豪商の屋敷
馬車がたどり着いたのは、屋敷からかなり離れて、以前のサロン会場よりもさらに遠い場所だった。
豪商と聞いていたが、うちの屋敷より少し大きい程度の建物だ。
見たところ、それなりに年代が経っているので、恐らくある程度由緒がある屋敷を買い取って住んでいるというところだろう。
馬車を降りて少しおしゃれな門から中に入ると、いかにも執事という白髪のおじいさんが待っていた。
「ようこそいらっしゃいました。アリス様。私がこの館の執事をしております、マケールと申します」
丁寧な挨拶に、俺も恐縮して頭を下げる。
マリーも頭を下げる。
日本式仕草でもあまり違和感がもたれない世界観でよかった。
サロンで結構慣れたようで、初対面にもかかわらずそれほど怯えずに済んだ。
「よろしくお願いします」
「本来であれば、主人また招待者であるクロエ様が出迎えに上がるべきところでございますが、残念ながら手が空かずまことに面目次第がありませんことを平に謝り申し上げいたします」
おじいさんがやたら頭を下げる。
「そ、そんな気になさらず」
「こちらでございます」
その執事に案内されて、屋敷に入ると、さすが豪商。
壁には見事な立体感の人物画が飾られ、暖炉の上には大きな皿や壺が飾られている。
一見して高そうな物が部屋の中でひしめき合っている。
それを横目に見ながら案内されたのは、かなり広い部屋だった。
「こちら、私どもの客間でございます。二つの部屋がつながっておりますので、自由に使ってください」
椅子や棚といった調度品も見るからに高級そうで、ベッドには天蓋までついている。
殺風景な部屋で過ごしていた人間には目が痛くなる。
「す、すごいお部屋ですね」
「ええ、自慢の客間でございます」
おじいさんが少しうれしそうに背筋を伸ばした。
「この後、私はどうしたらいいんでしょう」
「それが……本来なら主人あるいは招待者のクロエ様が挨拶に来るべきところですが……」
と言ってからおじいさんがため息を吐いた。
「ど、どうかしました?」
「この館の主、つまりクロエ様の父親は長い間出かけておりまして、実質この館の主はクロエ様でございます。しかし、お二方もお聞きになっているでしょうが、クロエ様はその……少し態度に問題がありまして」
例のお嬢様、身内に普通に文句を言われている。
「というと?」
「ええ、どうもサロンでは注目がほしくてアリス様をお呼びになったようですが、正直なところそこの注目がほしいだけでアリス様のことはどちらかという目の敵にしている模様です」
うわ、本当に予想通りだった。
「となると、嫌がらせに来るつもりでしょうか」
「いえいえ、そこまではさすがに。ただ、アリス様を呼んでおいて一切もてなさないつもりのようです。私を含め、使用人一同、お客様を呼んでおきながらそのような無作法は家の恥になるとさんざん進言したのですが、あの性格ですから聞き入れてもらえず、このようなことになっております。しかし、衣食住については私の方で全面的に不自由はさせないようにいたしますので、是非ともおくつろぎください」
「ということは……ぶっちゃけた話、ここに二泊三日の間、ゴロゴロしてるとお金をいただけると」
おっとしまった。
本音が。
「有り体に申せばその通りでございます。ただ、是非とも以後我が館の悪評を立てないようにお願いいたします」
「な、なるほど」
それはそうだろう。
しかし、なんておいしい仕事だ。
こんなおいしい仕事なら、365日毎日受けてやりたい。
「では、なにかありましたらお呼びください」
おじいさんは丁寧な仕草で部屋を出て行った。
俺とマリーは二人で部屋に残された。
「だってさ、マリーどうする?」
「わぁ、アリス、この机とかすごい高級そう! うちにもこんなのないよ」
おじいさんがいなくなったとたん、マリーは部屋の中を見て騒ぎ始めた。
たしかにすごい部屋だ。
「やっぱり豪商だね。うちの……アルフォンスってあんまりお金持ちじゃ無いとか?」
