104話 馴れ合い戦
そのしばらく後、時は来た。
プチボン男爵は王命により軍を興し、エペ城へ向かう。
その数は号して3500人(実数は900〜1000人程度)。
目標はエペ城を攻略し、ビゼー伯爵の勢力をクード川西岸から駆逐することだ。
対するビゼー伯爵軍は伯爵親衛隊である剣鋒団を中心にし、およそ1000人(実数は剣鋒団が200人強、戦闘員は260人程度。その他の人員を含めて400人と少しか)。
勢力拡大を目論むビゼー伯爵の先鋒として、こちらもエペ城死守の構えである。
そういうことになっている。
そして、エペ城内では敵勢を見下ろしながら百人長たちが軍議を行なっていた。
とはいえ、先日の『馴れ合い戦』の同意は成され、弛緩した雰囲気である。
「おうおう、ありゃヒデえな。百姓を集めた雑兵にしてもヒョロついとるでねえか。あれならひと当てすりゃ蹴散らせるぜ」
「いや、それはマズい。同意を反故にしては次から交渉ができなくなる」
お調子者のマルセルが壮語を吐き、ミュラがたしなめる。
信用というものは積み重ねだ。ミュラが言うように『思ったより弱そうだ』とそのとき都合で約束を破っていては敵からも味方からも孤立してしまうだろう。
さすがにマルセルもバツが悪いのか「口が過ぎましたな、冗談ですわ」と訂正した。
「バイイ殿、村の者は城に入ったようですな。人足や輜重隊はリュイソーのお城に向かいましたかい」
ガストンが訊ねるとバイイは無言で頷いた。
いくら馴れ合い戦でも、敵味方に見せるポーズというものがある。
エペ城は定着した村人を城内に避難させ、非戦闘員は後方へ退かせたのだ。
事態のエスカレーションを警戒し、事前に援軍要請などは行っていない。
リュイソー男爵には避難した兵たちから『ダルモン王国より奇襲を受けた』と連絡が入るはずだが、実際には援軍などが動く前にプチボン男爵が引き上げるだろう。
「マルセルよう、あちらさん都合の馴れ合い戦じゃが、城の試し稽古にはちょうど良かろうよ」
ガストンが大きくバァンと手を打ち、この場をおさめた。
これを機に百人長らが「よしやるか」「各々、ご油断めさるな」と、残る1人は無言でと個性を出しながら持ち場へと向かう。
突破力のあるガストンは主将ではあるが正門を守る。
後詰めや全体の把握は兵の運用が上手いミュラが担い、マルセルやバイイはそれぞれ担当するエリアをカバーする布陣だ。
本来ならば、ここに城兵や雑兵が加わるのだが、今回に限りそれらはいない。
プチボン男爵の軍はまとまらない様子ながらも「オッ! オッ! オッ!」と武者押しの声を上げて前進を続ける。練度は極めて低く、足並みも声もあまりそろっていない。
そして兵の顔が見える距離で停止し、大将らしき立派な騎士が前に進み出た。
傍らには角兜を被ったギユマンもいるが、こちらもよく目だつ。
「わが名はギョーム・ド・プチボン! 王の命を受け、不当にこの地を占拠する盗賊どもを討伐する! 城門を開かねば王の怒りと我が剣がこの城を焼き尽くすであろう!」
立派な騎士、プチボン男爵がよく通る声で名乗りを上げた。
これは言葉合戦。戦闘の前に自らの正当性を主張し、相手の非を鳴らす古式ゆかしい戦の作法だ。
これが上手い大将は味方の士気を高め、敵の戦意をくじくこともできるとされる。
この言葉合戦を受けて立つのは、もちろん主将のガストンである。
「何が不当だ! 城が奪いたければ力づくで来やがれ!」
学の無いガストンではこの程度のモノではあるが、これはこれで勢い(だけ)はあり悪くない。
将の戦意は兵に伝わる。力強い言葉は味方を勇気づけるものだ。
今回は馴れ合い戦だが、こうした予行練習じみた流れはガストンにも良い経験になったに違いない。
