著述家
屋敷の戻った翌日、もう一度ジスランさんと話をするために執事に掛け合った。
「もう一度ジスランさんと話をしたいのですが、いつごろ来られますか?」
「おや、どうしましたか。もしご不満があれば直接私どもに言ってください。部屋であろうと備品であろうと衣装であろうとご用意しますよ。アリス様に関して相応の金額を使う許可は得ております」
「それについては感謝しています」
と言ってから、あちゃーと内心で呟いた。
こういうときに高飛車に出て悪印象を与えればいいのに、つい行儀正しく振る舞ってしまう。
「そうではなく、ジスランさんともう一度直接会って話したいことがあるんです」
「そうですか。ではそのように伝えておきます」
執事がさらっと返した。
本当に伝えてくれるのか非常に怪しい。
「あぁ……そうですか」
疑惑の視線に気が付いたのか、執事は咳払いをした。
「ちなみに、何のお話でしょうか」
「それは、直接会ってから話しますので」
「ふーん……」
執事が怪訝な表情になる。
そして、なんとも居たたまれない雰囲気になる。
あ、だめ。
こういう雰囲気に耐えられない。
「あ、あと、え、えーと……そ、そうですね。せっかく他の世界から来たんだから、前の世界の話を誰かに話すだけじゃなくて本とかにまとめた方がいいのかなと思ってたりして……」
少し前にエミリーさんと話して常識のあまりの違いに違和感を感じていたので、そのことについて軽く話した。
変な雰囲気を和らげるための軽い話のつもりだったが、執事はがっつり乗ってきた。
「ほお! 実はその話は私も主人と内々に話をしたことがあるのです。ですが、アリス様があまり前の世界を積極的に話そうとしないので、いずれ話したくなったときにこちらから話を切り出そうと思っていたのですよ」
「な、なるほど。そうなんですね」
「アリス様が本を直接書ければよいですが、不慣れでございましょう。取材をして本を書ける著述家に心当たりがあるので、その方に声をかけようと言うことになってまして……」
執事から次から次と言葉が出てくる。
いつのまにかいろいろ話が進んでいたらしい。
「あ、はい。それはその方がいいですよね……あれ?」
「ではそういうことで!」
いつのまにか、本を書くことになっていた。
ジスランさんを呼んで欲しかったはずなのに、なぜこうなった。
◆
それから二日後、髪の毛が爆発したような特徴的な髪型の人が来た。
口頭で聞いた話を文章に起こす専門家で、著述家だと名乗った。
名前はジョセフというそうだ。
マリーに「そんなことやっている場合じゃ無いでしょ」と言われたが、来られてしまったら仕方が無い。
最初、ジョセフさんには開放感のある外で取材がしたい言われたのだが、外に出てみると風が吹いていた。
紙が飛んでしまうと言うことで、結局またゲストルームに戻って話を聞かれた。
前の世界の生活のことを軽く話したところで、ジョセフさんは爆発した髪をさらにぐちゃぐちゃにかき回しながらうなり始めた。
なんとも変わった人だ。
「どうしました?」
「いえいえ。変わった話ばかりでどう書くべきか悩んでいるのですよ。この話をどう書けば信憑性が出るかどうか……。文体で悩みますね。私があなたから聞いたという文体で書くべきか、それともあなた自身が書いたような文体でいくべきか」
「なるほど、一人称か二人称かってことですね」
「ところで、生活のことは聞きましたが、前の世界でアリス様ご自身はどのような人物だったのですか?」
「どうって……普通のパッとしない男でしたが」
声のトーンを落としながら答えた。
そう答えると、ジョセフさんは眉をひそめた。
「先ほどから思っておりましたが、アリス様は随分と謙遜されますな」
「い、いや、本当にパッとしない男でしたから。それに、前の世界では自慢げに言うのはあまりいいことではなかったので、私もついそう振る舞ってしまうので……」
「なるほど、文化的な物もあるのですね。しかし、それではあまり面白い本になりません。そうなると……あなたの視点で書いた文章にすると、非常に控えめな表現になってしまいますね。それでは面白くない」
「は、はぁ……」
「これは私の視点で書いた方がいいですな。例えば今の発言であっても、『本人は謙遜してたいしたことがないと言ったが、その理知的な目からは非凡な人物であることが明らかであった』と説明できます」
「え、やりすぎじゃ……」
「本はおもしろくするべきです」
ジョセフさんはきっぱり言った。
「ま、まぁ……」
「それから、これは本にするつもりでしたが、どんどん出して行った方が良さそうですね。執事さんともお話をして新聞掲載の方向で進めますから」
「あ、はい……別に構いませんが……」
曖昧に頷いたのだった。
◆
それから何度か取材を受けたのだが、ある日、執事さんがニコニコしながら新聞を持ってやってきた。
自分の取材が掲載されている新聞らしい。
自分が読む前にマリーに取り上げられ、マリーが「うわ……」と変な声を出した。
「なに?」
「すんごい美化されてるよ……」
「え?」
マリーから受け取って新聞の記事を読んで、愕然とした。
