23話 粛清のはじまり
ガストンがビゼー伯爵に仕え、数ヶ月ほどが経った。
「兄い、殿さまが出るぞ!」
「くっそ、油断したわ! マルセルと先に行っとれ!」
ある日の午後、バタバタとした空気が城内に立ちこめる。
ガストンら新たに集められた兵士たちの仕事は伯爵が出歩く時の供であった。不思議なことに彼らは通常の衛兵のように市内や街道の治安維持には全く参加をしない。
ただ、伯爵は気まぐれなのか時おり1人でフラリと馬で出かける。これに遅れることは許されない。
(昼を過ぎたから油断したわ! おちおちクソをひることもできんわい!)
ガストンたちとて食事もすれば排泄や睡眠時間もある。だが、伯爵は全くお構いなしだ。
「ひい、ひい、こらたまらんのう。ほれほれ皆の衆、しっかりせい」
ガストンは槍と兜のみを引っ掴み、他の仲間を励ましながらバタバタと走る。多少の出遅れは許されるが、全く追いつけないではすぐに解雇にされるのだ。
伯爵は300人に近い兵を集めたが、すでに200人ほどしか残っていなかった。
不思議なことに古強者ほど早々に脱落し、残っているのはガストンらのような若い兵士ばかりである。
ガストンは必死で走り、伯爵の馬に追いついた。
何のことはない、伯爵が馬を休めたのだ。
「遅いっ!」
「はっ、はっ、はあっ、はあーっ、あいすいませんっ」
ガストンの姿を認めるや、伯爵は容赦なく叱責する。伯爵もお気に入りの家来ゆえに目がいくのだろうか、ガストンはよく叱られた。
こうしたおりの伯爵は完全に戦支度、それもガストンが見たこともない立派なもの――鉄板を組み合わせた金属鎧だった。
フルプレートアーマーとまではいかないが、篭手や脛当ても備えており、身体のかなりの部分をカバーしている。
小柄な伯爵ながら、馬にまたがる金属のシルエットは見る者を威圧するに十分な迫力があった。
「ガストン、鎧はどうした?」
「へいっ、直前まで厠(トイレのこと)に籠もっとりまして、その、慌てて兜と槍のみ持って走りまして――」
「愚か者めっ! 変事はいつなんどき起こるやもしれぬ! 気を緩めるでないっ!」
「へいっ、肝に銘じまっ!」
伯爵の叱声に近くにいた兵士たちが「うへえっ」と顔をしかめたが、実はガストンはあまり堪えてはいない。
(うちの殿さまは口で叱るだけじゃものな。優しい優しいそよ風のようなものだわ)
これである。
多少、伯爵の叱責が重くとも、ペルランに殴られながら兵士のイロハを教わったガストンとしては気楽なものだった。思えばずいぶんと図太くなったものである。
「……よう追いついたな。もう少し遅れると思ったわ」
「おう、間に合わせるために槍と兜以外は水筒も何もかも置いてきた。水くれるか、今ごろ汗が吹き出ててきたわ」
「そりゃあ良い思案だわ。遅れて追いつけぬより、ずっとましだ」
ガストンはマルセルから水筒を受けとり、ゴクリゴクリと喉を鳴らした。
ビゼー城の井戸水は水質が悪く、どこか金臭い。だが、ガストンは実にうまそうに口にする。
「これより2列縦隊をとれ! 村落でかわらけ1枚たりとも手にした者は略奪者と見なすぞ! 続けえっ!!」
伯爵は後続を待ち、人数が揃うと隊列を指示した。どうやら近くの村へと向かうようだ。
兵士たちは整然とはいかぬまでも、それなりに隊列を維持して歩みを続ける。さすがに伯爵の目の前で伯爵の領地を荒らす不届き者はいない。
「今日は知らん土地に向かっとらんか?」
「いつもの原っぱはあっちだぞ」
「今日はあれか、行軍訓練だ」
村を抜けた辺りでガストンの周囲で同僚の兵がざわつきだした。
いつもはこのまま平原や空き地での打物(武器のこと)やレスリング、時には模擬合戦などの練兵へと移るのだが、今日は方向が違うようだ。
とはいえ、終日歩き続ける行軍訓練や野営陣地を作ることもあり、全く見慣れぬ土地に遠出することもないではない。
「まあ、俺らは土地勘もねえしついてくだけだわな」
「ははっ、兄いは肝が太えわ」
すでに伯爵に叱られたガストンは半ば開き直っており、それが面白いのか弟のジョスはケラケラと笑っている。
ガストンは少しムッとしたが、行軍中に怒鳴りつけるわけにはいかず、口をへの字に曲げて言葉を飲み込んでいた。
ひたすら歩く行軍は退屈だ。兵士たちは雑談で盛り上がるのが常だが、ケンカ騒ぎは罰せられる。それを避けるたしなみくらいはガストンにもあった。
しばらく歩くと、また新たな村落を通過した。見慣れない小さな村だ。ここでは人々が家屋に隠れるなど、軽いパニックが起きた。
(おや、最近では珍しいの?)
