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異世界でTSしてメイドやってます  作者: 唯乃なない
第2章 豪商のお嬢様
72/216

だるいにゃー

 翌日、いつものように起き上がろうとしたら、なんだか身体が重い。

 風邪を引いている感じでも無いので、過労だろうか。


「うわ、だるっ。昨日の昼間寝たから……平気かと思ったんだけどなぁ」


 と、ベッドから半分起き上がった状態でつぶやいた。


 クロエの屋敷に行ってからクロエが来て、その間にいろいろありすぎた。

 自分でもよく分かっていないのだが、この身体にはかなり強いストレスだったのかもしれない。


 考えてみれば、これまでずっとこの屋敷の中で完結した生活を送っていたわけで、いきなり違う場所に行けば普段受けない刺激をたくさん受けたはずだ。


 それはかなりの負担だったんだろう。


 俺はのろのろと起き上がり、メイド服に着替えずに、寝間着のまま廊下に出た。


「うわ、身体重いなぁ……」


 そして、書斎の扉を叩いた。


 返事も聞かずに中に入ると、アルフォンスとフィリップがソファを動かしているところだった。


「ん? どうした、アリス? そんな格好で」


 と、アルフォンスがソファから手を離してこちらを見た。


「おいおい、アリス。寝ぼけてんのか?」


 と、フィリップが小さく口笛を吹いた。


「いえ……あの……ちょっと体調が悪いので、お休みをいただこうと思って言いに来ました」


 そう言うと、アルフォンスが頷いた。


「昨日も疲れたと言って寝てたな。まぁ、気にせず休め……いや、ちょっと待て」


 アルフォンスはフィリップと一緒に声を掛け合って、ソファを動かす。

 どうもどの場所に置くかどうか決めかねているようだ。


 3度ほど移動し、満足のいく場所に決まったらしい。


「悪かったな、フィリップ」


「いえいえ、なにしろ、この屋敷は男手がありませんからね。力仕事なら、任してください! でも、給金もおまけをお願いしますよ」


「こいつ、調子のいいやつだな」


 アルフォンスが笑ってフィリップを送り、フィリップは部屋を出て行った。


「あの……なんの用でしょうか?」


 そう聞くと、アルフォンスがこちらを見た。


「ちょうどタイミングがよかったな。ちょっと座ってみてくれ」


 とソファを指さす。


「は、はぁ、そうですか?」


 だるいとは言え、今すぐベッドに戻らないといけないほど具合が悪いわけでは無い。


 俺は言われたとおりソファに座った。


 すると、隣に男が座ってきた。


 え。


「どうだ、この位置は。落ち着くか?」


「どうでしょうか……書斎にソファがあること自体が変な感じなので、なんとも言えないです」


「そうか? だが、この前ベイロン嬢が来たときに座る場所が無くてよくないと思ったからな。使ってないゲストルームからソファを移動したんだ」


 ゲストルームでシェルツをプレイしたときに使っていたソファを持ってきたらしい。

 ゲストルームにソファが一つしか無いのも困りそうだけど。


「そ、そうですか」


「ちょっとこの赤い色は書斎では派手すぎるんで、そのうちいいのを見繕うと思っているさ。とりあえず持ってきただけだ」


「あ、なるほど」


 俺は男からちょっとだけ距離を取ってお尻を動かした。


 すると、男は顔をしかめた。


「ん? そんなに嫌か?」


「ち、違います。寝起きなもので、顔も洗ってないし……って、洗ってくればよかった。挨拶一言だけしてすぐに部屋に戻るつもりだったんで」


「ん? 俺は気にしないぞ」


「こっちが気にするんです!」


「わかったわかった。じゃあ、早く顔を洗ってこい」


「わかりましたよ、もう」


 書斎を出て、一度顔を洗って口をよくゆすいで、寝間着のままだが最低限見苦しくないようにしてから、また書斎に戻ってきた。

 こういう細かい身繕いをする気力を出したくないから、寝ていたかったのに。


 戻ると、まだソファに座っていた男がこちらを見た。


「洗ってきたか? ……あんまり変わってないぞ」


「う、うっさい。なんでそんなに女心分からないんですか」


「は? お前、自分で男だって……まぁいい、ここに座れ」


 と、男が自分の隣を指さす。


 そんなあからさまに罠っぽい場所にわざわざ座りたくない。


「いえ……結構です。立ったままお話を聞きます」


