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クロエ

 馬車にゆられて、クロエの家近くの駅で降り、マリーと共に道を歩いた。


「いきなり来ちゃったわけだけど、いなかったらどうする?」


「近くのオシャレな店でも寄っていけばいいんじゃないの」


 そんなことを話ながら屋敷に着くと、顔を覚えていたメイド長に「まぁっ!」と大げさに驚かれて、メイド長は全力疾走みたいな勢いで走って行った。


「お、おぉ……」


 そのシュールさについて人前で口にすることは出来ず、声だけで感情を表現した。

 マリーも苦笑いをした。


「ささっ、こちらへ」


 執事さんにゲストルームに案内されて座っていると、なにか言い争いが聞こえてきた。


「い、イヤよ! 髪もセットしてないのに二人の前に出られない!」


「お二人とも砕けた格好をされているので大丈夫ですよ。それよりもお待たせする方が失礼です」


「こんな格好であったら失望されちゃう!」


「それなら服だけでもお召し替えくださいませ」


「そうする!」


 ゲストルームに近づいてきていた声がまた遠ざかっていく。


「……前もって手紙を入れて置いた方がよかったかな。そういえば、ジスランさんの屋敷に来たときも、ばっちり衣装も髪も決めていたもんね」


「あの子は結構見栄っ張りだからね」


 マリーがお茶をすすった。

 しばらく待っていると、また喧噪が近づいてきた。


「髪! 髪を整えて!」


「十分ですよ!」


「十分だとしても、少しでも見栄え良くして!」


 扉の前でわちゃわちゃしていたが、扉が開くとクロエが入ってきた。

 先ほどまでメイド長と喧嘩していたとは思えないほど、すっきりとまとまっている。

 シンプルな紺のドレスに身を包み、長い髪はリボンで縛っている。


「お、お久しぶり」


 クロエが緊張した様子で言った。


「お久しぶり。あー……髪は全然変じゃないよ」


 そう言うと、クロエはパッと顔を赤らめた。


「き、聞こえてた?」


 すると、マリーが自分の代わりに「うん」と頷いた。


「あ……べ、別にいいけど、そんなこと……」


 クロエが恥ずかしそうに言ってから、俺を見た。


「先に謝っておくけど、全然来れなくてごめんね。実はあの後いろいろあって……」


「うん、知ってる。くそ親父がアリスを閉じ込めて独占しようとしていたのよね。それから諦めたところまで知ってるけど、そこの理由までは知らないわ」


「あれ……い、意外と知ってるのね」


 ちょっと驚いていると、部屋の隅で立っていたメイド長が軽く頭を下げた。

 あー……メイド長や執事が噂話をかき集めてきたんだな。


 俺が王子がジスランさんを怒鳴りつけて解放してくれたことを話すと、クロエは驚くと共に意味ありげに目を細めた。


「……王子まで落としたの?」


 すると、マリーが頷いた。


「そうなのよね」


「え、ひどい! 私のことを放っておいて、王子にまで手を出していたの?」


「酷いわよね。私もご主人様もいるのに」


「アリス、どれだけの人たちを落とせば気が済むのかしら」


 クロエとマリーが二人で勝手に話を始めた。


「い、いや、違うって! 全然そんなつもりないから!」


「そんなつもりないとか言いながら、ちゃっかり落とすんだから」


 とマリーが言った。


「ちょ、ちょっとー……」


「ごめん。冗談だって」


 マリーが笑うと、クロエも笑った。


「それにしても王子まで落としたの? その……王子はあなたが元々男性だったことを知っているの?」


「知ってるよ。ちゃんと言ったよ。それでも愛人になってくれって言ってきてさぁ……困ってる」


 と、少し弱音を吐くと、クロエがじーっと俺の顔を見てきた。


「な、なに?」


「ちょっと油断するとそういう顔するんだから……」


「え?」


「今、助けを求める子犬みたいな顔をしていたわよ」


 と、マリーが横から言った。


 こ、子犬って……。


「ま、まぁ、それは自分とアルフォンスで話してなんとかするからいいよ」


「アルフォンス?」


 クロエが首をかしげた。

 自分が雇い主の名前を呼び捨てで呼んだことに違和感を持ったようだ。


「あー……それを言いに来たんだけど……。クロエも会ったことがあるバロメッシュ家の跡取りのアルフォンスと正式に婚約した……」


「したの!?」


 クロエが驚きの声を上げた。


「う、うん、した……。だから、クロエにはちゃんと伝えておかないと行けないと思って……」


「そっか……そうなっちゃうか……」


 クロエががっかりした顔をする。


「ごめんね。だからもう諦めてもらうというか、普通の友達として……」


「それで、そっちはそっちとして、こっちはどうなるの?」


 俺の言葉にクロエがセリフをかぶせてきた?


