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異世界でTSしてメイドやってます  作者: 唯乃なない
第2章 豪商のお嬢様
51/216

クロエと危ない感じ

 俺とメイド長がクロエの部屋の扉を叩くと、クロエが顔を出した。


「あら? 今から呼ぼうと思ってたのに、なんの用かしら?」


 クロエが丁寧な言葉を使って、俺の顔を見た。


「あら、なんの用だったのですか?」


 とメイド長が俺の代わりに聞いた。


「せっかく珍しいお客様を呼んだんですもの。メイドとしてだけではなく、違う世界からのお客様としてお話を聞きたいと思って」


「違う世界?」


 メイド長が要領を得てない様子でつぶやいた。


 あ、これ、メイド長も執事も俺の正体知らないんだ。

 やっぱり、サロンで評判になっているだけのただの女の子だと思われている。


「あら、言ってなかったかしら。アリスは違う世界からやってきたということになってるわ。あの伝説の三勇士みたいにね。まぁ、本当かどうか分からないから、話を聞いてみようと思って」


 と、少しこちらに喧嘩を売るような視線を送りつつ、あくまで丁寧な言葉で言った。


「あら……」


 と、メイド長が目を丸くして俺の顔を見る。


 うわ、なんか気まずい。


「え、ええ、信じていただくのは難しいと思いますが、実はそうなんです」


 と言うと、メイド長は無言のまま数秒固まり、そして咳払いをした。


「そうでございますか。では、私どもは部屋の隅で控えておりますので、ご歓談ください」


「は!? ちょっと、そんなのいらないわよ! 帰って!」


 クロエが丁寧な口調を止め、メイド長に向かって大声を出した。


「いえ、そういうわけには行きません。今からアリス様はお嬢様のお客様です。お客様をもてなすために私もその場に居なければいけません」


「は!? なにそれ!? そんなこといつも言わないじゃん。帰ってよ!」


 クロエがわめくが、メイド長は首を縦に振らない。

 結局、クロエが折れた。


「分かったわよ。でも、本当に隅にいてよ。邪魔してきたら許さないからっ」


 そして、不機嫌そうな顔で部屋の中にずんずん戻っていく。

 俺はクロエについて行き、小さな机にクロエと差し向かいになって座った。


 メイド長とマリーは部屋の隅で立っている。


 メイド長は年齢の貫禄か、先ほどあれだけ動揺するような話を聞いたにもかかわらず、落ち着いて立っている。

 マリーの方は立ちながらも、あちこちに視線を走らせている。

 俺が視線を向けたことに気がつくと、目で合図を送ってきた。


 はいはい、マリーに怒られるようなことはもうしませんよ。


「ところで……さっきの夕食の私の振る舞いはどうだったかしら?」


 と、突然クロエが俺に聞いてきた。


「え? さすがお嬢様と思いました。特にそつなく優雅に食べていましたね」


 素直な感想を言うと、クロエは驚くほど素直に笑みを浮かべた。


「そうでしょ? 私だってやれば出来るんだから」


 と言いながら、クロエが机の上を見て、メイド長に視線を向けた。


「ちょっと、ばあや、お茶とお菓子を持ってきてよ」


「お客様がいらっしゃっているときに『ばあや』と呼ばないように言ったはずですよ。お客様に私が年寄りかのように思われるじゃありませんか」


 と、メイド長が文句を言って、部屋を出て行く。

 部屋の隅にいるのはマリー一人だ。