ガストンはこの村の反応に少し新鮮味を感じた。
この伯爵の奇行、はじめこそ皆が驚いたものの、数ヶ月も続けるうちに誰も気にしなくなっていたのだ。
「これより先、何よりも我が命のみに従えっ!」
ここで改めて伯爵から檄が飛ぶ。
これに兵士たちは首をかしげた。伯爵の命令に従えなどとは言わずと知れたことなのだ。
そこから少し開けた場所に出ると、先に小さな城が見えた。ガストンに馴染みのあるリュイソー城より小ぢんまりとした構造の小砦だ。
そこから1騎、慌てた様子で騎士が馬を走らせて向かってくる。鎧などは着けていない平服だ。
「あの城が目的地なのかのう?」
「はて、それにしちゃ慌てて飛び出してきたが……?」
ガストンとマルセルも顔を見合わせるが分かるはずもない。
城から飛び出した騎士はやや離れた位置で馬を止め、馬上から伯爵に向かい抗議を始めた。
何やら「報せもなく兵を入れるな」とか「主家とはいえ無法は働くな」など、そのような内容である。どうやらこの城は伯爵の家臣のものらしい。
吹けば飛ぶような土豪領主とはいえ、一国一城の主である。伯爵とは封建的な契約で主従関係が成り立っているものの『この土地の主権者』は領主だ。
土地に兵を入れるなら事前に報せるのはマナーであり、常識だった。
しかし、伯爵は全く聞く耳を持つ風ではない。言葉を途中で遮り「あの者を討ち取れっ!」と指で騎士を示した。
とんでもない暴挙である。
そもそも領主同士の主従関係は『家臣は臣従する代わりに主君は保護をする』のが基本だ。
主君が家臣を攻撃するなど言語道断であり、やむをえぬ場合は契約を解消するものである。
まさに伯爵の命令は無法であった。
だが、この無法にいち早く応じた者がいた。
ガストンである。
命令には即座に応じる――師であるペルランから、文字通り叩き込まれた心得だ。
「キィイアァァァァァッ!!」
ガストンは獣のように叫びながら駆け、馬の胸を槍で突いた。
騎兵の恐ろしさは質量と速度である。槍も持たずに立ち止まっている騎士など大きな的でしかなかった。
「やれい、マルセル! ジョス!」
驚いた馬が棹立ちになり、騎士を振り落とす。そこにトドメを刺したのはガストンに続いたマルセルとジョスだ。
鎧も着ていない騎士の体に2本の槍が突きたち、断末魔の悲鳴が兵士たちの耳を打った。
「ヴァロン兄弟の働き見事なり! 皆の者、遅れをとるでないっ!!」
伯爵が馬上からガストンらの働きを褒めた。これは主君が手柄を認めたのだ。褒美が保証されたに等しい。
呆然としていた兵士たちはハッと我に返った。
「騎士エロワ・ド・パンは我の命に叛きし謀反人なり! よって誅する!! 分捕り勝手(この場合は略奪の許可のこと)、城へかかれーっ!!」
伯爵は攻撃を命じ、そのまま馬を走らせて城へと向かう。それに応じた兵士たちは「ウオオーッ!」と鬨の声を張り上げて駆け出した。
余談ではあるが、この場合、騎士パンの『騎士』は従騎士ではなく『爵位を持たない豪族』くらいの意味である。
たいへん紛らわしいが、馬を用意して戦場に出る身分と考えればおおむね間違いはない。
不意を衝かれた小城へと殺到する200人。もはや抵抗する間もなく守兵たちは逃げ散り、あっという間に城は占拠され略奪に晒された。
ここまで奇襲が成功することは珍しいが、これにはカラクリがある。
伯爵が兵を増員したことで、はじめは『何をたくらんでいるのか』と警戒していた周辺領主も、伯爵が気まぐれな遠出を数ヶ月も繰り返したことで『いつものことか』『子供の戦遊びだ』とすっかり油断をしていたのだ。
そして、ロクな手勢がいない手近な小豪族に目星をつけ、一気に襲う。
家督を継いで間もなくリュイソー男爵を救援できなかった屈辱を伯爵は忘れていなかった。
力が足りず、陣触れに応じなかった謀反人どもを罰することもできなかった恨みは深い。
騎士パンは謀反人の一味であり、最も勢力が小さい者の1人であった。
そして本日、伯爵は周到に準備を進めて復讐の一歩を成した。
ここまで来れば軍略というよりも謀略に近い。
伯爵は自らの手足となる常備兵を鍛え抜き、自らに叛いた家臣たちを片端から粛清するつもりなのだ。
「わはは、勝ったな! この燭台は銀だぞ!」
「俺はワインの小樽をかっぱらってきた」
「あの野郎、うまく女を捕まえやがったな」
「へっへ、この槍を買わんか? まけといてやるぜ」
報復の暗い歓びで満たされた伯爵の胸の内とは裏腹に、兵士たちは略奪に湧きたつ。
落城後の略奪は兵士たちにとっての臨時ボーナスなのだ。