「俺が話しにくいんだよ。いいから座れ」


「は、はい……」


 できるだけ端の方に座ると、男に肩をつかまれて引き寄せられた。


 予兆なしに肩を触られたので、変な刺激が来る。


「ひゃあ!!」


「へ、変な声を出すな!」


 なぜか男の方が驚いた顔をしている。


 驚いたのは俺の方だ。


「な、なにすんですか」


「おい……お前、この前、俺の腕に思いっきり絡みついてきたよな。これぐらいのことで、そんなに騒ぐことか?」


 そういえば、取り合いの時に男の腕に思いっきり絡んでた気がする。


「あれは……怖かったからです。別にそういう意味ではないです」


「そのときに助けてやっただろ。それに免じて、ちょっとぐらい触るのは許せ」


「は、はぁ? まぁ……そうですね」


 どういう理屈か分からないが、なんとなく納得してしまった。


「それで……なんの用でしょうか?」


「用か? ああ、用な……」


 男は顎に手を当てて考え出した。


 ん、用があったから呼んだのでは?


「あの、もしかして変なこと考えてます? 私だるいし……朝っぱらからへんなことしないでくださいよ」


「馬鹿、違う! 下心はないぞ!」


 男が目をむく。


 そういうの、余計に怪しく見えるから止めてもらいたい。


「あのー……私、男なんで、その辺考えてください。下心持たれても困るんで」


 すると、男がなんともいえない視線を向けてきた。


「な、なんです?」


「お前な……男なら男で、いちいちこうやってやったくらいで……」


 男がまた肩に手を回してきた。


「ひゃ! ちょっと!」


「いちいち、悲鳴を上げるな!」


「上げますよ! この身体敏感なんだから、いきなり触られると驚くんですよ……もう」


 触られた肩を自分の手で撫で直した。

 人にいきなり触られると変な感触が残るので、こうやって自分で触るとリセットされる。


「女同士でもいちゃついているだろう。今更触るくらい……」


 と、男があきれたように言う。


「それはそうですが……最低限のルールはあるんですよ。いきなり人の身体をつかんできたりとかはしませんし、キスも無理矢理とは言え私の了解を取ってからやります。こんなことはしてきません!」


 と、ちょっと大きな声を出したら、ちょっとくらっとした。


 そういえば、だるいんだった。


「んー……とにかく、あんまり無造作に触らないでください」


「お前、自分から俺の腕に抱きついてきただろ」


「自分から触るのは結構平気なんです」


「ほお?」


 と、男が意味ありげな目で俺を見た。


「なら、俺の腕にあのときみたいに抱きつけるか?」


「まぁ、たぶん、できると思いますが……」


 と、男の腕をつかんで抱えてみる。


 やはり、このパターンは平気だ。


 こっちから触る方向は脳の認識と一致するから、驚いたり敏感すぎたりしない。


「お、おい、お前……」


 なぜか男が恥ずかしそうにする。


「なんですか?」


「いや、いい……」


 男が脱力し、抱えている腕も脱力する。


 男が腕を動かそうとしないので、俺もその腕を抱え続けている。


 しばらくの間、無言が続く。


「あの、用はなんですか? 用がなければ帰ってベッドで寝ますけど」


「んん!? ま、待て! そうだ、用だな。ちょっと待て、今思い出す」


 男がめまぐるしく視線を動かして、なにかを考え込む。

 その考え込む動作にあわせて、抱えている腕もたまにピクピク動く。

 ちょっとかわいい。


「そ、そうだ。休みの規定について話をしていなかったな」


 男が話を再開した。


「ん? なんです?」


「本来はメイドや料理人も、月に何日と休みを決めて休みを取らせるのだが、うちはずいぶんと適当になってしまっていてな」


「そういえば、そうですね。マリーやレベッカもたまに休んでますけど、よく分からないです。てっきり365日働かないといけないのかと思ってました」


「お前……どういう世界から来たんだ?」


 男が俺を変な目で見る。


「ち、違いますよ。ここがそういう労働感覚の世界なのかと思ったんです」


 と、腕を抱えながら言った。


「さすがにそんなことをしたら、誰も居着いてくれんぞ。1年ほど前まではアーニャという年かさのメイド長が居て、アーニャが休みを決めたり使用人の手配なんかをしてくれていたのだが、病気で辞めてしまったんだ」