「よし、うるさいのがいなくなった」


 とクロエが扉を見てつぶやく。


「さて……」


 クロエがあらたまったように言う。


「なんでしょう?」


「さっきの……キス、あれはなんだったの?」


 と、直球で聞いてきた。

 しかも俺の目を正面から見て。


 気まずくなって視線をそらした。


「も、申し訳ありません」


「謝るんじゃ無くて、あれ、何? あんたが居た元の世界では、あれが普通なの?」


「そういうわけでは……。すみません、つい癖で」


「癖?」


 クロエが変な顔をする。


「あ~……聞かない方がいいと思いますけど」


「何言ってんのよ。聞かせてよ」


「えぇ……じゃあ言いますが、私の働いている屋敷では私以外にメイドが3人働いているんですよ」


「へぇ、うちと同じくらいね」


 と、クロエが言う。

 そうなんだ、この屋敷もそれほど人が多いわけじゃないようだ。


「その3人が問題で……あそこで立っているのがマリーです。他にレベッカとコレットというメイドがいるんですが……あー……」


 言いにくそうにしていると、クロエが身を乗り出してきた。


「何よ。言いなさいよ」


「その……毎日のようにキスをせがまれまして」


「……は?」


 クロエが全然意味が分からないようで、表情が固まった。

 それはそうだろう。


「えっと、仕事終わりとか夜部屋に戻ったときとかに毎日のようにキスをしているんです。それで、ああいう風に顔を近づけるとキスをしないといけないような気がしてしまって……つい……」


「え……」


 クロエが変な顔をした。


「メイド同士って……女同士でしょ? へ、変態じゃん……」


 クロエが乗り出していた身体を引っ込めて、むしろ距離を取るかのように椅子に深く座る。


 うん、客観的に見るとそうだよな。


 なんか第三者にそうやって指摘されるとなんとも言えない気分になってくる。


 でも、俺だって好きでやってるんじゃない!


「み……みんな悪乗りしてるんですよ。ははは……」


 と言いながら、嫌な予感がしてマリーを見ると、明らかに怒った顔でこっちを見ている。


 後で謝るから許して。


 ここでマリーと恋人でとか言い出したら、もっと面倒になる。


「ですから、さきほどのことはうっかりやってしまった事故です。忘れてください」


「ふーん……そう」


 クロエがつまらなそうに返事をした。


 そこで扉が開いて、メイド長がカートを押して入ってきた。

 紅茶とクッキーが載った皿を置いて、また部屋の隅に下がった。


 何気なしに部屋の隅に視線を向けると、いつの間にか3人になっていた。


「あれ、増えてる……」


 と思わずつぶやいてしまた。


 一人はマリー。

 もう一人はもちろんメイド長。

 そして今までいなかったはずのもう一人が、さきほどの気の弱そうな二十代のメイド。


 俺がメイド長の手元を見ているうちに音も出さずに入ってきたらしい。

 本当にこの屋敷の使用人は全員忍者だと思うしか無い。


「ふーん、で、変態さん、あんた、他の世界から来たとかサロンで言ってたけど、どうせあんなの嘘なんでしょ? そんな嘘で注目集めようとか恥ずかしくないの?」


 クロエが敵対的な目を向けてきた。


 いや、俺ゲスト扱いなんだよね?

 そのゲストにその台詞は酷くないか?


 メイド長に視線を向けたが、しかしメイド長は落ち着いた顔のままだ。

 特に手助けをする気が無いらしい。

 

