サロン
馬車が止まったのは、うちの屋敷と同じような規模の建物だった。
同じように大きな庭があって、雰囲気も似ている。
「ここですか……うちとあまり変わらないんですね。サロンと言うから、てっきりすごいところに連れて行かれるのかと思いました」
純粋な感想を言うと、男が微妙な顔をした。
「うちの屋敷がたいしたことないって言いたいのか、お前は」
「そ、そういう意味じゃ無いですけど」
男に手を取られながら、馬車から降りる。
改めて庭を見ると、芝生がきれいに刈りそろえられていて非常に綺麗だ。
土地の規模はうちと同じ程度だが、手間のかけ方はこちらの屋敷の方が上だ。
うちの屋敷は客がそれほど来ないので、あまりそういうところにお金をかけていないようだ。
俺たちの馬車が出て行くと、後ろからどんどん馬車がやってくる。
まるで通勤ラッシュのようだ。
「へぇ、どんどん来ますね」
後ろの馬車から降りてくるタキシード姿の若い男を見ながらつぶやく。
その男がこちらを見て、一瞬目が合う。
「あっ」
慌てて、視線をそらす。
全然知らない人と視線が合うとちょっと怖い。
「は、早く行きましょう」
「そうだな。止まってると邪魔だな」
男に腕を引っ張られ、屋敷に入っていく。
うちの屋敷の同じような玄関だった。
その玄関で出迎えの執事のような人が頭を下げた。
俺もぎこちなく頭を下げる。
横を見ると、男は頭を下げていなかった。
「頭……下げるの変ですか?」
「どっちでもいいぞ。ほら、こっちだ」
男は気にしない様子で、俺の腕を引っ張っていく。
歩きながら部屋や廊下の様子を見ていく。
間取りはうちの屋敷とかなり似ているようだ。
ただ、壺や皿・絵といった調度品は明らかに充実していて、高そうな物が目に入ってくる。
「うわ……貴族っぽい」
その言葉に男が何か突っ込んでくるかと思ったが、特に気にしていない様子で廊下を歩いて行く。
たどり着いたのは、うちの屋敷でいう食堂のような部屋だった。
部屋に入ると、先に7,8人の先客がいた。
何人かがこちらに視線を向け、思わず身構える。
「お、おい、あんまり強く掴むな」
「え?」
男の台詞に自分の腕を見ると、両腕でしっかり男の左腕を掴んでいた。
「あ、すみません……」
腕を放す。
う、心細い。
そっと辺りを見回す。
年配の女性も2名ほどいるが、ほとんどが男だ。
そして、約1名の男を除いてそれなりの正装をしている。
ゆるいと言われたが、とても緩い集まりには見えない。
ちなみに、例外の約1名はどぎつい紫色の大道芸人のような派手な格好をしている。
そこだけがやけに緩い。
「おお、アルフォンスか! お、それが例の君か!?」
年配の女性と話をしていた男が顔を上げて、アルフォンスに声をかけた。
茶色い短髪で、少し野性味があるがかなりの美形だ。
アルフォンスよりも洗練された貴族の雰囲気がある。
その男は近寄ってきて、アルフォンスと2、3の親しげな言葉を交わした。
そして、俺を見た。
「で、これが例の? あの時計のか?」
「ああ」
アルフォンスが少し自慢げに答えた。
なんでお前が自慢げなんだ。
この茶色い短髪の男に俺の正体を話したらしい。
「へぇ、しっかし、随分とかわいいじゃないか。これが元男……」
「うわっと!」
俺は慌てて短髪の男のおなかを叩いた。
「うげっ」
男が変な声を出した。
まずいところに拳が入ったらしい。
しまった!
何やってんだ、俺は!
