91話 ランヌ城
少し時と場所を移し、ランヌ城。
頭脳労働は騎士ランヌに任せれば良しと気楽に構えていたガストンではあるが、ここで大きくアテが外れることとなる。
「ランヌ殿がご病気ですかい!? そ、そりゃいけねえ……その、病気とは、そのう、病気のことで? 今の病気はいけねえ、いや病気はいつもいけねえのですが、今は特にいけねえ」
「はい、わざわざ足をお運びいただき、もうしわけないことですが兄は床に伏しておりまして――」
対応してくれたのは騎士ランヌの弟だ。
たくましく日焼けした顔にスラリとした長身、なかなかの偉丈夫である。まだ若いのに頭髪が薄く、貫禄も十分といったところか。
混乱して意味のない言葉を発するガストンに嫌な顔一つ見せないあたり、なかなか練れた人柄のようだ。
名をジョスというようだが、これは奇遇にもガストンの実弟と同名である。
さすがに紛らわしいので、ここでは『騎士ランヌの弟』として通すこととしたい。
「ご存知の通り兄は咳病を患っておりますが、ここ半月ほどは熱も発し床を払うことができません。ご無礼をもうしますが、面会も難しいかと」
どうやら体の弱い騎士ランヌは体調を崩し寝込んでいるらしい。
抗生物質も気道の炎症を抑えるステロイドもない世界では、咳病は長引き、患者の生気を容赦なく奪う。
さすがのガストンも病人を寝床から連れてこいなどとは言えるはずもなく、力なく「左様ですかい」とうなだれるのみである。
「ヴァロン様、兄に御用の様子ですが、ここは私がうかがってもよろしいでしょうか?」
騎士ランヌの弟が如才なくガストンに用向きを訊ねるが、これは特別なことではない。
ガストンは小なりとはいえ軍勢を率いているのだ。公務中であることは明らかであった。
内容によってはランヌ家として果たすべきこともあるだろうと判断するのは当たり前である。
「御用……! そう、実はテランス様より手紙を預かっとりまして、その、ランヌ殿に加勢をいただけとの手紙なのですが、いや病気ならばよろしいので」
「その手紙、拝見させていただいても?」
「もちろんです。こちらで」
これは騎士テランスから騎士ランヌへの私信ではあるが、手紙とは意外と他者の目に触れることはあるものなのだ。
そもそも密書でもなければ同じ内容で何通も用意したりするので機密性も極めて低い。
つまり、ここで騎士ランヌへの手紙を弟が読んでも問題にはならないのである。
「なるほど……マクレ卿とトロー卿の領地争い、現場はルポン市」
「へい、新しい領地での縄張り争いのようで」
「ふむ、これは――いえ、伯爵の裁定は下っておるようですが、念のために現地の様子などをお伝えしましょう」
「と、もうされますのは?」
「ルポン市はここからさほど離れてはおりませんので事情などは聞こえてくるのです。地図をお見せしますので少し場所を移しましょう。主塔は工事中ですが仮のものがありますゆえ――っと、これはヴァロン様には言うまでもないことでしたか」
「はは、俺が知る御城とは見違えるほどですわい。ご案内、お頼みもうす」
騎士ランヌの弟に案内され、ガストンは仮の主塔に向かい、部下たちは慣れた様子で休息に入る。
さすがに経験豊富なマルセルの指揮ぶりも堂に入ったもので、こちらの心配も無用だ。
鼻息荒く張り切るマルセルにガストンも『これなら』と頷く。
ちなみに案内された仮の主塔は新しく築かれた2階建ての櫓である。
木造ながら壁面には粘土が塗りつけられており、耐火性も問題なさそうだ。
「こちらの地図をごらんください。この小川を挟んで東にマクレ領と西にトロー領となります。ルポン市はここ」
騎士ランヌの弟は地図に石を置き、位置関係を確認していく。
そして最後にルポン市を示す小石を小川の上に置いた。
