アルフォンスと待ち合わせ
それから3日後、マリーがうまく手紙をやりとりしてくれて、外でアルフォンスと落ち合うことになった。
あまり遠くに行くとバレそうだし、あまりに近いと人目が心配だ。
そういうわけで、隣町の寂れた喫茶店を集合場所に選んだ。
エミリーさんはお目付役としてついてきたが、
「私は黙っていますので、私のことは気にせずに話し合ってください。口裏はちゃんと合わせますから」
と少し離れた席に座ってコーヒーをすすり始めた。
エミリーさんが味方で良かった。
そうでなければこんなことは出来なかっただろう。
マリーと二人で席に座りながらもじもじしながらアルフォンスがくるのを待つ。
「アリス、さっきからもじもじしすぎじゃ無い?」
「だ、だってさ……緊張する。どういう顔をして会えばいいのかな」
「寝ぼけてご主人様をものすごく素っ気ない扱いをしていた人がいうセリフ?」
「あの時は……本当に寝ぼけていて……。それにあのときはアルフォンスと結婚する気も全然無かったし……でも今は……け、結婚して欲しいって思ってるし……」
「あー乙女ー。乙女だー」
マリーが微妙な表情をする。
「え?」
「あ、ごめんね。もう私の勝ち目は完全に無くなったなぁ……って。またアリスの事、可愛がって遊べるときが来るかなぁ」
「な、なに言ってるの」
「冗談冗談」
マリーが苦笑しているのを見ていると、その後ろにアルフォンスの姿が見えた。
店の中を見回している。
そして、自分と目が合うと笑ってこちらにむかって歩いてくる。
ドキン!と心臓が高鳴る。
「よかった。場所と時間は合っていたな。途中で少し迷いそうになったがな」
アルフォンスが苦笑しながら、向かいの席に座った。
「あ……うん……間違えないでよかったね……」
恥ずかしくて視線を合わせられない。
斜め下を向きながら小声で話す。
「それで、どうした。わざわざ会って話したいなんて。まさか、悪い話じゃないだろうな」
「えっと、どういえばいいか……」
視線を合わせないまま答える。
するとアルフォンスが不安そうな顔をしてマリーの方に視線を向けた。
「おい、アリスは一体どうしたんだ?」
「はぁ……アリス、ちゃんとご主人様の顔を見なさいよ」
マリーが俺の肩をぽんと叩いた。
「アリス、言うんでしょ?」
「そ、そうだけど……」
結婚したいと自分から言うのはとても恥ずかしい。
もし断られたら? 本当に受けてくれるのだろうか?
今更なに言ってるんだ?みたいなことを言われるかもしれない。
「ん、どうした?」
視線を向けると、アルフォンスと視線が合ってしまった。
恥ずかしい。
微妙に視線をそらす。
「あ、あのさぁ……えっと……」
言い出そうとしたが、どうにも言い出せない。
「なんだ。随分と気後れしてるようだが」
結婚したい。なんて言えない。
そうだ。結婚したとしたらみたいな仮定の話をしよう。
「え、えっと……へ、変なことを聞くけどさぁ……」
「どうした? やけにしおらしいな」
アルフォンスが不思議そうな顔をする。
「な、なんでもないんだけどさぁ……あの……その……も、もし仮に、本当に仮に、け、け、結婚……したとするじゃん? その場合、えっと……」
ん?