「も、申し訳ありません。つい、焦ってしまって!」
「な、なんだ、普通に言葉を話せるのか」
短髪の男がおなかをさすりながら返した。
「あの……あんまり他言して欲しくなくて」
「なるほど、それは言われたくないのか……こいつは普通に楽しそうにしゃべっていたけどなぁ」
と、短髪の男がアルフォンスを指さす。
俺はアルフォンスにジト目を向けた。
アルフォンスが視線をそらす。
「できるだけ内密にお願いします。変な噂が広がると、面倒なことになる可能性があります」
「なるほどな。アルフォンスよりは賢そうな嬢ちゃんだな」
短髪の男がウインクをする。
そんなことされても、中身男です。
たしかにちょっとドキッとしたけど、でも中身男です。
「なぁ、アルフォンス、この娘、ちょっと借りていいか?」
「あ?」
アルフォンスが怪訝な顔をする。
「いいだろ、ちょっとの間だ」
「まぁ、いいが……変なことするなよ」
「するわけないだろ」
俺の人権は無視されて、俺の身はその男に貸し出された。
「ほら、嬢ちゃん、こっちだ」
「仮の名前ですが、アリスと呼んでください」
「アリス? またまたオーソドックスな名前をつけたな。もうすこしひねればいい物を」
「……メイドの同僚がつけたので」
「なるほどな。俺はダニエルっていうんだ。あいつと同じ地方貴族の息子だ」
「よろしくお願いします」
ダニエルという男について行き、部屋の隅の一対になっているソファに移動した。
「ほらほら、座って座って」
「あ、ありがとうございます」
ソファに座ると、ちょうどアルフォンスの姿が見えた。
アルフォンスは別の友人と思われる男となにか話をしている。
ここはアルフォンスに頼らずに、俺の力でなんとかするしかない。
俺がソファに割ると、男が自分でグラスや皿を勝手に持ってきた。
「そんな、自分でやりますから」
立ち上がろうとすると、男はそれを止めた。
「まぁまぁまぁ。今日はアリスがお客さんだからな」
身分的に非常に申し訳ない気分になるが、強引に反論するのもおかしいので座って待つことにした。
男は自分の分のグラスを持ってくると、俺の向かいの席に腰を下ろした。
そして、身を乗り出してきた。
顔が近づくのでこちらは反り身になる。
「な、なんですか」
「おい、あんまり聞かれたくないんだろ。だったら顔を近づけるしかないだろう」
「それは……そうですけど」
仕方ないので、ちょっとだけ前屈みになって、少しだけ顔を近づける。
「しっかし……あいつの屋敷、確か金髪のかわいいメイドもいたよな」
「マリーのことですか?」
「あぁ、そんな名前だったな。それなのに、またこんなかわいいメイドを雇いやがって、全く世の中不公平だぜ」
男の何気ないかわいい発言に、また心が揺れた。
ま、待て、落ち着け!
俺は男! そして、ここは戦場!
戦場で冷静さを失ってはならない!
「い、いえ、そ、それほどでは……」
「で、その見た目で、中身男だって? 本当か?」
ダニエルという男は興味津々らしく、瞳孔が開いているように見える。
「そ、それは……」
いきなり本題に入ってきた。
ここはどう答えるべきか。
否定して、あの男の発言を打ち消してしまうべきか。
「仮に……仮にですよ、私が本当に他の世界から来た人間で中身が男だとしたら、どうなります?」
「なんだそれは?」
男が首をかしげた。
「それを言うことで危険な目に遭うようであれば、否定します」
「ははっ……なるほど、用心深いな。ということは、あんた、この辺の事情に詳しくないな?」
真剣な表情で言ったつもりだが、ダニエルという男は笑って済ませた。
「事情?」
「本当に知らないみたいだな。伝説の三勇士を知らないんだろ?」
また例の言葉が出てきた。
「『伝説の三勇士』? あぁ、その話ならアルフォ……ご主人様から聞いています」
「なんだ、知っているのか。他の世界からやってきたと聞いて悪く思うやつはいないぜ。まぁ、その分、そういう嘘をついて寄付金を集めるような輩もいるけどな。あんたの場合、あの時計があるから、とても嘘とは思えない」
「そ、そうですか……」
なるほど、異世界から来たことがばれても白い目で見られる可能性は低そうだ。
そういえば、マリーたちも全然ネガティブな反応を示さなかった。
