身体検査
皿洗いを済ませ、水壺に水を運び、ちょっと暇になった。
日当たりのいいゲストルームに忍び込んでソファでだらけようと思って廊下を歩いてくると、廊下の向こうからレベッカが歩いてくるのが見えた。
うわ、やば!
横を見ると、書斎の扉があった。
「し、失礼します!」
飛び込んで、様子をうかがう。
さすがにレベッカも書斎には突入してくる様子が無い。
足音が遠ざかっていく。
なんでこんなホラーゲームみたいな事をしているんだろう、俺は。
「おい、どうした?」
その声に振り返ると、男が椅子に座ったまま不思議そうに俺を見ていた。
「追っ手に追われていまして……」
「追っ手?」
「レベッカです」
「ああ、あれか。見せつけてくれるじゃ無いか」
男がため息を吐いて立ち上がると、扉まで行って鍵をかけた。
え?
ちょ、二人きりの部屋で鍵をかけるのってやばいんじゃ……
「え……まさか……」
「は? 馬鹿、違う! またマリーやレベッカが入ってきたら困ると言うだけだ! 誤解するな!」
男が椅子を壁際の椅子を指さしたので、俺はその椅子を移動して執務机の隣に陣取った。
「あの、な、なんでしょう?」
「なんでしょう、じゃないだろ。あれから全く俺に寄りつかないじゃ無いか。せっかく心配してやってるのに」
と、男が少し照れくさそうに言う。
え、心配……?
「あ、ど、どうも、ありがとうございます。ご心配をおかけしまして、申し訳ありません」
「なんだ? ずいぶんと他人行儀だな……」
「ま、まぁ、こんな見た目ですが、一応中身男なので、なんとか頑張ります」
「おいおい……この前男扱いしたら泣き出したやつが何を言う」
と、男が頬杖をつきながらあきれた顔をする。
「ち、違いますって! あのときはちょっと気持ちに余裕が無かっただけですから! もう大丈夫です!」
「そうか? 別にもっと頼ってくれても俺はかまわないんだが」
「い、いえいえ、そこまで甘えられません」
「別に……いいんだがな」
と、男が俺の目を見た。
うわ、やばい!
また気持ちがぐらつく!
慌てて、視線をそらす。
「そ、その……あんまり見つめないでもらえますか?」
「ん?」
「この身体、なんか男だったときといろいろ違うんですよ。そうやって見つめられるとすごくドキドキしちゃうので……。き、気持ち悪いと言われるかもしれませんが、事実なので……」
「いや、別に気にしないぞ」
と、男がなんでもないかのように言ってくる。
「わ、私が気にするんです!」
「そ、そうか……」
微妙な沈黙がしばらく続いた。
ここは閑静な住宅街で、テレビも無ければラジオも無いので、誰も何も話さないと本当に静寂な空間になってしまう。
な、なにか話題を出さないと気まずい。
「えっと……ご主人様も横目でみて気がついてると思うんですが、毎日毎日、女の子三人にキスをせがまれてるんですよ。すごく疲れますよ……」
と、俺は愚痴った。
「お前、それ全世界の男に喧嘩売ってるな」
男があきれたように言う。
「ご主人様はいいでしょう。貴族でお金あるしモテるだろうし」
「そういう問題じゃ無い! というか、少しなんとかならないのか? 今は身内だけだからいいが、客でも来たときにあれを見られたら外聞が悪い」
と、男がため息を吐き出す。
「ええ、そうしてほしいんですけどね……ほんと……」
「しかし、見ていると逆に見えるぞ」
「は?」
「いつも俺が見ているのは、お前が無理矢理レベッカにキスをしているところなんだが」
「あ、あれは、レベッカが煽ってくるからそうなるだけです。私はキスなんかしたくないんですよ」
「ほお」
と、男が無感情に答える。
信用されてない。
ふと、さきほどマリーに頬を触られたことを思い出した。
「えーと……変なことを聞くようですが、ご主人様は私のことを男だと分かっていますよね?」
「も……もちろんだ」
男が頷く。