結婚した後の話って何を聞けばいいんだろう。
「え、えっと……アルフォンスはその……浮気とか……する?」
我ながら何を聞いているんだと思う。
なんでこんな質問をしてしまったんだろう。
自分でも意味が分からない。
アルフォンスは不思議そうな顔をした後に困った表情になった。
「なに聞いてるのよ」
マリーが小さい声でささやいて、脇を軽く叩いてきた。
うっ! だから敏感だからそういうの止めて欲しいのに。
「お前……そんな顔して聞かれて浮気するとか言えないだろ……。でも、どうなんだろうな……。今はそんなことは考えられないが」
その言葉に心の中がふわっと軽くなる。
「そ、そっか。べ、別になんでもないんだけどさ」
わざとあさっての方向を見て、別に気にしていないふりをする。
「でも、人生は長いわけだからな。俺も聖人君主ではないから、実際の所、他の女に気を取られることはあるだろうな……」
と、アルフォンスが真面目な顔をして言う。
多分、安心させるための適当な嘘とか言いたくなくて、本人としては真面目に考えて真摯に対応してくれているのだと思うが、ものすごく不安になる。
「そ、そこは、そんなことないって言って欲し……な、なんでもない」
もしアルフォンスがそんなことを言ったら、俺は『何も考えずに口当たりのいいことを言っている』と思っただろうし、きっとアルフォンスを信用できなくなってしまう。
これまでの経験でもアルフォンスはそういう嘘を言わなかったので、突然そういう嘘をつき始めたらアルフォンスのことを信じられなくなってしまう。
「そ、そっか……そうだよね……。ま、まぁ、男だしね」
ほとんどの男なんて所詮ハーレム好きで、一人の女の子を一生思い続けるなんて不可能なんだ。
自分だって同じタイプだから納得できるけど、でもすごく悔しい。
「ん? どうした? もう結婚した後の心配をしているのか……? なんだ、その気なら……」
アルフォンスがすこし面食らった顔をした。
その顔をつい非難がましく見てしまう。
「う、う~~」
なんだこれ。
自分ってこんな嫉妬深かったっけ。
「お、おい、どうした。お、俺が悪かったなら謝るから……。あ、あのなぁ、お前……」
と言いかけて、アルフォンスが少し間を置いてからふっと力を抜いた。
「アリス……お前、本当に女になったな」
「……は?」
思いがけない言葉に一瞬思考が止まった。
え? 女になった……って、なに?
なんか変なことしたと思われた?
「なぁ、隣に座らないか?」
「え、うん……」
言われるがままにアルフォンスの隣に座ると、アルフォンスがすっと手を伸ばして来て、俺の頭に手を置いた。
「あう……」
反射的に脱力して、アルフォンスに体重を預けてしまう。
やっぱり撫でられると気持ちいい。
「男からすると女が何を考えているのかさっぱりわからん。お前はわかりやすかったが、だんだんとわかりにくくなってきたなぁ」
アルフォンスが苦笑しながら言う。
あぁ、それで「何を考えているかよく分からない女」になったと言いたいのか。
「そ、そうなのかな……」
「まぁ、そういうところも嫌いじゃ無いぞ」
「そ、そっか……」
頭を撫でてもらいながら、頭をアルフォンスにこすりつけていると、あきれ顔のマリーと視線が合った。
「あのご主人様もアリスも……ここお店の中なんですけど」
マリーがぼそっと言って、アルフォンスが慌てて手を離した。
俺も身体をしゃんとさせて辺りを見回す。
とりあえず誰にも見られて居なさそうだが、気恥ずかしい。
「すぐに二人の世界に入っちゃうんだから……」
マリーが少しあきれたような顔をして、ストローに口をつけた。
少し離れた席に座っているエミリーさんもニヤニヤしながら自分を見ていた。
「あ、アルフォンスは、ど、どういう相手が出てきたら浮気すると思う? やっぱり自分みたいに小さい娘!?」
アルフォンスに寄りかからないように背筋に力を入れて聞くと、アルフォンスが首をかしげた。
「ん? おい、俺は別にそういう趣味じゃないぞ」
「え?」
その言葉が脳に染み渡るまでにたっぷりと五秒はかかった。
顔はいいけど貧乳で身長も低い自分にこんなに入れ込んでくるとか、正直ちょっと変態趣味だなと思いつつも、どこかにうれしさと安心があった。
「え、この身体とか見た目が好みなんでしょ?? ち、違うの!?」
と自分の胸元を指さす。
「別に胸が小さいのが好みだとか言ってないが……」
「え、ええ!? う、嘘!? じゃ、じゃあ、どういうのが好きなの!?」
アルフォンスは完全につるぺったんな身体が好きな変態さんだと思っていたのに。
まさか、違うの!?