ものすごい淑女で知性的で美しくてマナーがなっていて、性格も良くて、だれをもとろかす妖精のような記述がされている。
「だ、誰だこれ!?」
「あ、でも、そんなに外れてないか。アリス、性格いいし、意外と知識もあるもんね」
「いやいや、これは褒めすぎ!」
そんなことを言っていると、またジョセフさんが来た。
「やぁ、これはこれは。アリス様」
手を振りながら、慣れた物だとメイドの案内も無く一人で勝手に建物の中を歩いてきた。
「ジョセフさん! なんですか、この記事は!?」
「なんですか、とは? 内容に間違いはありませんね?」
「言っている内容に間違いはありませんが……私に関する表現がちょっと美化しすぎです」
するとジョセフさんは余裕の表情で首を振った。
「このくらいの美化は普通です。いや、控えめなくらいでしょう。まず、アリス様は非常にお美しいことに違いはないでしょう」
「じ、自分で言うのもなんだけど、ま、まぁね……」
恥ずかしいが、実際にかわいいので仕方ない。
「こういうものは人並みの容姿であっても『美しい』と書くものなのです。アリス様は元々非常にお美しいので『この世の物とは思えないほど美しさであった。一目見た途端に私の心はえぐられ、大事な物を失ってしまったような気持ちになってしまった。もし、読者諸君が幸運にもアリス嬢に対面することが出来たら私と同じ気持ちになることは必至である。数々の浮名を流してありとあらゆる美女を味わい尽くした男であっても、彼女を見て心を揺さぶられないことは不可能であろう』という程度の記述は控えめなくらいです」
「そ、そうかなぁ……控えめかなぁ……」
「控えめですよ。むしろ、誇張がないくらいと言っていいでしょう」
「ま、まぁ……外見はいいけど、性格の記述とか態度の記述がおかしくないですか? こんな聖人じゃないですよ」
と記事を指さしながら聞く。
「なにを言いますか。大変控えめで人を思いやる心をお持ちではないですか」
「い、いや、別に普通な感じなんだけど」
「ですから、『彼女と話すと心が洗われ、まるで自分が神の子に祝福されているかのように感じる』程度の記述は問題ありません」
「いやー……問題あると思うけど……。それから、やたら知的に書かれてるんだけど、普通の教養なんですけど。むしろ、教養はない方だと思います」
「何を仰います。アリス様の世界で教養がなかったと言っても私たちの世界とは比べられません。ですから、『彼女自身は教養がないなどと謙遜するが、俗物である我々からすると月とすっぽんほどの差があることは歴然であり、彼女の世界の教養レベルがいかに高かったかを物語っている。また、彼女との会話を通して確信したが、彼女は元の世界においても最高位の教養を持っていたに違いなく、彼女の口からこぼれ出る言葉はすべて知の女神に手厚く祝福されていた』程度の記述はなんの問題もありません」
「そうかなぁ……問題ないかなぁ……」
「まぁ、いいではないですか」
ジョセフさんがあっけらかんと言う。
「あの、最後に『個人の感想です』って一言付け加えておいてもらえます?」
「は? そんな野暮なことはしませんよ」
とジョセフさんは笑った。
こんな褒められまくった記事を人に読まれたら恥ずかしすぎる。
ますます人前に出るのが厳しくなる。
「こ、こんな記事を読んだら、知らない人が私のことをものすごく美化してしまうじゃないですか。実際にあったら幻滅されると思うんですが」
「ふーむ。では、『あまりに高貴な故に、高貴と思われて距離を置かれることに悩み、努めて庶民的に振る舞っている。しかし、その立ち振る舞いから匂い出る高貴さは消しがたい』とでも書いておきましょうかね」
と、ジョセフさんが手元の紙にメモを取る。
「ち、違いますって。そうじゃなくて、もっと駄目なところを書いて置いてください! 気が小さいとか、つい人に流されるとか!」
「うーむ。どうしてもと言うのであれば、『心の優しさから極めて他人に寛容であるが、それゆえに他人の欲望の餌食になりがちなようだ。過去に異性に憧れる同僚や友人に強く迫られ、断ることが出来ずに彼らに性的に搾取されたことがある』とでも書きましょうか?」
ジョセフさんがちょっと非憎げな笑みを浮かべながら言った。
は!?
「な、なんでそんなことを知ってるんですか? 言ってないですよね?」
「他の方に取材をしていないと思っていますか。こんな大ネタですから、新聞社の記者も総出で各所に取材に回っていますよ」
「え……い、いや、その記事は止めてください。た、たしかに、過去に困ったこともありましたけど、今では仲が良い友人たちなので迷惑はかけたくありません」
「そうでしょう。変な風に謙遜すると、ご友人たちに迷惑がかかりますよ。悪いことはいいませんから、このまま行きましょう」
「まぁ、そうですね……。欠点を書こうとするとそれに関するエピソードがついてきますもんね」
間違いなく、マリーやレベッカが悪役になってしまう。
「ではこれで行きましょう」
こうして、自分をめちゃくちゃ上げる記事が延々と新聞に載り続けることになったのだった。




