なでなでされた
「失礼します」
扉を叩いて書斎に入ると、アルフォンスが立って待っていた。
「おお……よく無事に帰ってきた」
俺を見ると、男は満面の笑みを浮かべ、飛び込めとでもいうように腕を広げた。
なんでそんなうれしそうなんだ。
「ん……どうした? 浮かない顔だな」
「いえ、別に……。ちょっとオーバーなアクションだなと思っただけです。あと、そんな格好されても飛び込みませんよ」
「辛辣だな。まぁ、元気そうでなによりだ。どれだけ虐められるかと心配していたが、大丈夫そうで何よりだ。まぁ、座れ」
と、男は自分の椅子を引き出してきた。
普段なら壁際の椅子を引っ張り出してくるのに、なんなんだ一体。
ねぎらってくれているらしいが、ちょっと面食らう。
「ありがとうございます。でも、そこまでしていただかなくても」
「な、なんか、他人行儀だな。ほら、いいから座れ」
男が強く勧めるので、あんまり無理に断っても角が立つと思って、その椅子に座った。
すると、椅子ごと抱え込むように後ろから男がのぞき込んできた。
「ちょ……近い近い」
「おいおい、なんだよ、その態度は。人が心配していたのに」
男の顔が近い。
まさか、この格好を狙っていたとしたら策士だ。
「心配って……大げさですよ。だって、ゲストとして呼ばれただけですよ。メイド長も執事のおじいさんもいい人でしたし。肝心のお嬢様、クロエは最初はいろいろありましたけど、仲良くなってこっちに泊まりに来たくらいですし」
「そ、そうか、それはよかった。俺は最初、三日間じゃお前を虐め足りなくて、さらに虐めるために嫌がらせで押しかけてきたのかと思ったぞ」
男が変な口調で言った。
なんだその想像は。
サロンの中ではクロエはそういうイメージなのだろう。
「いやいや……そこまで陰険じゃ無いですよ。……少なくとも今となっては」
「その言い方、何かあったみたいに聞こえるが?」
「あ、ありませんって」
うん、適当にごまかそう。
話すことになったら、キスしたとか全部ばれる。
「それにしても、突然泊まりでやってくるとはなかなか急だな」
「すみません」
「別にお前が謝ることでは無い。そのお嬢様のわがままだろう。まぁいい」
クロエの弁護をしようと思ったが、いろいろ言うと逆に話がもめそうだ。
何度か顔を合わせれば理解してくれるだろう。
特に口を挟まず、男が思うように任せた。
「あと、お金ですが、どういう風に山分けしましょう」
「ん?」
男が完全に忘れていたという顔をした。
「あれ、その話で呼んだんじゃないですか? これですけど」
と、布の袋を机に置いた。
袋の中でじゃらじゃらと金貨が音を立てる。
「三日間でこれか……ずいぶん稼ぐじゃ無いか」
男が椅子を離し、身を乗り出して机の上の袋を開けた。
「あぁ、そうだ、受け取りを書かないとな。受取証はもらってきたか?」
「あ、私が書きました」
アリス・バロメッシュというサインが脳裏をよぎる。
って、なに意識してるんだ!
「そうか。それで済んだか。よかった」
男が軽く流す。
なんてサインをしたんだ? とか聞かれなくてよかった。
なんだか恥ずかしすぎる。
「それで……山分けはどういう比率にしましょう?」
「おいおい、使用人の金を横からかっさらうほどケチな男じゃ無いぞ、俺は。そのままもらっとけ」
「え、いいんですか?」
俺が男を見上げると、男は小さく笑った。
「ただし、勝手にうちを辞めるなよ」
「あ……はい。恩については十分承知しております」
「いや、恩って言うかだな……」
男が気恥ずかしそうに頭をかいて、俺を椅子の上に残したまま、書斎机の向こう側に移動して、中腰になった。
俺が本来男が座るべき椅子に座り、男は机の向こうから身をかがめて真正面から俺を見ている。
視線が合う。
「な……なんですか?」
「正直に言おう。お前がいなくなってこの三日間、寂しかった」
「なっ……」
ちょっと、なにそれ。
直球勝負止めてほしい。
そういうの絶対に墜ちるぞ、今の俺。
いや、俺は男、俺は男。
落ちないぞ、落ちないぞ。
鼓動が変な風に高まる。
ああ、もう自重しろ!
