とても暇なので
マリーと一緒に出かけてから三日ほど経った。
ゲームや漫画やネットがないと時間が潰せなかった昔と違って、今の自分はそれほど強い刺激が無くても楽しく過ごせる。
しかし、さすがに暇すぎる。
メイドで毎日床掃除をしていたときの方が、よほど心穏やかだった。
ここまでやることがないと、どんどんダメ人間になっていく気がする。
「うーん……ダニエルたちの方も全然進まないし……もう屋敷に帰る?」
と考えてみたが、おそらく執事が全力で止めるだろう。
軽い気持ちでこの屋敷に来たけど、なにかアルフォンスのところに帰りにくい雰囲気が出来上がっている。
あんまり深刻に考えてもしょうがないけど、身動きが取れなくて困った物だ。
「とりあえず……なんかしよう……」
そんなことを考えて、廊下に出てふらふら歩いて、階段を降りてさらに歩いて、そして庭に出てなんとなく歩いて、そして庭の隅にあるパラソルの下の椅子に座った。
そして、ぼけーっと庭を見た。
「んー……」
それほど焦りがあるわけではないのだが、とにかく何かした方がいい気がする。
というか、焦りがないというのが逆に危なくないか?
異世界に放り出されてこんなのんびりしててよいのだろうか。
「むー……」
もやもやした気分でうめくと、風が吹いた。
最近ちょっと寒い感じだが、今日は割と暖かい。
最初はどんどん寒くなっていったので、このまま極寒になるのかと思ったがそうでもないようだ。
この体は皮膚が敏感なので、肌を刺すような寒さになるとかなりきついと思う。
この地域の気候は不幸中の幸いだ。
椅子をパラソルの外に出して体中に日光を浴びながら脱力する。
「うー……気持ちいい……」
もやもやした気分が薄れていく。
あー……もうなんでもいいかなぁ……
目を瞑って、日の光の温かさを堪能していると、なんだかすべてが溶けていくような気持ちよさがある。
このままずっとひなたぼっこしてよう。
物音がした。
「ん?」
目を開くと、マリーが横に立ってじーっと俺を見ていた。
「わっ! びっくりした!」
脱力していた体に力を入れて背筋を起こすと、マリーもちょっと驚いた顔をした。
「そんなに驚かなくても。……暇そうね」
「あ、うん……」
少し気持ちを整えてから、もう一度マリーを見た。
マリーも特に用事が無く、ひなたぼっこしている俺を見て近づいてきただけのようだ。
「そうそう、なんか最近暇すぎるんだよね。のんびりするのは悪くないけど、さすがに退屈かなって。ダニエルとギュスターヴはなにやってるんだよって思うけど、まぁしょうがないんだろうね」
そう言うと、マリーが軽く首をかしげた。
「そうね。毎日ひなたぼっこしてるだけじゃアリスが溶けちゃいそうだね」
いや、溶けませんて。
「だったら、これを機に社交界とか出てみればいいじゃない。これから人前に出ないといけないことが増えるんでしょ?」
そういえば、またオークションとかやらないといけないし、試作品が出来る前には自分が前に出てなにか言わないといけないのだろう。
それを思うと足がすくむ。
「そ、そうだね……」
「ほら、そんな顔しないで。普通に参加者として出てみるだけならたいしたことないんじゃない?」
「だって、そういうのって貴族じゃないと出ちゃいけないんでしょ? 貴族じゃないし……」
「でも、クロエだって出てたじゃない」
そういえばあのサロンにはお金持ちだけど貴族ではないクロエも参加していた。
「あ、そっか……」
「ちょっと相談してみるかなー」
「え?」
あっけにとられていると、マリーは小走りで洗濯物を干しているメイドさんの方に移動して、なにかを話し始めた。
自分の知らないうちに、マリーはずいぶんとこの屋敷のメイドさんたちと仲良くなっているらしい。
この屋敷の人たちは異世界から来た自分に興味を持っているようだが、それを詮索するのは失礼だと思っているらしく用事以外のことは話さない。
自分も知らない人たちの集団にちょっと固くなっているところもあり、雑談を振りにくい。
でも、マリーは一般人なのでメイドさんや執事も普通に話しかけていて、日に日に仲良くなっている。
自分の知らないところで交友関係を広げているマリーに少しだけ嫉妬してしまう。
自分の知らない友達もたくさんいるんだろう。
うー……なんかもやもや。
「ん……焼き餅焼いてるのか?」
もしかして、自分以外と交遊しているマリーが嫌なのだろうか。
独り占めしてしまいたいという気持ちがどこかにあるのかもしれない。
案外、自分も独占欲強いなぁ。
「うー……」
自分の変な独占欲に嫌悪感を覚えてもやもやしていると、マリーがメイドさんを引き連れて戻ってきた。
今まで何度も見ているメイドさんだが、正直まともに話したことはない。
茶色い髪の二十代前半と思われる地味な人だ。
「ア、アリス様、失礼致します」
先ほどまでマリーと親しげに話していたメイドさんだが、俺の前に来ると急に緊張した表情になった。
う、この反応きっつい。
「こ、こんにちは」