「ならばやむなし、神は正義を愛する! 汝らの首を王に捧げよう! 者どもかかれ! 神の光とともに!!」
この言葉を最後にプチボン男爵は自軍へ戻る。
そしてプチボン軍からはワアワアと声が上がり、パラパラと矢石が放たれた。
威勢は良いが、矢じりは外され、石はまったく城に届いていない。
ガストンが「声だせえ! やりかえせぇーっ!!」と槍を振り上げると、味方からも『ワッ』と喚声が上がる。
こちらも矢石を放つが、これも矢じりを外した子供だましである。
プチボン軍は兵を前後左右に動かし、休み休み声を張り上げ矢を放つ。
これを繰り返した後にプチボン男爵は兵を引き上げる――はずであった。
「なんじゃ、アイツらは」
ガストンの目に映るのは、プチボン男爵の軍勢より離れ、城へと向かってくる少集団である。数は100に満たず、おそらくは70人かそこらだろう。
約束を反故にして攻め込んできたにしては少なすぎるし、タイミングもおかしい。
実際に慌てた様子の騎士がプチボン男爵の軍から少集団に向かって走っているようだ。
「ありゃ抜け駆けだ! 矢を変えろお! 矢じりがついたやつだぞぉ!」
こうガストンが命じるころ、少集団は顔がハッキリと見える位置まで進出し、停止した。
集団からは騎士が1人、騎乗のままゆっくりと姿を現す。やや老いた、男盛りを越した印象の騎士だ。
「我が声が聞こえるか、呪われしガストン・ヴァロン!」
老いた騎士はいきなりガストンへの侮辱を吐き出した。
こうなればガストンの面目、すなわち剣鋒団の名誉に関わる。
ガストンも「お呼びじゃねえぞ! 失せろ老いぼれ!」とやり返す。
「我が名はロベール・ド・アテニャン、卑怯にも貴様が捕らえたアルマンの父と言えば覚えたか!」
ロベール・ド・アテニャンといえばアテニャン騎士家の当主である。
さすがにガストンも驚いたが、黙っているわけにもいかない。
「あの小便タレの親父がどうした!? せがれに泣きつかれて出しゃばってきたのかよぉ!!」
ガストンの侮辱に応じて城内からも「みっともねえぞぉ!」「帰れ帰れ」とヤジが飛ぶ。
おそらくはマルセルあたりが煽っているのだろう。
「アルマンは獄中で死んだ、殺されたのだ! 憎きヴァロン、アルマンの仇だ! 勇気があるなら我が挑戦を受けよ!」
捕虜となっていたアルマン・ド・アテニャンが死んだ――これにはガストンも衝撃を受けた。
(まさか、ビゼーの殿様が癇癪して殺しちまったのか?)
交渉中に捕虜を殺したとなれば、アテニャン家の怒りは相当なものだろう。
もちろん獄中で捕虜が死ぬことは無いではない。病死や頓死などはいくらでもある。
だが、アルマン・ド・アテニャンは負傷していたとはいえ死ぬようなケガではないし、若く健康だった。
こうした若者が死んだ時に『ビゼー伯爵が殺したのではないか』と疑われるのは、伯爵本人の不行跡や酷薄な人柄によるものだろう。
証拠はない、こうした場合『やりかねない』と思われるのが問題なのだ。
そして、使者だったクレマン・ド・アテニャン(ロベールの弟だろう)からガストンへの印象が悪かったのも災いした。
人は信じたいものを信じる。
老いたロベール・ド・アテニャンからすれば、平和理に偵察をした長男が捕らえられ、虐待の末に殺された――そう信じ込んでいるのかもしれない。
「どうしたガストン・ヴァロン、我が挑戦に臆したか!」
もちろん、アルマン・ド・アテニャンの死に関する真相はガストンには知り得ないことだ。
だが、こうした名指しの一騎討ちを断っては騎士渡世は成り立たない。
騎士は暴力で生きているのだ。ここで臆病だとレッテルを貼られては騎士廃業である。