「嘘じゃありませんよ。証拠の物もアルフォンス様やダニエル様は見ています」


「へー、本当かしら。伝説の三勇士のような人がそうそう居るわけ無いじゃない。そんな見え透いた嘘をよくついたものね」


 クロエの敵対的な態度が鮮明になってきた。


「嘘ではありません。本当のことです」


「へえ、なら証拠見せてよ」


 と、クロエがニヤニヤと笑みを浮かべる。


「そう言われても困ります」


 ぴしゃりと言い切ったのだが、クロエは驚かずに余裕の笑みを浮かべている。


 うーん、だんだん腹が立ってきた。


 売られた喧嘩、買ってやろうじゃ無いか。

 メイド長にももっとクロエを振り回せと言われたし。


 よし、振り回すぞ。覚悟しろ。


 俺がクロエの顔を軽くにらむと、クロエが一瞬ひるんだ。


「ところでお嬢様、私は今お嬢様のお客様なんですよね?」


「そうよ」


「お客様にそういう暴言を吐くのが淑女のやることでしょうか?」


「暴言じゃ無いわよ。聞いてるだけじゃない」


「ほお……おわかりになっていただけないようですね」


 俺はゆらりと椅子から立ち上がった。

 クロエがビクッと身体を震わす。


 このクロエという少女、口は悪いが、煽り耐性はないし気が小さい様子が透けて見える。


「もう一度、しつけ直さないといけないようですね」


「はぁ? 今、あんたはメイドじゃ無くてお客様なんだから……」


「お客様である以前にメイドです」


 即座に否定して、クロエに視線を向ける。

 クロエが少したじろぐ。


 さて、ここからどうしてやろうか。


「さて、お嬢様、お客様をもてなす作法という物を学んでいただきましょうか」


「なによ、それ」


「まずその口の利き方がなっておりません。お客様にふさわしい言葉を使っていただきましょう」


 すると、クロエは少し悩んでから口を開いた。


「そ、そんなの……分からないわよ」


「……ん?」


「だって、お客様とかあんまり招いたことないし……」


 と、クロエが下を見る。


 ん?

 そういえばサロンでも目立ってはいるが嫌われている感じだった。

 豪商の娘と言うことで近づく価値はあると思うが、あのサロンの雰囲気だと浮きまくっていた。

 きっと前に通っていたサロンでもあまり評判がよくなかったのだろう。


「なるほど……」


 そうつぶやくと、クロエが鋭い視線を向けてきた。

 見下されたと思って警戒しているようだ。


 うーん、なんかほんのちょっとだけ気の毒になってきた。


「お嬢様、経験不足は経験で補えます。これから学んでいきましょう」


「ふん。何を偉そうに」


 クロエがそっぽを向く。

 うーん、かわいくない。


 でも、あんまりきつく当たるのも良くない気がしてきた。


 そういえば褒めたときにすごく反応がよかったな。

 褒めておだてて態度を改善させれば、それでメイド長も納得してくれるのではないだろうか。


 俺は敵対的な視線を止め、また椅子に座り直した。

 クロエがそんな俺を不審な目で見ている。


 よし、褒め殺したれ。


「ところで、お嬢様……いえ、クロエ様って、本当に美しいですね」


「……え?」


 クロエがぽかんとした顔をした。


「よく褒められませんか?」


「わ、私が美人なのは当然でしょ! でも、世の中の男どもは見る目がないわね。初対面の時にお世辞だってバレバレな感じでいうだけよ」


 それは多分、容姿を褒めながらも性格がきっついから手放しで褒めにくいのだろう。


「いえ、私から見ても非常にお美しいです。それでついキスをしてしまって……」


「なにを……」


 クロエが目を丸くする。

 お、どんどん反応がビビッドになってきた。

 最初からこっち方面で行くべきだったんだ。


「あ、あんた、さっきは癖だとか言ってたじゃないの」


「アリスとお呼びください。それはすこし恥ずかしかったからです。クロエ様の美しさに見惚れてしまったからです」


「う、嘘ばっかり。そんな演技で私が騙されると思った?」


 と、口では強く言いながらも、口元は少し笑っている。

 うん、わかりやすいぞー。


「クロエ様、いえ、今は私はお客様なので、対等に行きましょう。クロエ、あなたは本当に美しい」


 目を見てそう言うと、クロエは目に見えて動揺し始めた。


 おしっ。


「な、なによ、いきなり」


 そこで、立ち上がってクロエの横に行く。


「な、なに?」


「立ってもらっていいですか?」


「な、なんで……」


「椅子ごと抱きかかえるわけにはいきませんからね」


「な、なに?」


 混乱するクロエを無理矢理立たせて、その後ろから抱きつく。


「ひっ」


 クロエが小さく声を上げる。


 いやー、いじり回す方は結構楽しいなぁ。

 どうりで、マリーが俺のことをいじってくるわけだ。


「クロエ、本当にきれい」


 ノリノリな気分で、思いっきりクロエを褒める。


「あ、当たり前じゃない」


 クロエがちょっと恥ずかしそうに言い返す。


 ……ん?


 褒めようとしていたはずだけど、なんかベクトル違ってきた気がする。


 ちらりとメイド長に目をやると、メイド長はうなずき返した。

 これでいいらしい。


 いや、本当にいいのか?

 なにか自分でも間違っている気がする。


 マリーは不満そうな目をしている。

 気の弱そうなメイドはこちらをガン見している。


 でも、ここで止められないし……な、なんとかなるだろ!


