘束したのか。
イカスミ――有毒の生物兵器。
いいや、これは好機だ。好都合だ。
普通の生物ならひるむかもしれないが、俺は自分の耐久力に賭けることにした。触腕を引き絞り、反動で一気に中心へと向かった。
スミに目が焼かれ、皮膚がチリチリと痛んだ。バタ足を緩めるつもりは微塵もなかった。
一気に眼前へと突進すると、煙幕が一気に晴れた。
ロンサムはギョッとしていた。
俺が後退すると決め込んでいたのだろう。目と目の間にガンブレードを突き刺した。
青い血液が水煙となって視界を塞いだが俺は夢中になって傷口に両手を差し込み、思いっきり両サイドに広げた。
きゅうううううううううと派手な断末魔が水中でも聞こえてくる。
額を切り開き、俺を阻む軟甲にガンブレードを突き刺した。
脳みそをえぐりだしてかきわけ、五指に最大限の力を込めて腹部を目指した。
体内へもぐりこむ。
内臓を引きちぎって外へぶん投げながらがむしゃらに胃袋を探した。
クーナは収縮した肉と肉に挟まれていたのを見つけたときは涙が出るほど嬉しかった。
引き抜いて脇に抱きかかえ、水面へと浮上する。
「ふはっ……はぁ、はぁ……!」
プールサイドに持っていき、寝かすと濡れた金髪が広がった。
胸に顔をあてると心臓は動いているかわからなかったが、呼吸はしていなかった。
上に乗って心臓マッサージを開始。顎先を持ち上げて人工呼吸も試みた。
熱い涙をこぼしながら神様に祈った。
頼むから、俺から奪わないでくれ。まだ十六歳なんだ。これから幸せになるんじゃないか。俺から何を持っていってもいいから奪わないでくれ。
「頑張れっ……! 頼むからよ……」
交差させた手の平を押し込むと「ごほっ」と飲んだ水がクーナの口からあふれてきた。両手を引いた。反応がある!
薄氷色の瞳が弱い光を灯しながら俺を見返した。
「うぅ……ぬめってする。手とか、首とか……」
「よかった。よかった……本当にもうだめかと思ったじゃねえか」
背中に手を回して引き寄せてきつく、強く抱きしめる。
細身の体は小さくて折れてしまいそうで、力加減に気をつけなければならなかった。
衝動を抑える代わりに小さな頭をなで回し、黄金を溶かしたような濡れた髪に触れた。
心臓の音が聞こえてきて、冷たい身体がたまらなく愛しかった。
「……うぅん。なんか、お兄ちゃん久しぶりに優しいね?」
抱き返されても突き放すつもりはなかった。
少なくとも今日は。
「もう馬鹿なことはやめてくれ。こんなに危険だなんて思わなかったんだ」
「イカ、倒しちゃったの?」
「ぶっ殺してやったよ。今度からは俺が全部、殺る。どんなやつだって倒してやる」
「これってさ、ハグだけど、かなりセクハラだよね……シスコンだよね」
「今はシスコンでもいい」
「そうだね。お兄ちゃん泣いてるし……今までのことは全部、許してあげる。それに」
濡れた白い腕が首に絡みついた。
少しだけクーナは身を引いた。間近で見つめ合いながら口許をほころばせる。
「なんだか凄く、愛を感じる」