もっと早く知っていればよかった。
「どうだい。安心したか?」
「か、かなり……」
「そりゃ、よかった。ほら、乾杯」
男がグラスを差し出した。
「あ~、この体、アルコールほとんど駄目なので……」
「なめるだけでいいから」
「はぁ」
グラスを交わして、ちょっとだけワインをなめる。
以前の体なら、結構飲めたんだけどな。
すぐにフルーツジュースのグラスに取り替えた。
「で、男だったというのは本当なんだな?」
男がささやくような声で聞いてきた。
「ええ、あの時計だって男物だとわかりますよね?」
「たしかに、あれはどうみても女物では無かったな。しかし、こんな面白いものが屋敷の前に落ちてくるなんて、アルフォンスのやつ、どれだけついてやがる」
男が俺の全身をジロジロ見る。
遠慮が無くて、恥ずかしくなってくる。
「い、いえ、正直迷惑をかけているばかりだと思います。ご主人様には感謝しています」
「いいねぇ、謙虚で。ところで、女になった感想はどうだ?」
「こんな場所で聞くんですか? アルフォ……ご主人様にも聞かれましたけど、説明が難しいんです。全部変わってしまったので」
「なるほど、そんな物か。例えば股間のこれが無くなったわけだが、そのへんは?」
と、ダニエルが少しおどけた態度を取った。
その発想は分かるけど、よくこんな美少女に向かって聞ける物だ。
「あぁ……まぁ、ショックはショックですよ。でも、体全体の体型・バランスすべてが狂ったので、そっちの方が衝撃大きいんですよ。それと比べると些細なことです」
「ほお、なるほど、身体のバランスが変わるのか……」
男は目をらんらんと輝かせて、グラスのワインを一気に飲み干した。
そして、立ち上がって次のグラスを持ってくると、またどかっと腰を下ろした。
「他には?」
「感情とかも女の子の物に変わってしまったようで……いろいろ変で自分でも困っています」
「なるほど。他にもいろいろ聞きたいんだが、例えば、今のあんたから見てアルフォンスとかどう見える?」
「どう見える?」
「つまり、恋愛対象に見えるかって聞いてるんだ」
男が突っ込んできた。
うわ、痛いところを突いてくる。
「私、心が男っぽいときと女っぽいときがあるんですが……女っぽいときはちょっと意識してしまう事はあります。でも、ただの無意識の反応です。実際には恋愛になるとかはありえませんね」
「そうか? アルフォンスのやつは大分気に入っているみたいだが」
男がアルフォンスの方に視線を向ける。
「いえ……弟みたいって言ってましたから、それはないです。こういう容姿ですから、からかわれたりすることはありますけどね」
「そうか? ないとは思えないが……」
「だから、ありえませんって。100%ありえません」
俺はきっぱりと宣言した。
「しかし、女っぽいときと男っぽいときがあるというのは不思議な物だな」
「感受性とか身体感覚は女なので、素直にそれに従うとどんどん女になっていくんですよ。それに理性で対抗している感じで……分かってもらえないかもしれませんが」
「いや、分かるぞ。なるほどな、興味深い」
ダニエルは目を輝かせて、頷く。
あ、この人、話しやすいなぁ。
「最近発見したのは、男言葉を使うようにすると、男の時の感覚を維持できるってことなんです。そうすると、見え方が変わって、ご主人様がただのうざい男に見えてくるんですよ」
「ははっ、なるほど、おもしろい」
目の前の男がおかしそうに笑った。
「まぁ、正直なことを言うと、女モードの時はついつい頼りたくなっちゃうんですよね」
「ほお」
と、ダニエルがアルフォンスに視線をちらっと向ける。
「実際のところ、身寄りの無い世界で守ってもらってるわけですし、感謝というか尊敬というか、そういう見上げる感じの気持ちがあるんです。そして、こう……向こうから来られると……ね」
「ほほお。あいつめ、うまくやりやがって!」
ダニエルが酒を一気に流し込んだ。
「ですが、男モードになると……まぁ、男なんで。男に言い寄られても正直、気持ち悪い」
「極端だな。なるほど、両方ある訳か。おもしろいな。しかし、今、女言葉のようだが、言うところの『女モード』なのか?」