アルマンの死を聞き、親父まで殺すのかとガストンは暗い気分になったが、これを断る選択はない。
主君と自身の名誉を守るために戦わねばならぬのが騎士道だ。
「息子が死んだのは気の毒だったぁーッ!! だが俺も挑戦をされたからにゃ受けて立つ!」
ガストンは「馬引けえーっ!!」と大声で馬丁長のイーヴを呼びつけた。
これは城外に向けてのアピールでもある。
「コション、隊を連れて来い! ドニも家来衆を連れて同行せい! ボネ、ギー、ここは頼むぞ!」
ガストンは次々と指示を出し、素早く門から出撃した。ここでダラダラと時間をつぶしては臆病風に吹かれたと邪推されてしまう。
そして槍と盾を構えたガストンの姿が見えると、城内外から「ワアーッ」と大歓声が上がった。
名乗りを上げた騎士同士の一騎討ちなど、軍陣の中にあって最大のエンターテイメントと言ってよいだろう。
「俺がビゼー家中のガストン・ヴァロンじゃ! ひと槍馳走といこうかい!!」
「ありがたし、いざァッ!」
ガストンと騎士アテニャンは向かい合うや否や、互いに馬に拍車をかけた。
互いに槍と盾を構える騎士同士、自然と槍を突き出す形になる。
騎士アテニャンは「オオッ!」と雄叫びを上げ槍を繰り出す。しかし、悲しいかな老いた槍はガストンには届かない。
ガストンは騎士アテニャンの槍をすくい上げるように払い上げ、そのまま盾を叩きつけるように馬ごと体当たりをした。
あまりにも荒っぽい、戦場で鍛えた馬術である。
鞍同士がぶつかり、ガシャンと鎧がきしむ音を立てた。
騎士アテニャンは大きく体勢を崩したが、なんとか足を絞り落馬を免れたようだ。
そして互いに駆け抜け、仕切り直しである。
「やるな、さすがはアルマンを破った男だ!」
「知るか、ムダ口を叩かずにさっさと構えろ!」
ちなみにアルマンを打ち据えて捕らえたのはガストンではないが、一騎討ちの最中に誤解を解く時間も意味もない。
「そりゃ、行くぞぉ!!」
「ウオオーッ!」
再度槍を構え、互いに向かって駆け出した。
交差する瞬間、ガストンは狙いを定め槍を繰り出す。
馬上にあってもガストンの精妙な槍さばきと怪力は衰えることはない。
その穂先は騎士アテニャンの槍を弾き飛ばし、その胸に深々と突き立った。
馬のスピードと体重が乗った槍である。
その威力は鎖帷子を容易に貫き、騎士アテニャンの体は吹き飛ぶように馬から落ちた。
「オオーッ!! ガストン・ヴァロンが討ち取ったァーッ!!」
ガストンが槍を引き抜き、勝ち名乗りを上げると同時に敵陣からは「ああーっ」とどよめきとも落胆ともつかぬ声が響く。
もちろん城内からは大歓声だ。
「見たか、互いに卑怯はねえ! お前たちも了見して殿様を連れ帰ってやれい!」
ガストンはそれだけ言い残し、引き連れてきたドニやコションと共に城内へ引き上げる。
(チッ、胸クソの悪い話だ。息子が死んで、仇討ちに来た爺さまを突き殺すたあ、死んだおっ父も神さまも許さねえだろう。俺はクソみてえな悪人になっちまった)
ガストンもこれを馴れ合い戦の協定破りだとは考えていない。
騎士と騎士の名誉の争い。または息子の仇と父親の遺恨である。
たまたま戦場で起きた個人の戦いなのだ。時と場所変えても顔を合わせれば起きた戦いだろう。
アテニャン家の部隊は粛々と主君の遺体を運び、プチボン男爵の軍へと戻る。
騎士の名誉はしばしば軍規を超越するものである。プチボン男爵もこれを大きな問題とせず、そのまま引き上げるようだ。
『ダルモン王は軍を発し、エペ城を攻めた。しかしビゼー軍の将軍ガストン・ヴァロンは勇戦し、これを退ける』
ガストンには後味の悪い馴れ合い戦の結末となったが、この戦いはガストンの名が正式な史書に記された初めての出来事であった。




