86話 火計
本格的な攻防戦が始まってより3日目。
数で劣るカルフール城は粘闘を見せていたが、徐々に戦況の秤はマラキア・バシュロ連合軍に傾いた。
「ガストンッ!! こらダメだあ!! 屋根つきの破城槌が行列しとる!! 門がぶち壊されるぞっ!!」
塔の上からマルセルが叫ぶ。
敵は本格的に攻城用の破城槌を用意した模様だ。
それもただの丸太ではなく、塔からの攻撃を防ぐように屋根までついている。
昨日は数が少ないが投石機も登場し、馬出しの木柵を破壊された。潮時というものだろう。
「分かっとるわ! 皆の衆、これは凌げん!! 正門まで退け!! ラメーの衆、ここは引き上げるぞおーっ!!」
ガストンにラメー軍を指揮する権限はないが、剣鋒団が『この場から退く』と言えば戦線の維持できるものではない(そもそも防御拠点として限界なのは明白なので反対はないだろう)。
彼らも共にバラバラと正門に向かって駆け出した。
「あの屋根つきは矢ではやっつけれん!! 正門の上から石を落とせ!! デケえのだぞ!!」
ガストンは撤退しながら兵に指示を出した。これが正しい判断かどうかは分からないが、こうした時に弱気を見せては兵が怯えるのだ。
ラメー軍の雑兵は農夫である。戦況を考える余裕も経験もない。指揮官が具体的に堂々と指示を出せば兵士は安心するものだ。
「ガストン、火攻めだっ!! 火を支度せえーっ!! 屋根つきに油壺を落として火矢を食らわせてやれーっ!!」
「そらダメだ!! 馬出しが燃えちまう!!」
「構うもんかい、どうせ敵の城だあーっ!! 敵ごと燃やしちまえーっ!!」
「そらそうだあーっ!! 火を焚け!! 火矢を支度せえーッ!! 油壺を持ってこーいッ!!」
経験豊富で狡猾なマルセルはこうした時の機転が利く。
塔の上下で会話をするのもひと苦労だが、これで周囲への説明が省けたと考えれば悪くない。
塔や城壁には大人がひと抱えもするサイズの油壺が次々と運び込まれ、昼なのにかがり火が焚かれる。
小ぶりな壺には縄が巻かれたものも用意された。これはハンマー投げの要領で遠くまで放るのだろう。
さらに抜け目のないボネは燃えやすい薪や藁まで馬出しの内部に運ばせ、木柵に油を撒くなど火計の支度に余念がない。
そうこうしているうちに馬出しの門から敵が鬨の声をあげた。
どうやら門が破られたようだ。
屋根つきの破城槌を担いで移動するという構造上、敵勢の足は遅い。この遅さがガストンらに迎撃の準備を整えさせた。
「まだまだ、もっと引きつけろよ。慌てる乞食はもらいが少ねえぞ」
「おう、敵の弓衆が入ってくる。アイツらは巻き込みてえ」
ガストンも塔の上に移動し、マルセルとともに敵勢を観察する。
近くではギーが弓衆とともに矢を放っているが、敵を引き込むために矢勢は弱く、ポーズだけに近い。
敵も『ワアーッ』と声を張り上げ弓や投石紐で応射をしてくるが、こちらも破城槌の援護といった感じであまり狙いは定まっていないようだ。
(なんだかこうしていると昔を思い出すのう。リュイソーの家中でもマルセルと籠城したんじゃ。あれはどこだったか……)
ガストンは初めて籠城した日々を思い出し「ふっ」と口元を緩めた。
見ればマルセルも同様のようでニヤリと笑う。
「ガストンよ、あんときゃ負けたなあ」
「あれはたしか、あてにしとったビゼーの殿様が援軍に来なかったんじゃ」
「おう、そうだった。今回もビゼーの殿様だのみよ。来なきゃ負けるわ」
言われてみれば、よく似た状況になったものだとガストンも頷いた。
この戦も援軍が来なければジリジリと押し込まれて負けるのみだ。
「あの戦でいきなりお前さんが騎士を討ち取ったと聞いて悔しかったわ」