 は?


「そっち? こっち?」


「だから、いろんな男に言い寄られてうるさいから、一番手近で将来有望な男で手を打ったんでしょ?」


「い、言い方が悪い……。別にそんなんじゃないって。普通に仲がいいし、好きって言ってくれるし、自分も嫌いじゃないし……」


 言いながら恥ずかしくなってくる。


「アリス……あなた本当に乙女な顔するわね……」


 クロエがちょっと引いているような顔をした。


「でしょ」


 マリーがお茶を飲んで淡々と同意した。


「でもでも、それはそれじゃない。私とマリーはどうするの?」


「い、意味がわかんないんだけど」


「なんでわからないの?」


 クロエがキョトンとした顔をした。


「だって、アリスは元々男の人なんでしょ? 男の人だったときはSだったって……。だから、女の子にいろいろしたいんでしょ?」


「えーと……」


 たしかに元男だけど、ここまで長くこの体で居ると、男の時の女の子に対する欲望はほとんどない。

 でも、それを説明して分かってもらうのも大変そうだ。


「そうなの? 私はアリスは女の子にいろいろしたいんじゃなくて、してほしい方だと思うんだけど」


 マリーも会話に参加してくる。


「でも、アリスはSだったって言ってたわよ」


「へぇ、そうなんだ」


 マリーとクロエで自分が性癖について盛り上がろうとしている。

 慌てて止める。


「い、いやいや、そんな話しなくていいから! っていうか、仮に……仮に自分がそういうことをしたいとしても、そんなことしてたらアルフォンスが悲しむでしょ? だから……止めようよ」


「え、真面目……」


 クロエが意外そうな顔をする。

 なぜ、意外。


「だから、これからもマリーとクロエとは友達として付き合いたいけど、キスしたり変なところ触ったりはやめようよ……」


 と、ちらっとマリーを見た。

 この前、ディープキスしてきたことに含みをもたせた。


 するとその視線の意味にクロエが気が付いたらしい。


「なんかあったの?」


「あー……ちょっとね」


 マリーがごまかす。


「マリー、言いなさいよ。気になるじゃ無い」


「そんなに聞きたい?」


「聞きたいわよ」


「一昨日、ご主人様がアリスを膝の上に載せてアリスのあちこちを触っていて……」


「そ、そんなこと人に言わないでよ!」


 そう言うと同時に、部屋の脇で控えていたメイド長と視線がちらっとあった。

 お……おおおお………。

 言葉にならないほど恥ずかしい。


「マリー、ま、周りに人が居るんだから……」


「あ……ごめんなさい」


 マリーがクロエの耳元で小さくささやく。

 それでも絶対聞こえてるって!

 メイド長のあの様子、絶対聞こえてるよ!

 

 頼むから、こんなところでそんな話をしないでくれーー!!


「うわ、えっち」

「そしてアリスがキャーキャー言ってるの」

「わー」

「途中で私や同僚が一緒に入って止めたけど、そんなの見てたら我慢できないじゃん」

「そうよね。アリスだもんね」

「だから、私も同じようにアリスを膝の上に載せてお腹とか胸とか触らせてもらったんだけど」

「なにそれずるいじゃない」

「なんか抵抗するし、抵抗の仕方が可愛いから、無理矢理キスしちゃってね」

「わー」

「そしたら怒っちゃって」


 いくら小声でもしっかり聞こえた。

 たぶん、メイド長もしっかり聞いた。


「う、うわー……」


 クロエが顔を赤くしてこちらを見てきた。


「だ、だから、そういうことはもうしないようにしよう。マリーもクロエも」


「えー……? でも……」


 クロエは意味ありげにマリーと自分を見た後、マリーを見た。


「ねぇ、ちょっと二人きりにしてくれない? 私の部屋でアリスと二人きりになるから、メイド達が覗きに来ないように見張っていて」


「ん……まぁ、いいわよ。そうよね。不公平だもんね」


 いや、不公平とかそういう問題では……。


「じゃあ、行きましょ」


 マリーに肩を掴まれた。

 俺の拒否権はないの!?