「ところで、クロエ、私のことはどう思ってますか?」


 と、熱っぽい視線をクロエに向ける演技をする。


「あ、あんたのことなんて……」


 クロエが視線をそらす。


「アリスとお呼びください」


「ア、アリスのことなんて、別に……」


「あら、では私の片思いでしょうか?」


「なん……」


 クロエが言葉に詰まる。


「美しいクロエを見ていると、つい抱きしめたくなってしまったのですが、クロエはこれがいやですか?」


「い、いやに決まってるじゃない」


「あら、そうですか」


 しかし、ここで引くわけにはいかない。


「では、クロエにも私を好きになっていただかないと」


「な、何を言って……ってか、ばあやがいるじゃないの! あんた……アリス、人前で何をやってるのよ! 恥ずかしくないの、変態!」


 クロエがそう言うと、メイド長はこほんと咳払いをして、俺にチラリと視線を送ってから部屋を出て行った。

 続いて、気の弱そうなメイドも部屋を出て行く。

 マリーも気にしている顔をしながら部屋を出て行く。


 あー、これはまずい。

 ちょっと先に言い訳をしておこう。


「あ、ちょっと待っててもらっていいですか?」


「え」


 クロエをばっと離して、慌ててマリーの後を追いかけて部屋を出る。

 そして、廊下を走ろうとしたところで、足を止めた。


 3人はすでに廊下を歩いて先に行ってしまっていると思っていたが、なんと扉の前に固まって、扉に耳を押しつけていた。


「そんなところで何を……」


「しっ! お嬢様に見つかってしまいます!」


 と、メイド長がささやき声で言う。

 気の弱そうなメイドも無言で頷く。


「すみません、なにか変な感じになってしまって……」


「かまいません。そのままいじってやってください。いい薬ですよ」


 とメイド長がささやき声で言う。

 メイドも頷く。


「マリー、ごめん、なんか褒めようとしてたらどう褒めていいか分からなくて、あんな風になっちゃった」


「……後で埋め合わせしてね」


 と、マリーが諦めた顔でつぶやく。


「あの、メイド長、なんか適当にやってきますけど、もしエスカレートしすぎたら止めに来てくださいよ。自分でも止め時がわからないので」


「ご安心ください。さっ、お嬢様が不審に思う前に早く中へ」


 メイド長にせき立てられて、また部屋に戻る。


 すると、クロエが心細げに立っていた。


「な、なにしに行ってたのよ」


「ちょっとお断りをしにいきました。心配しなくて大丈夫です」


「なによ、それ。えっと……」


 と、クロエが床を見る。


「面倒なのが居なくなったから聞くけど、好きってど、どういう意味? あんた……アリスは女同士でキスするようなへんた……変わった人なんでしょ。そういう意味で好きってこと?」


 ど、どう答えよう。


 まぁ、いざとなったらメイド長が止めてくれるはずだ。

 とにかく、アクセルを踏みまくっていこう。


「ええ、そうです。大好きです」


 クロエが目を見開くので、その目をのぞき込むように顔を近づける。


 すると、クロエの方から吸い込まれるように、唇を近づけてきた。


「え」


 俺がちょっと驚いている間に、クロエが俺の唇を奪った。


 といっても、軽く触れたようなキスだが、くすぐったい。


 クロエはゆっくり顔を離すと、俺の目をじっと見つめた。


 そして、慌てたように後ろに下がった。


「アリスの言っていたこと、本当ね。たしかに一度やると、なんか……自然とやっちゃうかも」


 と、もじもじした。


「そ、そうなんですよ」


「ところで……さ」


 と、クロエが俺の手を握った。

 そして、俺の手を両手で挟み込んで恥ずかしそうに身体を少しくねらせた。


「わ、私と……その屋敷のメイドたち……ど、どっちの方が好き?」


 アクセルを踏む。


「も……もちろん、クロエです」


「ほ、本当?」


 クロエの顔が赤みを帯びていく。


「わ、私のどこがいいの?」


 クロエが恥ずかしそうに顔を背けながら聞いてくる。


「えっと……」


 容姿は褒めたし、容姿だけ褒めてもちょっと弱い。

 よし、性格を褒めよう。

 でも、性格で褒められるところって……


 ……煽り耐性が弱いところぐらいか?