「ほうか。落城したときお前は逃げたろう? ケガした俺とジョスだけ捕まったわ」
「ま、あいこじゃ。あいこ。いまさら言いっこなしよ」
彼らにとってリュイソー男爵の元でしごかれた日々は美しき青春の日々なのだろうか。
相棒というものは、ある意味で妻や兄弟よりも自分に近しい存在である。年月は彼らの立場を大きく変えたが、人というものは根っこの部分は大して変わらないのだろう。
戦の最中だというのに2人並んでくつくつと笑う。
正門の外では破城槌を担ぐ敵勢が『エイ、オウ、エイ、オウ』と調子を合わせて迫る。
それに合わせ、敵勢の中でも威勢の良いのが『ワアワア』と大声を張り上げているが、これはちょっと聞き取れない。
敵勢の意気は盛んで、このまま放置すれば正門も破壊されることは間違いないだろう。
「ガストン、火攻めが上手くいったら追撃をしかけちゃどうだ?」
「うーん、正門を開けるのか。ちょいとまずくねえか?」
「なあに、火攻めが上手くいけばの話よ。逃げる敵の追い首稼ぎだ」
「ほうか……ほうだな。なら俺は下に行こう。火攻めの合図は任せたわ」
「コイツは上手くいくぞ、間違いねえ。この戦で勝てば大殊勲、褒美をたんまりいただいて山分けじゃ」
かくして火計のタイミングはマルセルに委ねられた。
ガストンは正門の前で手隙の味方を集め、出撃の手はずを整える。
(しかし、自分で城に火を放つのか……風向き次第じゃまずくねえか? いやいや、それよりも火がつかねえこともあるわな)
待つ時間は心細いものだ。
さすがのガストンも門の外から間近く聞こえる敵の歓声や武者押しの声には不安になる。
時間にしてわずか数分……しかし、ガストンにとっては長い時間が過ぎたころ。
「今じゃあ!! 壺落とせえーっ!! 火をつけろぉーっ!!」
塔の上からマルセルが声を上げ、ガチャンガチャンとけたたましく陶器の割れる音が響く。
すぐさま放たれた火矢からは火炎が燃え広がり、破城槌にとりついた兵士たちは悲鳴をあげた。
その火勢はガソリンや火薬が爆発する映像に慣れた現代人から見れば地味なものかもしれない。
今回の火計も一面が火の海になるようなものではなく、油が染みた木材が所々でメラメラと燃え上がるくらいのことだ。炎上した破城槌も先頭の2基のみである(不幸にもこの2基を担いでいた敵兵は軽くない火傷を負っただろう)。
だが、いきなり間近で火の手が上がり、熱を感じた敵兵は驚いた。
熱と炎に囲まれたことで本能的な恐怖に駆られたのだ。
そこへマルセルの合図を受けたガストンらが襲いかかった。
同じ火に囲まれるのでも、突如として襲われたのと自ら飛び込むのでは話はまったく別だ。
ガストンが率いる一団は逃げる敵を散々に追い散らし、馬出しから出てかなりの位置まで追撃してより引き返した。
これは籠城戦の大戦果といってよい。
この日の戦いはカルフール城の攻防戦という視点で見れば、マラキア・バシュロ連合軍の波状攻撃の1つを奮戦した守備側が撃退したというだけにすぎない。攻撃側の戦死者は最大で20〜30人程度だろうか。
全体としては馬出しが完全に破壊され、正門まで押し込まれたことで攻撃側にも利が大きかったはずである。
だが、人には感情がある。
この奇策での局地的な逆転劇に、攻撃側は『守将は極めて手強い』『下手に手を出しては損だ』と印象を持った。
特に敵主力のバシュロ軍は手伝い戦。ビゼー伯爵との戦いを前に消耗を避けたいと考えたのは不思議ではない。
マラキア・バシュロ連合軍は少し離れた位置へと陣を移し、カルフール城への攻撃を手控えるようになった。
そして、これより2日後に移動を開始し、カルフール城より姿を消したのである。おそらくはビゼー伯爵の本隊を察知し、決戦に向かったのだろう。