「うーん、どうなんだろう。ただ、あんまり華美なのは好きじゃ無いみたいね。高級家具とか壺とかにも興味ないみたいだし」
そうかもしれない。
言われてみれば、書斎にもあまり高級品は置いてなかったし、本人の趣味では無いのだろう。
「それにしても、そんなやることが無いのなら本でも持ってくればよかった。着替えしか持ってこなかったもんね」
「街に出てみる?」
と、マリーが少しいたずらっぽい顔をする。
「それはさすがにまずいんじゃないかな。一応お客様扱いとはいえ、お金もらってるし」
「ま、そうだよね。それにしても、お客さんに呼ばれるだけでお金もらえるなんてすごいよね」
と、マリーが正直な感想を口にする。
「俺に価値があるわけじゃ無くて、転生者というラベルに価値があるだけだけどね」
「もう、アリスはいっつもそういうこと言うんだから」
とマリーが笑う。
結局、本当にやることが無くて、マリーが家具の趣味について語りはじめ、足が細い家具がいいの、足が太くてどっしりした家具がいいの、深い茶色がいいか明るい色がいいか、そんなことを話していたら小一時間経ってしまった。
そろそろお昼の時間だ。
「さて、なにが出るかな~。よっぽどおいしい物でるんだろうな~」
「ちょっとアリス。うちのフィリップだって料理うまいでしょ」
「まぁ……おいしいんだけどね」
料理人のフィリップはあんなおおらかな性格だけど、たしかに料理はうまい。
ただ、盛り付けにこだわらないように「うまきゃいい」という考え方なので、凝った見た目の料理はほぼ作らない。
折角こんな世界に来たのだから、見た目にもこだわった料理を一度ぐらい食べてみたかった。
「さてさて……」
コンコン
と扉をたたく音がして、貫禄のあるメイド服を着たおばちゃんが入ってきた。
この人も初対面だがそれほど怖くない。
内面が男っぽくなってる時は、それほど人と会うのが怖くないようだ。
そのおばちゃんはなにか深刻そうな顔をしている。
「失礼いたします。私、この館のメイド長をしている者でございます。お客様に申し上げることでは無いと再三お嬢様を説得したのですが、どうしても言うことを聞きませんので……」
そのメイド長が困った顔で俺とアリスの顔を見た。
「どうしました?」
「お客様にメイド服で来ていただくなどもっての他なのですが、それもお嬢様が言い出したことなのでございます」
「別にそれはかまいませんよ。着慣れてますし」
と、軽く返した。
実際、着慣れている服なのでとても楽だ。
「わがままがそれだけで済めばよかったのですが、なんとお客様たちに給仕をしろと言うのです。あのわがまま娘が」
メイド長がため息を吐く。
「あぁ……ご苦労されてるんですね」
メイド長の様子に思わず本音の感想が漏れた。
「はい。家の恥をさらすようでございますが、あの通りのわがまま娘でございますので、私どもが申しましてもなにも言うことを聞きません。本当にもうしわけありませんが、付き合っていただけますでしょうか」
「おそらく事情を知らないと思いますが、もともとメイドとして私を雇う権利の落札という話が転がっていっていつのまにかゲストとして呼ぶ権利になったんですよ。ですから、メイドとして働くことは別にかまいません」
「いえいえ、それだけではありません。お嬢様はアリス様を目の敵にされているようで、きっと嫌がらせをするつもりです。ですから……こんなことを身内である私が言うのもよくないのでしょうが、是非ともきつく叱ってやってください」
え、例のお嬢様、まじで嫌がらせをするつもりだったんかい。
「叱るって言っても……」
と、振り返ってマリーを見ると、マリーが力強く頷いた。
「大金もらってるんだから、そこはちゃんとやろうよ。ね、アリス?」
「わ、わかりました。でも、どの程度までやっていいか……」
「かまいません。躊躇無くきつくやってください」
メイド長はきっぱりと言い切った。
「そ、そうですか……どの程度お力になれるかわかりませんが、やらせていただきます」
俺は拳を握りしめた。