「いえ。内心は男モードを維持しつつ、言葉と仕草だけ女っぽくするということをしています」
少なくともそのつもりだ。
どの程度男を維持できているかは、自分ではよくわからない。
「そんなことできるのか」
ダニエルが不思議そうな顔をした。
「な、なんとか。すごく疲れますけどね」
「おもしろいな、男言葉を使ってみてくれないか」
「さすがにこの場所では……」
と、周囲を見回した。
すでに人がかなり集まっていて、14、5人の男女が楽しそうに会話している。
「なるほどな……」
男は顎をなでて考え込んだ。
「ふむ、おもしろい。どうだ、うちに来ないか?」
「え?」
考えても無かった申し出に驚いた。
「アルフォンスとは別に恋仲とかそういうわけじゃないんだろ?」
「ま、まさか! 100%ありえませんよ!」
慌てて否定する。
「なら、問題ないだろう。今の給金はいくらだ?」
「他のメイドと同じで、4200エリスですが」
「4200!? おい、しけてやがんなぁ。異世界からやってきた客人をたった4200、普通のメイドと同じ金額で雇うか!?」
ダニエルが大声を出した。
「い、いや、私が無理言って雇ってもらったようなものなので……」
「それにしたって、4200はない! どうだ、うちなら12000だすぞ!」
と、ダニエルが身を乗り出した。
「え゛……」
思考が固まった。
アルフォンスへの恩はある。
しかし、どう考えても屋敷で俺は余剰人員だ。
それに、お金はあったに越したことは無い。
「そ、それは……なかなかいいご提案ですね。ちょっと考えてみて……」
「お? 決め手に欠けるか? じゃあ2万でどうだ」
「2万……?」
5倍ですか!?
やばい。
アルフォンスへの感謝の念が薄れていく。
お金に転びたくなってくる。
「ああ、すまん。最初のスタートが4200だから思わず普通の額を言ってしまったな。2万程度、そこらの普通の男でももらってる額だな。どうだ、3万……いや、3万5千!」
「3万5千……!?」
お高い下着セットの金額で悩む必要もなくなる。
これは……
「その申し出、是非とも前向きに検討させていただきます!」
俺は目を輝かせて、そう返事をした。
「おい! ダニエル!」
突然横から声がした。
声の方向を見ると、アルフォンスだった。
「お前、なに勝手に俺のメイドを引き抜いてるんだ?」
アルフォンスが近づいてきて、俺とダニエルを上から見下ろした。
「メイド? おい、こんな逸材をメイドにしておくやつがあるか。うちで雇うぜ」
と、ダニエルが逆にアルフォンスに食ってかかる。
「お前、なに勝手なことを! アリス、お前……」
アルフォンスが非難っぽい視線を向けてくるので、視線をそらした。
「あ、あの、恩は感じるんですよ。ですけど、なにかとお金は入り用なので……」
「そうだそうだ。だいたい、こんな逸材をお前の屋敷でメイドさせてるだけじゃもったいないだろ。うちに寄こせ」
「お前、勝手なことを」
「お前だってなんでそんな安月給で雇ってるんだ。そんなにカツカツの台所事情じゃ無いだろう」
「あぁ、幸い作物も順調に出来ているし、父親の領地経営の方も問題ないが……。そういう問題じゃ無い。アリス一人だけ給金上げたら、他のメイドが不満を持つだろう」
と、アルフォンスが困った顔をする。
「だから、こんな逸材をメイドとして雇うからいけないんだ。俺なら他の世界の見識を持つ教師職として雇うな。それなら、いくら払っても問題ない」
と、ダニエルが言い切る。
なるほど、いい手があるものだ。
それなら相場と関係なくなる。
「そうは言うが、アリスは他のメイドと仲がいいんだ。いまさらそんなことできるか」
「とはいえ、4200は無いぜ。誰に聞いてもそういうさ」
「だから言っているだろう、こっちにもこっちの事情が……」
アルフォンスとダニエルが喧嘩を始めた。
私のために喧嘩しないで! とか言うべきだろうか。
でも、給金が上がるのであればこのまま見ていようかな。
よしよし、給料アップだ。
誤字報告ありがとうございます。
一時、WEBの誤字チェッカーを使っていたのですが、馬鹿すぎて役に立ちませんでした。
かといって自分の目では半分ぐらいしか発見できないので、助かります。




