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 それから二日ほど経過した。

 メンタルも大分回復してきて、普通に振る舞えるようになってきた。

 結婚すると決めたからには、早く屋敷に戻ってアルフォンスのプロポーズを受けたい。

 アルフォンスがどんな反応をするか考えると、気持ちが落ち着かなくてしかたない。


 でも、こんなにヤキモキしているのに、いまだに執事さんからは特に反応がない。

 意を決して声をかけてみたが、『まだ主と連絡を取れません』の一言で済まされてしまった。

 もしかしてまだ連絡もしてないんじゃないか、と疑って何度も催促した。

 しかし、返事は変わらない。


「どうなってるんだろう……」


 部屋でマリーにぼやくと、マリーも頷いた。


「ほんと、どうなってるんだろうね。せっかくアリスがその気になったのに、あんまり焦らされると冷めちゃうわよね? それとももっと燃え上がる?」


 そのいたずらっぽい表情にぞくりとした。


「ちょ、ちょっと! そういうのやめてってば」


「冗談だってば。でも、いくら結婚すると決めたからと言って、なし崩しでベッドインしちゃダメだからね。お酒の勢いで襲われたらちゃんと断るのよ。最初は大事にしなきゃ」


「う、うん……え、最初?」


 キョトンとした顔でマリーを見ると、マリーは「わかってるでしょ?」という顔で頷いた。


「え、いや……その……」


 顔がいつものように赤くなってくるのを感じる。


 脳裏に具体的なイメージが湧いてきた。

 脳内にかすかに残っている「自分は男だ」という意識がそのイメージに大反発しまくる。


「う、うううう、か、か、考えたくない」


「でも、好きなんでしょ?」


「す、すすす、好きだけど! でも、ちょっとそれは……それはっ……っていうか、この身体過敏だからそういうの無理かも……」


「大丈夫大丈夫。やってみるとたいしたことじゃないってよ? それに、頑張るのは男の人の方だしね」


「い、いやいやいや、だから、めっちゃ感覚が過敏だから! 痛いの無理無理!」


「そこは痛みを和らげる薬とかあるから」


 と、なぜかマリーがちょっといやらしい顔をした。


「なんでそんなこと知ってるの!?」


 と、騒いでいると、扉をノックする音が聞こえた。

 人に聞かれるような話ではないと自覚している俺とマリーは一瞬で静まりかえった。


 それから、マリーができるだけ何でも無い顔をして、扉を開けた。

 出てきたのは、執事さんだった。


「ご歓談中、失礼致します。さきほど偶然、主が参りまして、アリス様とお話がしたいと言っております」


 執事さんがなにか納得していない表情で言う。


「あれ、連絡が取れないと聞きましたけど……」


 俺が言うと、執事さんは頷くような頷かないような微妙な態度できびすを返した。

 その後ろ姿を見送りながら、ちょっと考えた。


 もしかして、「連絡が取れない」とかいいながら実際には連絡を取らずに、俺たちが根負けするまで引っ張ろうと思ってたんじゃないだろうか?

 ところが、全くの偶然でジスランさんがやってきて、ジスランさんが俺に会いたいと言い出して、どうしようもなくなった。

 考えすぎだろうか?



「アリス様、ご機嫌いかがですかな?」


 応接間に行くと、ジスランさんは機嫌良さそうに話しかけてきた。


「え、ええ、よくしてもらっています。ただ、そろそろ帰らせていただこうかと。長い間、お世話になりました」


 そう答えると、ジスランさんのにこやかな表情が一瞬真顔になり、ちらっと執事さんに視線を向けた。

 執事さんが気まずそうな顔をする。


 それから、ジスランさんが咳払いをしてから、こちらに向き直った。

 機嫌が悪そうだ。

 やはりこの二人には怪しい雰囲気がある。


「なにか不手際がありましたかな? この屋敷を自分の物だと思って自由に使ってくださって構わないのですよ? 必要な物ならなんでも手配しますよ」


 不機嫌さを隠しながら笑みを浮かべるジスランさん。

 素直に言って、怖い。

 とても心細い気分になる。


「い、いえ、よくしていただいております。そうではなく、そのアルフォンスと……その……仲直りをしようかと……その……」


 なんと言っていいか分からずに言いよどむ。


「アリス様、心がお優しいのはわかりますが、それは感心しませんな。バロメッシュの当主は非常にお若い。そして、あなたはこのように美しく、そして誰にでも優しい。バロメッシュ家に戻れば、また間違いが起きますぞ」