「なるほど、そうなんですね」


 たしかに、いくら小規模な屋敷とは言え、管理者的な立場な人間がいないのがおかしいと思った。

 昔は居たけど、辞めてしまったんだ。


「それで、その後本来は代わりになる人間を探さないといけなかったんだが、マリーやレベッカがうまくやってくれていたので、ついそれに甘えてしまってそのままになってしまったんだ。そのせいで、休みや勤務時間についてもかなり適当になってしまってな。俺としては、メイドたちがやりやすいようにやってくれればなんでもいいんだが、逆にルールが無くてやりにくいかもしれないな」


「あぁ……人によってはすごく働きやすいけど、なんかもやもやする状況ですね」


「だから、休みなんかは、メイドの中で話をして勝手にとってもらってかまわないぞ」


「そうですか。じゃあ、今日はマリーとかに言えばよかったんですね」


 今度からそうしよう。

 マリーに言えばいいだけなら、もっと気楽に休みとか取れそうだ。


「わかりました。これで用は済みましたか?」


 と、男の腕を放そうとすると、腕がビクッと震えた。


「待て! まだ離すな!」


「は?」


「まだ用がある」


「そうですか?」


 言われたので、また男の腕をつかんだ。


 うん、なんかつかんでると落ち着くな。


 今度、クロエにもらったぬいぐるみを抱きしめながら寝てみようかな。


「ところでお前……そういうのは意識してやってるのか?」


 と男が恐る恐るといった様子で聞いてきた。


「なにをですか?」


 俺は首をかしげた。


「なにって……こういうのだよ」


 と、男が腕を動かした。


「ん……なにが?」


「お前、頭動いてないのか?」


「まだ朝ご飯食べてないですし、あんまり回ってないかもしれません。だるいし」


「そ、そうか」


 男が変な顔で頷いた。


「用がないなら帰っても……」


「待て! 機会を逃すわけにはいかない! そのまま待て!」


「はぁ……?」


 なんだか分からないが、男が焦っている。


「お、お前、元々男だったんだよな」


「そうですよ」


「なのに……平気なのか?」


「なにが?」


「だから……」


 と、男が言いよどむ。


「ん? マリーやレベッカに言い寄られることですか? 平気なわけ無いじゃ無いですか。でも、元男だからムラムラして大変とかそういうんじゃないですよ。単純に面倒くさくて大変って感じです。一人で十分です」


