レベッカも諦めない
翌日、朝食を終えた後、いつものようにモップを持って廊下を歩いていた。
「ちくしょー。マリーに謝らないとなぁ……」
昨日のことを思い出すと、気分が重い。
こんなときは仕事でもして気を紛らわせたいが、もともと仕事がすくない屋敷だから、やることなんてほとんど無い。
この前、砂が入り込んできたときは大変だったが、最近は風もおとなしいのでそれほど汚れない。
モップを持ってきたものの特に掃除する場所は無い。
無為にモップを持って廊下を右往左往している。
すると、レベッカが近づいてきた。
顔を見るとなんか退屈そうだ。
「あ、レベッカも暇なんだ……」
マリーは近づくなと言っていたが、あれはちょっと極端な言い方だ。
キスとかするなという話であって、会話をするなというわけではない。
逆にちょっとした会話もダメとか言ったら、この屋敷の中で俺は生きていけない。
「暇よー。休み取ろうかしら」
レベッカが窓の外を見ながらつぶやいた。
いきなりキスしろとか言ってこないので、ちょっと安心した。
「とってもいいんじゃない?」
「そうね。最近街にも出てないし……」
とレベッカがあくびをしながら体を伸ばす。
「街か……俺も……じゃなくて、私もそのうち行きたいな」
「おぉ?」
レベッカがチラリと俺を見た。
うっかり、男言葉を使ってしまった。
「な、なに? 街に行きたいのは普通でしょ?」
「あぁ、違う。そっちじゃない。今、『俺』って言ったでしょ。コレットから聞いたよ。男言葉のアリスはひと味違っていいってね。ね、男言葉使ってみてよ」
途端にレベッカが身を乗り出してきた。
「え、コレット、早速話をしてるわけ? ほんとにさぁ……」
メイド三人は完全に情報が並列化されている。
恐ろしいほどだ。
「ねえ、ほら、いいから」
「わかったよ。だけど、ガストンとかアルフォンスが来たら戻すからね」
「いいよいいよ」
「ったく、なにがいいんだか分からないけど、男言葉を使うとマリーもコレットもなんか面白がるんだよな。ちょっと大げさだよな」
男言葉にして、そうつぶやいた。
身体の仕草をちょっとだけ変わるのを感じた。
手持ち無沙汰にしていたモップを乱暴に動かして、目についた埃を絡め取った。
「へぇ、男言葉使うと、動きもなんか変わるんだね」
と、レベッカが感心したように言った。
レベッカもちゃんと振る舞いの変化は分かるらしい。
「ま、そうかもな。これで満足?」
「う、うん。いいよ、すごくいい」
レベッカがじゅるりとよだれをすするような仕草をする。
実際によだれを吸ったわけでは無いが、なぜかそんな風に感じられた。
「はぁ? どこがいいわけ?」
「だって、女ばかりだからさぁ、新鮮だよ」
「いや……ぶっちゃけ、俺としては男っぽいというより、マリーにも言われたみたいにちょっと不良少女っぽいかなって思ってるんだけど」
「そんなことないって、男っぽいよ」
レベッカがうれしそうに俺を見てくる。
「そ、そう? でも、そんなのジャンとかシモンとかエリクとかいるだろう」
「あぁ、あんなのダメダメ」
レベッカがあっさり否定する。
か、かわいそうだなあいつら。
ジャンに気があるんじゃ無かったのかよ。
「そ、そう……」
気の毒さを感じながら答えると、レベッカが俺を眺めながらつぶやいた。
「マリーが近づくなって言ってたのはこれか……」
「あ、それね。マリーがやっぱり他の人とイチャついているのは嫌なんだってさ。だから諦めてくれ」
「でもコレットとはキスしたんでしょ」
レベッカの発言で俺の体の動きが止まった。
「それも……伝わってるわけ?」
「コレットがこっそり私だけに教えてくれたよ。マリーには言ってないけどね」
と、レベッカが意味ありげに言った。
おい……
「あ、あれはコレットが無理矢理キスしてきただけだから。言っておくけど、俺からは何もしてないからな。その辺、誤解しないように」