「煽り耐性……いえ、素直なところです」


「す、素直?」


 クロエ自身が驚いた顔をする。

 そりゃそうだろう。


「ええ。熱いスープを飲めと言ったら本当に飲もうとしたりして、大変ちょろ……かわいいですよ」


「か、かわいいって……そんな……」


 クロエが恥ずかしそうにうつむくが、俺の右手を両手でつかんだまま離さない。

 恥ずかしがって俺の右手をもむように手を動かす。


「そのかわいいクロエをもっと、いじりたくなってきました」


 これは間違いでは無い。

 もっと煽りたい。


「え、い、いじるって……やっぱ変態じゃん」


 そう言いながらも、クロエは手を離さない。


「クロエ、私のこと好きですか?」


「私は変態じゃないから……」


「じゃあ、嫌いなんですねぇ」


 と、あえて手を振りほどこうとすると、クロエがその動きに抵抗した。


「ま、待って。そ、そうじゃないから。う、う……うぅ!」


 顔を真っ赤にしながら俺の顔を見つめてくる。

 うん、わりとかわいい。


 俺はその頬にキスをした。


「なっ」


 クロエが動揺する。

 しかし、俺の手は離さない。


「嫌いなら仕方ないですね」


「ま、待って、違う。す、好き! 好きになるから!」


 と、クロエが俺に抱きついてきた。


「あれ、いいんですか? 変態じゃないとか言ってませんでしたか?」


「変態じゃないわよ! 友達として好きって言ってるの!」


 クロエが思いっきり身体を俺に押しつけながら言い訳をする。


「友達ですか……じゃあ、キスとかするのはおかしいですね。もう止めましょう」


「そ、そんなこと言ってないわよ」


「じゃ、変態だって認めるんですね?」


「な、なんでそうなるの」


「認めないと、キスしてあげませんよ」


「わ、分かった……み、認める」


「よく出来ました」


 クロエの頬にもう一度キスをする。


 すると、クロエがちょっと不満そうな顔をした。


「ど、どうせなら唇に……してよ」


「本当に変態ですね。うちのメイドを馬鹿にできませんよ」


「私は変態じゃ……へ、変態でいいから……してよ」


 と、クロエが小さくつぶやく。


「はいはい」


 クロエの唇にゆっくりとキスをして、そして顔を離す。

 クロエの表情がぽかぽかしている。


「あ……」


 ふと我に返ってきた。

 考え直すために、クロエから視線をそらした。


 いやいや、冷静になれ、俺。

 元々、褒めまくったり好きだと言ったりして翻弄する予定ではあった。

 でも、別にこういう流れにするつもりじゃなかった。


 振り回したり、態度を改めさせたりして、メイド長に「どうです。仕事しましたよ」という流れになるはずだったのだ。


 でも、楽しくてついノリノリでやってしまった。


「……うん、これは……ちょっと……」


 やばい。


 クロエの手を振りほどいて、少し後ろに下がった。

 様子が変わったことに気がついたクロエはこちらをうかがった。


「どうした……の?」


「ちょっと……思ったより、クロエがすぐに落ちたので……」


「お、落ちたって、なによ」


「落ちてないですか?」


「意味わかんないけど、わ、私もアリスのこと……き、嫌いじゃ無いから。だ、大好きっ」


 それが落ちていると言うのです。


 こ、困った。

 メイド長、どうして止めてくれないんだ!