「どういうのと言われても困るが……」
と答えに困りながらも、アルフォンスがちらりとマリーの方を見たのが分かった。
あ、そっちか。
胸が大きくて女性的な体つきの方が好みなんだ。
それに気がついた途端、不安と焦りが身体の奥底から沸いてきた。
アルフォンスは本当はこんな貧相な身体じゃなくて、マリーみたいな体つきが好き。
ということは、一時的な気分の高鳴りが収まったら自分に興味を失ってもっとスタイルのいい女の子に興味を持ってしまうかも。
「う、嘘……」
自分で言った言葉が、自分で驚くほどの悲壮感に満ちていた。
やっぱり、こんな貧相な身体じゃダメなんだ。
もっとスタイルがよくないと。
アルフォンスだってきっと自分を見放す。
いきなり気持ちが奈落の底まで突き落とされて絶望していると、アルフォンスが心配そうな顔で俺を見た。
「お、おい、どうした?」
ん? なんか顔に違和感が。
あ、あれ……涙がこぼれている?
ほんと、この身体締まりが無いな。
涙が止まらない。
あぁ、もう。
絶対にうざいって思われる。もう……
「べ、別に……」
「おい、頼む。話してくれ。俺にはお前が何を考えているか分からん」
アルフォンスが心配そうに聞いてくれる。
「だ、だって、こんな貧相な身体じゃダメなんでしょ!?」
「……は?」
アルフォンスがポカンとした顔をする。
「お前、何を言っているんだ?」
「だ、だって、好みじゃないんでしょ? 胸もないし……」
「二人とも……繰り返しますけど、お店の中ですよ」
マリーが諦めた様子で呟いた。
涙を慌てて拭く。
アルフォンスも表情を引き締めて、平静のふりをする。
アルフォンスがぎこちない表情のまま、ささやくように言った。
「あ、あのなぁ……お前、もともと男だったんじゃなかったのか?」
「う、うん、そうだけど」
「だったら、俺がどう思っているのかぐらい、わかるだろ。今のお前はちょっと極端だぞ」
「ご、ごめん。でも、感情に振り回されちゃって……」
少し気持ちを落ち着けて、アルフォンス側で考えてみよう。
自分がアルフォンスのように地方貴族の男だったとしよう。
俺が男だったときは、アルフォンスと同じようにマリーみたいな体つきの女の子が好きだった。
でも、それなら胸の無い女の子は嫌いだったかと言われると、別にそんなことはない。
そして、好みの体つきのマリーにモーションをかけてみたら全然なびかないし、会話も弾まない。
それはへこむだろう。
そして、そんなときに胸は無いけど顔がめっちゃかわいい女の子がやってきて、簡単にメロメロになるし会話も弾む。
そしたらどうなる?
そりゃ、胸が無くても会話が楽しくて相思相愛な相手に決まっている……おまけに顔もかわいいし……
「そ、そうだよね。そ、その……わた……俺とアルフォンスって仲がいいもんね。ものすごく!」
なぜか『ものすごく』を無意識に強調してしまった。
「お、おぉ、そうだな。な、なんだ? 極端だぞ」
「あー……ごめん。今日はちょっと感情が爆発しやすくて……」
「落ち着け。それで、いきなり呼び出したりして、一体どうしたんだ?」
その言葉に心臓がバクンと音を立てた。
「そ、その話をしたくて……」
「ん?」
「他の英雄の家の跡地に行ってきたけど、そこにはその英雄のお墓があって……」
その英雄が帰れなかったことや、他の英雄にも墓地があるということをかいつまんで話した。
「だから、帰れない……みたい。多分、姿も一生このまま……。だったら、アルフォンスと……」
アルフォンスの瞳孔が開いた。
「う、受けてくれるのか!?」
アルフォンスの声がひっくり返った。
「う、うん……。こ、こんな俺……じゃなくて、私でいいなら……」
「そうか……よかった……」
アルフォンスが息を吐き出して、肩に手を回してきた。
そのまま身体を預ける。
よかった。
受けてくれるんだ。
安心感で体の力が抜ける。
「おっと……店の中だったな……」