「ならば、男と見込んで頼みがあるのですが……言っておきますが、変な意味じゃ無いですよ?」
「なんだ、変にもったいぶるなよ」
男がいぶかしがる。
「ちょ、ちょっと……身体のあちこち、触ってもらっていいですか?」
「ああ…………ん?」
男が俺をじっと見てくる。
「い、いや、だから、変な意味じゃ無いですよ! この身体になってから、気持ちもいろいろおかしいんですけど、身体感覚もおかしいんですよ。最初の頃よりはまともになってきましたけど、やっぱりいろいろおかしいんです」
「それで……俺に触れと?」
男が気まずそうに聞き返した。
「あ……嫌なら、別にいいですけど……」
気まずくなって下を向く。
「違う! 嫌だと言ってるわけじゃ無いが、それこそマリーにでも頼んだ方がいいんじゃないのか? 一応、女の身体だろう」
「それはそうなんですけど……マリーは本当に遠慮無く触ってこようとするところがあるので、弱点とか知られると怖いので」
「弱点……」
男が微妙な表情を浮かべる。
「あ、いや、なにもそんなきわどいところを触れって言ってないですから! はぁ!? 何考えてるんですか、変態!」
「おい! 俺は何も言っていない!」
男が全力で言い返してきた。
それもそうだ。
「あ、すみません……。とにかく、お願いします。レベッカもコレットも危ないし……たぶん、一番安全なのはご主人様なので」
俺は椅子から立ち上がった。
正直な話、恥ずかしいが、しかしこれはやっておかないといけない。
下着を着て悲鳴を上げたときのような醜態を人前でやるわけにはいかない。
男もおずおずと立ち上がった。
「ま、まぁ、俺はかまわないが……自分で触った方がいいんじゃないのか?」
「自分で触ると全然平気で、人に触られたり、いきなり何か物に当たったときにびくって来るんです。だから、自分では調べられないんです」
「そ、そうか。わ、わかった」
男がそろそろっと手を伸ばしてくる。
「ちょ、その手つき、なんか嫌らしいんですけど。普通にやってください」
「お前、勝手なことを……」
男が脱力して、肩をすくめた。
「で、どこを触れと?」
「とりあえず、頭をなでてもらっていいですか?」
「あ、ああ……」
男がそっと頭に手を置いてくる。
マリーの時は同性の気安さがあるが、異性に撫でられるとまたちょっと違う感覚が襲ってくる。
あ、同性・異性って身体の話だ。
心は男だから!
「あ……これも……いい……」
「気持ちよさそうな顔をするなぁ……」
男があきれたような声を出す。
「この身体……めちゃくちゃ素直で……」
思わず目をつむる。
「ふーむ」
男の手が後頭部に回った。
ぞわぞわという変な感覚が広がった。
そのとき、突然感覚が消失した。
な、なんだこれ!?
「ふぁっ!?」
足の力が抜け、崩れ落ちそうになる。
男がとっさにつかんで支えてくれる。
「ど、どうした!?」
男が焦った声を出す。
「す、すみません」
男に掴まりながら、体勢を立て直す。
「な、なんか、後頭部を触られた瞬間に力が抜けました……。やっぱり、この身体おかしい……調べておいてよかった」
と、ため息を吐き出す。
「そんなことがあるのか……?」
と、男がまた後頭部を触った。
「ふあっ……!?」
またしても力が抜けそうになって、男に掴まった。
男が俺を抱きかかえる。
「だ、駄目って言ってるのに、また触らないでください!」
「ほ、本当に駄目なんだな」
と、男がうわずった声で答える。
「あー……ご主人様で良かった。これがマリーに知られたら、好き放題いじくられますよ。後頭部をベタベタ触って力が抜けたところを、あちこち触られますよ。怖すぎる」
「ん……そ、そうだな」
男から離れて、片手で椅子をつかむ。
これなら力を抜けても、まだ姿勢を維持できるだろう。
「それで次は? どこだ?」
男が手を伸ばしてくる。
