困った提案をされる
夜は危なくて一人では出歩けない。
こうなると泊まるしか無い。
仕方ない、またマリーさんの家に泊まろう。
「分かった……。じゃあ、マリーさんの……あれ、マリーさんは?」
「さっき帰ったぞ」
ダニエルがぼそっと言った。
「ええ!?」
またいつの間にか帰っている!!
たしかに顔を見ていないけど、いつの間に!?
「じゃ、じゃあ、俺も……」
と、立ち上がろうとすると、肩を掴まれて戻された。
「わ!? な、なにするんだよ!」
「おいおい、付き合い悪いな。もうちょっと一緒に飲もうぜ」
ダニエルが笑う。
「昨日も遅くまで飲んでたんだろ? 今日は止めとけよ! 俺も早く寝たいし」
「こんな家だが、一応客間にベッドがある。そこで寝ろよ」
と、ダニエルが部屋の方を指さす。
「い、いや、そういう問題じゃ無くて、男と女が夜中に二人きりはまずいって……」
「お前、男だろ」
ダニエルが平然と言う。
「男だけど! 身体は女だから!」
いちいち言わせるなという気持ちで、吐き捨てるように言った。
「お? 身体は女だから、俺と一緒に居ると身がほてるって?」
ダニエルが笑う。
「おい! やめろよ! こっちの身になれよ! 元々は普通に大人の男だったのに、今じゃそこらへんの男の子にも敵わないような身体なんだぞ! しかも、こんなかわいいし! 普通にお前みたいな図体のでかい男と二人きりになったら怖いっての!」
本音を言うと、ダニエルが一瞬真面目な顔をしたが、すぐに笑った。
「おお。オレっ娘が怖がるのもすごくいいぞ。お前、本当に俺のツボを突いてくるな」
目眩がした。
「おいいいーーー!! ダニエル、あんた今日は酒飲んでないだろ!」
「あぁ、さすがに昨日は深酒したからな。今日はちょっとしか飲んでないぞ」
「素面だったら、まともに判断してくれ! この状況がよくないことぐらい分かるだろ!」
顔を真っ赤にして主張しても、ダニエルは表情を変えない。
「ああ、心配するな。俺は紳士だ。嫌がる女を無理矢理押し倒したりしないよ」
ダニエルは自分で水にレモンを搾ってレモン水を作り、それを口につけた。
「あのな……信用ならないんだよ」
「おいおい、俺たちはこれから成り上がる仲だぜ。信用してくれよな」
ダニエルが平然という。
「じゃあもうオレっ娘とか言うなよ」
そういうことを言われるたびにむずむずして仕方が無い。
「ん? 女言葉に戻したいのか?」
「いや……女言葉にすると女モードになって危ないから戻さないけど……」
と、歯切れ悪く答えた。
言葉遣いを変えると、思考は男のままにしているつもりでも、つい清楚に振る舞おうとしてしまう。
そうすると、強引に押されたときに押し返せない。
「なるほど……そっちも面白そうだな。その、女モードってのになってみてくれ」
と、気楽に言う。
「だ、だから、あれはやばいんだよ! 理性が吹っ飛ぶから、絶対に無し!」
「そんな大げさな物か……」
ダニエルが肩をすくめて、レモン水を飲む。
「とにかく、男言葉は使うけど、オレっ娘とかいちいち言うなよ。俺は普通に男として男言葉を使ってるだけで、あんたのために演技してるわけじゃ無いんだからな」
「いいねぇ、そういう強がりは」
ダニエルが気楽に言う。
ダニエルが俺を見る目にゾワゾワと嫌な気持ちになる。
「だから……そういうのを止めてくれって言ってるんだよ」
「おいおい、本当にイライラしてるな、どうした」
「どうしたって、だからこの状況がよくないだろ。せめてマリーさんが居れば良かったけど……」
ああ、マリーおばさん、なんであなたは勝手に帰ってしまうのか。
恐らく勤務時間が終わったらさっさと変えるタイプの人なのだろうが、俺のことをちょっとは気にかけて欲しかった。
話すと悪い人じゃ無いんだけど、そういうところは期待できない人らしい。
「おい、俺を見損なうな。本当に嫌ならそんなことはしないっての」
ダニエルがあきれたように言う。
本当のことを言うと、ダニエルも危ないが、俺も危ないんだ。
俺の女モードはなによりも信用がおけない。
なにをするか自分でも予測が付かない。
男言葉を使っているからめったに女モードにはなら無いと思うが、何事にも100%は無い。
「はぁ……そういえば、夕食まだだったっけ」
「マリーが作り置きしてっただろ。いつもそうなんだ」
「じゃあ、取ってくる」
ソファから立ち上がる。
さすがに今度は肩を掴まれなかった。
厨房の方に行くと、ごった煮のような物とパンが置かれていた。