「川の上ですな」
「そう、ルポン市はその名が示す通り橋を挟む形で大きくなった町なのです。伯爵は川で領地を分けたために両家でルポン市を割ることになった。ひとつの町をふたつに割るのは問題もありましょう?」
「ははあ、なるほど。ひとつの町を分けっことなりゃモメますわな」
どうやらビゼー伯爵は現地をロクに調べず雑に知行地をあてがったらしく、こうして統治の現場でさまざまな問題が出ているようだ。
とはいえ特別な失政と言うほどでもない。新しい領地に利権や境界争いはありがちなことである。
こうしてガストンという名代を派遣する程度の案件といえばそれまでのことだ。
「伯爵の裁定は下りているのですからヴァロン様は読み上げれば良いわけですが、多少なりとも事情を知っておくのはムダにならぬかと」
「そらそうです。万が一に拗れた時、なにも知らぬでは困りますわ」
「兄が同行できぬ今、当家ができることはあまりありませんが……せめて人を出し、先触れとしてヴァロン様の到着を伝えるとしましょう」
「とんでもねえ、助かりますわい。ランヌ殿に『くれぐれも大事に養生くだされ』とお伝えください」
この騎士ランヌの弟の判断を好意的と見るか、上辺だけのものと考えるかは評価の分かれるところだろう。
たしかに『兄の代理としてできる範囲の手伝いをした』ことに間違いはないが、せいぜいが騎士テランスへの義理を果たした程度のことともいえる。
下手な言質を与えない、なかなか強かな立ち回りと言ってよい。
しかし、騎士ランヌの病気に絶望していたガストンには日照りの雨にも等しい助けと感じられた。
その屈託のない喜びようを初対面の騎士ランヌの弟はどう見たか――真実は本人にしか知り得ぬところである。
「なるほど、ヴァロン様は兄から聞いた通りのお人ですね――ああ、いえ、悪い話ではないのです。好ましい人柄だと」
ガストンは良くも悪しくも感情を隠せない男である。
そんな男は不意に褒められた時、何とも言えない表情で頭をかいた。
「そういえば今日は牡鹿が届けられまして、よろしければ皆さまにふるまいたいのですがいかがでしょうか?」
「うん? そりゃありがてえ。この御城を建てる時は兵士がよく狩りをしましてのう。鍋にして皆で食ったもんです」
「ええ、もはや内臓も入れた獣肉の鍋はランヌ城の名物ですよ」
騎士ランヌの弟に連れられ櫓を出ると、広場でマルセルがランヌ城の兵士らとバカ話をして大笑いしているのが目に入る。
これにはガストンは騎士ランヌの弟と見比べ『同じ弟でもえらいちがいだのう(マルセルは実弟ではないが)』と苦笑いするほかない。
自分の育ちの悪さは棚に上げているあたりガストンも太くなったものである。
(しかしマルセルはようやっとるが、大頭にゃ貫目が足らんのではないか)
ガストンが見るにマルセルは知恵がまわるが軽々しく、有無を言わせず兵士たちを従わせるような迫力に欠けている。
百人長というのは実戦部隊の部将だ。それは怯える兵士たちの尻を叩き『それ行け!』と敵に向かって走らせる役目である。
それを成し遂げるのは兵士たちに『命令違反は大頭にぶち殺される』と信じ込ませるだけの恐怖が必要だとガストンは思うのだ。
レオンや騎士ランヌのように『産まれながら』人を従わせる身分があるなら話は別だが、ガストンやマルセルのような成り上がり者は兵からナメられたらお終いなのである。
(まあええ、テランス様も『育てろ』と言いなすった。今日できなくても明日できりゃええ。マルセルほどの男なら慣れりゃどうとでもなるわな)
ガストンにとってマルセルは頼れる男なのだ。
たとえランヌ城の兵士に売春婦の口説き方を面白おかしく解説している姿を見ても――そこは揺らぐものではないのである。