「そうなんだろうけどさ。せっかくだから私にも……」
と、レベッカが近づいてくる。
しかも、恥ずかしそうにチラチラ視線を向けてくるのが非常にたちが悪い。
「はぁ?」
俺は侮蔑の視線をレベッカに向けた。
レベッカという個人を嫌いと言うほどでは無いが、ニラの匂いをさせたままキスをせがんできたりデリカシーが無かったり、恋愛関係に限ればレベッカに対していい印象は無い。
侮蔑の視線を向けられたレベッカが引くと思ったら、案外動じていない。
「あのさ、何言ってるか、わかってんの?」
強い口調で言う。
「う、うん。でも、コレットもキスしたんだから、私だって……いいでしょ?」
なぜかレベッカがいつもと違って乙女の顔をしている。
マリーが駄目だって言ったのは、これか。
男言葉を使ったせいか、俺を男と意識して変なモードに入っている。
「なにいってんの。ダメダメ」
手で追い払う仕草をした。
かなり侮蔑的な表現だと思うが、レベッカはそれでも引かない。
「な、なんでよ! コレットとマリーだけずるいじゃん! 私だけ仲間はずれ?」
「そうじゃないって。本当はマリーだけのはずなのに、コレットが無理矢理キスしてきただけだって……あぁ、もう……面倒だな……」
かなり露骨に嫌な感じを表現したけど、それでもレベッカが動こうとする気配が無い。
「コレットより私の方が下ってこと?」
「上でも下でもないって。マリーが一番上ってだけ」
「なんでよ? 私はなにが駄目なの?」
「そういうこと言われてもな……。コレットだって無理矢理キスしてきただけで、俺からしたわけじゃ無いから」
「じゃあ、私からすればいいの!?」
レベッカの声が本気だったので、その目を見ると、今にも泣きそうな顔をしていた。
その顔は反則だ。
「や、やめろよ、その顔は……ってか、そんなに本気にならなくても……」
「無理矢理されたら、拒否はしないってことよね」
レベッカが下を向きながらうめくように言った。
「だから、違うって。コレットのは本当に無理矢理で拒否するとかそういうレベルじゃ無かったんだよ」
「それでずっとキスし続けたの?」
コレット、そんなことまで話してるのかよ!
もうちょっと秘密とかあるもんだろ!?
「う……」
形勢が悪すぎる。
「と、とにかく、マリーが怒るからさ、な?」
「今、マリーとか関係ないでしょ!?」
レベッカが開き直った。
「お、おいおい、レベッカらしくないじゃん。落ち着けって」
「なんでコレットがよくて私が駄目なのかって聞いてるの!」
「だから……違うんだよ……もお……」
早くこの場を離れたいが、どう考えても逃げられる状況では無い。
「分かった。私からコレットみたいに無理矢理やればいいんでしょ? コレットのキスはちゃんと受けたんだから、私のキスも受けてよね」
レベッカが俺に近づいてくる。
誰かヘルプ!
しかし、誰も居ない。
「わ、私からキスするとかすごくはずかしいんだから、ちゃんと受けなさいよ!」
レベッカがすごく恥ずかしそうに体をガチガチにしながら顔を寄せてくる。
ああ、もうこれ駄目だ。
あとでマリーに怒られるしか無い。
許してくれるかなぁ。
「…………」
目をつむると、唇にさっと何かが触れた。
本当に一瞬だった。
目を開けると、レベッカが恥ずかしそうにこちらを見ていた。
「わ、私からのキス、どう?」
「一瞬過ぎて……」
感想を言うまでも無く、なにかが触れた気がした程度だった。
「恥ずかしいんだよ! もう、アリスの馬鹿!」
レベッカは勝手に怒って、一瞬俺をにらみつけると、そのまま厨房の方に行ってしまった。
え……?
あの剣幕で迫っておいて、あの一瞬ですか?
「ま、まぁいいか……」
噂が広まる前に、とにかくマリーに謝りに行こう。
そして、廊下を歩きながら考えた。
ハーレムって、もしかしなくても、死ぬほど面倒なんじゃ無いか?




