67話 落ちてもともと
翌日、それなりに回復したガストンと従士マソンの兵舎を訪れた者がいた。騎士ドロンである。
開口一番「やあ」と気やすげに声をかけ、ガストンと従士マソンのそばに座り込む。
まるで隣家の友人を訪ねたような風情だ。
「久しいなヴァロン、それにそちらがタイヨンのマソンか。俺はセルジュ・ド・ドロン。この城の城代だよ」
戦陣のことなので鎖帷子を身に着け、剣こそ佩いているが、兜はなく供も連れていない。およそ城の指揮官としては考えられない不用心さだ。
「聞いたぞヴァロン」
この唐突な言葉にガストンはドキリとした。
なんら騎士ドロンに対して引け目のないガストンではあるが、こうも意味ありげに言われては気味が悪い。
「お前、俺の悪口を聞いて大層に怒ったそうじゃないか」
「あ、その話で」
「うん、俺はお前に嫌われていると思っていたから意外だった。礼を言うぞ」
これにはガストンの心中は複雑だ。
昨日の古参兵が周囲に吹聴したのだろうか。見れば従士マソンも苦笑いを浮かべている。
(コイツ……相変わらずやりづらいヤツめが)
さすがと言うべきか、騎士ドロンはガストンの敵意や害意を舌先だけでペロリと誤魔化してしまうようだ。
これが相手の気勢を削ぐ心術や兵法の類であることはガストンも心得ているのだが、やりづらいことに変わりはない。
(まあええわい。刺し殺すのは怪しげな素振りを見せてからよ)
騎士ドロンにはガストンの不機嫌などおかまいなしのふてぶてしさがある。
ガストンは不満げに騎士ドロンをにらみつけるが、これは柳に風と受け流された。
「お前たちは先の戦で捕虜になったそうだな。陣破りとは大したものだが、今の状況はかなり悪いぞ。先ずは聞け」
騎士ドロンが言うところによれば、今回の敗戦より数日でビゼー伯爵領はかなり揺らいでいるらしい。
というのも先の退却戦の時、ビゼー伯爵が真っ先に逃げたことで『家臣を捨てて逃げた』と領主たちが怒った。
もっともな怒りだ。他国で大将に見捨てられてはたまらない。
しかし、この怒れる家臣たちにビゼー伯爵は心ない一言を放った。
「あのような混戦で陣立ては不可能。大将たる自分が死ねばさらに混乱が加速するのは必定である。ゆえに真っ先に離脱した。異見はあるか?」
これは正しい。
まったくの道理だ。
ただ、ここには家臣たちに対する心がない。
(殿様よお、そりゃダメだわ。しかしまた、いかにも言いそうだのう)
ガストンとて敗走の現場にいたのだ。伯爵の言葉は道理として理解できる。
だが、その戦で主君が戦死した従士マソンは不快げに「チッ」と小さく舌打ちをした。ムリもない。
そんな様子を騎士ドロンは気にもとめず、話を続ける。
悔しいが彼の語り口は巧みでガストンも引き込まれるようだ。
「それで腹を立てた領主らが勝手に帰ったのさ。要は謀反だ」
ガストンは「ああ」とため息をついた。
ビゼー伯爵はよく家臣から叛かれる。戦には強いが人望というものがまるでない。
「そこで伯爵は軍を再編するため、このヌシャテル城に300ほどの弱兵を置いて引き上げた。時間稼ぎのためだ」
「いや、そらおかしい。ドロン様は城の城代に名乗りを上げたと聞きましたわ。わざわざ捨て石にされた城に入ったので?」
ガストンが口を挟むと、騎士ドロンは「それよ」とニヤリと笑った。端正な顔だちが不気味にゆがむ。
「ヴァロン、そこの話をしようじゃないか」
「へい、聞きましょう」
「この城はな、落ちて当然なのさ」
「へえ、そらそうで」
「落ちても責任を取られまい。しかも勇戦すれば評価は上がる。万が一にでも勝てば稀代の名将と後世にまで名を残せるわけだ。こんなうまい話に乗らぬ理由がなかろう」