「い、いえ、だから……その、間違いとかではなくて……そ、その、あの、間違いを間違いじゃないことにするというか……えと……」


 察したらしく、ジスランさんが片眉を上げる。


「プロポーズを、受けようかと」


 決死の思いでそう答えると、ジスランさんは黙り込んだ。

 そして、長いため息を吐き出してから、今までの優しそうな表情から一転して、厳しい表情に変わった。


「なにをご冗談を。お止めになった方がよろしいでしょう」


 その声の調子は、非常に冷たかった。

 怖すぎる。


 自分でも突っ込みたくなるほど気が小さい身体だ。

 年配の男の厳しい表情に気が動転してしまう。

 せめてもうちょっと図太かったら良かったのに。


「い、いえ、せ、先日、英雄の跡地に行きまして、そこで英雄のお墓を見たんです。使命を果たせば元の世界に帰れると思っていたのですが、過去の英雄達も元の世界に帰っていなかったようです。もう戻る術は無いと分かりました。だから、この地に骨を埋める覚悟をして……」


 緊張感に震えそうになりながら必至に言葉を紡ぐが、ジスランさんの厳しい表情は変わらない。


「それは結構です」


 ちっとも結構に聞こえない。

 声から不機嫌さがビンビンに伝わってくる。

 最初に会ったときはすごくいい人だったのに、今目の前にいるのは全然違う人間だ。


「アリス様、あなたは他の世界から来られたという、英雄に連なる貴重な人材であることは自覚されていますかな?」


「え、い、いや、それは……そ、そんな貴重な人材ではありませんよ。前の世界でもただの一般人ですし……」


「いいえ、あなたは貴重な人だ。ご自覚ください」


 ジスランさんがビシッと言い切る。

 その迫力に二の句を継げなくなる。


「そんな方が、片田舎の貴族と一緒になるのが、この世界のためでしょうか? それが本当によいことだと思っておられるのですか? 目を覚ましたらどうでしょう」


「そ、それは……どういう……?」


「それに、あなたは元男なのでしょう。男がそんな小さな夢でよいのですか?」


「で、ですから、前の世界でも一般人でしたし……」


「男ならもっと大きな夢を抱きなさい」


 ジスランさんに怖い顔でビシッと言われて、息が詰まった。

 そんな価値観押しつけるな、とか、あなたと俺は違う、とか、いろんなことを言い返したいのに、何も言えない。

 この体、本当に恐怖に弱すぎる。


「あなたは非常に貴重な人材だ。一般人でありません。おまけに類い希な美しさ、そしてお若い。私なら、しがない地方貴族と男と一緒になってささやかな幸せを掴もうだなんて、そんなつまらないことは考えませんがね。そうではありませんか? 私の言っていることがなにか間違っていますか?」


「え……あ……あの……」


 ジスランさんの言い方は勢いも迫力もあり、なにより発言が自信に満ちている。

 普通の男でも、ジスランさんの地位に気がすくんでいるところにそんな発言をされたら、なかなか言い返しにくいだろう。

 今の自分はその普通の男よりも遙かに気力が弱い。

 とても言い返せない。

 言い返したいという気持ちはあっても、とても声に出せない。


「あなたのような人材を地方貴族の嫁として埋もれさせるのは、この国全体にとって大きな損失です。あなたの知識を国のために役立てるべきです。そうでしょう? 私がなにかおかしなことを言っていますか?」


「い、いえ……」


 ジスランさんに厳しい視線を向けられて、つい従ってしまう。


「あなたの容姿は神が与えた物、あなたの知識は神がこの世界まで運んでくれたもの。あなたはあなただけのものではないのです。私が言っていることはまっとうだと思いませんか?」


「え、えと……」


「私がなにか間違ったことを言っていますか?」


「い、いえ、その……」


 反論したい。

 反論したいのだけれど、迫力に気圧されて、反論の文章を組み立てることができない。


「アリス様の価値は非常に高いのですが、アリス様はその価値の活かし方をご存じないのです。力及ばずながら、私がこの世界の知識と権力を持ってその価値を最大限活かすように手配致しましょう。そして、アリス様も間違いなくお幸せになれます。その方がいいと思いませんか?」


「い、いえ、それは……」


 この流れはさすがにまずい。

 必死で気持ちを奮い立たせて、口を開いた。


「ま、待ってください。私の幸せはジスランさんが決めることではなく……」


「あなたは自分の幸せだけを考えていい立場ではありません」


 その断言であっさりと押し流された。

 立場にない、と言われた途端、すべての反論の根拠が失われてしまった。

 思考も止まって、なにも言い返せずに、ただ呆然としていると、ふとジスランさんが優しい表情を浮かべた。

 その優しい表情にすがりたい気持ちになる。


「なに、そう心配されることはありませんよ。万事、私がうまく行くように手配して差し上げましょう。アリス様はただこの屋敷でゆっくりと遊んで居られればいいのです。ただ、バロメッシュの地方貴族に嫁に行こうなどと馬鹿な気を起こさないように。それだけです」