小皿に盛り分けて、居間の方に持って行って並べた。
ダニエルはパンを掴んで食べ始めた。
俺もちょっと離れたところに座って、同じように食べ始めた。
「うーん……」
これまでの食事でも感じていたが、家庭の味と言えばそうかもしれないが、それほどいい味付けでは無い。
やはり、フィリップの腕はすごくよかった。
しかし、そんな失礼なことは言えないので、黙って咀嚼する。
すると、ダニエルがふとこちらを見た。
「なぁ、お前、これは真面目に言っているんだが、俺のところに来ないか?」
「……は?」
食べる手を止めて、ダニエルを見る。
ってか、いつの間にかお前呼ばわりされてる。
「これから成り上がるにはいろいろ連携していかないといけないだろ。バロメッシュのメイドをやっているようじゃ、そうそうここに来られないだろ。それじゃあ、実際に物が出来るのがいつになるかわからないぞ」
痛いところを突かれた。
確かにその通りだ。
「それは……そうだけど」
なんと答えていいか分からず、食事を再開した。
ダニエルもパンをかじる。
うーん、なんと答えようか。
そう言われるとその通りなのだ。
日本に帰るためには、このプロジェクトを少しでも早く成功させるのが一番いい。
ダメ元だが、他に方法は今のところ思いつかない。
「でも……他にも元の世界に帰る方法があるかもしれないし……」
「そりゃ、そいつがあればな。でも、今はこれしかないだろう。だったら、お前がここに居て、俺とギュスターヴと一緒に物を作ろうぜ。そいつが一番早い」
「それは……まぁ……」
困った、反論できない。
「で、でも、アルフォンスが心配するだろうし……」
「おい、別にお前とあいつは恋仲でもなんでもないんだろ?」
「は!? 当たり前だろ! 違うって!」
俺はパンが入った口を手で押さえながら、大声を出した。
「じゃあ、別にそんなに義理立てすることないだろう。俺からよくアルフォンスに言っておくぜ」
ダニエルが平然という。
「で、でも、俺はあの屋敷のメイドたちとも仲がいいから、帰りた……」
と言いかけて、口をつぐんだ。
そういえば、マリー・レベッカ・コレットの全力攻勢にうんざりして屋敷を出てきたんだった。
あれ?
とすると、なんで俺はあの屋敷に帰らないといけないと思い込んでいるんだろう?
「どうした?」
「い、いや、別に……。あ、そ、そうだ。アルフォンスには拾ってもらった恩もあるわけで、出来るだけ恩を返したいんだよ」
と、自分に言い聞かせるように言った。
そうそう、恩を返すんだ。
あのときはコレットとレベッカに疲れて屋敷を出たいとか行ってしまったけど、やっぱり帰らないと。
「なら、とっとと成功して金を稼いで、礼でもなんでもすればいいだろう」
と、ダニエルが指摘した。
「まぁ……それは……そうか……」
「だろ? だから、こっちに来いよ。部屋は空いているしな」
う、うー。
困った。
理屈は確かにその通りだ。
マリーが良ければ、マリーと一緒にここに来て二人で暮らしながら、ダニエルとギュスターヴと一緒に企画を進める。
それが一番効率がいいし、レベッカやコレットとも距離が取れる。
でも、なんだかそれはいけない気がする。
なぜかは分からないけれども、俺はあの屋敷に帰らないといけないと思っている。
「どうした? 他にいい案があるのか?」
「な、ないけど……」
「なら、はっきりしろよ。お前は一体どうしたいんだよ」
ダニエルがごった煮を口に突っ込んだ。
はっきりできないから、困ってる。
「う、うーん……とりあえず、俺としてはとりあえず、アルフォンスに恩返しはしないといけないかな、と思って……」
「なら、金でいいだろう」
「それもそうだけど……、ほら、なんか、この見た目が好きらしいんだよ」
と、食べる手を止めて自分の身体を指さす。
「だから、まぁ、しばらくそばに居てやるかな……と。そのうち俺も大人になるし、アルフォンスも飽きるだろうから、そうしたら自由にやろうかな」
と言ってから、胸のどこかがチクッとした。
アルフォンスが俺に飽きる。ねぇ。
いやいや、別にたいしたことじゃ無いって。
「そばにいるなぁ……逆に執着が強くなるんじゃ無いかと思うが」
ダニエルがパンを咀嚼しながらつぶやいた。
「それは無いって。アルフォンスは俺のこと弟みたいに思ってるらしいから、それは無い。こういう見た目だから、エロ心はあるかもしれないけど、別に好きとかそういう……」
あ、いかん。
好きとか言う言葉を言ったら、イメージが変な風に広がっていく。
ぬがーーー!!!