「その話じゃ無いんだが……」


「じゃあ、なんですか?」


 男の顔を見上げると、珍しく男が赤面していた。


「ん? まさか、変なこと聞こうとしてます? そういうのもらえます?」


 頭が動いていない状態で、そう返事した。


「ば、馬鹿、違う! おい、お前、男なら俺の気持ちぐらい分かるだろ!」


 なぜか男が怒った声を出す。


「は? そう言われても……」


「あのな、お前みたいな無防備なメイドに絡まれてみろ! 中身が男だと思っても、心中穏やかじゃないくらいのこと、分かるだろう!?」


 と、男が言ってから「しまった」という顔をした。


 あぁ……そういうことか。

 さすがにちょっと頭がぼーっとしてても、それくらいは分かる。


「あ……」


 俺は男の腕を放した。


「なるほど、こういうのがいけないんですね……。無意識にやってました。すみません」


 謝ると、男はものすごくゆっくりと腕を引っ込めた。


 今まで完全に意識してなかった。

 単純にぬいぐるみを抱えているくらいの気分で抱えていたが、よく考えたらあまりよくない。


 ってか、本当に頭回ってないな。


「あの……身体がこんな感じなので、無意識に誘惑してるのは知ってますけど、本心じゃ無いので無視してください……うーだるい……」


「無視できたら困ってないさ」


 と、男が顔を背ける。


「まぁ……自分で言うのもなんですが見た目かわいいですからね。やっぱり、男言葉で動きも男っぽくした方がいいですかね……」


 と、言いかけると、男が振り向いて俺の肩をがしっとつかんだ。


「ひゃっ! だから……止めてくださいって」


 腕を振り払おうと思ったけど、だるくてそれも面倒なのでそのままにする。


「駄目だ。男言葉は駄目だ! そのままだ、そのまま女言葉を使ってくれ!」


 男のテンションがおかしい。


「な、なんですか? え……は……?」


 男は我に返って手を離した。


 あー、びっくりした。

 頭動いていないときに面倒なことは止めて欲しい。


「す、すまん。だが、男言葉は辞めてくれ。あれはちょっと……萎える」


 男がうつむきながらつぶやく。


 萎えるって何?


「お、お前の態度が緩いとレベッカあたりが気を抜いてしまうし、突然の来客がお前が男言葉を使うところをみても困る。だから、止めてくれ」


 と、男が思い出したように言った。


「それはこの前も聞きました。じゃあ、こういう二人きりの時なら男言葉を使っても……」


「それが一番駄目だっ!」


 と、男が襲いかかってきそうな勢いで言った。

 さすがに驚く。


「な、なんなんですか!? 一体!」


「お前……言わせるか!?」


「なにが!? 言ってくれなきゃわからないですよ! ってか、だるいんですから、こんな疲れることしないで欲しいのに……」


「お前……元男だろ! 男の思考もわからんのか!?」


「頭回ってないんですよ……。変に遠回しに言わなくていいんで、普通に言ってください」


「ああ、くそっ! なんで俺がこんなことを……」


 男が顔を赤くして、額に手を当てる。


 なんだなんだ?


「お、おい、仮に中身が男だとしても、どう見てもかわいくて無防備な年下の女の子がいると考えろ」


 ふむふむ。

 かわいくて無防備な年下の女の子?