「なんか無理矢理連れてこられたけどさぁ……なにするの?」


 不機嫌に答えると、クロエが期待するような目で自分を見てきた。

 マリーは本当に扉の前で見張っている。

 この状態なら他のメイドさんも覗きに来れないだろう。


「アリスの男の子部分ってSなんでしょ?」


「え?」


「だったら……その欲望を私で満たしてもいいよ……」


 クロエが顔を赤らめる。


「い、いやいや! だからそういうの無しだって! もうやめよう」


「ええ……」


「そういうことするために部屋に来たの?」


「だって……マリーだけキスして私はずっとなんにもないのずるいし……」


 クロエが困ったような哀願するような妙な顔をするので、困ってしまった。

 頭を掻きながら、言い訳を考える。


「え、ええと……。今までそうやって流されて来て、トラブルになっちゃったからさ……。そろそろやめたいんだ」


 クロエは黙って聞いている。


「ここでクロエに手を出したらまたバトルが始まるよ……。マリーが張り合って、そのうちにレベッカとコレットも参戦してきて……。そしてアルフォンスが最後にぶち切れる」


「そっか……」


 クロエがしょぼんとした顔をした。


「ごめんね。でも、別にクロエの事きらいって訳じゃ無いから。いい友達でいようよ」


 そう言いながら、クロエに軽くふんわりと抱きつくと、クロエも渋々ながら頷いた。


「……わかった。でも、キスやえっちなことが駄目なだけで、仲良くしちゃいけないってわけじゃないわよね」


「それはもちろん」


 そう答えると、クロエがちょっと首をかしげた。


「なんか、はっきりと言うようになったわね」


「……そう? 自分ではそんなに変わってる気はしないけど」


「はぁ……アリスと甘い時間を過ごせないのはすごく寂しいけど……そこで無理言って嫌われたくないし……」


 クロエが部屋の中の小さな机の椅子に座って、背もたれにもたれかかった。

 その向かいの椅子に自分も座ると、クロエが視線をこちらに向けた。


「……結婚に向けていろいろ整理してるのね」


 図星をつかれて、一瞬言葉が止まった。


「ん……まぁ……そうだね。今までなんというか、流されるままにしてきたけど……結婚となるとそういうわけにはいかないかと」


「そう? でも、あくまで女同士の関係じゃない。バロメッシュの次期当主はそんなことも許してくれないの?」


 クロエが「理解しつつもちょっと皮肉」程度の雰囲気で呟いた。


「というか……自分がそれじゃだめかなって思ってるし……」


「そうなの? 言われたんじゃ無くて?」


「言われては無いかな。正直、今までのアルフォンスの様子を見ていると、自分が男と絡むのはすごくいやがっているけど、マリーやクロエみたいな女の子と絡む分には、内心いやがっていても『絶対止めろ』とか言わないと思う。その辺は許してくれると思う」


「ならいいんじゃないの?」


「で、でもさぁ……。じ、自分、この世界では『英雄』とか変な呼び方されて持ち上げられているけど、正直そんな大した人間じゃないよ。しかも、こんな見た目だけど中身は男。そんな状態で嫁にもらってくれるって言ってくれる人に、あんまり不誠実なことできないでしょ……」


 そう答えると、クロエが意外そうな顔をした。


「アリスって案外真面目なのね……」


「案外って……」


「私の屋敷に来ていきなり私にいたずらしたりキスしたりしたくせに」


「い、いや、あれはさぁ……」


「別に責めてるわけじゃ無いけど。そっか……アリスはそんなにあの当主にそんなに恩に感じてるんだ」


「恩も感じているし、これからかける苦労も思うと……頭上がらないよ。表立って本人には言わないけど」


「そこまで卑屈にならなくてもいいんじゃないの? アリスだって王子からも言い寄られるほどの逸材なんだから、もっと自信を持っていいと思う。私がアリスの立場なら『結婚をしてあげてもいいわ。でも、私のやりたいことをじゃましないでよね』とか言っちゃうわよ」


「ク、クロエは自信あるよね……。そ、それもどうなのかなぁ……」


「だって、王子からも迫られて、ジスランに貴重な駒として扱われるほどの女でしょ。そうなったらそう思うのが普通じゃない?」


「でも、そんなことしたら、アルフォンスに嫌われるって」


 そう答えると、クロエが黙って首をかしげた。


「え……。アリスってあの男のこと、そんなに好きなの? 恩を受けたから仕方なく結婚するんでしょ?」


「恩もあるけど……。好き……だと思う……。というか、他の人と結婚するとか考えられないし……。アルフォンスとは付き合いも長いし……性格も分かっているし……」


 クロエが目を丸くした。


「ほんとにそんなに好きなの? 後悔しない?」


「それは……こ、後悔するかもしれないけどさぁ……。いつか浮気とかされて怒ったりすることもあるかなーって思うけど……。でも、アルフォンスを断ったら絶対に後悔するから、後悔しない道を選ぶ」