「さ、さて、前の世界の話でもしましょうか。疑われたままでもいけませんから」


 と、少し焦って動いて椅子に座る。


「そ、そうね」


 とクロエも向かいの椅子に座る。

 よし、これなら身体は触れないぞ。


 しかし、クロエは無造作に俺の手をつかんで、また両手で包み込んだ。


 そういう仕草されると、なんだか申し訳なくなってくるんだけど。


「言っておくけど、今の私はアリスのことを信じているからね。アリスが嘘なんか言うわけないもん」


 と、クロエが俺の手を握る両手に力を込める。


 いきなり信頼された。


「では言いますが、前の世界では私はおと……」


 うっかり、男と言いそうになった。

 それが、メイド長とか執事にばれたらまずいぞ。


 それは黙っておこう。


「おと?」


「……ではなくてですね。私は大学に通っていました」


「大学!?」


 クロエが素っ頓狂な声を上げる。

 この世界の大学というのはどうもかなりのエリートしか入れない狭き門らしい。

 現代日本の感覚とはかなり違う。


「はい。一応経済系の学部だったのですが……その途中でよく原因が分からないうちにこの世界に来てしまったんです」


「だ、大学ぅ……?」


 クロエはまだうろたえている。

 しかし、俺の手は全然離さない。


 そういえば、クロエはサロンでも注目を受けたがっていたし、要は誰かにかまってほしいんだろう。

 そんなところで俺が告白という最高のかまい方をしたものだから、完全にそこにはまってしまったようだ。


 まずったかも……。


「クロエはなにか勉強を?」


「お父様が商売をやっているから、少しだけ勉強をしているわ。でも、私が後を継ぐんじゃなくて、私の結婚相手が後を継ぐことになってるから、そんなに本気で勉強をしているわけじゃないの」


「へぇ。ということは、婚約相手とか居るんですか」


「い、今は居ないわ」


 と、クロエが俺の手をさらにきつく握る。


「それに結婚したとしても、アリスは女だから大丈夫。ねぇ、うちに来てよ。一緒に暮らそう」


「え……」


 いきなり話がそこまで進むとは思ってなかった。


 やっぱり、俺が間違っていた。


「クロエ、その申し出はありがたいですが、私もアルフォンス様に恩があるのでそういうわけにはいかないんです」


「なんでよ! そんな毎日キスしてくるようなメイドがたむろす屋敷にアリスを置いておけないわ! 早くうちに来て! 私が執事のマケールに言ってなんとかしてもらうから。ね?」