「うわっ、ちょっと自重してくださいよ。……男だって分かってますよね?」
「何度も言うな、分かっている!」
と、男が言った。
「じゃあ、次は首筋をお願いします。どうも背骨周辺が危ない気がしてるんですよね」
「ほお……」
と男が俺の首筋に手を回した。
そして、男の手が触れたのを感じた。
刺激が全身に響き渡った。
「ふにゃあっ!」
間抜けな声を上げて、また転びそうになる。
椅子をつかんだ腕に体重をかけて、なんとか転ばずに済んだ。
「ど、どうした」
触った男の方が驚いている。
「い、いや……ま、まさか、こんな敏感とは思わず……よ、予想の10倍いってた……」
息を整えながらまた姿勢を整える。
「よし、次はどこだ?」
「ま、待って。もうちょっと息を整えさせて……はぁ……はぁ……も、もう、なんだよ、本当にこの身体は……」
息を整えてから、男に向き合う。
「で……次が問題ですよ。背中です。下着も背中が駄目だったんですよ」
「背中か」
男がなにげなく手のひらを背中に回した。
男の手が俺の腰あたりを支えている。
「あ、あれ……意外と平気かも」
「そうか、よかったな」
と、男が手をすっと上の方に移動した。
とたんにぞわぞわっという感覚が全身に広がった。
「ひょええぇ!?」
「な!?」
男が慌てて手を離す。
俺は椅子を離して、床にうずくまって刺激を耐え忍ぶ。
「う……うぅ……ううう……」
「だ、大丈夫か?」
「う……動くのが駄目みたいです。そういえば下着も擦れたときの刺激がやばかったし……き、きっつ……」
もういちど立ち上がる。
正直もう疲れてきた。
でも、こんなこと二度もやりたくない。
今日で全部終わらせる!
「や、やっぱり背中かぁ……背中、やばいなぁ」
そうつぶやくと、男が何か気がついた顔をした。
「そういえば、背筋が敏感な人間はこういうのが駄目らしいな」
と、男が人差し指を立てた。
ん?
そして、その人差し指を立てた手を俺の背中に回し、下から上に撫でた。
「がっ…………」
ぞわぞわと言う刺激が走ったかと思った瞬間、その刺激が一気に飽和して何も感じなくなった。
そして、視界が白くなり、すべてが無くなった。
「あ……あ……あぁ……」
気がつくと、男に抱きかかえられて、体中が痙攣していた。
「だ、大丈夫……か?」
男が申し訳なさそうに聞いてくる。
「だ……だだ……大丈夫なわけ……な、ななな無いでしょう……」
なんとか立ち上がったが、腕も足も細かく痙攣している。
「な、なんか、一瞬で神経がオーバーフローしました……」
「そ、そうか」
男が少し顔を赤らめている。
ん!?
「あ、あの……念のため言っておきますが、こ、これ、変なのじゃありませんよ? 別に快感とかじゃないですからね!?」
「わ、分かってる」
と言いながら男が視線をそらす。
ふと、書斎にかかっている鏡に視線を向けた。
メイド服を着た銀髪の美少女が、真っ赤な顔でピクピク震えている。
こ、これは……
自覚している以上にやばい光景だった。
「あ、あの! 本当に違いますからね!」
「ああ、分かってる! 何度も言うな!」
男が視線をそらしながら怒鳴る。
「じゃ、じゃあ、次は……」
「まだやるのか!?」
男が驚いた声を出す。
「こんなもの何度もやってられませんよ! 次は腕を触ってください!」
「あ、あぁ……腕か」
男がちょっと落胆したように言った。
なんだその落胆は。
男が俺の腕を軽くつかむ。
「どうだ?」
「いや、別にどうと言うことはありませんね。でも、この前腕を掴まれたときは結構驚いたんですよね」
触られて平気なときもあれば、すごく驚いてしまうときもある。
その違いについてはちゃんと把握しておきたい。
「ん……もしかして、見えているかどうかかも。後ろを向いているので、好きなときに腕をつかんでもらっていいですか?」
「あ、ああ」
俺は男に背中を向けた。