俺の方も固くなって挨拶すると、メイドさんが居心地悪そうに頭を下げた。
この遠慮しあう雰囲気が苦手だ。
「さっき話したみたいに、アリスが人前に出るのが慣れるように社交界にデビューさせたいんです。あんまり派手なのは無理だと思うので、小規模なパーティとかないでしょうか」
マリーがメイドさんに聞くと、メイドさんは礼儀正しく頷いた。
「以前に働いていたところでは大規模なパーティに主が呼ばれておりましたので、お供をしたことがあります。ただ、ここに働きに来てからはそういったパーティに参加したことがないのです。お力になれず申し訳ありません」
そもそもこの屋敷には主であるジスランさんもあまり来ないようだ。
そうなると、使用人がお供でパーティに参加することはほとんどないだろう。
「ですから、そんな大規模なものでなくていいんです。少し裕福な人たちが集まる程度のパーティでいいんですよ」
マリーが横から補足する。
「そ、そうです。小規模なほんとどうしよおおおもないようなところで結構です! そもそもマナーとか詳しくないから、あんまり格式張った所だと気まずい思いをするかもしれないし……」
俺が少し大きな声を出すと、メイドさんが少し驚いたようにたじろいだ。
そんな反応しないで欲しい。
かなり気を使われているのを感じる。
「……アリス様は淑女としてのマナー教育を受けていないのですか?」
メイドさんが気を使った様子で聞いてきた。
「あ、あれ? 伝わってないんですか? わ、私、別の世界から来たんですけど……」
「それは知っております」
「で、淑女もなにも前の世界では男だったんですけど……」
「え゛」
そういった瞬間、メイドさんが変な声を出して、目を見開いた。
これまではずっと礼儀正しく控えめな声と真面目な顔で、とても人の良さそうな常識人という印象だった。
ところが、その常識人っぽいメイドさんが今は笑っちゃうほど大きく目を見開いている。
こ、怖っ!
しばらく無言でいたメイドさんが、マリーに向かって口を開いた。
「……本当ですか?」
その言葉は何の感情もこもっていないような平坦な発音だったが、なぜか謎の重みを感じた。
「はい。えっと……知らなかったんですか?」
と、マリーがうろたえながらも答える。
「は、はい。主から他の世界からやってきた少女だとは聞いていました。大変美しいが警戒感がないので変な虫がつかないように注意してやって欲しいとは言われていましたが……あ……」
メイドさんが一瞬『まずいことを言ってしまった』という顔をした。
「い、いや、いいんですよ。みんなに警戒感がないって言われているので、よくわかっています。そこは気にしないでください」
俺が答えるとメイドさんは頷いた。
それから、メイドさんは鋭い表情で俺の顔をじっと見つめた。
え?
「それで……男ですか……?」
メイドさんが怖い顔で俺を見る。
その怖い目と目が合ってしまうので、視線をそらす。
「い、今はこんな姿ですが、前は男だったんですよ。だから、男と話している方が気が楽だったりするんで、警戒感がないとか言われてるんですかね」
俺がメイドさんと目を合わせないように答えると、メイドさんの目つきがさらに鋭くなったのが視界の隅に入った。
「へぇ……」
メイドさんがまじまじと俺を見ている。
気まずい。気恥ずかしい。
「だ、だから、淑女としてのマナーとか全然わからないんですよ。そもそも、この世界の常識だってよくわかってないですし」
「男……元々男……へぇ……」
メイドさんは俺の言葉を聞いていない様子で俺の全身をなめ回すようにジロジロ見ている。
なんだこれ。
「しかし……全く男性の気配は感じられませんが」
そう言われて、一瞬力が抜けた。
今更ではあるが、他人にそういうことを言われると脱力してしまう。
「こ、こういう見た目ですから。それから、人前ではきちんと女言葉を使っているので、そう見えるのだと思います。マリーとの間では男言葉も使っています」
「でも、全然がさつなところがありませんね」
「そ、それはこの見た目のせいです。そんな買いかぶらないでください。恥ずかしいから」
気まずくなって身じろぎすると、マリーが横でふふっと笑った。
「アリス、今すごく女の子っぽい仕草してるよ」
「え!? い、いいじゃん、別に……」
「へぇ……男の子だったんだ……」
視界の隅に、メイドさんの口がにぃっと不自然なほどつり上がった光景が目に入った。
え?と思って、振り向くとメイドさんは自然な笑みを浮かべていた。
ん? ん?
今のは見間違いか?
「私はアリス様が参加できるようなサロンもパーティも存じ上げませんが、知り合いの者に当たってみます。それから……」
ちらりと俺を見た。
ん?
「夕方、お時間をもらっていいでしょうか? アリス様と少し話をしてみたいです」
メイドさんは爽やかな笑みを浮かべながら言った。
「はい。いいですけど……」
なぜか悪寒を感じながら、俺はそう答えた。
最近忙しくて全然かけていません。
ものすごく久しぶりの投稿。