慌てて首を横に振って、広がっていくイメージを打ち消した。
「と、とにかく、そういうのは無いから。一応、アルフォンスには恩があるから、勝手に出て行くとかはしたくないんだけ」
「ふーん……いいけどよ、結局、俺のところに来る気はないってことか?」
「とりあえず、今のところは……」
「そうかい」
ダニエルの口調がちょっと不機嫌そうな物に変わった。
ん?
何でこんな風に不機嫌になる?
まさか……
「お、おい、ダニエル、あんたまでこの身体を狙ってないだろうな?」
「は?」
ダニエルが険悪な視線で俺を見た。
うが、その顔をきっつい。
男モードでも結構びびる。
「い、いや、てっきりアルフォンスに対抗意識を燃やしているのかと……」
「はぁ!? 冗談言うなよ。俺はただビジネスパートナーとして近くに居た方がいいという話をしただけだ。勘違いするんじゃねぇ」
ダニエルが乱暴に言うと、食事の残りをかきこんで、皿を机の隅に寄せた。
「そ、そうか。わ、悪かったな」
「ったく、変なこといいやがって」
ダニエルが不機嫌になって、会話が止まる。
うーん、うっかり俺のことを女だと思い込んで誘っているのかと思ったんだけどなぁ。
違ったのか?
なんかもうよく分からない。
無言のうちに俺も食事が終わり、俺は自分の皿とダニエルの皿を厨房に運んだ。
そして、水桶から水を汲んで、皿を洗い始めた。
「冷たっ……」
いつものように水の冷たさに耐えながら洗っていると、ダニエルが厨房に入ってきた。
「おい、それは明日マリーが洗うからいいぞ」
「こういうのは放っておくとこびりついて大変なんだよ。……冷たっ」
思わずまたつぶやくと、ダニエルが怪訝な顔をした。
「どうした?」
「い、いや、この身体過敏なんで……。皿洗いとか実は結構きつい……」
今は秋らしく、日に日に気温が下がっていく。
水がどんどん冷たく感じられて大変なのだ。
なんとか洗い終えて、居間に戻ってソファに座った。
「ふぅ……」
「おい、手を見せろ」
「は?」
振り向く前に、ダニエルが俺の手を取った。
意識していないタイミングだったので、ビクッと身体が震えた。
「ふーん、別に荒れてるわけじゃ無いんだな……」
ダニエルが俺の手をしげしげと見ながらつぶやく。
「な、なんだよ」
ダニエルの手を振り払った。
「過敏だって言うからさ」
「だから……そういうことじゃないんだよ。この身体になってから、感受性も皮膚感覚も全部過敏なんだよ。だからいろいろ危ないんだから、察しろっての」
「そんなんじゃメイドの仕事もきついだろ。メイドなんて辞めてうちに来たほうがいいと思うけどな」
「その話は無しだって!」
「過敏ねぇ」
ダニエルが何気ない仕草で首筋に手を伸ばしてきた。
とっさのことで対応できない。
気がつくと、その手が首筋に触れ、電撃のような刺激が体中に伝わった。
一瞬視界が消える。
「ひゅわぁっ……」
すぐに視界が戻ってきたので、とっさにダニエルの手を振り払った。
「なっ……なっ……なにするんだよ!? あ……あぁ……」
自分で自分の身体を抱きしめながら、ダニエルを見上げる。
「そんな大げさなことか?」
ダニエルが驚いた顔をしている。
「ば、馬鹿野郎! いま、一瞬視界がホワイトアウトしたんだよ! いきなり変なところを触るな!」
怒鳴る。
「なるほど、アルフォンスが手放したがらないわけだ」
ダニエルがやけに真面目な顔をして頷いた。
「な、なにが!?」
「顔真っ赤だぞ」
「なん……」
慌てて自分の顔を押さえる。
確かに、ほてっている。
「そ、そうだよ……顔が赤いよ、それが悪いか! だから、過敏だって言ってるだろ!」
「へぇ、なるほど、こりゃ虐めたくなる」
ダニエルがヘラヘラと笑った。
「おい! ってか、これを見れば、二人きりとか危ないって大体分かるだろ!」
言いたくなかったセリフだが、言わないとわからなそうなので、あえて言う。
「そうだな。ははぁ、なるほど、こいつはまずいわ。俺は紳士だが、これは放っておけなくなるな」
ダニエルがニヤニヤ笑いながら言う。
「だ、だから言ってるんだよ! 頼むから、マリーさんの家で寝させてくれ!」
「分かったよ。まぁ、俺もビジネスパートナーとの仲を壊す気は無いんでな」
ダニエルはため息を吐くと、外套を着込んだ。
俺も気を落ち着けて、ダニエルと一緒に外に出た。
マリーさんは特に嫌な顔をせずに受け入れてくれたが、帰り際のダニエルの言葉に背筋が凍った。
「じゃ、明日の昼間に存分にいじるわ。それならいいだろ?」
いい訳が無い。