あ……背中を見せていると思うと、なんかすごく不安になる。
いきなり背中触られたらショック死するぞ。
と、思っていたら、いきなり腕に刺激が走った。
「ひゃい!?」
そんな声を上げてから、ゆっくりと男に振り向いた。
「な、なんですか、いきなり!? もうちょっと間を開けてくださいよ!」
「お、お前が好きなときに掴めと言ったんだろう」
「そ、それはそうですけどぉ……」
男に掴まれた腕をさする。
なるほど、やっぱり見えないところでいきなり触られるのが駄目らしい。
逆に言うと、自覚していれば意外と平気なのかも。
「それじゃあ、次は見えている状態であちこち触ってもらってですね……」
「まだやるのか!?」
「やりますよ。えーと、肩。前から肩を叩いてください」
「そ、そうか」
男が手を下ろしてきて、肩をぽんと叩いた。
ちょっとだけビクッとしたが、悲鳴を上げるほどでは無い。
やっぱり見えていれば大丈夫だ。
「じゃあ、次は二の腕」
「ああ」
二の腕も問題なかった。
「あとは……」
自分の身体を見た。
胸は論外だ。
さすがに触られたくない。
そもそも触って楽しいほどのボリュームもないし。
「じゃ、おなかをさすってもらって」
「い、いいのか?」
「躊躇されると逆に恥ずかしいので、普通にやってくださいよ」
「わ、わかった」
男の手がぽんと俺のおなかに触れた。
「ひゃ……」
声を出しそうになったが、耐えた。
「だ、だだだ、大丈夫。悲鳴を上げずに済みました」
「大丈夫には見えないが……」
と男がつぶやく。
「じゃあ、次は太もも当たりに。スカートの上からなので触りにくいですが……」
「下から手を突っ込むか?」
と、男が悪びれずに聞いてきた。
「そ、そこまでやりませんよ! スカートの上からです!」
「そうか……」
男がスカートの上から太ももをがしっと掴んだ。
「ちょ、そんながっつり行かなくても……あ……でも、意外と平気」
「そうなのか?」
と、男が太ももをさする。
「もちろんぞわぞわしますけど、背中みたいに悲鳴を上げるほどでは無いですね……もう離してください」
「あ、あぁ」
男が名残惜しそうに手を離す。
……ん?
「あの……もしかして楽しんでないですか?」
「は? 馬鹿を言え。そんなわけないだろう」
「ならいいですけど……」
「どうだ? 他に触って欲しいところはあるか?」
男が積極的に聞いてきた。
「他ですか……?」
肩・腕・おなか・太ももは済んだ。
脇腹はくすぐったいに決まってるから触らせたくないし、胸も股間も論外だ。
「とりあえず、こんなものですかね」
「そうか? 膝とかどうだ?」
「膝ですか? そこは全然大丈夫だと思いますけど。まぁ、念のためお願いします」
「分かった」
と、男がしゃがんで足を掴んだ。
うーん、なんかすごく変態っぽい構図だなぁ。
長めの靴下を履いているので、その靴下の上から触ってきた。
「あー、ぞわぞわしますけど、それでも常識的な範囲内ですね。やっぱり背骨周辺が一番駄目って事で結論でましたね」
まだぞわぞわする。
まだ男が足を触っている。
「あの……もういいですよ」
「そ、そうか? もうちょっと試さないか?」
「いえ、いいですってば」
男が手を離して、立ち上がる。
そして、指をワキワキ動かしている。
「なかなかよいさわり心地だ。後はどこがいい?」
「え? さわり心地? いえ、もういいですけど……」
「まぁ、そういうな」
「は?」
男の顔を見ると、やたらうれしそうな顔をしていた。
「あ……」
慌てて3歩後ろに下がる。
「あ、あの、これで……ど、どうもお騒がせしました」
そういうと、男も我に返ったようで、そっとワキワキ動かしていた手を下に下ろした。
「ん……そ、そうか。まぁ、またなにかあれば来るといい」
気まずそうにすました顔で言ってきた。
「は、はい」
俺は書斎を後にした。
き、気まずい!