アルフォンスに抱きしめられている感触を楽しんでいる最中に、アルフォンスが我に返って手を離した。
むー。
でも、うれしい。
表情が緩んでいるのを自覚しながら前を向くと、マリーと目が合った。
「それはいいけど、アリス、話さないといけないことがあるでしょ」
「えっと……な、なんだっけ」
ほっとして考え事が全部吹っ飛んでしまった。
「はぁ……アリス、ほんとに今日はダメダメだね」
マリーが代わりに縁談の話をしてくれた。
その話を聞いたアルフォンスは顔をしかめた。
「あのジスラン殿が? なんだ、あの狸じじいめ……」
アルフォンスが珍しく悪い言葉を使った。
アルフォンスが頭の痛い顔をして眉間に手を当てた。
「冗談じゃ無いぞ……」
「や、やっぱりまずい?」
「当たり前だ。こっちにくる縁談は体よく断ればいいが、お前の方はどうするんだ。断れずにねじ込まれるだろ」
「多分……」
「私が拒否します」
と、マリーが力強く宣言した。
「マリーが居て良かった。お前を他の男に持って行かれるなんて、絶対に許せないからな」
その言葉に思わず嬉しくなってしまう。
そんな場合では無いと分かっていても、嬉しい。
「どうしたもんか……。はっきり言うが、しがない地方貴族の俺やうちの家から面と向かって非難できる相手じゃ無い。まいった……。ジスラン殿に任せるんじゃなかったな」
「ジスラン様のところへアリス一人で行かせたのも悪かったです。今度は私も一緒に行って断りますから」
「頼む。マリー、お前だけが頼りだ」
「お任せください」
マリーが胸を張る。
それから軽く世間話をした。
屋敷は熟練のナディーヌさんのおかげで問題なく回っているらしい。
話をしているうちに時間もかなり経ち、店の前で別れることになった。
本当はもう少し一緒で居たいが、街中を一緒に出歩いて万が一人に見られると困る。
「名残惜しいが、今日はこれまでだな。マリー、また会えるように調整するのを手伝ってくれ」
アルフォンスも少し寂しそうに言う。
「あ……ちょっと待って」
建物と建物の間に人が入れる隙間があるのを確認してから、アルフォンスを呼び止めた。
「どうした?」
「ちょっと、こっちに」
アルフォンスの裾を引いて、その隙間に入り込む。
「どうした。秘密話か?」
アルフォンスが冗談っぽく言った。
「あの……本当はもっと二人でゆっくり話したかったけど、エミリーさんもマリーもいたから……本当はもっと……」
「お、おいおい、どうした」
「あ、あの……へ、変な事言うかもしれないけど、いい?」
「ん? ど、どうした?」
アルフォンスが少し焦った顔をする。
よし、言うぞ。
言うぞ!
「キ、キス……してくれません……か?」
そう言って、顔を見上げると、アルフォンスは「え?」という驚いた顔をしていた。
「い、いいのか? いつも怒るだろ……」
「結婚するって決めたんだから、それくらい別に……嫌なら……いいけど……」
「嫌なわけ無いだろ。あぁ、でも、食事した直後だが……」
アルフォンスが口元を拭う。
「い、いいから。軽くでいいから」
アルフォンスが表情を緩めた。
「お前、さらにかわいくなったな。可愛すぎて心配だ。じゃあ……行くぞ」
目を瞑る。
背中に腕を回され、唇が包み込まれる感触があった。
その感触を味わっているうちに、唇も腕も離されてしまった。
「うん、ありがと……。今度はもっとゆっくりやろうね」
そう言うと、アルフォンスが苦笑した。
「い、いきなり積極的だな……ははは……じゃあ、また今度な」
「うん。待ってる……」
通りに出て、アルフォンスを見送った。
「あぁ……行っちゃった……」
そう呟くと、いつの間にか隣に立っていたマリーがため息を吐いた。
「あ~……本当に乙女な顔をしている。本当は私の物になるはずだったのに……」
「ごめん……」
「もういいわよ。言ってみただけ。帰るわよ」
「うん」
「ちょ、ちょっと! 私のこと忘れないでください!」
振り向くと、店の中からエミリーさんが飛び出してきたところだった。