「そう…………」


 クロエが黙り込んで、机をじーっとにらみつけた。

 それから顔を上げると、覚悟を決めたように頷いた。


「わかった。ほんとに好きなのね。結婚したいのね」


「う、うん」


「じゃあ、応援する。友達として」


「う、うん。ありがとう」


「アリスの思いはよくわかったから、もうアリスの結婚を邪魔するようなことはしないから。もし仮に……仮にするとしたら…………いいえ、なんでもない」


 クロエは首を振った。

 多分、「落ち着いた頃にでもちょっとイチャつきたい」みたいな事を言おうとして、それを飲み込んだのだろう。


「ん……あ、待って。アリスがそんなに覚悟決めているのに、マリーはアリスにいたずらしたわけ?」


「え? あー……」


 俺が曖昧な表情を取っていると、クロエは猛然と立ち上がり、部屋の扉を開けた。

 そして、マリーの手を掴んで部屋に連れ込んだ。


「マリー、どうせ会話聞いていたでしょ!?」


「き、聞いていたわよ。クロエの言いたいことは分かるけど……」


 クロエに手を引っ張られたマリーがうろたえた様子でこちらに来た。


「マリー! アリスがこんな思いでいるのに、なんでアリスの邪魔するようなことするの!」


「え……ええ……」


 クロエに怒られるなんて思っていなかったようで、マリーが露骨にうろたえている。


「で、でも、自分も自分の考えとかマリーに言ってなかったから仕方ないと……」


「はぁ!? ずっとそばに居るんだから、アリスが口に出して言わなくてもみていれば分かるでしょ!?」


「わ、分かるわけないじゃないの……。わ、悪かったけど……べ、別にいいじゃない……」


 マリーがタジタジになっている。

 珍しい光景だ。


「自分が言うのもなんだけど……。うちの屋敷って自分が来た当初からメイド全員からキスされるような環境だったから……」


 俺がそう細くすると、クロエが一瞬固まった。


「そういえば……そうだったっけ。ドン引きよね」


「言い訳しようがないね……。ほんとのこというと、ジスランさんの屋敷に居たときはマリーはたまの暴走を除いてわりとおとなしかったんだ。でも、バロメッシュの屋敷に戻ったら前の調子に戻っちゃったみたいで、他の同僚よりもスイッチ入ってた。むしろ、レベッカとかマリーを止めてくれたし」


「やっぱりマリーが悪いんじゃないの!」


「クロエだってさっきまでアリスといかがわしいことしようとしていたでしょ!」


「私は知らなかったんだから仕方ないじゃない!」


 マリーとクロエが感情的になっている。

 本格的な喧嘩になりそうなのを察知して、慌てて間に入った。


「まぁまぁ! まぁまぁ! 落ち着いて!」


「私はもうアリスの結婚の邪魔はしないから、マリーもやめなさいよ!」


「わ、私だっていろいろあるのよ! ずっとそばに居て仲が良かったのにあきらめろって言われても!」


「普通の友達に戻ればいいじゃないの!」


「だってアリスがかわいすぎるんだもの! 私だってアリスにいたずらしたくなるの!」


 マリーが本気の調子で言った。

 喧嘩を収めようとしている自分が馬鹿みたいに思えてきた。


「…………」


 黙ってマリーを見ると、マリーがこちらを見てショックを受けた顔をした。


「ア、アリス、そんな目で見ないでよ……」


「いや、別に見下してるとかじゃ無くて……なんかこう……馬鹿らしくなってきた」


「なによ!」


「あー……えっと……まとめるね。クロエは普通の友達になって結婚を邪魔するようなことはしない。そして、マリーは?」


「け、結婚の邪魔はしないわよ。最初からそんな気はないし。でも、いいでしょ……ちょっとぐらい」


「うーん……冗談ぐらいなら許せるけど、やっぱりキスはダメかな……」


「っ……」


 マリーがものすごく苦々しい顔をしてから、ものすごく渋々頷いた。


「そう……よね。でも、それならレベッカとコレットにもキスしないでよ」


「しないよ」


「わかった……」


 マリーがものすごく渋い顔でうめくように言った。


「はぁ……ようやくやっかいな話が終わった。クロエ、これから時間はいい?」


「え? 別にいいけど……」


 クロエがきょとんとして答えた。


「せっかくだから、クロエも一緒にこの辺りの店を回らない? クロエの方がよく知ってるでしょ」


「ええ、いいわ。でもほんとに……アリス、ちょっと変わったわよね」


「……そう?」


 自分ではほんとに意識してないのだが、クロエから見ると大分違って見えるらしい。


「マリーもそんなにふてくされてないで」


「ふてくされてないわよ……」


 気落ちしているマリーの背中を叩いて、部屋を出た。


 女三人の雑貨屋巡りはなかなか楽しかった。



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