 ジスランさんが優しく微笑んだので、それに呼応するように無意識で頷いた。


「アリス様はあれから社交界に顔を出していないのでご存じないでしょうが、今やあなたの噂で世間は持ちきりです。あなたの価値はあなたが思われているよりも非常に高いのですよ。あなたの言葉一つで世間が動く。おわかりかな?」


「し、知りませんでした。そ、そうなんですか?」


 いつまた怒られるかと怯えながら、小さくささやく。


「それに、アリス様は大変に神経が過敏であられる。王侯貴族ならまだしも、しがない地方貴族の奥方となって領地の切り盛りなどできると思われますか?」


「領地の切り盛り……?」


 その言葉の言い方で察した。

 地方貴族の奥さんはかなり実務的なことをしないといけない立場のようだ。

 そんなこと、聞いていない。

 きっと自分が動揺すると思ってアルフォンスは黙っていたのだろう。

 もっと早く言ってくれればよかったのに。


「い、いえ、その……なんなら愛人とかでも別に……」


 謙虚にそう言うとジスランさんがまた厳しい表情を浮かべた。


「愛人? なにを仰っています!? 英雄であるアリス様が地方貴族ごときの愛人? そんなこと、させられるわけがないでしょう。道理を考えればおわかりになりませんか?」


「も、申し訳ありません」


 反射的に謝ってしまう。


 ここでさすがにジスランさんの手口に気が付いた。

 気に入らないことを言いかけると怒りそうなそぶりを見せて俺を萎縮させ、少し取り入るような言葉を言うと好々爺のような優しい表情と声で俺を安心させる。

 俺の過敏さを完全に利用している。

 そして、それが分かっていてもつい言いなりになってしまう。


「どうも、厳しいことを言い過ぎましたな。しかし、すべてはこの国のためであり、アリス様のためなのです」


 ジスランさんが優しい顔をする。


「は、はい。分かっています」


 操られていると分かっても、つい素直に頷いてしまう。


「よくよく、分かっていただけましたか?」


「わ、分かりました」


「では、バロメッシュ家のことは諦めていただけるのですね?」


「え……あの、それは……」


 表情と言葉で丸め込まれそうになったが、さすがに思いとどまった。

 言いよどんでいると、ジスランさんが少しすごみを込めた表情で念を押してきた。


「私が説明したことを分かっていただけたのですよね?」


「は、はい。そ、それはもちろん……」


「では、諦めていただけるのですな。これはよかった」


 と、ジスランが「話は終わりましたな」とでも言いたげに笑顔を浮かべた。

 俺は俺の知識を世界のために役立てるってことに同意しただけのつもりなのに、アルフォンスのことも同意したことになっている。


「いや、それは……」


 反論しようとすると、ジスランさんがこれまでにないほどの怖い顔をした。

 この身体になってから他人にそんな顔をされたことはない。


「…………」


 黙らざるを得なくなる。


「バロメッシュの若いご当主には、私の方からよい縁談でも紹介しておきましょう」


 その言葉に、顔を上げてジスランさんの顔を見つめた。

 もし眼力にそんな効果があったなら、きっとジスランさんの顔には穴が開いていた。

 それくらいじっとジスランさんの顔を見た。

 だが、ジスランさんは全く動じない表情で飄々と言った。


「アリス様も、バロメッシュの当主には幸せを願いますよね?」


「は、はい、それはもちろん……」


 と答えてから、罠だと気が付いたが手遅れだった。


「であれば、一緒に縁談の成功を願っていただけますね。実際、彼にとっては破格の縁談話なのですよ。もちろん、ご協力いただけますな?」


「い、いえ、あの……」


「当主の青年だけでなく、ご両親もお喜びでしょうな。なにしろ相手は遙かに格上のお相手ですからな。まぁ、まず断ることなく、喜んでいただけるでしょう。アリス様も一緒に祝ってあげてください」


「え、えっと……」


「アリス様にとってバロメッシュの当主は大事な方なのでしょう?」


「は、はい」


「であれば、祝ってあげなければいけませんよね」


 その圧に負けて、無意識に頷いていた。


「素晴らしい。それでは、縁談を速やかに進めなくては。アリス様はなにも心配なさらず、心穏やかにお過ごしください」


 ジスランさんは悪意が全くなさそうな笑顔を浮かべたのだった。



 部屋に戻ると、マリーが針仕事をしながら下を向いたまま聞いてきた。


「あ、お帰り。ちょっとほつれちゃっててね。帰るって言ってきた? いつ帰れそう?」


 何の屈託もなく聞いてくるマリーに抱きついた。


「わ、なに!? 危ないったら! ど、どうしたの?」


 マリーが手芸の道具を離して、肩を掴んで支えてくれた。


「無理! あんなにおっかない人、会ったことない!」


 事実、自分ごときにはとても敵わない相手だった。



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