「そ、そういう台詞は禁止です。止めてもらえます?」
「まぁ、お前が嫌がるのもわかるが、正直戻ってこないこともあるじゃないかと心配でな」
「な、なんでですか?」
「よそに行けばもっと高い給金を提示されるだろう。お前、現金なところがあるからな……」
信頼されていない。
しかし、否定も出来ない。
「そんないきなり居なくなったりしませんよ」
変な雰囲気になりそうなので、適当にそう言った。
「そう言われてもな。やっぱり怖くてな」
男がまっすぐ俺を見据えて言ってくる。
そんなにまっすぐ人の目を見ながら弱い本音を吐けるなんてすごい。
俺だったら恥ずかしいからもっと茶化して言うだろう。
「な、な、なんですか、いきなり!? つ、疲れてるんですから、止めてもらえます!?」
「なんだ、疲れているのか」
男は中腰を止めて、立ち上がってこちら側に来た。
はぁ、驚いた……
正面から見つめられなければ大丈夫だろう。
すると、男は俺の頭をポンポンと軽く撫でた。
「だから後頭部は……」
「そこは避けてるだろ」
確かに弱いところを避けて、普通に頭の上側を撫でている。
ここは別におかしなことはなく、普通に心地よい。
「あぁ~……」
ふにゃふにゃな気分になって、そんな声が自然と漏れる。
「ん? そんなにいいか?」
男が優しく聞いてくる。
「はい。なんかすっごく心地いいです……」
と、素直に答える。
ん?
いや、あかんでしょ!
「って、なにをなれなれしく触っているんですか」
抗議の声を上げる。
「嫌がってないだろ」
男があきれたように言う。
実際、嫌じゃ無いからこそ困るのだ。
「い、嫌……」
「どこがだ」
困ったことにこの身体、本当に素直だ。
なんか気持ちいいなぁ、と思うと、身体が全部そっちに向かって行ってしまう。
そうなると、理性の反抗など全く役に立たなくなる。
基本的に小食だから問題ないが、もし胃が大きかったら好きなだけ食べて太るだけ太っていたに違いない。
それぐらい身体の欲求が強い。
「き、気持ちいいですけど、心は落ちてないですから」
このセリフ、なんか逆にアレだよなぁ、とか思いつつも、反抗心で主張した。
「誰も落とそうとかしてないんだけどな。いちいち大げさなやつだ」
男が頭をなでながら言った。
落ちそうだから、言ってるんだよ。
でも、なんでこんな気持ちいいんだ。
目をつむると、なにか大きな物に守られているような幸せ感がふつふつとわいてくる。
あー、まずい。
まずいぞ、これ抜けられない。
「満足か?」
男が俺の頭から手を離した。
う……
うう……
「なんだその顔は? なにか言いたそうだな?」
男が少しだけ馬鹿にした顔をした。
「せ、せっかく、気持ちよかったのに……お……終わりですか?」
「は? 嫌なんだろ?」
男がわざとらしく言った。
「そ、そこは……私が嫌がっても撫でまくるとか……そういう流れを期待したんですけど。は、恥ずかしながら……」
うっかり本音が漏れた。
だって、気持ちよすぎるし。
そう言うと、男は奇妙な表情を浮かべた。
「お前……素直すぎないか」
「……ですかね。この三日間、正直楽しいことも多かったですけど、やっぱり疲れてたみたいです。も、戻ります」
と、半分立ち上がろうとしながら、男の出方を見る。
「……なんだ?」
男が不思議そうな顔をする。
「こ……ここは、立とうとした私を無理矢理押さえつけて、また頭をなで回すところじゃないですか? ……と、思うんですが、恥ずかしながら」
言ってて恥ずかしいぃぃぃ!
「お前……本当に疲れてるな」
と、男が頭に手を乗せる。
あー、これこれ。
大きい手でまったり撫でられると……
「ふえぇ!?」
変な刺激が入って、思わず声を上げた。
男の手が後頭部に移動していて、後頭部から変な刺激がやってくる。
「そ、そっちは駄目……」
「あー? 撫でてほしいんだろ?」
男がいじわるそうに言って、後頭部をぞわぞわするように撫でる。
「だ、ダメダメ……。ちょおっ! 本当に駄目!」
脱力しそうになるところをなんとか気力で腕を動かして、男の手を振り払った。
「あのですね! 駄目っていってるのは本当に駄目なんで! 止めてもらえます!?」
「そんなに怒ることじゃないだろう」
「も、もう……あのですね、この身体、本当に感度が普通じゃ無いんです。止めてください」
「わ、悪かったよ……」
男が少したじろぐ。
「疲れのあまり、快感に流された私も悪かったですが、あんまりからかうの止めてもらえます? この身体の感受性的に本気でやばいんですから」
「お、俺のこと意識してくれてんのか?」
と、男が冗談っぽく言った。
にらみつけると、男は気まずそうに視線をそらした。
「この身体はどうも異性に過敏なのようなので、身体は意識してますよ。でも、身体だけです。ただ、残念ながら理性は男ですので、そういうの、無いので」
「ん……本当か? 俺にはとてもそうには見えないが……」
と男が言う。
「あーもー、この話は終わり! 終わり!」
俺は乱暴に立ち上がると、金貨の入った布袋をつかんで、書斎の入り口まで早歩きで移動した。
そして、出る間際に布袋を掲げて男に向かって言った。
「とりあえず、お金ありがとうございました」