 そんなの居たら、かわいがりまくるに決まってるじゃん。

 でも、中身は男なのか。

 いや、かわいければ正義でしょ。


「それは……すごくそそられますね。無防備とかおいしすぎるでしょう」


「だろ? それで、その女の子が俺のところにやってきて、無防備にキスを求める表情をしたり、ベタベタ触ってくる」


 うわ、なにそれ。

 そんなのやられたら誰も逆らえないだろう。


「あー、それはきっついですね……」


「だろう? それで、いざこっちから行こうとすると、男なんでって拒否されるんだぞ?」


「ははぁ、それはなかなか小悪魔ですね」


 見た目がかわいくて無防備で、いろんな仕草で気を引いてくる。

 だというのに、いざ男側から行こうとすると、男同士だから無しとか言う訳か。

 それは男が生殺しじゃ無いか。


「気の毒ですね。でも、そんなことは現実には無いでしょう」


 と、男を見ると、男はなんともいえない表情で俺を見た。


「その小悪魔がお前だ」


 男が俺を指す。


「……ん? 意味が分かりません」


 俺は首をかしげた。


「いや、今ので分からないはずが無いだろう」


「ちょっと待ってください……」


 なにかすごいことを言われている気がした。


 俺は別に男の気を引こうとかしているつもりは無い。

 でも、言われてみるとたしかに。


「あー……なるほど、この身体が……なるほど」


「分かったか?」


「あー、えーと、ベタベタしているのはこの身体の無責任な本能的行動です。だから、私に責任はないというか……」


 そう言いながら男の顔を伺うと、男が叫んだ。


「お前の身体だろう!」


「そうなんですけど、そうであってそうじゃないと言うか……。少なくとも、男の頃はこんなこと無かったんで」


「それは当たり前だ! だけど、今はそれがお前の身体だろう!」


 男が俺をまた指さす。


「あんまり指ささないでください。だから……つまり……」


 男の顔を見た。

 なるほど、かなり困った顔をしている。


「身体はベタベタしたがってるかもしれませんが、理性は男ととっつくのは絶対に無理だと確信してるんで」


「おい、俺をどれだけ苦しめる気だ!?」


 と、男が悲鳴のような声を上げた。


「いや、身体狙いを正当化されても」


「おい、人聞きが悪い! いつ俺がお前を無理矢理誘った! 誘ってくるのはお前の方だろう!」


「だから、誘った覚えは無いんですよ。本当ですから」


「ちくしょう! たちの悪い!」


 男がのたうち回る。


「あの……本当に悪気が無いんですけど、迷惑になっているようなら出て行った方がいいでしょうか。クロエも来てくれって言ってるし」


「はぁ!? 駄目に決まってるだろ!」


 と、男がガバッと顔を上げた。


「お前、助けてやった俺の心をこんなにかき乱しておいて、それはないだろう!?」


「えっと……本当に悪気も何も無く、全然かき乱した記憶は無いですが……。むしろ、無理矢理キスされたぐらいしか覚えてない……」


「くっそーーー!!」


 男が顔を赤くして頭をかきむしる。

 なんだか楽しい。


 本来はもっとうろたえなければいけない状況なのかもしれないが、頭があんまり動いていないせいで、割と淡々と受け入れてしまっている。


「やっぱり、男言葉に戻しますか。その方が、心がかき乱されないでしょう」


「駄目だ! あれでは全然色気が無い!」


 男が必死に迫ってくる。


「でも、たまには男言葉も使わないと」


「そういうのは俺の居ないところでやってくれ! 俺の幻想を壊さないでくれ!」


 と男が悲鳴を上げる。


 なんだか、めちゃくちゃ楽しい。


「幻想?」


「とにかく、男言葉を使うな! 本当に夢が壊れるんだ!」


「夢……?」


 俺は男を見た。


「お前、元男だろう」


「はい」


 頷く。


「だったら分かるだろう! 現実は汚いところも見たくないところもあるが、それでも理想を信じてしまう男心はよく分かるだろう!?」


「あー、それは一応記憶にあります。そんな感じだった気がします」


「おい、なんだその他人事は! だから、無防備に接してくるかわいいメイドとか、俺の理想なんだ!」


 なんか、アルフォンスがすごい勢いで内心をぶっちゃけてる気がする。

 身体がだるいせいであんまりなんとも思わないが、結構すごい告白なのでは?


「そういえば、鍵のかかった本棚の中にもそういう内容の本がありましたね」


 と、俺が言うと、男が絶句した。


「……見たのか」


 男の表情が固まる。


「あ、言っちゃった」


「おい……」


 男の顔が憤怒の形相になった。


「男なら分かっているはずだ……。隠している物を見るというのがどういうことか」


「ははは……」


 適当に笑って返してから、回らない頭でちょっとだけ考えてみた。


 日本の俺の部屋の隅に眠っている、とても他人に見せられない本やDVD、そしてPCの中のブックマークの数々。


「DVD、ブックマーク……」


 そして、もし元の世界で俺が行方不明扱いになっていたら、警察や両親がやってきて、それを開けて……


「ぎゃあああああああ!!! やめてええええええええ!!!!」


 俺は本気で悲鳴を上げて、手で顔を覆った。

 身体のだるさで下がっていたテンションが、いきなり上がった。


「うわぁぁぁぁぁ! 駄目だ! それだけは駄目だぁ! 絶対に見るなぁぁぁぁぁ!!!」


「お、おい、大丈夫か」


 男の声で我に返る。


 息を落ち着けて、男の顔を見る。


「う、うっかり、前の世界の部屋に置いてきたそういう物の事を思い出していました……」


 なんか、あんなものを所有したり楽しんでいたりした俺がこんな身体でいて申し訳なくなってきた。


「そ、そうだろ? それを見られるのがどういうことか分かるだろ?」


「わ、わかります」


 俺はしっかり頷いた。


「でも、ご主人様は、あの程度、全然気にすること無いですよ。むしろ、全然パンチが無いくらい」


 そうフォローすると、男が怪訝な顔をした。


「そ、そうか? 俺は、あんなものをメイドに見られたら一生軽蔑されると思って覚悟していたんだが」


 男が気まずそうな顔で言う。


「いえ、あんなもの、生ぬるいですよ。私が前の世界で持って居た各ジャンルを極めた物たちは……あれの100倍はすごいです」


「お、お前、どういう世界からやってきたんだ?」


「HENTAIが跋扈する世界から……」


「ヘンタイ?」


「いえ、なんでもないです……」


 とにかく、日本の自分の部屋のことは忘れよう。

 思い出しても出来ることはなにもなく、ただただやりきれない気分になるだけだ。


 忘れろ! 忘れるんだ!