 クロエの目は本気だ。

 あかん。


 これではこちらが振り回される側だ。


「クロエ、無理を言わないでください。こちらにはこちらの都合があるんです」


「アリス、私のこと、好きなんだよね?」


「は、はい」


 視線をそらしながら返事をする。


「だったら、アルフォンスより私のお願いを聞いてよ」


 そう来たか。


「ええっとぉ……拾ってもらったりした恩がありまして、なかなかそういう勝手なことは……」


「分かった、なにか弱みを握られているのね」


「は? いや、違いますよ」


「言えないんでしょ。でも、分かってる」


 しかし、クロエは勝手に合点した。


「サロンでもあの男、アリスに対して偉そうだったもんね。あの男に弱みを握られて反抗できないんでしょ。あ……もしかして、俺の女になれとか言われてるの!?」


「というか、遊ばれているというか……」


 あ、しまった、本音が。

 クロエの顔に怒りが浮かぶ。


「あの男……アリスで遊ぶなんて許せない。アリスは私の物だから」


 同じ台詞「アリスは私の物だから」を言うマリーという人が、今この部屋の扉の前にも居ます。


「ええっと……」


「アリス、大丈夫。すべて私がなんとかしてあげるから」


「申し出はありがたいんですが、こちらにもこちらの事情が……」


 困ったことになってきた。


「大丈夫。私がなんとかするから! あ、そうだ、明日、一緒に街に出かけない? 一緒にお買い物とかしようよ」


「え? 街ですか?」


 実はこの世界に来てから街に出たことが全然無い。

 たしかにそろそろ見てみた方がいい。


「あ、はい。行ってみたいですね」


「よかった!」


 クロエが満面の笑みを浮かべる。

 そういう顔をされると、こちらも本当に好きになりそうになる。


 なんか、このままだとこっちもまずい。


「な、なんか、いろいろいじってすみませんでした」


「え? なにが?」


 クロエが首をかしげる。

 クロエの頭がぽかぽかモードになってしまって、さきほどまでのやりとりがあんまり頭に残っていない様子だ。


「と、とにかく、私はこれで……」


 離れようとすると、クロエが手をきつく握りしめてきた。


「え、なんで? 今日は一緒に寝ましょうよ。女の子同士仲良くしようよ」


「い、いや、それはちょっと……」


「なんで?」


 と、クロエが不満そうに聞いてくる。


「あの……えっと……そ、そう、マリーが、同僚のメイドが来ていますから。そんなことをすると後で噂になります。それに、メイド長なども怒るでしょうし……」


「そんなの大丈夫だから。ね? 一緒に寝ようよ。パジャマパーティーしよう」


「と、とにかく、すみません。それはまた次の機会にっ」


 クロエの手を振りほどいて、早歩きで扉まで行く。

 そして扉を出る際に振り向いて、クロエの顔を見た。


「でも、明日は楽しみにしていますからっ」


 クロエが頷くのを見ないうちに、俺は扉から廊下に出た。


 すると、当然のようにメイド長と気の弱そうなメイドとマリーが団子になっていた。

 そして、その横になぜか執事のおじいさんまでいた。


「え、なんで増えてる……?」


 よく見ると、執事のおじいさんは涙を浮かべていた。


「ついにお嬢様にも同年代のご友人が……」


 よほどうれしいらしい。


 でも、おじいさんにはピンと来てないのかもしれないが、あれはちょっと友人とかそういうレベルじゃない。


 そして、メイド長と目が合った。


「あ……なんかすみません。振り回せとの指示だったのに、なにかうまくいかなくて……」


 すると、メイド長は目くばせして歩き出した。

 あ、部屋の前で話なんかしていたらばれるか。


 メイド長は音もなく歩き出すと、チラチラ俺を見ながら話し出した。


「いえ、思っていた形とは違いましたが、十分振り回して頂きました。あのお嬢様が一緒に街に行こうなどと言い出したのには私も驚きました」


「そ、そんなにたいしたことなんですか?」


「ええ、お嬢様はああいう性格ですから、親しいご友人がおりません」


「……そうなんですか」


「サロンなど人が居るところに行っては目立とうと努力されていますが、いつも上から目線で見下す態度を取りますのでね。それでも、年上の方からはかわいがって頂けることはあるのですが、同年代の方からは大変嫌われましてね」


「あぁ……それは分かりますね。マウントとってくるから」


「以前のサロンはお嬢様と同年代の貴族や商人のご子息が多くおられたのですが、雰囲気が険悪になってしまいました。それであの変わったサロンに行っているのですよ」


 メイド長の話を聞いて納得した。

 たしかにアルフォンスやダニエルのいるあのサロンは、大人ばかりで自分もクロエも浮いていた。


「それは……なかなか大変でしたね」


「お嬢様の態度に問題がありますので仕方が無いとは思っていましたが、今回はよい機会でございます。明日はお嬢様が問題のある行動をしたら是非とも怒ってやってください」


「あ、はい……でも、なんかいいんしょうか。クロエ様は本気で私を……好き……なような?」


 結構深刻そうに聞いたのだが、メイド長はちょっとひょうきんな顔で肩をちょっとすくめてみせた。


「アリス様もまだお若いですね。思春期の病気のような物ですよ。私だって、お嬢様ぐらいの年には年上の先輩に憧れたこともありましたが、今となってはいい思い出です。なにより、アリス様の方は相手にする気がないのですから、なにも起こりはしませんよ」


 と、メイド長が軽く笑った。


 えーと、俺の方も相手にしそうになってるから危険なんですけど。


 もちろん、そんなことは言えない。


「は、はぁ……そんなものですか」


「では明日に備えて、今日は早くお休みください。軽くお夜食でもお持ちしましょうか?」


「いえ、結構です。それではおやすみなさい」


 メイド長はまだ仕事があるらしくそこで別れた。

 気の弱そうなメイドも何も言わずにそこで別れる。


 執事のおじいちゃんをみると、まだ目に涙を浮かべていた。


「あぁ、本当にアリス様に来ていただいてよかった。あんな楽しそうなお嬢様を見るのは久しぶりです」


「そうですか……」


「ええ。是非とも今後とも仲良くしてやってくださいませ」


「は、はい。が、がんばります」


 がんばるというのもちょっと変だな、と思ったが、執事のおじいさんはそのまま笑みを浮かべて自分の仕事場に行ってしまった。


 残ったのはマリーだ。


「ええっと……」


「部屋に行きましょう?」


 と、マリーが笑みを浮かべた。


 怖い。


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