胸糞が悪くなる思いがした。
やはり打算はあったのだ。
ガストンも人並みに出世は望んでいるが、ここまで我利我利の功名餓鬼のような真似には忌避感がある。
兵士は死にたくないのだ。そんな命を賭けた分の悪い博打につき合わされるのは御免であろう。
(コイツは城の兵士らの命を屁とも思っとらん。勇戦などと甘い話をしやがって)
やはり気に食わないずるいやつだ。
どうにも騎士ドロンとは反りが合わない。世の中にはどうしようもなくムカつく相手はいるものなのだ。
「……そんなもんですかい。しっかし、城を手土産に裏切るヤツが出るかもしれませんぞ?」
「うむ、それはそうだが、その場合は難しかろうな。なんせ敵は強大よ。力押しで落とせる城に調略などするだろうか?」
「ふん、そりゃ分からねえ。小ずるい悪党はどこにでもおりますで」
ガストンははなから騎士ドロンが裏切ると確信に近い偏見を持っている。
これはすでに理屈ではないので騎士ドロンの言葉は届かないし、納得しない。逆に腹が立ってきた。
こうなれば怒りを我慢するほど腹芸ができないのがガストンである。
「俺はねえ、裏切りは大嫌いなんですわ。裏切り者は木をダメにするカミキリムシみてえなもんだ! 見つけ次第にぶち殺してやらあっ!!」
カッとなったガストンは床をバアンと音が出るほど叩きつけ、騎士ドロンに怒声を浴びせ中腰となる。
これには騎士ドロンも従士マソンも驚いた様子だ。
「まてまて、落ち着け。伯爵に叛いた領主らは順に潰される。今はこの城の話だ」
「ガストンさん、お怒りは分かりますがお平らになされよ」
いきなり噴火したガストンの剣幕に驚いた騎士ドロンと従士マソンは2人がかりで「まあまあ」とガストンを落ち着かせる。
さすがのガストンもまだ何もしていない騎士ドロンにこれ以上は何も言えず「申しわけねえ」と再び腰を落ち着けた。下唇を突き出した拗ね顔だが、これは癖なので仕方がない。
「しかし、この城は弱兵ばかりで士気も低い。どうかヴァロンにマソン、俺を助けてくれんか? ヴァロンならば副将として兵を半分任せてもいい。マソンはヴァロンを助けてくれんか」
ガストンは「はん」と鼻を鳴らして顔をしかめた。
(やはりコイツは甘いこと言って俺たちを使おうとしてやがる。敵に転んで城を売りやがる。それはお見通しだわ)
ガストンは「シャッ!」と奇声を吐き捨てて気を鎮めた。
本当はツバを吐きたかったが、さすがに借り物の兵舎でそれはできない。
「もとより俺はそのつもりですわい。けれどもマソンさんにゃ別に主命がある。俺だけですわ」
ここでガストンは従士マソンと目配せし、互いに頷いた。
だが、この言葉に騎士ドロンはわざとらしいほどに喜んだ。
「おお、そうか! やはり俺とお前は朋輩だ! 以心伝心、同じことを考えていたか!」
「いや、ま……俺もビゼーの殿様に半分、バルビエにも半分の義理がありますで」
「さすがだ! お前はやはり武人の心がある。この城にあるものは馬でも兜でも従僕でも何でも使え! この時のための蓄えだからな!」
これにはガストンも拍子抜けである。もっと従士マソンが抜けることをゴネられると考えていたからだ。
案外、騎士ドロンもダメもとでガストンらを勧誘していたのかもしれない。
「ですがね、俺は裏切りを絶対に許さねえ。誰であっても敵に転ぶやつは鼻をそいでから刺し殺してやりますわ。よう心得てくだされい」
ガストンがこう凄むと、騎士ドロンは「分かったとも、裏切り者は許せんな」と肩をすくめて兵舎から出ていった。
(コイツも強がっとるだけなのかもしれんのう)
その背中を見たガストンは、なんとなくそう感じた。