「でも、思い出しました。隠しているそういう物を他人に見られるということが、どれほどつらいかと言うことを……」


「そうだろう」


「でも、マリーとかレベッカも見てますよ」


「なにぃっ!?」


 男がそれこそ世界が終わったかのような顔をした。


「あ……言わない方がよかったかな」


「な、なんでだ……きちんと鍵をかけてあるのに……」


 男が死にそうな顔でうめいた。


「だって、これ見よがしなんですもん。きっちり鍵かけてあって絶対に見られないとうに背表紙まで隠してあるんですもん。わかりやすすぎますよ」


「お前たち……」


 男はがっくりとうなだれた。


「でも、メイド物が2冊しかなかったので大丈夫ですよ。あれがもし大半がメイド物だったら、かなり印象悪いことになってたでしょうね」


「言うな! もう言うな!」


 男が耳を塞ぐ仕草をする。


「あと、百合物……つまり女同士の恋愛を扱った作品がなくて助かりました。マリーやレベッカに変な知識をつけていないおかげで、なんとか純血を保てています」


「……はぁ」


 男が憔悴しきった顔でため息を吐いた。


 かなりつらそう。


 でも、翻弄している感じが結構楽しい。


「ここまで来てしまったから、あえて聞いてみるが、あのメイド物の本を読んでどう感じた?」


 と、男が額に手を上げながら聞いてきた。

 顔が完全にゆでだこになっている。


「どうって……普通ですよね。驚くほど普通。仲良くなって恋愛するだけですよね。驚きました」


「なにがだ?」


「だって、メイド物って、ご奉仕させたり無理矢理調教したりするものかと思ってたんで。それがまさかあんな普通の恋愛物なんて」


「お、お前、どういう世界からやってきたんだ!?」


 男が叫んだ。


「前の世界にはメイドとか実在しなかったんで、すごく非現実的な存在だったんですよ。だからそういう極端なものが多かったんでしょうねぇ。こっちの世界だとメイドって普通のものだから、そういう極端な方向じゃ無くて、もっとリアル路線の恋愛物が多いんでしょうね」


「お前、かわいい顔をしてそういうこと冷静に語るなっ!」


 男が顔を覆う。


「そういう文化論的な話もちょっとおもしろいですよね」


「も、もうわかった! その話はいい! あの本棚のことは二度と言うな! それから、鍵も変えておくから、もう開けるな!」


「じゃあ、開けないことにしておきます」


「なんだその、開けない『こと』ってのは! くそっ! 朝っぱらから、なんて話をしてやがる」


 男は赤い顔を自分の手で仰いで冷まそうとする。

 しかし、そんなことをしても、赤い顔は赤いままだ。


「そういえば、何の用でしたっけ?」


「用? ああもう、なんでもいい」


 男が投げやりに返事をした。


「あ、そうですか。じゃあ、これで」


 と、俺はソファから立ち上がった。

 立ち上がるとやっぱりだるい。


 部屋を出る間際に、俺は振り返った。

 男はまだソファの上で頭を抱えていた。


「あのー、ご主人様は無防備にまとわりつくメイドって言うのを演じて欲しいってことですよね。そういう幻想が必要なんですよね?」


 男がびくっとして顔を上げた。


「あ、あぁ、まぁな」


「じゃあ、明日からがんばります。仕事はちゃんとやると決めたので」


「お、おぉ、そうか」


 男がためらいがちに返事をした。


「だが、待て。お前の方はそれでいいのか?」


「まぁ、仕事と割り切れば大丈夫だと思います。ご主人様も、私のことは幻想の対象として欲しいだけであって、別に好きとかそういうんじゃないですもんね?」


 男は口をぽかんと開けた。


「……あぁ」


 そして、ずいぶんと間があってから返事をした。


 なんかはっきりしないな。


 まぁ、いいか。


 だるいからさっさとご飯だけ食べて、もう一度ベッドに入ろう。


「失礼します」


 俺は部屋を出て、そしてご飯を食べて自室に戻った。


 結局その日は一日中ベッドの上でゴロゴロし続けた。

 さすがに誰もキスしに来ず、大変平和でありました。


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